第1弾 今泉清さん | 早稲田大学所沢キャンパス祭公式ブログ

早稲田大学所沢キャンパス祭公式ブログ

早稲田大学所沢キャンパス祭実行委員会のブログです。
公式HP→http://tokosai.net/
今年の所祭情報や様々なキャンパス内での企画なども行っているので、ぜひ見にきてください!!
早稲田大学の所沢キャンパスの特徴を押し出せる企画なども展開していきます。

 

 

第1弾は元ラグビー選手の今泉清さんです。

 

 

 

 

 

—    まずは簡単に自己紹介をお願いします。

 

 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科で、1991年卒の今泉清です。ラグビー部に所属をしていました。現在はパフォーマンスコンサルタントという、ラグビー選手やスポーツ選手、アスリート、会社組織などのパフォーマンスを向上するティークパフォーマンスコーチをしています。

 


—    なぜ、早稲田大学に入学されたのでしょうか。

 

 そこしかなかったです。スポーツ推薦だったので、何学部に行くとかというのではなく、ラグビーをしたかっただけです。僕が入る前の年は、大学選手権では準優勝で、惜しくも大東文化大学に敗れていましたが、強かったですし、歴史ある赤黒のジャージに憧れていました。

 


—    そんなこともあり、学生時代はラグビー漬けの日々だったと思いますが、勉学との両立が大変だったのではないでしょうか。

 

 そもそも、勉学と両立ができるような体制ではなかったので、ラグビーの練習を優先してやっている状況で単位をとると行った感じでした。

 


—    かなり忙しい中で、色々失敗とかもあったと思いますが、何か失敗したことはありましたか。

 

 ラグビー+寮生だったので、寮の生活を安定させるのが1年生の大きな仕事でした。寮内の清掃、電話番や先輩への買い出しなどがあって、寮の生活が滞りなく進むようにしなければいけなかったです。特に電話番の時が、午前中はずっと寮の電話の前にいて、授業に行けませんでした。当時は携帯電話がないですから、寮にかかってくる固定電話だけですから、それにかかってきて、用のある先輩を起こしに行くという感じでした。単位はフル単位登録しましたが、結局出席日数が足りてなくて半分くらいしか取れていませんでした。あとは、献立を作ったり、食料の発注なども担当したりしていました。寮母さんもいたりいなかったりしていたので、私が料理の仕込みも全部していました。50人分作っていましたから、一人暮らしをしていて困ったのが、1人分がわからなかったりして、余分にものすごく山盛りになっていました。

 


—    ラグビー中心の生活だったと思いますが、その経験が今にどう生かされていると思いますか

 

 ラグビーができるという点では、不自由しなくなりましたし、(ご飯を)自分で作るってことをしていましたし、集団生活をしたのでどこに行っても生活していく力は身についたと思ってます。

 


—    ラグビーで、チームとして頂点を目指して行く過程で、今に生きているものはありますか

 

 ラグビーは集団スポーツの中で人数が一番多い15人でプレーをするので、相手チームも含めて30人にもなります。1人でどう頑張っても勝てないですし、仲間との協力関係を構築しなければならないです。それで最も大切なのがコミュニケーションでした。ラグビーの場合は、たとえば自分の前にスペースがあって、ボールを持っていれば走って得点できる状況で、前の選手にパスを要求するけど、その選手がパスを放らない。そこで相手の選手に当たってしまった。そしたら、「なぜ俺にパスを放らなかったんだ?」って言いますね。でも、その選手のことをちゃんとわかっていれば、練習からその選手はパスを放らない選手なんだと分かるわけです。だったら、サポートのコースを変えて、その選手が当たった時にボールをもらえる位置に行かなきゃいけない。そういうところをやっていきながら、コミュニケーションと味方の強みと弱みを理解して初めてプレーが繋がります。また、他者の興味を知ると行った点では、寮生活はある意味良かったと思います。

 


—    人間科学部1期生ということで、当時のキャンパスの雰囲気はどうでしたか。

 

 素晴らしい開放感でした。上には誰もいなかったですし、電話番がない限りは、授業がなくても学校に行ってました。寮に残っていると、先輩から「買い出しに行ってこい」とか言われるのが嫌だったので学校に行ってました。食堂も1学年しかいないわけですから、食堂が広いスペースそのまんまでした。私の場合は、椅子を向かい合わせに、計8個並べてそこで寝ていました。現在は練習場が上井草ですけど、当時は東伏見で、サッカー部の隣で練習していましたので、仲良くしていました。

 


—    所沢キャンパスの広大な敷地の良さは何かありますか。

 

 それはもう自然でしょう。周りが自然に囲まれて、喧騒もなかったです。当時は小手指駅からそんなバイパスがなかったので、2,30分程度かかってました。犬がいるって思ったら狸だったこともありました。

 


—    所沢キャンパスで色々な方に出会ったと思いますが、お世話になった方はいらっしゃいましたか。

 

 恩師はやっぱり宮内先生ですね。今はもう退職されましたが、スポーツ社会学の先生でした。今のパフォーマンスコンサルタントも地方自治体のパフォーマンスを良くするということもあるので、例えば今の少子化の問題で人口が減っていく中で、1つの学校にラグビー部、野球部、サッカー部がこれからの時代は成立しないような状況になってきます。その時に必要なのはクロススポーツです。私は小中とサッカーをやってきて、日曜日にラグビーをやってという感じでした。サッカーをやっていましたから、大学入って、菅平のセミナーハウスで合宿をやっていたんですけど、そこでキックを蹴っていました。本来の1年生は練習1時間前に出てきて、グラウンドの準備をしなければいけないんです。20分もすれば道具が揃ったので、暇になるとボールを持って行って、ゴールキックを蹴って遊んでいたんですよ。そしたら当時の監督の木本さんに呼ばれて、その日の午後の練習から、「バックスにいけ」と言われて、そこからゴールキックを蹴るってなりましたね。クロススポーツで言いたいことは、結局1つのスポーツだけをやっていてもなかなか大成しないので、いろんなスポーツをしていくことが必要な時代になってくると思います。私のモットーは、チャレンジするということです。チャレンジとは新しいことをするのではなくて、できるまでやり続けることだと思います。

 


—    最後の方になりますが、現在所沢キャンパスに通っている学生にメッセージをお願いします。

 

 諦めないで、最後まで、できるまでやり続ける。一つのことをやってダメだったで終わるのではなくて、「このやり方がダメだったんだ。じゃあ次のやり方をやろう。」というように、次、次というようなネクストメンタリティーを持って、続けるというのが大切だと思います。

 


—    30周年のお祝いの言葉をいただければお願いします。

 

 人間科学部創設30周年おめでとうございます。あっという間の感じが否めませんけども、30という数字は、1つ1つ積み重なった結果なので、これから30年、50年、100年と歴史を刻んでいきますので、これが一つの終わりではなく、通過点ということでさらに切磋琢磨して、日本国内だけでなく世界に“早稲田の人間科学部あり”というところを知らしめていけるような人材をどんどん輩出してほしいと思います。

 


 

 

 


 

人間科学部設立当時のキャンパスライフや、当時のラグビー部生活など貴重なお話を聞くことができました。また、 ”最後まで諦めないで、できるまでやり続ける” ことが夢を掴む第一歩なのだと改めて認識することができました。


 

インタビューにお答えいただき誠にありがとうございました。

 


 

広報局2年 西田和央