モペッド で 1マイル

モペッド で 1マイル

浮かんでは消える。消えるようで消えない。日々の思いは頭の中で、音楽のように流れていく・・・ような気がします。好きな音楽のことを中心に、そんな思いをちらほらメモ書きしてみようかな・・・てな感じです。

「WILD IS THE WIND」は、

ニーナ・シモンのフィリップス・レコード時代のアルバムですが、

こちらもしばしば一目置かれている印象の一枚だったりします。

 

その点、ニーナがライブでは披露していたタイトル曲や、

「BALCK IS THE COLOR OF MY TRUE LOVE HAIR」といった曲が、

改めて録音されているからというのもあるのかな。

(ライブバージョンは、「AT TOWNHALL」(1959)で公表済。)


一方、4人のアフリカ系アメリカ人女性の生活の苦難を描く、

「FOUR WOMEN」という曲は、

ラジオで放送禁止になったなんてエピソードがあったり、

タイトル曲はデヴィッド・ボウイが、

「LILAC WINE」という曲はジェフ・バックリーがと、

その後カバーされる曲が収録されていたりも。

 

(どちらもニーナがオリジナルというわけではないんですけど、

それぞれがカバーしたのはニーナの録音からだったってことのようです。)

 

・・・と、そんなあれこれのトピックに加え、

個人的には、3曲目の「WHAT MORE CAN I SAY」という曲が、

印象の残る一枚だったりしています。

 

スキャットっぽく音階を駆け上がるメロディがあって、

そのパートを歌うニーナの声が、

実にニーナ・シモンを聴いた気分になれるというか。

 

う~ん、ちょっと、クラシックぽかったりもするのかな。

ピアノにしろ、そういうプレイを織り交ぜてきて、耳を惹き、忘れられない。

なんだかニーナっぽいんですよね。その感覚。

私が最初に、ニーナの作品あれこれを聴いてみようと思ったのも、

そのあたりだったように思いますし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「WILD IS THE WIND」(1966)

 

 

 

 

「MIDNITE VULTURES」は、

私が初めて聴いたBECKのアルバムです。

本作収録の「SEX LAWS」のチャカポコ感が好きだったとは、

ずいぶん前にブログにも書いた話。

 

でも、それ以外は、あんまりぴんと来てなかったっていうね。

ただ、これまた、最近になって聴き直すと面白かったんだな。

 

ソウルやファンクを根底にしたダンスミュージック作品とは、

本作に対してよく言われる言葉かと思いますが、

(プリンスっぽいとか。)                        ※

う~ん、それが、当時はピンとこなかったのかな。

プリンスを楽しめるようになったのも、

私の場合、これより後だったかと思うので(遅)、

そこからさらにいろいろ混ざったような本作に、

つかみどころを見いだせなかったというか。

 

(だから、一曲目の「SEX LAWS」だけ好きだったような・・・。)

 

一方で、デヴィッド・ボウイが頭に浮かんだりもしたかも。

なので、改めてBECKとボウイで検索してみたら、

本作がというわけではないけど、やっぱり影響もあるみたいですね。

 

まあ、デヴィッド・ボウイもこれまた最近、

うっすら興味が湧きだしたような私なので、

やっとこそのあたりも、

「つかみどころ」に感じられるようになったということでしょうか。

あれこれ混じってよく分からなかった味の元が分かるようになって、

ちょっとずつ、楽しめるようになってきたと。

 

(我ながら、何かと時間のかかることよ。)

 

 

 

 

 

 

「MIDNITE VULTURES」(1999)

 

今にして思うと、1999年発売と言うのも、

プリンスを意識してのことだったのかも。

(考えすぎ?)

 

 

「マニック・マンデイ」も単独の記事では書いたことがなかったのかな。

80年代に活躍した女性バンド、バングルスのメジャーファーストシングル。

楽曲はプリンスから提供されたもので、

当時、中学生だった私もやたらMTVとかで流れているのを、

耳にしていた覚えがある一曲。

 

とはいえ、私がバングルスを好んで聴くようになるのは、

もうちょっと後。

そもそも女性ボーカルものをそんなに好んで聴くほうではありませんでしたし。

 

ただ、リアルタイムでもあったバンドなわけで、

その点、後から聴くにもとっつきやすかったんじゃないかな。

懐かしさも伴うわけですし。

 

そうでなくても、スザンナ・ホフスの声はやっぱり魅力ありますしね。

 

まあ、そんなバングルスの「マニック・マンデイ」なわけですが、

私はこのタイトルの意味を「憂鬱な月曜日」だと思っていました。

でも、「MANIC」って、「躁状態」の方の意味なんですね。(逆?)

