第六章 2008年~2019年 

       (社長業第三期)

 

   (88)トキワ の C  I ④

(大相撲行司:木村朝之助さん)

 

トキワ90余年の歴史上、

 C I を導入する際には

必ず「物語」が存在し、

ありがたいことに

「スペシャリスト」と呼ばれる

専門家の方々が

フレンドリーな関係から

無償提供という形で

協力していただけた事は

トキワの「強み」であり

「誇り」でもある。

そしてそれらの作品は

永久に大切にしなくては

いけないと心している。

その4人目は、

 

   木村朝之助さん

   (大相撲行司)

 

 15年前の「十両格昇進」記念に

           我々夫婦と

 

この「木村朝之助」という行司名跡は

(以下、朝之助さん)

朝之助さんが所属する高砂部屋で

代々継承される由緒ある名跡で

朝之助さんが四代目になる。

 

1991年3月初土俵の

朝之助さんは、

行司生活32年目にして

本年1月場所から

「幕内格」へと昇格した。

 

      幕内昇格記念に配られた品

 

私とのお付き合いは、

前名・木村勝次郎という時代からで、

もう30年近い付き合いだ。

 

番付表など大相撲の世界で

書かれる「相撲字」は

江戸文字の根岸流で、

これを書くのは行司さんの仕事。

「定型」はあるが、

センスに頼るところもあり、

私は朝之助さんの書く

相撲字がとても好きで

これまで事あるごとに

お願いをして来た。

 

前述の伝説のトキワイベント

「トキワ寄席」の中で、

毎回様々なジャンルの

スペシャリストに登場いただき、

その方の作品の展示即売会を

会場の一角で開催した。

20年ほど前、

朝之助さんに登場いただき

取組や四字熟語などを

相撲字で書いた色紙を販売、

これが好評で、

たちまち完売した。

 

後に朝之助さんは

「 あの勝次郎の修業時代、

    自分の相撲字に自信が持てなくて

    悩んでいる時でした。

    トキワさんから

    お声をかけていただき、

    当日皆さんに

    喜んでいただけた事が自信になり

    こんにちがあります。

    本当に感謝してます。」

 

 平成29年筆耕・平成13年筆耕

 

16年の歴史の差がある

朝之助さんから頂戴した

この2枚の色紙。

長いお付き合いの私からすると

技量の差は一目瞭然。

朝之助さんの日々研鑽の様子が

うかがえる。

 

そしてその朝之助さんに、

お願いした筆耕、

トキワの顔とも言える大切なフレーズ。

「雨の日快適宣言」

 

このワードは2017年3月に、

商標権を取得した。

ただそれは、

標準書体での取得で

会社のホームページを

リニューアルする際、

TOP画面に

このキャッチフレーズを

全面的に打ち出そうと、

朝之助さんに筆耕を

お願いした。

 

これをきっかけに、

様々な媒体にこの書を

使わせていただいている。

 

さて、この機会に

朝之助さんの人間性が現れた

彼の筆耕に纏わる

私とのプライベートでの「物語」を

いくつか披露してみたい。

 

(1)板番付

 

 

大相撲の世界では、

年間六場所毎に力士の地位順列が

行司さんの手によって

相撲字で書かれた紙製の番付表が

発行されるが、

同時に本場所の櫓(やぐら)の下には、

このような「板番付」も設置される。

その板番付を書くのに行司さんは、

場所前、四日間ほどかけて書き上げる。

 

又、大相撲の巡業先の興行主

「勧進元(かんじんもと)」

と呼ばれる方に対して、

相撲協会が巡業開催のお礼の印に、

その勧進元の名前を

中央に書き入れて作製した

板番付(写真上の大きさ)を

贈る慣わしがある。

 

私にとって、

子供の頃から好きだった大相撲。

当然、この板番付の存在は

知っており、

巡業の興行主を務める事など

生涯ありえない私にとって、

この板番付を手にすることは、

まずない。

とは言うものの

仮に奇跡的に手にする事が出来たなら

それは私にとって「大きな夢の実現」。

ある時、

そんな私の想いを知った朝之助さん、

「勧進元 萩原重睦」と

板番付中央に書き入れた

架空の巡業のオリジナル品を

密かに作製、

「世界にひとつ」しかない

貴重な品をプレゼント

してくれた。(写真上)

ちなみに朝之助さんは、

この土台の板も

ホームセンターで材料を仕入れ、

全て自作。

この作製に約2ケ月間を

要したそうだ。

まさに私の「至宝」である。

 

