あれは、私が中学生くらいの頃だったか…。


当時は小さな団地に住んでいて。

団地は全棟5階建てで、ウチの家族はF号棟3階の端っこの部屋で暮らしていた。

団地の構造上、F号棟の部屋のベランダは、隣のE号棟の階段や廊下から丸見えで、気をつけないと部屋の中まで見られてしまうような環境だったのだが、
ほとんどの人は 他人の暮らしなどに関心が無いので、隣の棟に目が行く事なんて めったに無い。…はずなのだが。




夏の ある日の事、
70代後半くらいの謎のおばあちゃんが突然 現れて、隣のE号棟5階の階段付近から、F号棟の住民の部屋を毎日のぞき見するようになってしまい、それは冬が来るまで続いた。

おばあちゃんは小柄で丸顔で、昭和のオバチャンのパーマ頭で、どこにでも居る普通のおばあちゃんだった。

団地あるあるで、ベランダに洗濯機を置いている住民は多くて、ウチも そうだったのだが、
私が洗濯をしようとベランダに出ると、いつも 隣のE号棟の5階から おばあちゃんの顔が覗いていて、気になっては いるけど、スルーしていた。


ウチの母親が言っていた話では、
F号棟の集会で、おばあちゃんの のぞき見の事が話題になって、
住民の中には おばあちゃんが怖くて部屋のカーテンが開けられなくなっている人も出ているとか。
あの おばあちゃんが誰なのかを調べた人も居たそうで、その人の話だと、おばあちゃんはF号棟の住民でもE号棟の住民でもなく、別の棟から わざわざ やって来て、F号棟を覗いていることが判明したらしい。

みんなで おばあちゃん家に行って、のぞき見を止めてもらうように言いに行こうか、という話も出たそうだが、
お年寄りのする事だし、冬が来たら寒くて止めるかもしれないから、もう少し様子を見てからにしよう、と 話は そう決まったらしい。




それからというもの、
昼間、カーテンを開ければ、隣の棟から 謎のおばあちゃんの頭が見える…そんな景色が当たり前の日々が続いたのだが、
突如として、おばあちゃんが のぞき見をしている理由(?!)に気づかされることになる。

とある日、突然 隣のE号棟から「ケラケラケラケラ」という おばあちゃんの笑い声が聞こえてきたのだ。

何事かと思って 部屋の中から外をそっと覗くと、
ウチの父親が ベランダで素っ裸で踊っていた。


◇◇◇

話は逸れるが、
ウチの父親のハダカ踊りは、昨日今日 始まった事ではない。私が幼い頃から時々やっていることだ。どうやら、妻であるウチの母親の気を引きたいかららしい。

母親がベランダで、溜まった洗濯物を洗っていて忙しい時に、かまってほしくて素っ裸になって おどけるのだ。
そして父親は こう言う。
「ベランダは部屋の敷地内だから、裸になってもいいんだ!部屋を覗く方が悪いんだ!」と。

そして、母親のイヤがる顔を見て楽しむ。そういう性癖なのだ。

もう…バカにつける薬は無いので、放っといているのである。


当時の父親は、50代後半くらいで、身長168cmで大柄ではない。
大工という職業柄、だらしない体型ではなく、肉体労働者らしいソフトマッスルで、若くはないが歳を取り過ぎてるわけでもなかった。

母親は、「年のわりに、お父さんは若いと思うのよ。」
などと言っていた。


◇◇◇



話は戻るが、
私は、おばあちゃんの あの笑い声で気づいてしまった。

おばあちゃんは、不定期で突如始まるウチの父親の《ベランダ・ストリップショー》が見たくて、それを見逃さないように、毎日毎日のぞき見をしていたのだ。
隣のE号棟の5階 階段付近は、おばあちゃんにとって、特等席だったのだろう。
(※筆者の憶測です)



父親はベランダで散々踊ったあと、部屋に戻ってきて「あの おばあちゃん、いつも居るんだよなぁ」と言って、ヒョッヒョッヒョッヒョッと笑っていて、

(いつも…って? いったい何回くらい おばあちゃんに見られてんだよ…と思ったが…)

ウチの母親も、父親と おばあちゃんの笑う顔を見てニヤニヤ笑っていた。


母親の様子から見て、母親は おばあちゃんが何故 毎日F号棟を覗いているのか、その理由を薄々気づいていたはずだ。

私には、おばあちゃんの のぞき見の問題をまるで他人事のように語っていたのに…。


F号棟の集会で「冬が来たら寒くて止めるかもしれないから…」と言い出したのは、おそらくウチの母親だろう。

おばあちゃんの口から、ウチの父親のハダカ踊りのコトがバレるのを恐れて、
F号棟の皆さんが おばあちゃんに会いに行かないように、先手を打ったとしか思えない。
(※筆者の憶測です)