つまり、月曜日は休み明けで大忙しってことなんだな。

 

ひとまず、それが嫌だって歌なので、

「憂鬱な月曜日」で解釈の着地点としては、

そんなに間違ってないような気もするんですけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

「MANIC MONDAY」(1986)

 

 

 

 

・・・なんてことをブログに書いている本日も月曜日。

もっとも、敬老の日ということでお休みでございます。

 

最近、月曜日が休日ってことも多くなりましたね。

ありがたいといえばそうですけど、

それはそれで勘が狂うこともしばしば。

 

(勘が狂うというか、段取りが狂うというか。)

 

 

 

 

椎名林檎の2023年ツアーの模様を収録した

「椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常」を見て、

「胸いっぱいの愛」が歌われていたのも、印象的だったことでした。

 

バングルスの「ETERNAL FLAME」のカバーなんですよね。それって。

(その邦題が「胸いっぱいの愛」。)

 

う~ん、ほんとに林檎ちゃんって、

バングルスなりスザンナ・ホフスが好きだったんですね。

「アンコンディショナル・ラブ」もそうでしょ。

シングル「歌舞伎町の女王」のカップリングに収録されていたカバー。

オリジナルは、シンディー・ローパーで、

スザンナ・ホフスもソロでカバーしていた一曲。

 

最初、私は林檎ちゃんがカバーしたのも、

シンディー由来だと思っていたんですけどね。

でも、あれこれ見るにスザンナ・ホフスなんだろうなと。

リッケンバッカーっていうのもありますし。

 

・・・で、「胸いっぱいの愛」にしろ

「アンコンディショナル・ラブ」にしろ、

もちろん、いい曲なんですけど、

一方で往年のヒット曲といえばそうなわけで、

「椎名林檎」があえて取り上げるっていうには、

ちょっと意外な選曲に思えたりも。

 

にもかかわらず、そこは変わらないっていうか、

替えのない存在なんだっていうのが、

常に前に進んでいくイメージの強い林檎ちゃんにして、

妙に、人間臭さを感じてしまうところだったりするんですよね。


 

 

 

 

 

 

「胸いっぱいの愛」(1989)

 

林檎ちゃんのカバーは2023(が最初?)。

 

 

 

 

 

林檎ちゃんの203年ツアー「椎名林檎と彼奴と知る諸行無常」の映像を見るに、

私の知らない曲をちらほら歌っていたもんで、ちょっと戸惑ったりも。

前に書いたように、やや林檎ちゃんから疎遠気味だったとはいえ、

そこまで知らないわけではないつもりだったもんで。

 

まあ、調べてみると、新曲というわけではなく、

提供曲をセルフカバーしていたんですね。わりとそのライブでは。

 

「我れは梔子」もそんな一曲。

なんでも、林原めぐみという声優さんに2016年に提供した曲なんだとか。

(同じタイミングで「薄ら氷心中」という曲も。

そちらは、すでに「逆輸入~航空局」(2017)で林檎ちゃんがセルフカバー。)

 

ともあれ、これもいいなぁと。

そもそも、林檎ちゃんが歌詞にする花の名前って、

なんとも、こちらの頭の中をくすぐるものが多いんですよね。

 

「無花果(いちじく)」とか「クレマチス」とか。

 

で、「梔子(くちなし)」でしょ。※

なんだか、花の色や香りといった物理的な美しさを超えて、

言葉としていろいろ想像してしまうものがあるというか、

文学的な意味での美しさを纏うというか。

 

 

 

 

 

 

「我れは梔子」(2016)

 

 

 

 

余談ですが、「梔子」という字を見ると、

「くちなし」じゃなくて「なでしこ」が頭に浮かぶ私(う)。

 

(私だけ?)

