北勢線 西桑名~馬道(その3) | う、うまれるっ!(第六ステージ)

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アーカイブブログです。最新記事に関しましては、第七ステージ(兼第一ステージ)にて、日々更新を重ねて参ります。

すっかり勿体ぶりましたが、北勢線とご対面です。

一時期は北勢線の経営をしていたのが、三重交通の前身の神都鉄道でした。北勢鉄道→神都鉄道(後身は三重交通)→三重電気鉄道→近畿日本鉄道→三岐鉄道と運営会社が移り変わっているのです。三重交通は鉄道事業からは撤退しましたが、バス(乗合・貸切)事業では現在でも三重県の主力です。

 

若干、古い車体も居ますが、三重交通のバスたちの活躍をちらっと眺めます。

 

西桑名駅の入り口です。何気に階段でした。

 

解りやすい案内看板です。3つの街を駆け抜ける事になります。1914年(大正3年)4月5日、当駅(開業当初の駅名は大山田)~楚原駅間が開業。当初は蒸気動力による機関車+客車運行でした。

翌1915年(大正4年)8月5日、現在は廃止されている大山田~桑名町(後に桑名京橋に改称)間が延伸。桑名市街地の旧来の宿場町まで入り込みます。

楚原~阿下喜間の開業は1931年(昭和6年)7月8日まで持ち越されます。それまでに路線の延伸は着実に進め、全線開通時には電化が実現するまでになります。

多くの会社が国鉄との接続、乗り入れを目指し、レール幅の改軌を進める中、北勢線はその流れに与する事無く、時は流れます。

現在の形になるまでの経緯はとても長くなりますので、その場所ごとに記事内に織り込んで行きます。

 

西桑名駅は、1914年(大正3年)4月5日開業。開業当初から1931年(昭和6年)7月7日までは、大山田(おおやまだ)を名乗ります。旧来の地名から由来します。但し、駅の位置は現在の場所より100m北側で、JR、近鉄の駅前により近い場所でした。

自動改札機は近鉄時代に設置されたものです。電車が停車している姿が視界に入りますが、此処で乗車する事はありません。ひたすら線路沿いを歩き続けるのが、私のスタンスなのです。