5月12日 迂遠な近道を効率を気にせずに歩く苦行 | 常磐ラボ:変態のたまり場

常磐ラボ:変態のたまり場

地域コミュニティづくりのための場「常磐ラボ」で子供も学生も大人も交じっていろんな取り組みをしてます。

こんばんは。

ラボ主浅沼です。

大学で一年生向け授業を今年から担当するようになってます。


ゼミで一足早くやってたんだけど、
評論とか論説文と呼ばれる類の文章をきちんと読む方法を、一年生向けに教えることにしました。


実際、こういう文章にはきちんとした書き方と読み方があって、表裏一体の関係になってる。

そして、一般に知識というものは論説文的な書かれ方をした文章で説明されるので、読めなきゃ話にならないし、読めなきゃ当然書けもしないのだ。

そうしたスキルが無ければ、
知識を入れる器も大きくならないし、
どれだけ勉強熱心でも効果はあまり上がらない。



なにかを考えるためには「考える方法」を知ってる必要があって、それは論説文をちゃんと読めてちゃんと書けることが基礎になってる。

でも、そのための訓練をほとんど受けないまま入学してきた学生たちにやり方を教えないまま考えることを要求するやり方に僕は辟易としていて、なんとかそこをテコ入れしたいとずっと思っていた。

まぁそもそもは高校まででやってくることなんだけどさ。
受験勉強はある意味そのための訓練でもある。特に国語の現代文と、数学。



きっとますます嫌われると思う 笑



積み上げるには、土台がいる。それが、論説文の書き方と読み方を理解することだ。

僕は基本的に自分が関わった人にハッピーになってもらいたいと思ってるだけで、まちの活性化なんてことにはもともとたいした興味は無い。というか自分みたいな小さな人間にできることはそんなに多くない。結果そうなればいいな、というのですらおこがましい。

でもあえてそこに言及するなら、考える方法を知っている若者が少しでも増えることが、今できる最も効果のある活性化への近道だとは思う。最も時間がかかり、効率性なんて概念とは無縁で、効果測定も難しく、徒労も多い上にそこにエフォートをかけられる人の数も限られ、学内のスタッフですら避けてきた道。とても迂遠な近道。

大したインパクトにはならないかもしれないけど、方法論をちゃんと学んで四年間考え続ける人たちが増えたら、まちにも何かいいことがあるかもしれないね。

では。