(2)年賀状の名前

 

毎年、

私の年賀状に書く自分の名前は

朝之助さんの筆耕で、

もう2009年から14年間も、

使わせて頂いている。

毎年その時期になると私は、

「今年も使わせてもらってよいですか?」

朝之助さんにお伺いの連絡を入れる。

すると…。

「 私の字で宜しかったら。」

 

(3)七味入れ

 

人一倍こだわりの強い私(笑)。

私は自分の「マイ七味唐辛子」を

携帯している。

その七味は浅草の「やげん堀」で

オリジナル調合してもらい、

その中身は七味ではなく「六味」。

というのは、

食感だけの「麻の実」は除外して、

「山椒」を多め、

唐辛子の辛さは中辛と大辛の中間で

調合してもらっている。

ある時、

これだけ拘ったら

携帯の入れ物も拘ろうと、

やげん堀で購入した印籠型のケースに

朝之助さんに私の名入れをお願いした。

ところがこのケースに使われている

材質の竹は、墨を弾いてしまい、

書くことが難しいと…。

頭を悩ませた朝之助さんは、

印籠の表面に

トーメイのマニュキュアを塗り

その上に書いたという苦肉の作(笑)

もう15年も大切に使っている。

 

 

 

ここまでこだわると…(笑)

 

そして極め付きは…、

(4)結婚披露宴の席札

 

2014年4月26日に行われた

長男、専務の結婚披露宴。

通常、招待客のテーブルに置かれる

それぞれの名前が書かれた

紙製の「席札」。

かつては毛筆の手書きだったが

こんにちでは、

ほとんどの会場がパソコンで作製。

 

そんな味気ない現状に私は…。

 

嫁さんの出身地は秋田県。

その地元の酒蔵「木村酒造」で作られた

「福小町」が、

その前々年の2012年に

世界最高権威に評価される

「インターナショナル

   ワインチャレンジ2012」

のSAKE部門で

「チャンピオン・サケ」を受賞、

世界一の日本酒に輝いた。

 

そんな貴重なお酒を是非、

招待客にお持ち帰りいただきたく

取り寄せの段取りをした。

その福小町の四合瓶を

披露宴の始めから

各席のテーブル上に

裸で置かせていただき

そのラベルには席札代わりに

招待客の名前を入れた。

 

つまりこのお酒が席札替わり。

 

記念に残したトキワ用

 

この「お酒の席札」。

まず、全てのラベルに共通して書かれる

寿」、「四代目」、

(新郎はトキワの四代目)

日付」、「新郎新婦名」、

その原稿を当時3月場所で、

大阪にいた朝之助さんに

相撲字で筆耕してもらい、

写メで東京にいる私に送ってもらった。

それを私がパソコンでDATA編集、

秋田県の酒造会社に転送して

人数分のラベルを印刷。

今度はその人数分のラベルを

秋田県から東京へ戻して保管、

朝之助さんが大阪場所を終え、

東京へ戻った時点で、

我が家でその1枚1枚に

招待客の名前を相撲字で

手書きしてもらう。

そして今一度そのラベルを

秋田県の酒造会社へ返送して、

四合瓶1本1本に貼って

箱詰めした完成品を納品してもらう。

そんな作業的にも納期的にも

タイトなプランを私は立てた。

 

ところがそこに

全く想定外の

大アクシデントが!

 

大阪場所中の朝之助さん、

七日目の土俵上で裁きの最中、

力士を避けた瞬間、

右ふくらはぎに肉離れを起こし、

翌日から休場を余儀なくされた。

 

そんな状況にもかかわらず

いざ場所が終わり

東京へ戻った朝之助さんは

松葉づえをついて我が家へ。

丸一日費やして、

全てのラベルにひとりひとりの名前を

丹精込めて筆耕してくれたという

「聞くも涙、語るも涙」

 

朝之助さんは、

前出の二人の書家と違い、

私自身が直接知り合い、

しかもこんな事を言ったら失礼だが、

年下…。

そんな事もあって、

これまで多くの書を甘えてきた。

その朝之助さんは、

「こんな謙虚な人間が

   この世にいるのか?」

というほど謙虚な男。

 

私に彼の事を語らせると

ついついこのように

いつも長くなってしまう…。

そんな素晴らしい人間性の持ち主

大相撲 幕内格行司

四代目 木村朝之助である。

 

長文失礼。

 

(つづく)