第五章 1997年~2007年 

   ( 社長業第二期 )

 

(58) 組織団体との関わり ③

  (千葉ロッテマリーンズ )

 

私の社長業第二期では、

4つの組織団体と深い繋がりを

持つことになる。

それは当初の思惑とは異なり、

後に仕事に結びついたり、

関りそのものが会社の信用や宣伝、

更に私自身の学びに繋がる事もあった。

 

その4つの組織団体との

出会い、関り、

そしてそこから得た影響や教訓を

組織別に書き残してみたい。

 

その3つ目、

   『千葉ロッテマリーンズ』

言わずと知れたプロ野球球団である。

 

私の応援歴はロッテオリオンズという

球団名で川崎球場にフランチャイズを

置いていた時代、

それは1987(昭和62)年から。

 

前年までそのロッテに在籍していた

2年連続三冠王の落合博満選手と

1対4の世紀のトレードで

中日ドラゴンズから移籍した

内野手の上川誠二選手は、

前述の父の親友、

「アメ横のドン」こと

桧山健一社長の娘婿。

トレードで上京して来た彼とは

ゴルフ、マージャン、アルコール

などの付き合いが始まった。

それがきっかけで、

生まれも育ちも東京で

子供の頃から巨人ファンの私が

ロッテファンへ変る。

 

以来、ロッテの選手とは

上川選手からの紹介や、

又、紹介が紹介を生むなどして

こんにちまで数多くの選手と

交流を持ってきた。

中でも私にもっとも

大きな影響を与えたのは

西村徳文選手(後の監督)だった。

4年連続盗塁王を始め、

首位打者、ベストナイン、

内野手、外野手の両方で

ゴールデングラブ賞

(史上2人目)等

数々のタイトルホルダ-で、

押しも押されもしない

「ロッテの顔」だった。

ところが、

それだけの選手にも関わらず

腰は低く謙虚で、律儀、

それは半端ない気配り人間。

そんな彼に惚れた私と

ありがたいことに、

私を慕ってくれた彼との

共存共栄の付き合いが

始まった。

 

1997(平成9)年10月12日。

千葉マリンスタジアムで行われた

彼の引退試合。

その試合後に行われた

関係者だけの食事会に招待された私は、

乾杯の音頭を仰せつかり、

「 選手西村徳文は

  今日で最後ですが

  将来の西村監督実現に向けて

  乾杯しましょう!」

と発声。

 

2000年から毎年12月には、

彼と私の共催による

日本赤十字社活動資金チャリティ

「萩原杯マリーンズゴルフ」

と題したゴルフ会を開催。

6年間続いたこの会は、

多い時には16名の1軍選手に

参加していただき、

多額のチャリティ基金を募り、

トキワから日赤へという形で

寄付をさせてもらった。

当時の東京都知事 石原慎太郎

日本赤十字社東京都支部支部長より

感謝状も授与。

会社としても大きな社会貢献を

することが出来た。

 

表彰式左より:

   ・西村徳文氏(当時ヘッドコーチ)

   ・選手の部 優勝:福浦和也選手

   ・一般の部 優勝者

   ・私

 日本赤十字社 東京支部長からの感謝状

  (石原慎太郎 東京都知事)

 

このチャリティゴルフ会は、

西村コーチ(当時)が

ロッテの選手を集め、

更に球団にも働きかけてくれた。

球団からは沢山のマリーンズグッズを

協賛していただき、

西村コーチの存在ありきだった。

 

そこへ偶然にも、

私と旧知の仲で、

福岡ダイエーホークスの生みの親。

それまでパ・リーグには

見向きもしなかった

あの「世界の王」を球団に招聘した

ホークスの元球団代表

 瀬戸山隆三氏がロッテ球団へ

球団代表として招聘され、

(その後球団社長に就任)

私とロッテ球団とは尚更、

切っても切り離せない関係になる。

 

その瀬戸山代表の推薦で、

ロッテが31年ぶりの日本一に輝いた

2005年のシーズンには、

連盟表彰選手を試合前に表彰する

球界恒例のセレモニーでは、

慣例による球団、テレビ局各社、

ラジオ局各社、各スポーツ新聞社、

各スポーツ用品メーカ-と共に、

なんと唯一、

一般企業のトキワが

表彰式に参加させていただき

会社名が球場の場内アナウンスや

メディアに紹介された。

 

因みにこの年の表彰選手は、

福浦 和也 選手(通算1000試合出場)

諸積 兼司 選手(通算1000試合出場)

小林 雅英 投手(通算150セーブ達成)

だった。

 

      小林雅英投手を表彰する私

    写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団

 

又、この年のシーズンオフに行われた

今江敏晃選手の結婚披露宴に

夫婦で招待を受けた私は、

祝辞を述べさせていただき、

その内容に興味を持ってくださった

隣席の当時の球団社長

元国税庁長官の濱本英輔氏とは

この時が縁で、

毎年VIPルームで野球観戦や、

食事会など、

いつも夫婦でご招待を受けた。

それは、こんにちでも

定期的にお会いする機会をいただき、

色々相談にも乗ってくださる。

又、平素濱本氏が

お付き合いをしている

「日本の国を動かす重鎮」

そのような方々の貴重な話しを

聞かせていただいている。

私にとって未知の世界、

全てが「目からウロコ」である。

 

西村徳文氏が監督に就任した

2010年のシーズンには、

『西村監督応援バスツアー』を

50名の参加者でトキワが開催。

 

上野駅前から大型バスで

幕張のマリンスタジアムへ。

球場内の特設パーティールームでの

飲食付の観戦。

試合前には球団の営業部長の配慮で

平素、一般の方には「立入禁止」の

フィールドやダグアウト始め

選手のロッカールームや食堂、

風呂場、更に放送室など、

球場内のあらゆる場所を

見学させていただいた。

参加者が喜んだ事は、

言うまでもない。

 

更にその日。

西村監督と私の仲を知る

瀬戸山社長(当時)の指名により、

この日の試合の始球式

「ファストピッチセレモニー」を

私が拝命した事は、

小学校の卒業文集に、

「将来の夢はプロ野球選手」

と寄せた私が、

プロ野球公式戦のマウンドに立つ

という、

これまで思いもしていなかった、

いや、有り得ない

「夢の実現」をさせていただいた。

 

この2010年はあの「下剋上」

と言われた、

シーズン3位から駆け上がり、

日本一に輝いたシーズン。

大きな記念になった。

 

    対福岡ソフトバンクホークス戦

       始 球 式

  写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団

 

こうして、

上川誠二選手の世紀のトレードが

きっかけとなり、

西村徳文選手との出会い、

そして交流、

更にその西村氏が監督へ就任。

又、濱本英輔社長や

その後任の瀬戸山隆三社長という

本来であれば、

生涯知り合う事自体、

奇跡的な方との出会いや

お付き合いは、

千葉ロッテマリーンズという

プロ野球球団の存在あればこそで、

その影響はトキワとしても

私個人としても

とても大きなものを残してくれた。

 

(つづく)