 

 

 

 

 

立った茶柱の上に三角座りして

湯呑の縁の向こう側を眺める

 

爆弾を積んだ飛行機が飛んでいく

あちこちで親子が殺し合っている

 

その度にゆらゆらと

茶柱は揺れる

 

ゆらゆら

ゆらゆら

 

ゆらゆら

ゆらゆら

 

風の噂にすら揺れ

虫の知らせにすら揺れ

 

そのくせここまでなんとか

転覆も沈没もしなかったのは

どうしてだろう

 

そんなに茶柱は丈夫なのか

それとも知らぬ間に

その危うさに慣れただけか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「BYE BYE BLACKBIRD」は、

マイルスの逝去後、2週間という時期に、

キース・ジャレットが自身のピアノトリオ、

スタンダーズのメンバーで録音したアルバムです。

 

(録音は1991年。発売は1993年。)

 

スタンダーズらしい熱気を帯びた演奏というよりは、

静かな時間が流れていく一枚。

トータル、マイルスへの追悼の意が表された作品ということなのでしょう。

選曲も、マイルスの愛聴曲がメインということらしいですし。

タイトル曲もそうですし、モンクの「STRAIGHT NO CHASER」だったり、

「I THOUGHT ABOUT YOU」だったり。

 

(「FOR MILES」なるタイトルのオリジナル曲が収録されていたりも。)

 

一方、そんな録音に対して、

「スタンダーズらしからぬ凡百のピアノトリオ盤」なんていう、

シニカルなアルバム評を目にしたことのある作品だったりもします。

 

・・・で、それは言い過ぎだろうと思う一方で、私にはそんな言葉もまた、

本作がマイルスの追悼盤であることを感じるところになっているかもしれません。

 

神様という絶対的な存在がいることで、

「それ以外」である人間はすべて相対化され、

そこに平等の観念が生まれる。

 

そんな言葉を思い出すっていうのかな。

マイルスさんの前では、誰もが「マイルス以外」の凡百の存在でしかないと。

 

結果、それもまたマイルス・デイヴィスという存在が、

絶対的だったということを表し、

かつ、讃えているように思えるっていうね。


 

 

 

 

「BYE BYE BLACKBIRD」(1993)

 

録音は1991年。

 

KEITH JARRETT(p)

GARY PEACOCK(b)

JACK DEJOHNETTE(ds)

 

 

 

 

これまで世界で一番売れたジャズのアルバムは、

マイルス・デイヴィスの、「KIND OF BLUE」(1959)という話を、

どこかで聞いたことがあります。

 

ただ、だからと言って本作が、

ジャズ・ファンの最大公約数ということなのかというと、

私はずっと違和感を覚えていました。

 

実際、ジャズのアルバムあれこれを聴くに、

むしろ本作は異色の面のほうが際立って感じられるのではないかと。

テンポにしろ質感にしろどこか似た楽曲の並ぶ一枚。

そんな作品ってジャズでは珍しいんですよね。

 

もちろん、だからこそのトータル・アルバムという評価でもあるんでしょうし、

ジャズ表現の一つの到達点として、

エポックメイキングな作品だったというのは理解できるんですけどね。

「モードジャズ」という本作を評する言葉も、

好奇心をそそるところではありますし。

 

だから、そういった付加価値のせいで、

ロック・ポップスファンもジャズのアルバムを聴いてみようと思うに、

最初の一枚になるケースが多いのではないかと。

 

冒頭書いた「一番売れた」というのも、結局はそういうことに思っています。

本作のリスナーがジャズファンに収まらなかったということですね。


 

 

・・・なんて、一般的な傾向のようにあれこれ書いておりますが、

要は私自身の実体験がそうだったってことなんですけど(う)。

 

でも、実際のところ、

ここから他のジャズアルバムに広がることはなかったんですよね。

これがジャズの「入口」にはならなかった。

 

そして、それも、わりと一般的な傾向なんじゃないかと。

もっとも、その後もジャズへの興味が消えず、

他の作品なりが「入口」になって、

ジャズのアルバムあれこれを聴くようになると、

やがて、均質に感じられた本作の楽曲それぞれに、

異なる色柄を感じるようになってくるんですよ。

 

加えて、テンポに波がないがゆえの穏やかさも、

いっそう品格を感じるところになり、

それこそジャズ史に残る名盤として認識するようになると。

 

結果、やっぱりジャズ・ファンの最大公約数というのも、

今では間違いないように思っています。

それなりにあれこれ聴いたであろうファンの方であればあるほど、

その価値をいっそう感じる一枚ということですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「MOANIN’」といえば、

ファンキー・ジャズを代表する一曲というか、

なんならジャズを代表する一曲といってもいいぐらい、

よく知られた曲でしょうか。

 

ぱっぱぱらりらり~らっ (どぅ~だっ) ・・・ってやつです。※1

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの代表曲。

作ったのは当時のメンバー、ボビー・ティモンズですね。

 

この点、ファンキー・ジャズというと、覚えやすいリフやテーマのある、

むしろ、ポップ・ジャズなんて言葉で称してもいいんじゃないかと思うぐらいの、

R&B寄りのジャズと私は把握していたりします。

 

悪く言えば、やや水っぽいところがあるというか。

(売れ線狙い?)

