最近、大瀧冬佳さんの本を読んでいる。
めーちゃんの公開セッションの動画で
知ったダンサーの方だ。
まだ読み進めて半分くらいなんだけど
それまでに3回くらい
泣きそうになってるんだけど
読んでて自分自身のことで
思い出したことがあって
ちょっと言葉にしてみた。
(直接の内容のネタバレには
あんまりなっていないと思いたい)
2022年3月27日に
私は歩いて20分くらい先にある
近所の橋から飛び降りようと思った。
もうすぐ勤めて10年って会社で
新しい仕事が始まったばかりで
その仕事が嫌すぎて
起きたら夫は仕事に行ってて
微熱の子供が横に居た。
仕事はやりたくなかったけど
新しい仕事を見守る担当の
もう一人はもともと休暇の日で
自分は休んだらダメだと思っていた。
まだ小学校低学年の子供を
コロナ禍終盤の中で
数十分離れた実家の親にも
預けるとかはできないと思っていた。
仕事はやりたくないけど
やらなくちゃで
仕事に行かなきゃいけないけど
行けないわけで
あたし運がないなーっていうか
死ねよ、と思っていた。
こんなタイミングで
風邪なんか引きやがって、と
子供にイライラするとかではなく
そのときの自分としては
あたしが死ねばいいんだと思っていた。
その日までの半年くらいの間に
新しい仕事への準備期間で
既に結構疲れていて
さらにその前から数年くらい
じわじわ疲れていて
とても軽やかに、
私は近所の橋の欄干を
飛び越えてダイブするイメージを
繰り返していた。
決行の日は今日なのかなと思った。
近所の小児科に子供を連れて行き
風邪ですってことで薬をもらい
家に帰ってきたら子供は寝始めて
その間にと家の鍵をしめて、外に出た。
外に出て少し歩き始めたときに
「あれ、これ子供が起きたときに
どうなるんだ?」
と、未来が少し過ぎった。
過ぎっちゃったので家に戻ったけど
何をしたらいいか分からなくなった。
んなもんで、キッチンに置いていた
包丁を手に持ってみて、
目を閉じて胸の真ん中に当ててみた。
子供の寝息も遠くて、とても静かだった。
当時35年近く生きてみて
いろんな種類の痛みは
いろいろ経験してきたはずだけど
これを刺したら死ねるかもしれないと
思ったときに、いやー死ぬまでに
しばらく痛いんじゃないかなあこれ。
とか湧いたら、怖くなった。
あんなにたくさん頭の中で
川へダイブしまくってたのに
この包丁でいま刺せないのか。
怖いのか。なんだよ。
って思った次に、
この弱虫が!!って怒りが出てきた。
死ねないのかお前は!!
弱虫!弱虫!弱虫!って繰り返して
仕事ができない悔しさと
やりたくないことを
少しだけやらなくてもよくなった安堵と
安堵を感じてることへの罪悪感と
死ねない弱虫ってワードに
死ねない弱さを感じて泣いた。
その夜からたまたまが重なって
実はビジネスの学びだったって
学びに触れることになり、
語学についてから発信を始め、
半年後までにはいろいろあって
2022年中でその会社を辞めた。
2022年中盤から
占いのインプットとアウトプットを
爆速で回し始めつつ
2023年春から、鑑定も
配信で始めることになった。
単発のバイトもしながら
コロナにも一回かかりつつ
それが治った頃にバイトで勤め始めた。
2023年秋の誕生日前日も、
少し前からひっそりと
生きる毎日が怖くなっていて
当時受けていた講座のグルコンの
予定を急遽延期させてもらい
衝動で自分なりの本気で首を絞めてみた。
こんな非力なはずの自分でも
首を絞めたら息ができないんだと分かって
そこで目が醒めたような感じになって
もう同じようなことは
極力やめようと思った。
"頭の自分と心の自分が
協定を結んだ”ような感覚だった。
次の月には継続プログラムを出して
その後もリピートしていただける
クライアントとのやりとりを始められた。
このどちらのタイミングでも
ふっと思っていたのが
"どうせいま死ぬんだったら
いまからもう余生のつもりで
好き勝手に気楽に生きればいい”
だった。
視力は悪く寝不足気味であっても
五体不満足で生き続けていて
思考で死ぬのはバカらしいと
思い始めていた。
そして「ほら、やっぱり
生き続けてみて
得たものもあるじゃない」
みたいなことを
自分に言ってみるような
現実は来ていた気がしている。
で、2025年3月27日、
1年も経たずにバイト先が閉店したり
いろんな文章をやっぱり書きたい、となり
家庭の事情で勤め仕事には
絶対就いてくれ、ということ、でも
なかなか転職先が決まらなかったり
何をどうしたらいいか
分からなくなりかけていたときに
いまの会社の面接を受けた。
いままで生きてた地元は、世界は、
ないとか、不足とか、枯渇とか、
そういうものばかりだと思っていたのに、
それが一時間弱で一気に、
生きてる時点でもうめっちゃあって、
充足してて、可能性がめっちゃ豊富だって
ことに気付いた。
なんだか一気に世界線が
変わるような時間だった。
もうここで不採用だったら
隣町の求人を見てみようと思っていたけど
ここに会社も仕事もいっぱいあるんだ。
って、面接が終わる頃には思っていて
いまの上司にあたる人と話してるのは
ほんとに楽しかったけど
その場で受けたテスト結果が微妙そうで
まあ落ちたら落ちたで
またいろんな分野の求人を見てみるか。
と、思い始めていた。
で、翌日に採用の連絡が来て
仕事に慣れるのを優先しつつ
合間に個人の活動でも
学んだり移動したり
書いたりを繰り返しつつ
いまの時点にいる。
この1年でもだいぶ
いろいろなことはあったけど
私は何回か
「過去の自分へ想いを飛ばす」
っていうのを、やっていた。
日中の移動中にふと
冬佳さんの本を読み進めながら
あれだけ繰り返し
橋の上からダイブしていた自分を
横から風のように
もう一人の自分が飛んできて
腕を掴んで川の向こうまで
世界の景色をどんどん流して
連れて行くようなイメージが浮かんだ。
水の中へ沈み込んでいた自分は
やっぱり勢いよく
もう一人の自分から引き上げられて
移動してる間にそれ乾くでしょ。
とばかりに、やっぱりどこまでも
手を引かれて世界を飛んでいた。
なんだか初めてのイメージだったけど
自分が心強くて、頼もしくて
当初ダイブ予定だった橋を通過しながら
ちょっと泣けた。
いろんな時点にいる自分へ
「余生だと思って気楽に生きればいい」
と、少しずつ飛ばしていたのも
未来の自分だったのかもしれない。
境遇も環境も違えど
同じようなことを
やってきた人がいるんだなと
ふと感じるところが
いまのところ多い一冊なのです。
