斎藤一人さん、小林正観さんのお話をYoutubeなどで聞いているのですが、ご機嫌に暮らしていることの大切さをお伝えくださっています。
どんな職場に行っても出会うのが、とても一生懸命働いて頑張っている、本来素晴らしいとされる人が、頑張っているが故に、周りにも厳しくなってしまい、イライラしている光景です。
本当は素晴らしい人なはずなのに、なんか近づきたくないなぁと思てしまうことがあります。
私の母はまさにそのタイプで、本当に家事も料理もちゃんとしていてありがたかったのですが、いつもイライラしていました。
「私はこんなに大変なのに、あなたたちは気楽でいいね
」と、口に出す時はまだいいほうで、下手をすると口を聞いてもらえなくなることもありました。
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子供だった私は自分を責めましたが、ある頃から、家が汚かろうがご飯がまずかろうが、楽しげにしている母を見たいと思うようになりました。
私は家事も育児も、さほど頑張りません。
イライラしている人間がそばにいることの苦痛を知っているからです。
そんなことより、心地よく、気分よく過ごしたいのです。
斎藤一人さんは、自分の機嫌をとることが、自分の最大の責任であるとおっしゃっていました。(ニュアンスが違ったらすみません。。。)
小林正観さんも、努力は必要ない とおっしゃったそうです。
私が子供の頃、母に伝えたかったことです。
伝えたら伝えたで、こっぴどく叱られたでしょうが。。。
ただご機嫌であるためには、自分を不機嫌にするものを捨てていかないといけません。
私もちびまる子ちゃんの丸尾くん的な思考の癖がありました。その頃は分かってもらえない!と思ってプンプンイライラしていましたが、そんな自分は嫌いでした。
そういう母を見て育ち、それが正しいと思っていましたから、仕方ありません。
でも、何か違う。。。と思い、プンプンイライラする原因をさがしました。
そして思い当たるその思考が必要か、別に捨てても大丈夫か、断捨離し続けました。
するといつの間にか大体のことが、どうでもよくなってきました。
思考が減っていき、怒りが収まっていくと、なんだか全てのことがありがたく感じる。
ありがたいな。ありがたいな。と思っていると、またありがたいことが起きてくる。
ありがたいから、また、ありがたいな、ありがたいなと思っていると、またありがたいことがある。
とても素敵な循環です。
思考を減らすということは、そこにスペースが生まれるということです。
ぼんやりすることはダメだと昔よく怒られましたが、ぼんやりすることは素晴らしいことです。
そのスペースにこそ、ひらめきが生まれるのです。
そのスペースに、必要なものが入ってきます。
スペースの法則というものがあります。スペース、余白を作ると、そこに必要なものや、欲しいものが入ってくるという法則です。
ご機嫌であることは、そのスペースも生み出すことなのです。