鏝(こて)絵 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 漆喰(しっくい)で塗り固めたなまこ壁の商家が建ち並ぶ西伊豆の松崎町。この町は幕末から明治にかけて活躍した一人の芸術家を生んだ。漆喰(しっくい)のレリーフに色彩を施した「彩色鏝絵」の先駆者「伊豆の長八」こと入江長八(いりえ ちょうはち)である。

 文化12年(1815)、松崎の農家に生まれた長八は、12歳で村の左官の棟梁(とうりょう)に弟子入りし、19歳頃、江戸へ旅立った。その江戸では、左官の技術を磨くかたわら、狩野派の絵を学んだ。そして、長八は、絵の技術を左官の技に応用しようと考え、鏝で盛り上げた漆喰に着色するという独自の技を考案した。その結果、従来の白一色の鏝絵から脱却した「彩色鏝絵」が誕生したのである。長八が修業に携わった松崎の浄感寺(じょうかんじ)には、「天女」を始め多くの傑作が残されている。寺の床柱には、「彩色 入江長八」の銘がある。そこには、職人の技、鏝絵を芸術の域にまで高めた、長八の誇りが込められているようである。

 長八の「鏝絵」も、成功と失敗が数多く繰り返されたのでしょう。何かを始めれば、「失敗」は付きもののはずです。一度や二度の失敗で済めばいいですが、天文学的数字の失敗が繰り返され、遂には、自分の代では成功の目は見られなかったという歴史的結果は、是も数限りなく残っています。ようは、「一念岩をも通す」という信念をどこまで持ち続けることが出来るかということでしょう。さらにまた、何事かをなす場合、「どうせ駄目だから」と初めから負け犬根性では、成功はおぼつかないということです。