第五章 1997年~2007年 

   ( 社長業第二期 )

 

(57)組織団体との関わり ②

      ( C U C )

 

私の社長業第二期では、

4つの組織団体と深い繋がりを

持つことになる。

それは当初の思惑とは異なり、

後に仕事に結びついたり、

関りそのものが会社の信用や宣伝、

更に私自身の学びに

繋がる事もあった。

 

その4つの組織団体との

出会い、関り、

そしてそこから得た影響や教訓を

組織別に書き残してみたい。

 

その2つ目、

 「CUC

 

これは私の出身大学

「千葉商科大学」の欧文名の略で

トレードマーク。(以下 CUC)

 

國學院高等学校在学時代より始めた

バンド活動。

後にプロダクションに所属、

コンサート活動などをしていた私。

國學院高校は都内でも

規律の厳しい学校で有名だった。

そんなことからロングヘアーの

他のバンドメンバーとは異なり、

私のヘアーは当時のバンドマンには

まず見られない、刈り上げ(苦笑)

一日も早く自由になる大学へ入り

その活動の幅をもっと広げたいと

それはそれは切望していた。

 

付属高校だから上(國學院大学)へは

さして努力をしなくても行けるだろうと

受験勉強を怠った私の考えは甘く、

受験に失敗。

そこへ担任の教師が薦めて来た

CUCから来ている唯一の推薦枠に

飛びつき、無試験入学。

同じように受験に失敗した

友人たちといえば、

二次試験で他大学を

受験していた。

私は前述のような理由から

とにかくどこでも良いから

「一日も早く大学へ入りたい」

それしか頭になかった。

 

私は一生取り返しのつかない

後戻りのできない道を選んでしまう。

 

入学後のCUCでの4年間は、

確かに思いのまま

芸能活動を満喫する事はできた。

しかし後継ぎを辞退した兄に代わり

トキワへ入社するために

芸能界を退いた

一般社会人としての私に

世間が重視するのは学歴だった。

そしてそれは、

私がずっと引きずる

「大学コンプレックス」の

始まりでもあった。

 

そんな理由から

私にとってこのCUCでの4年間は

過去の足跡から

抹消したいとさえ思う時代で、

卒業後、大学行事に

参加する事も勿論なく、

又、4年間芸能活動に

明け暮れ、

大学に行くことさえ少なかった私に

大学キャンパスでの友人も

けして多いとは言えず、

CUCとは卒業後の12年間、

全く無縁の状態だった。

 

そんな私が社長に就任した時、

「ゴム報知新聞」という

ゴム業界の全国紙に

「新社長紹介」という

恒例の記事で私が紹介された。

ゴム報知新聞社の社主は、

トキワのゴルフ会へも

参加してくれたり、

新聞広告を出すトキワへ

挨拶に来られる

という間柄だった。

ゴルフ会では、

私と一緒にラウンドした事もあり、

旧知の仲であった。

その社主・吉田義仁社長は

私が紹介された記事の中の

プロフィールを見て、

驚いて連絡をしてきた。

「 社長、

  びっくりしましたよ。

  私の後輩だったのですね。

  今度、同窓会の

    東京都支部の集まりに

    是非参加してくださいよ。」

 

この 社長は父と同い年。

つまり広告スポンサーでもある

トキワの代表の私とは

親子ほど年が離れているが

立場上、私に敬語を使う(笑)

 

今振り返るに、

仮にこのお誘いが

業界絡みの吉田社長でなければ、

おそらく私は乗らなかっただろう。

そんなきっかけから

毎月第2月曜日の夜に

銀座の喫茶店で開催されていた

同窓会支部の会合に

私は参加するようになる。

そこでの参加者は、

年の離れた先輩ばかりで

私は最も若い会員だった。

 

この吉田社長は、

これまでトキワが

上野・精養軒で開催してきた会に、

何度か参加していた事から…。

「 社長、この同窓会の東京都支部は

  新年会、総会と年2回、

   それぞれ50~60名くらいで

 会を開催しているのですが、

 現在使用している会場の評判が

 今ひとつなんですよ。

 精養軒を紹介して

 もらえませんか?」

 

私が社長に就任してから

新事業として始めた

イベント事業のことを知るこの社長は

同窓会の会合を

トキワの仕事として

請負ってほしい

というわけである。

 

立地の便利な会場と、

トキワの運営の評判も良く

以来、同窓会東京都支部の

年2回の会合、

又、そこへ招待された

大学関係者からの推薦もあり、

大学の常任委員会の新年会や

県人会等、

毎年開催される会だけでも5本。

長寿祝いの会や趣味の会など

スポットの会も含めると

多い時には年間10本くらいの

仕事をいただいた。

 

コンプレックスから

これまで人に言う事を

ためらってきた出身大学。

急遽就任した社長の紹介記事。

その新聞社の旧知の社長は

なんと大学の大先輩。

そこから全く考えてもいなかった

多くの受注。

更に、同窓会と交流したことで

多くの先輩諸氏に

トキワが主催するイベントに

参加していただいたり、

協賛していただいたりと

気がつけば、

全く想像もしていなかった

いや、避けることさえしていた

出身大学との深い関係が

築かれていた。

 

更にこれは7年前の出来事。

リサーチ会社の帝国データバンクの

データベースに、

「日本全国の社長の出身大学」がある。

その大学別社長輩出数のランキングで

CUCは第47位、

その社長の人数は1,346人とのこと。

(ちなみに全国の大学総数は775校で

 社長輩出数の第1位は日本大学)

このデータベースがきっかけとなり、

全国に広がるCUC出身の

現役社長の会を大学は

立ち上げる事になる。

 

「CUC経営者会議」

現在では100名を超える会員が参加、

私は現在そこで副会長を

仰せつかっている。

会長は全国に広がる一部上場

日本ビューホテルの石井一男社長。

私と共に副会長を務めるのは

やはり一部上場・国際興業の

観光会社の安藤昭社長。

そこに中小零細企業の私が

副会長を務めるのも…と、

一時は悩んだが、

これまで大学には

何も恩返しをして来なかった私が

お役に立てる事があればと

引受けさせていただいた。

 

私はこの会でも又、

多くの恵まれた出会いと

経験をさせていただいた。

 

5年前、

この会の繋がりから

大学の入学式に卒業生を代表して

ご挨拶をさせていただいた。

立場上、これまで何度も人前で

ご挨拶はして来たが、

約4,000人もの人前でのスピーチは

流石に緊張した。
 

つい先日は、

安藤会長発案により

この会のお揃いのジャンパ-を

制作する事になり、

トキワがそのお手伝いを

させてもらった。

 

 

 

CUCは、

私の社長業第二期に

思いがけないきっかけから

長いお付き合いをさせていただく

ことになり、

それは私個人のみならず

トキワにまで、

大きく寄与してくれた。

 

そして何よりも私にとって、

永い事引きづっていた

「大学コンプレックス」を

和らげることにもなった。

 

人生って、

本当にわからないものである。

 

(つづく)