昨日に続き、、、今日も毒親を語る(笑)
毒親の元に育つことによる生き辛さ。そう、アダルトチルドレンの生き辛さねヽ(;´Д`)ノ
昨日の記事の、二次災害、三次災害による、自分への被害ね(笑)その部分に、どう向き合うか。
では、自分への被害とは何か。(あの親の元に育って、自分が感じることね。)
親に大切にされていない、愛されていないと感じること。それは、自分は必要のない人間である、へと着々と進化する。自分が存在することに対し、罪悪感を感じること。とにかく、何をするにも罪悪感を感じる。自分は悪い子だと感じる。
まず、、、
親は、親が知っているor想像する愛の形で、愛したと考える。それにより、愛されていないわけではないと自覚する。
しかし、、、
意見を言わせない、母自身が都合の良いようにコントロールする、愚痴のはけ口にする、母の感情処理メーカー…そんな愛欲しくなかったよo(;△;)o
でも、、、
それが、母の愛だと自覚する。
そして、、、
母は、大切にされた経験、愛された経験がない。だから、自分のことを見て欲しい、聞いて欲しい、認めて欲しいが強い人。つまり、ゼロ歳児だと、仮定する。
母をゼロ歳児とするならば、、、
母は、母自身のことを見て見て見てー!!聞いて聞いて聞いてー!!認めて認めて認めてー!!と、騒ぎまくったのだ。ゼロ歳児の大事な仕事。ゼロ歳児は、笑っても、泣いても、何しても褒められる。まさに、ゼロ歳児。
と、するならば、、、
ゼロ歳児に、私の気持ちを聞いてー!!とか、言うだけ無駄だよね(´д`lll)分かってくれるわけないって。だって、0歳児だもん(笑)当然、人を大切にしてくれるわけないよね。大人の愛をくれるわけないよね。よって、私も、大切にされなかったし、愛されなかった。
そして、0歳児であるゆえに、、、
彼女の気分に沿わないことは、受け付けないよね、、、。当然だけど、、、。ここ!!!これ!!!
これゆえに毒親なの!!!イヤなものはイヤ!!!手も出る、ダダもこねる。
これをされ続けると、、、。
見た目大人な精神年齢0歳児な母と、見た目も精神年齢も0歳児な赤ん坊の私。精神年齢同じでも、出来ることには差があるよね。1人でご飯を食べられる、着替えられる、お風呂入れる、トイレへ行ける…。こういうところは、母は大人。だから、どうしても、私は、母の世話になるしかない。
イヤなものはイヤだから受け付けない。そして、○○して欲しい、のデパート。笑” 昨日書いたように、自尊心低下を埋めるための道具。。。さらに、不平・不満・愚痴ばかりで、これを聞かないと怒られるし、まるで感情処理メーカー。。。
あのねぇ、、、。
これをされ続けるって、精神的虐待ですけど!!!
でも、でも、でも、もうひと踏ん張り!!!
がんばれ、自分!!!
よく、考えろ~o(・_・= ・_・)o
母は0歳児だぞ!!母は、幼稚だぞ!!
母は、0歳児。
だから、つまり、、、。
私は、精神的虐待を受けたわけではない。
それに、、、。
母から、愛をもらっていた。そう、0歳児の愛を・・・(´д`lll)
(本当は、、、。大人からの愛が欲しかった。笑”)
そんなもの、、、。
い・ら・ね・え・よヽ(`Д´)ノ
自分が愛されていたことが分かったり、自分が悪い子ではなかったと思えると、人は生きやすくなる。
私は、大切にされた感覚も、愛された感覚もない。自分は、悪い子なのだと、自分を責めた。
私は、自分が悪いから、いつも母に悪く言われるのだと思っていた。だから、自分が生きること・存在することにさえ罪悪感を覚える。でも、それは、私が悪いわけじゃないと思えることで、すごく生きやすくなる。
母から、愛されることは、求めない。愛されていないと思う。大切にされていないと思う。でも、それは私が悪いのではないと思う。
そう、私が悪いのではない。こう思えることが、何より、生きやすくなる。
ファッション&インテリア
ソーイング作家 SATOKO