 

ただ、そんな中、「MOANIN’」はちょっと一色違うんですよね。

確かに、テーマが印象的なのははそうなんですけど、

重厚感というか、どこか荘厳さもあるように感じられるというか。

 

そこは、やっぱりジャズ・メッセンジャーズの録音というのが、

大きいのでしょう。※2

出来上がっているものが他とは違うというか。


そんなこんなで、私も「MOANIN’」が、

ファンキー・ジャズの枠を超えて、

ジャズを代表する一曲に思っているっていうね。

 

 

 

 

 

 

「MOANIN’」(1958)

 

 

 

※1

 

私はそのフレーズに「ちょっと雑炊ちょうだいっ (ちょ~だいっ)」と、

適当な歌詞を乗せて覚えています。(なんじゃそら)

 

いや、覚えやすい曲なんですけど、

似た曲というのがあれこれあって、

当初、思い出そうとすると混乱したんですよね。

(「ワーク・ソング」とか。)

 

それが、そうやって覚えたら、

他の曲と混乱しなくなったもんで。

 

 

※2

 

ジャズ・メッセンジャーズって、

代々、メンバーを変えて活動していたグループなので、

時期によって、色を変えてきたグループでもあるんですけどね。

 

なので、そこは、アート・ブレイキーの、

変わらぬ存在感ありきという話なのかな。

プレイヤーとしてもそうですし、バンドリーダーとしても、

独特な存在だったりするように思いますし。

 

 

 

アート・ブレイキーと言えばジャズ・メッセンジャーズですが、

個人名義のアルバムというのもあったりします。

たまたま私が聴いた、

「HOLIDAY FOR SKINS Vol.1」というアルバムもそうですね。

 

これが不思議なアルバムなんですけどね。

なんせ、ドラムがアート・ブレイキーのみならず、

フィリ―・ジョー・ジョーンズに、アート・テイラーも参加。

さらにパーカッションが7人も加わって、

アフリカン・リズムを録音していると。


といっても、ペットにドナルド・バード、ピアノがレイ・ブライアント、

ベースはウェンデル・マーシャル(私はよく知らない)と、

ジャズな顔ぶれもいて、

そんなこんなで、アフリカンというか、

むしろ、アフロ・キューバンと言われている作品だったりもするみたい。

 

う~ん、まあそれも確かにそうなんですけど、

でも、聴き心地は、圧倒的にアフリカンです。

そう思って聴く方が間違いないかと。

メロディの抑揚がない歌が入っているのもそうですし、  ※

何より打楽器のアンサンブルがメインの作品ですし。

 

ちなみに、他にもこの手の作品がアート・ブレイキーにはあるんだとか。

(そもそも、VOL.1っていうぐらいだし。)

だから、バンドと別のところでは、こういう「リズムの探求」みたいなことが、

アート・ブレイキーの創作、挑戦の中心だったということなのかもしれません。

 

その点、興味深く感じるところだったりも。

アート・ブレイキーというミュージシャンの幅というかスタンスというか。

 

ただ、だからと言って、その他の諸作はまだ聴いていないんですけどね(う)。

興味が湧く一方で、そういった打楽器アンサンブルって、

なかなか聴くに躊躇するところもあるもんで。

 

(試作という感じ。ここで試されたリズムが他で活用されるみたいな。

今だったら、サンプリングの元みたいな。)

 

 

 

 

 

 

 

「HOLIDAY FOR SKINS Vol.1」(1958)

 

 

 

お経みたいな歌です。歌っているのはフィリ―・ジョー・ジョーンズなんだとか。

でも、そういうプリミティヴというか、エスニックとでもいうべきものは、

実はアフリカも日本も似たところがあるというのが、ちょっと面白く感じられたり。