今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、ついに最終回を終えました

斬新な終わり方が、かなりの反響を生んだようで、文字通り歴史に残る作品となったのではないでしょうか?

最初はギャグ路線の大河ドラマ?
と心配したところもあったのですが、ストーリーがかなりダークなものであったことを考えるとそのぐらいのシロップ(甘さ)を加えた方が、逆に美味しく戴けて良かったとさえ感じる程でした

さすが、天才、奇才の三谷幸喜さんですね
気が早いですが、また、近いうちに、大河ドラマの脚本、引き受けて欲しいですね

引き受けるとすれば、次は近代あたりかな??


最終回「報いの時」

冒頭、いきなり驚きました
広間で寝そべって、書物を読んでいる青年がいます

この書物は『吾妻鏡』で、読んでいたのは、来年の大河ドラマ『どうする 家康』の主役、松本潤さん扮する三河の徳川家康でした

家康は、この書の拝読者だったのだとか・・
こんな斬新なバトンタッチの仕方で最終回は始まりました

1221年、承久の乱が始まりました
三浦義村と長沼は御家人たちの様子を見ながら、性懲りもなく、裏切るタイミングを考えていました

義時や大江らは対応を議論していました
そこに年老いた(?)三善が必勝の策を携えてくるのですが、皆も同じようなことを考えていたのかな?
反応は薄かったです(笑)

京へ向かう軍勢の先陣を泰時にきるよう義時が託します
昔、義時が頼朝と共に石橋山で戦った時なんかは味方になる者は本当に少なかったのに、泰時の軍勢はいつの間にか19万という大群になっていました

木曽川を挟み、泰時等幕府軍と上皇軍の藤原秀康等が対峙します

最初は互いに攻防を繰り返すのですが、何しろ多勢に無勢、幕府軍が勝利し、そのまま京へ入ります

戦上は瀬田、宇治川に移ります
そこで裏切ることを考えていた義村が泰時等と合流するのですが、あまりに上皇軍が不利な状況であったため一時取り止めます

軍義で朝時が陰から「じじい」と呼ぶと怒る義村が面白かったですね(笑)
いかだを作り、それで川を渡りきると、一気に幕府軍が有利になります

途中、鶴丸が矢で射られ、川に倒れた時は心配しましたが・・

鎌倉では、義時があの小さな仏様を握り、泰時の勝利を祈っています
また、政子や美衣も亡き全成人ばりに念仏を唱え祈っていました
真剣にやっているのに何故か笑えるこの場面(笑)

退却した藤原秀康と三浦胤義は、逆転するためには後鳥羽上皇に出陣してもらうしかないと訴えるのですが、藤原兼子や過去の因縁である後白河法皇の思いを断ち切れず、後鳥羽上皇は「京を離れられない」と答えるのです

この時点で泰時等、幕府軍のは勝利は決まりました
京に入った時房は降伏した後鳥羽上皇から命乞いのような言葉を「トキューサ」と呼ばれながら頼まれるのですが、そんな甘い沙汰が出る訳もなく・・

義時より届いた沙汰は、隠岐への島流しでした
呆然とする後鳥羽上皇
後日、逆輿が館にやってきます
その輿を背負う輩の中に、しぶとく、文覚の姿がありました
(史実でもこの2人は因縁があったようです)

義時、泰時、時房は集まり、勝利に安堵していました
京で泰時と時房がりくに会ったという話を聞かされます

時政が亡くなったことをりくに伝えると、一瞬、表情を変えたように見えましたが、その後はいつものりくの様子に戻り、立ち去ります

そうやって3人で話をしていると義時が突然倒れます

政子の元にはあのトウが来ており、親を亡くした子どもたちに武芸を教えて欲しいと頼まれます

そこに時房が現れ、義時が倒れたことを告げるのです

床に入った義時は、のえが出す飲み薬を嫌々ながら飲んでいました
義時とのえの間は既に冷えきっており、その薬を飲みだしてから調子が悪くなっていたことに疑念を抱いていました

未だ自分の実子である政村への承継をあきらめていなかったのえですが、都のことは泰時が決めるので口出し無用と返されて、怪訝そうな表情を見せます

義時は運慶に頼んでいた自分の像を受け取りに行くのですが、それはとても醜く、小さな像でした

その像を気に入らない義時は、刀を振り上げ壊そうとするのですが、再び、倒れてしまいます
医師から毒のせいだと言われると確信します

のえを呼び問い詰めると「バレちゃった」と当たり前のように白状するのです

すると、義時は離縁はしないが二度と自分の前には現れるなと告げるのです

しかし、のえもただでは退きません
毒を手に入れてくれたのは義村だと伝えます

義時は義村を呼び、目の前に準備した薬酒を飲めと話すのです
最初は明らかに嫌がっていた義村でしたか、覚悟を決め、一気に飲み干します

そしてまるで今生の分かれ際かのように本心を伝えるのです

しかし、薬酒に毒は入っていませんでした
これは義時の作戦だったのです
義村に「泰時を助けて欲しい」と頼みます

「お前は今一度死んだ」
この言葉が義村に響きました
「北条は三浦が支える」と答えるのです

次いでにもう1つ義村は白状します
女子は皆キノコが好きだということを以前、話していたが、それはが嘘だというものです

今更・・
義時はそのことは真に受け取っていたようで、ここ一番の驚きをみせるのでした(笑)
冗談は言う程、人の仲は戻ったということでしょうか?

ちなみにその三浦家、義村が亡くなった後、ほどなくして、1247年の宝治合戦にて北条軍、安達軍と戦い、敗北し、滅亡することとなります

時房の元に泰時、朝時らが集まって今後のことを話していました
矢に射られた鶴丸はも生きていましたね

泰時が妻の初を呼び、自分が書いた文書を見せます
そこには武家社会における慣習や道徳を元に書いた武家法が記されていました

それを見た初の第一声は「真面目~♪」
この言葉も今となっては立派なネタになりましたね

しかし、初めて初に褒められたことに泰時は喜んでいました

そうです
この時、出来上がったのが「御成敗式目」だったのです

後編へ続く・・

※ボリュームが多すぎるため、前編、後編に分けます

ではでは、今日も一日頑張っていきましょう!