第六章 2008年~2019年 

   ( 社長業第三期 )

 

(69) 大山阿夫利神社

 

2008年。

大山阿夫利神社の

下社本殿を改築するにあたり

神社から寄付のお願いが

「先導師」を通じて来た。

 

「大山阿夫利神社」

我々の業界(東京)にとっても

トキワにとっても守護神の

この大切な神社について

触れておきたい。

 

大山阿夫利神社は、

神奈川県伊勢原市にあり

「水の神様」が祀られている。

雨の多い大山は別名

「 雨降り山(あめふりやま)」

ともいわれ海抜1252m。

雨を望む我々業界としては

「 今年の梅雨が

    多雨長雨でありますように 」

そんな雨乞いの参拝へ

毎年その中腹(678m)にある

下社本殿へ行き、

祝詞を上げていただく。

 

因みに、

水の神様が祀られている事から

仕事柄「農協」や「築地市場」

(現在の豊洲市場)の方々も

参拝者の常連である。

 

かつて存在した我々業界の組織

「東京雨衣協同組合」では

毎年4月の第2日曜日に

合同参拝する恒例行事があった。

この参拝には、

会社の経営陣はもちろん

社員やそれぞれの家族までが参加、

父が理事長を務めていた時代には

大型バス2台の参加者で賑わう事も。

 

東京雨衣協同組合が参拝記念に配布したテレカ

 

当時、

この大山の麓に軒並みあった

「先導師旅館」のひとつで

我々の業界とは長いお付き合い

奥村先導師旅館にまず立ち寄り、

あらかじめ頼んでおいた

おにぎりのお弁当を受取り、

「先導師」と呼ばれる

旅館のご主人の引率で

参加者が連なって下社まで登山。

 

この神社下社への往復は、

急な「男坂」、緩やかな「女坂」、

 

 

又、ケーブルカ-もあり、

 

 

各々が体力に合わせて

選択する。

 

途中、茶店でおにぎり弁当を食べ、

本殿において祝詞を上げていただく。

そして下山後、

先導師旅館へ戻り入浴。

その後、大広間での抽選会など

お楽しみ会は、

「飲めや、歌え」の大宴会。

そして出発時の集合場所、

上野駅前広場までバスで戻り、

解散という行事だった。

 

この参拝は、

協同組合が解散されて、

約30年が経過した現在でも

トキワでは会社の公式行事として

梅雨入り前の6月第1土曜日に

続けている。

 

早朝、本社前を出発して登山、

そして参拝。

帰路には「温泉スパ」で憩い

その後は夕食会という

社員の慰安も兼ねた

恒例行事である。

 

創業者・祖父は、

亡くなる前々年まで、

毎年急な「男坂」を登り

「 この男坂が登れなくなった時が

  俺の寿命 」

そんな事を言っていたが、

事実、亡くなる前年には

自らの体力を考え?

ケーブルカーを選択。

その翌年に亡くなるという

逸話がある。

それでも66歳まで

「男坂」を登っていたわけで

創業者の気骨というのは、

凄い。

 

そこへいくと、

あまり運動好きでなかった

2代目の父は、

40歳前から既に

「ケーブルカー」(笑)

 

3代目の私といえば、

祖父にくっついて

小学生低学年の時分から

登山していたので

私の「大山歴」は

誰よりも長く

既に60年近くになる。

ところがやはり

40歳超えたあたりから

「ケーブルカ-」(汗)

 

現在専務の4代目の息子も

子供の頃から登山。

40歳超えた現在も

いまだ「男坂」で登山。

息子には今後も是非、

2代続いた「根性なし」(笑)の

経営者を超え、

創業者のように

60歳過ぎても「男坂」で

登山してもらいたい。

それがトキワの隆盛を

左右する?!

 

そう考える私は

間違っているだろうか(笑)

 

奥様に先立たれ

先導師旅館を既に廃業した

奥村先導師。

にもかかわらず、

毎年1月5日のトキワ仕事始めの日に

遠路、伊勢原より

阿夫利神社で祈願したお札と

先代、先々代がとても好んだ

大山名物「大山まんじゅう」、

そして私には地酒を

律儀に届けに来て下さる。

私は早速仏壇に供えさせていただく。

ありがたい事である。

 

この親子4代の長きに亘る恒例行事は、

今後も永遠に引き継いでもらいたいと

願っている。

 

大切な守護神、

「大山阿夫利神社」

 

 

(つづく)