別に工夫なし(別無工夫) | 徳富 均のブログ

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 京都御所の北に位置し、広大な境内地に総門・法堂(はっとう)・方丈・庫裏が甍を並べ、境内の東西と北方には整然と塔頭(たっちゅう)が建ち並ぶ「相国寺(しょうこくじ)」は、金閣寺(鹿苑寺)や銀閣寺(慈照寺)を末寺に有する臨済宗相国寺派の本山である。

 相国寺は室町時代、1382年(永徳2年)に、室町幕府三代将軍足利義満(1358~1408)の発願で造営された。南北朝時代の高僧・夢窓疎石(1275~1351)を勧請して開山とした。夢窓疎石は、後醍醐天皇や足利尊氏らに重用され、天竜寺ほか多くの寺を開いた。この夢窓国師の有名な言葉に、

「別に工夫なし(別無工夫)」

という言葉がある。

 人間が何かをしようとする時、ついついその結果を考え、「これをやったら失敗するかもしれない」と先を計(はか)らってしまう。しかし、夢窓国師は、「別に工夫なし。ただ無心に放下(ほうげ)すれば 便(すなわち)是なり(放下便是)」といった。この意味は、「なんでも心の中の雑物を全部吐き出してしまって、心を無にしましょう。そうすると、何の計らいもなく、その場その場で正しく対応できるものです」という教えのようです。

 一般的に、人間は「頭でっかち」になり、余計な事を考えすぎるようです。「これをしたら失敗するか?」「こうしたらどうか」など、結果主義の現代人の悪弊なのではないでしょうか。もっと気楽に、「失敗したらやり直せばいい」と思うべきでしょう。人間誰でも、一度や二度の失敗はあります。大切なのは、失敗した後の対応です。失敗はその人の能力を表すものではありません。失敗後の対応力が、実は、その人の能力と言えるでしょう。適切な対応ができれば、誰もが「あー、さすがに~さんだ」と認めてくれるはずです。そしてそれが人間としての「信用」となるのではないでしょうか。