秋の紅葉狩りで有名な、京都高尾の神護寺。谷内弘照氏(神護寺住職)が神護寺の不動明王像について次のように書いています。
神護寺に葉弘法大師御作の不動明王像がございましたが、平将門(たいらのまさかど)の乱鎮圧のために、広沢遍照寺(へんしょうじ)の寛朝(かんちょう)僧正が、天慶3年(940)に関東に出開帳し、21日間にわたって「調伏(ちょうぶく)」の護摩祈願を行いました。その最後の日に将門が絶命し、乱が治まりましたので、霊験(れいげん)あらたかなこの像を本尊として、成田山新勝寺(しんしょうじ)が建立されたと伝えられております。
護摩の起源は古代インドの宗教儀礼で、供物(くもつ)を祭壇の炉の中に入れると、火焔となって、天の神々の口の中に入り、神々はそれにこたえて我々の願望をかなえてくれるという信仰から生まれたものです。このような儀礼が密教の中に取り入れられ、中国で体系化されたものが日本に請来されました。真言宗や天台宗の密教寺院では、不動明王や愛染明王などを本尊として護摩を焚(た)くようになり、多くの人々の信仰を集めてまいりました。
護摩の修法には、災いを取り除く「息災(そくさい)」、積極的に幸福を倍増させ福徳繁栄を目的とする「増益(ぞうやく)」、他を敬い愛する平和円満を祈る「敬愛(きょうあい)」、悪を屈服させる「調伏(ちょうぶく)」などの種類があります。
現在の神護寺にも後に収められたお不動さまが明王同に祀られています。像高は144㎝、大きなお顔と肉厚のある体つきで、右手には三鈷剣(さんこけん)を、左手には羂索(けんさく)を持ち、髪は巻き毛で、右目は大きく見開き、左目を少し閉じる天地眼、牙は上下に出し、恐ろしい忿怒の姿をしておられます。
お不動さまは大日如来に代わり奴僕(ぬぼく)の姿で立ち働きます。また、煩悩を抱えもっとも救いがたい迷える人々をも力ずくで救うために忿怒のお顔を示されています。右手に握っておられる三鈷剣は「悟りの智慧」を象徴し、心の迷いや悪い因縁を断ち切ってくださいます。左手に持っておられる羂索は、煩悩を縛って封じ、正しい教えの道へとお導きくださいます。お不動さまの「不動」とは、全ての人を救うため、一切迷いのない不動の心を持っていることを表しています。
神護寺の不動明王が、成田山新勝寺の本尊であるということは知りませんでした。また、一切迷いのない「お不動さん」は、人間には無理でも、一歩でも、二歩でも近づきたいと思いますが、さあ、どうでしょうか。