3月28日(木曜日)
いつものように朝から近鉄電車に乗って整体に行きました。
行きの電車が遅れていました。
帰り生駒から急行電車に乗りました。
暫くすると車内アナウンス
「この電車は次の東花園で運転を終了します。」
運転を終了するって?
ダイヤが乱れているようです。
普通電車に乗り換えるしかありませんでした。
混んでいましたが、乗り込むなり席を変わってもらえました
やっぱり足が悪いことはバレバレなんですね
というか直ぐに変わってもらえるなんて、ありがたいと思わなくっちゃ
普通電車には滅多に乗りません。
いつの頃からか家の近くのバス停から「布施駅前」行きのバスがあります。
一度そのバスに乗って布施まで行って見たいと思っていました。
せっかくだから布施で降りて、そのバスで家に帰ってみよう
布施には子供の頃よく来ました。
ほとんど父の車で、時々は自転車で
駅前はすっかり変わってる
この北側の道は当時繋がっていなかったと思います。
立ち退きで道が繋がったんでしょう。
巾の広い商店街は変わらず残っていました。
(きっとお店はすっかりかわっているのでしょう。)
この商店街を北に抜けると千日前通りの続きの道に突き当たります。
私が幼稚園児のころ、千日前道りを走る大阪市営バスの東の終点「高井田」でした。
青の点線が商店街
赤の点線 千日前通りのつづきバスの終点「高井田」
黄の点線 深江幼稚園
大今里から高井田へ市バスに乗って一人で深江幼稚園へ通っていました。
(足が悪くて入院していたりで、家の近くの幼稚園に空きがなかったと聞いています。)
今でも小さめな私。子供の時から前から1~3番目。特に2月末の生まれなのでとびっきり小さかったと思います。
バス停で待っていると、毎日のように
「しっかりしてるなぁ~。」
「かしこいなぁ~。」
なんて声を掛けてくれるおっちゃんがいました。
今では5歳児一人で市バスに乗って幼稚園通いなんて信じられないですよね
深江幼稚園には卒園以来行ったことはありませんが、
深江幼稚園のホームページを見てみると
訃報
「当園の創立者の川田長夫は3月1日早朝に他界しました。96歳の天寿を全うしました。謹んでご報告申し上げます。
とありました。」
大きな川田先生の優しい笑顔は記憶に残っています。
布施駅前からの帰りのバスを待つ間にお喋りしたおばさま。
途中で下車されるとき、
「またお会いしましょ」
と言って下車され、窓の外から手を振ってくれました。
私もちょっぴり恥ずかしいけれど手を振り返しました。
布施駅前からあべの橋
大阪メトロのバス。
交通の便が悪い場所を選んで遠回りしながら走ってくれています。
有り難いですね
関連があるような、ないようなおまけのお話
1970年の大阪万博
20歳で交通事故で亡くなった一つ上の兄は当時小学3年生でした。
私立の小学校に大阪市営地下鉄で通っていました。
兄一人で万博会場に遊びに行きました。
「一人で行くなんてえらいなぁ。」
と周りの大人や、祖父母、家族中で褒められていました。
褒められてうらやましいけど、小学2年の私にとって万博まではとてつもなく遠く感じ、無理だと思っていました。
3月24日
テレビ朝日開局65周年記念 ドラマプレミアム「万博の太陽」
を母と見ていると、
「兄ちゃんの学校は厳しいやろ~
一人で万博に行かせたって、こっぴどく叱られたわ」
叱られていたなんて初めて知りました。
昭和でも不適切だったのでしょうか