皆さんは日記って書いていますか?
日記とは、一般的に毎日の出来事や感想などを書いた記録のことを指します

私の日記は、この毎日投稿のブログがある意味、日記替わりかなと思っています

今回の大河ドラマ『光る君へ』の中でも、チラホラ話題が出てきていますが、平安時代から鎌倉時代にかけて仮名で書かれた日記の中で、文学性のあるものは、日記文学と呼ばれているようです

特に平安時代の3代日記文学と呼ばれるのは、藤原道綱の母、寧子が書いた『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『更級日記』です

このような時代の中、紫式部(まひろ)が書いた日記は『紫式部日記』と呼ばれています

また、藤原実資が書いた日記は『小右記』と呼ばれ、謎の多い平安時代の状況を紐解いていく貴重な資料になっているのだそうです

日記もそういう見方がされるのであれば、歴史書とそう変わらないのかもしれません
私の日記も誰かから読まれて、そんなふうに思われる時代が来るのでしょうか?


第十四回「星落ちてなお」

990年
前回のラストシーン、まひろが倫子の館の廊下で道長とすれ違うところから始まります
互いに動揺を隠せない様子でした

ある時、道長ら3兄弟は、兼家の前に集められます
そして、兼家は「出家する」と話すのです

兼家の跡は隆家が継ぐように話すと、道兼が憤ります
そういう性格だからこそ、跡継ぎに任命されなかったのでしょうが・・

兼家は宣言通り出家します
体調があまり良くないのか、床についていますその兼家の耳元で道綱の処遇のことを呪文のように話す寧子

目覚めた兼家は寧子へ蜻蛉日記内の歌を送り、感謝の意を示します

一方で呪いの文言を送っているのが明子でした
呪いを唱え終わると自分のお腹を押さえて倒れます
道長との子を失うことになります

一方、安倍晴明は星空を眺めながら、今宵、大きな星が落ち、次の星もそう長くないだろうと呟いていました

占星術とは、人の運命ですら分かってしまうものなのでしょうか?
それとも意図的に・・

兼家が三日月を1人、眺めていると、赤い月に変わり、天気が激変します
雷雨となり、翌朝、庭で倒れているのを道長に見つけられるのです

道長に抱き抱えられる亡骸となった兼家
道長は「父上!」と何度も叫びながら涙を流します
ここに巨星が堕ちることとなります

兼家が亡くなったことは、宜孝から為時やまひろにも伝えられます
宜孝は筑前に下ることとなったことも話にきていました

為時は複雑な気持ちだったと思いますが、喜ぶような様子を一切見せないところが、素晴らしいところです

その後、まひろが話した言葉が皆の気持ちを表していたように思います
「嬉しくても悲しくても涙は出るし、分からなくても涙は出る」

体調を崩した明子の元に道長は様子を見に来ていました
元来、こういう時は縁起が悪いということで男性側は近づかないのだが、しきたりを気にしない道長に本当に心惹かれ始める明子でした

後継者を告げられた後、道兼は相変わらず荒れており、正気ではないように見えます
妻からは離縁を申し入れられ、子の貴子も連れていかれてしまいます

父の言葉を聞き入れ、近づいていた行成にも見限られ、独りぼっちになっていきます

摂政となった道隆は初の公卿会議を行います
蔵人頭には道隆の長男、17歳の伊周を一足飛びで任命し、そのやり方は父の兼家そのものでした

この状況を見て、実資は何とかしないとと考えているようですが、新しい妻は、花山天皇の女御で婉子女王でしょうか?
日記に書けば?
というのは冒頭に書いた、後の『小右記』のことですよね

さらに道隆を支えるのは、才女の妻、高階貴子です
伊周の婿入りを考えねばならないとのことで、和歌の会の開催を企画します

そこにまひろと、ききょうも呼ばれることとなるのですが、それをききょうは、ただの賑やかしだと話します

和歌の会では、お嬢様方が書く歌を読むのが、まひろ、それを評価するのが、ききょうという役回りでした

陰から様子を見る伊周の目に止まったお嬢様はいたのでしょうか?

館に戻ったまひろは、先日の少女に文字を教えていました
そこに、ききょうが、ふと訪れます

先日のお嬢様方の能力の無さを憂うききょうは、まひろに志はないのかと問います

するとまひろは、文字の読めない子を少しでも減らすことだと答えます

しかし、ききょうの志は、この時代の女性としては、破天荒な考え方でした

夫を捨てて、息子も夫に押しつけると言うのです
そして「私は私のために生きたい」と話すききょうは、ある意味、自分に素直な人柄のようです

いつもの少女が来ないため、まひろは様子を見に出ていきます
すると少女は畑仕事にかり出されていました

まひろに気づいた父親から言われたのは「余計なことは止めてくれ。一生、畑仕事をして死ぬのだ。お偉い方の慰め者ではない」といった辛辣な言葉ばかりでした

道長は、検非違使庁の改革を諦めておらず、これが道隆の考えとぶつかることなります
軋轢になってくるのでしょうか?

道隆はさらに磐石な体制作りのために、今までではあり得ない案を話します

娘の定子を中宮にし、現在の中宮である円融院の妻、藤原遵子を皇后にするというのです

公卿らを説得せよというのが道長に命じられた内容でした
早速、道長は実資らに相談するのてますが、当然、並び立つことはあり得ないと反論されます

しかし、道長や実資らの考え等は取りあげられる間もなく、一条天皇は道隆の言う通り、定子を中宮にすることを皆に伝え、事は実現してしまうのです

道隆の独裁は、さらに強まってくることになるのでしょうか?

独りぼっちになった道兼がこのまま闇の中でおとなしくしているとは思えませんが・・

このような兄2人がいる中、道長はどうたち振る舞って行くのでしょうか?
そして、まひろ、ききょうの待遇は?
 
ではでは、今日も一日頑張っていきましょう!