第五章 1997年~2007年 

   ( 社長業第二期 )

 

(65) 日本雨衣連合会会長

 

新社屋への移転の時期と

時を同じくして

私は『日本雨衣連合会』の会長へ

就任した。

 

この日本雨衣連合会とは、

我々の業界唯一の

全国規模の同業社の会で、

1975年に大手26社が加盟して

設立された。

会合は年に1度で

情報交換をしつつ

親睦を深めることが

会の目的だった。

 

この会を発案、

発起人の一人として

名を連ねたのが父で、

父は初代の副会長を務めていた。

例年、開催地は北陸や関西の

温泉地が主たる場所で

初日の午後に現地集合、

情報交換などの会議後は

温泉に浸かり、その後宴会。

そして翌日にはゴルフコンペ。

それが定番のスケジュールで、

開催地の地元企業が

世話役として

尽力をしていた。

 

私は社長就任の翌年、

平成3(1991)年から

それまでの父に代わり出席。

当時35歳の私は最年少で、

中には私の祖父と親しかった

というほど古くから交流をしていた

同業社もいた。

駆け出しの私は、

コンパニオンの入る宴席はともかく

その後、個人部屋に集まる二次会では

先輩方のアルコールの世話係(笑)

 

当初はそんな小間使いや

先輩風を吹かす社長もいたり…。

又、私の参加当時、

誰もが私から聞き出したい事、

それはトキワに前年まで在籍して

独立した叔父との真相など、

正直、当初の数年間は、

参加する事が少し苦痛だった。

 

ただこの会で、

トキワが日本の首都東京で唯一、

加盟している企業で

父が発起人だった事もあり、

私としてもプライドがあった。

 

時が過ぎ、

私が参加し始めてから14年目。

既に数少なくなった

先輩社長らの推薦により、

私が会長に就任したのは、

ちょうど本社移転の年、

平成17(2005)年だった。

もっともこの頃は、

会の発足当初とは異なり

会長と言っても

任期2年の持ち回り当番的な

要素があり、

更にこの年は会発足30周年の

節目の年と重なった事もあって、

これまでの温泉地開催ではなく、

「 是非、会長のお膝元

    東京で記念の会を」

という事になった。

 

そんな経緯から

私の任期中に開催した

東京での2回の会合は、

会員の期待を背負い、

私自身もかなり力が入っていた。

 

この業界とは異なる

「イベント企画制作事業」を

私の代から始めた事も

同業者からすると興味があったようで、

初めて開催する「花のお江戸」で

いったいどのような会になるのか?

後から聞くに、

そんな思いで参加したようである。

 

そのような背景で、

設立30周年記念として開催した

初年度の平成17(2005)年の会。

私は雨衣業界そのものを

もっと全国的にアピールしようと

総会前に役員(5名)による

「設立30周年・日本雨衣連合会」

と題した座談会を開催した。

その模様を前出の

私の大学の先輩が社長を務める

全国紙「ゴム報知新聞」の

4紙面に亘り掲載をしてもらった。

 

どこの新聞社も望む事は、

何と言っても「広告」。

座談会パネラー5名の会社には

その新聞に公告の掲載をお願いした。

もっともその広告ありきの新聞掲載を

私はまず始めに双方へ打診をしていた。

業界の足跡を残す資料として

打って付けの企画だったと

自負している。

 

宿泊は下町、

私が会員になっている

「浅草ビューホテル」。

 

総会後に開催された懇親食事会は

これまでのお座敷とは異なり

二手に分かれ円卓の着席スタイルの個室。

余興はトキワのイベント事業で

お世話になっている芸能プロの

女性ポップス歌手・

小林佳代子さんに来ていただき、

本人の歌もさることながら

参加会員とデュエット。

更に本人持参のCDを

会員が自発的に買ってくださり、

相場よりかなり安いギャラで

来ていただいた私としても

顔が立った(笑)

 

そして二次会は、

メンバ-しか入室出来ない

ホテル最上階(28階)、

東京の夜景が一望できる

メンバーズBARで語り合い。

翌日は、

これまでのゴルフコンペではなく

旧知の仲、大相撲・元水戸泉の

錦戸親方にお願いして

相撲部屋で朝稽古見学。

親方のご好意で、

稽古見学後にはお相撲さんと共に

「ちゃんこ鍋」を囲み、

相撲料理に舌鼓を打っていただいた。

ありがたいことに親方は、

参加者全員にお土産まで

用意してくれた。

 

そして次年度。

平成18(2006)年は

錦糸町で開催。

やはり平素トキワがパーティなど

イベントで使用している

「東武レバントホテル東京」。

宴席はこれまでのように

宿泊会場でなく、

場所を変えて「屋形船」へ乗船。

こちらも何度かトキワが開催する

イベントでお世話になっている

屋形船。

社長のご厚意で

通常30名以上でないと

貸し切りにはならない船を

なんと17名で貸し切り。

メニューも通常とは違う

特別料理を用意してくれた。

そもそもこの屋形船の

社長の本業は、

「築地の鮮魚問屋」。

刺身や天ぷらのネタの良さは、

とても好評だった。

 

そんなトキワの2回の開催は、

これまでのように温泉は無くとも、

又、ゴルフコンペは止めても

トキワならではの企画となり

会員には「お江戸の醍醐味」を

味わっていただけた事と

自負している。

 

参加会員は、

「 この会費で?!

    トキワさんが

    負担しているのでは?」

「 大丈夫です!

   1円たりとも

    負担しておりません(笑)」

 

各宿泊ホテル、歌手、屋形船と

平素のトキワとのお取引から

みなさん人肌脱いでくださり

「業者価格」から更に

特別に値引きをしてくれた。

 

そんな私の2年間の会長職は

トキワそのものの存在感を

全国の同業社に、

アピールできただけではなく、

私個人的にも

この会の発起人だった父への

「親孝行」になったかナ?

そんな思いだった。

 

(つづく)