本当のところは どうだったのか、確かめる気にも なれなかった。





いったい 何の きっかけで、おばあちゃんは、ウチの父親がベランダで素っ裸になることを知ったのかは謎だが、
おばあちゃんのF号棟の のぞき見は、ウチの父親の出待ちだったのだ。
(※筆者の憶測です)


でも、真冬が やって来て、全ての謎は うやむやになった。

その時、私は ふと思った。

もしかしたら、あの おばあちゃん。
春が来たら また、のぞき見を始めるのでは…?

その予想は、誰かに言うわけでもなく、私の心の中で静かに思っていただけなのだが、

まさか、的中するとは…。



おばあちゃんは、暖かい季節とともに隣のE号棟の5階に現れて、また、F号棟のベランダの のぞき見を始めてしまったのだ。




ウチの父親のハダカ踊りに、いったい どんな元気をもらったのかは分からないけど、
冬を乗り換えて やって来た その様子から、おばあちゃんの期待の高さを感じた。

だが 父親は、冬の間にハダカ踊りをすることに飽きてしまって、さらには仕事も忙しくなり、《ベランダ・ストリップショー》をやってる暇が無くなったので、おばあちゃんの期待するような事は、春が来たからといって 待っていても始まることは無い。

だけど、その事をおばあちゃんに わざわざ知らせに行くのも なんかヘンだし、おばあちゃんが諦めてくれるのをただただ待つしかなかった。





でも これで、おばあちゃんの謎は、私の頭の中では明らかになった。

あの おばあちゃんは、今で言う所の《推し活》をやっていたのだ。

おばあちゃんの《推し》は、素っ裸になったウチの父親で間違いない。
(※筆者の憶測です)



おばあちゃんの身なりからも、それを確信できる。
昭和のオバチャンパーマから聖子ちゃんカットみたいに変わった髪型、おしろいに頬紅、薄紫色とピンク色が混ざり合った 春らしい透かし編みの かわいいカーディガン、そして ウチのベランダを覗く 潤んだ眼。

その オシャレした姿から見ても、おばあちゃんが ウチの父親の大ファンであることは十中八九 間違いない。
(※筆者の憶測です)



しかし、オシャレして来てくれたのに気の毒だが、ウチの父親は エンターテイメントで素っ裸になっているのではなく、12歳年下の妻であるウチの母親に かまってほしくて脱いでいるわけで、それは夫婦間のプレイみたいなものだから、
おばあちゃんの期待どおりにならないのは致し方ない。



それに、これは 私の想像だけど、
おばあちゃんは、ウチの父親の出待ちの間の暇つぶしで、他の住民の部屋を覗くようになってしまったのではないか?と。

だけど、ベランダで素っ裸で踊る住民なんて他には居なくて、それが忘れられなくて、春になって また現れたのだろう。


そういえば、久々に おばあちゃんの姿を見たウチの母親が、気まずそうな顔をしていた気がする。





ウチの家族の中では、姉だけが 何も気づいていなくて、
「あーっ!また あの おばあちゃん居る!もー!何なんだろう?!」
と気味悪そうに言っていた。

私は、説明するのも面倒くさくて、
「さー、何なんだろうねー」
と言って、話を終わらせてしまった。




謎のおばあちゃんは、3日ほどでオシャレを止めて、2週間くらいで出待ちを諦めてくれた。

2年目の夏に ならなくて良かった。







時々、バラエティ番組などで、
《ベランダは自宅の敷地内》なので素っ裸になるのは良いんじゃないのか?
などと議論されることが有るけど、

ホントに、本当に、そんなコトをすると、ファンが現れて、そのファンがマナー違反で近隣住民に迷惑をかけてしまう、
(※筆者の憶測です)

誰にも迷惑をかけていない つもりでも、間接的に 誰かに迷惑をかけてしまうことが有る…という 一例である。




この出来事は、三十数年以上前の話だが、
暖かい季節が来ると、名前も知らない あの おばあちゃんの幸せそうな笑顔を時々 思い出す。


曲の歌詞じゃないけど、あの おばあちゃんが〖時の走馬灯〗を見る時が来て、
その中に ウチの父親のハダカ踊りが入ってるかと思うと…ちょっと…。(苦笑)



《事実は小説よりも奇なり》とは、よく言ったものだ。

(※本当のところは謎のままです…。)




終。


(2024年5月)