毒親。その言葉を聞いたとき、否定する気は全く起きなかった。
「私の親、これだー!!」そう思った。もう、親が重くて重くて、苦しくて苦しくて、仕方なかった私。笑”
毒親の中身なんて、具体的に表現することが出来なかった。そんな余裕なかった。ただ、重くて、苦しくて、必死で逃げた。笑”
けど、分析に分析を重ねて、今なら言えること。
毒親を具体的に表現してみます。
母親は、いつも人を悪く言っていた。いつも、不平・不満・愚痴ばかり。
ただ、これだけ。
本当、”イヤな人”だわ。
そう、私の親は、”嫌な人”でした。
もちろん、こうなる背景には、以下のような要因があります。
・自分を大切にすることができない人
・自分を愛することができない人
・人を大切にすることができない人
・人を愛することができない人
よって、
・人と協力することができない人
協力することができないから、
・人には”責められている”と常に思っている人
だから、
・人に対する警戒心が強い人
・警戒心が強すぎて、取り付く島がない人
親自身も、
大切にしてもらったこと、愛されたことがないから、大切にすること、愛することが分からない。
そんなベースがあるから、母は自尊心が低い。低すぎる。
だから、
母の行動は、”○○して欲しい”が常にある。たとえば、、、。
話を聞いて欲しい。愚痴を聞いて欲しい。味方をして欲しい。同情して欲しい。可哀想だねって言って欲しい。頑張っているねって言って欲しい。認めて欲しい。共感して欲しい。反対意見を言わないで欲しい。彼女の思う通りに、周囲に動いて欲しい。
母の”○○して欲しい”に応えていると、
もっと、もっと、とエネルギーを吸われる。
だから、私は疲弊した。笑”
母の”○○して欲しい”は、自尊心の低さゆえ。自尊心の低さが、またも私を蝕む。私は、彼女が生きる上での餌だった。
母は自尊心が低いから、人を卑下し、見下して、母自身が優位に立とうとする人だった。自分が力のないときに、簡単に自分が優位に立つ方法は、人を悪く言うことだった。人を悪く言う、その真逆にあるものは、自分は正しい、だった。
そして、子供である私は、子供だからこそ、何をしても大人よりも下手。そんな私は、格好の餌食だった。
何をしても、見下された。そのたびに、彼女の低い自尊心を埋める存在だった。
けど、これは、自尊心が低い彼女が生み出した二次災害。笑”
二次災害の前には、母自身愛されて育っていない、大切にされて育っていない、という一次災害がある。笑”
一次災害も、二次災害も、仕方なかったことかもしれない。母は、母自身をコントロールすることができなかった。一次災害を受け、二次災害を引き起こした。
だけど、、、。
この一次災害・二次災害の融合の結果あるもの。それは、冒頭に書いたこと。
常に人を悪く言う。不平・不満・愚痴ばかり。
自分で自分を愛することができないから、人に評価を求め、期待通りの評価を得ることができず、不満が溜まる。自分で自分を認めてあげられないから、人に認めてもらおうとして、人の意に沿おうとして、我慢する・無理する。その結果、疲れて、意に沿おうとした人に対して不満を言い出す。自分が我慢ばかりしているから、自分が我慢していることを人が平気でしていると、それは、不平・不満・愚痴へ直結する。笑”
この三次災害とも言える、不平・不満・悪口現象。笑”
これは、避けて頂きたかった!!!!
一次災害、二次災害までは、仕方ないとする。
が、三次災害は、ちょっとねぇ・・・。怒”&苦笑”
仕方ない、とできないわー。
母自身が引き起こした三次災害。
よって、母は、
ただのイヤの人。笑”
すごくイヤな人。だった(笑)
毒親とは、すごくイヤな人である。。。(私流、毒親の定義。)
少し小声で、、、。半年前は、今よりもっともっと怒りが残ってた。本当に、裁判で訴えたかった。精神的苦痛を与えた、として、告訴したかった。いや、今でも思う。ただ、半年前、怒りの感情は、沸騰していた。今は、沸騰したものが、そのまま絵になり固まった感じ。だから、その怒りをただ眺めているだけ。
怒りをガンガン煮立たせた結果、どうなるのだろうかと思ったが、それが私の終着点だった。怒りまくったからといって、母を許せるわけではないし、許さなくていいと思う。(実際に、母との絶縁を決めた。これから新しく出会う人には、母は死んだと言っていい。)
私自身が母にとらわれずに生きていくために、こういうことがあったんだなぁ、と怒りの絵を眺めていることは悪いことではないと思う。
ファッション&インテリア
ソーイング作家 SATOKO