第五章 1997年~2007年 

   ( 社長業第二期 )

 

(54) 最大の事件 ②

    (人間模様)

 

土地神話。

(土地の価格は絶対に下がらない。

  だから借金してでも買え)

ゴルフ場の会員権。

(今後も上昇あるのみ、財産になる。

   しかも会員権を持たないと

   これからゴルフプレ-は

   出来なくなる。)

そんな事が盛んに言われた

バブル時代。

 

そのバブル経済が崩壊後、

冷静に考えてみれば、

どれもこれも

当時の経済環境が生んだ

異常な神話や出来事。

 

しかし経済環境が

いくら変化したからといって

金融機関が破綻するなどとは

いったい、

誰が想像したであろうか?

前項のように、

多くの金融機関が破綻して

慌てて預金を引き出す顧客が

長蛇の列を作り、

金融機関に罵声を浴びせる光景に

私は目を疑った。

 

身近な都民信用組合(以下、都信)

の破綻は、

公私ともにあらゆる面で

その影響は私にとって、

とてつもなく大きかった。

 

しかしここで、

その影響の数々を

列記したところで、

他人から見れば「ただの泣き言」

前項に記した

破綻に至った経緯と全貌の

事実だけに留めておきたい。

 

私の人生観。

「言い訳や愚痴はけして言わない」

 

むしろここでは、

破綻によって死活問題となった

20支店に働く都信の職員や

私と同じように

被害を被った顧客の

事件後の行動に

スポットを当ててみたい。

 

なぜならそれは、

誰もが想定外の

重大な事件に直面した時、

思わず出る本性、

その「人間模様」を

私はしっかりと見たからである。

 

都信の破綻が

内々に知れ渡った後、

すぐに上野支店のY支店長が来社。

「 社長、

  本当に申し訳ない事をしました。

  スミマセン!」

 

驚いたことに私の部屋に入るなり

目に涙を溜めて、頭を床に付け

土下座をした。

私にお願いした600万円の出資金が

紙きれになった事への

お詫びだろう。

 

既に20年前。

時効の出来事なので

これまで私の中で秘めていた事を

告白する。

 

Y支店長は、

かつて理事長の鶴の一声によって

融資を受けたトキワの長期借入金の

返済表のコピ-を手に、

貸出残高の金利を下げると言う。

 

そうすれば、

これまでの金利との差額から

数年後には600万円を

取り戻すことが出来ると言う。

 

そんな事が出来るのか?

私は信じられなかった。

しかもその新しい金利は

信じられない低利率だった。

 

つまり都信が正式破綻後には、

受け皿となる金融機関に

全ての顧客の借入金とその利率が

そのまま移管されるので、

金融整理管財人による

業務及び財産管理をされる前に

(実際にはこの約10日後だった)

現行の金利を変更してしまおう

という作戦だった。

 

このY支店長は破綻後、

再就職することはなく、

東京を離れ、

故郷の宮城県で

元気に暮らしていると

風の便りに聞いている。

是非もう一度お会いして

この20年前の

「ウルトラC」のお礼を

言いたいと思っている。

 

一方、

お百度参りでしつこく

私の自宅に通い

出資金を募った北支店のT 支店長は、

とうとうその後、ただの一度も

私の前に現れること無く、

詫びの電話一本すらなかった。

このT支店長。

再就職した金融機関で

出世していると耳にした。

私はなんとも複雑な

気持ちだった…。

 

理事長のご子息で、

トキワの管轄役員の治山常務理事は、

後日トキワへ来社され、

深々と頭を下げ、

何度も何度もお詫びをするので

 

「 私は貴組合に感謝こそあれ、

  一切恨みはありません 」

私はこれまでの恩義に

そのように申し上げ、

逆に頭を下げた。

 

この 治山常務理事とは、

20年が経過した今も尚、

お付き合いは続き、

博学で人脈を持つ彼は、

様々な面で現在も私の

力になってくれている。

 

一方、

私の自宅の管轄役員のA理事

この A 理事はほんの数ケ月前に

理事に昇格したばかりだった。

かつて北支店の支店長も歴任し、

やり手で有名な彼は、

その後順調に出世していた。

 

そのA理事は、

私が留守をする自宅に来て、

家内が応対したのだが…。

「 こんなことになるのだったら

  理事になんて、ならなければ

  良かったですよ!」

お詫びの一言も無く

ただただ愚痴っていたという。

因みにこの A 理事。

2ケ月後には、

新しい会社へさっさと転職した。

 

一方でこんな人も。

北支店時代にとても好感が持てる

内山という私と同い年の

支店長代理がいた。

事件当時は竹ノ塚支店の支店長に

昇格していた。

彼はその支店の職員約15名全員が

次の職に就くまで、

一切自分自身の就職活動は

しなかったという。

 

私が入魂にしていた神戸専務理事

あの私の「激動の4年間」当時、

上野支店の支店長を兼務され、

力になってくれた恩人である。

その 神戸氏は破綻後、

管財人と共に半年間、

残務整理に当たった。

そしてその全てが終わり、

今度はなんと、

歌謡界の大御所

北島三郎氏が代表を務める

音楽事務所に経理部長として

スカウトされ、

現在も尚、勤務している。

北島三郎氏は神戸氏を全面的に信頼、

全ての財産管理を託していると聞く。

 

余談だが、

この神戸元専務理事に、

2011年3月11日

日生劇場で開催された

「北島三郎芸能生活50周年記念」の

リサイタルに招待された。

そこで隣りに座る神戸氏と共に私は、

あの未曾有の大災害

「東日本大震災」に遭遇した。

 

都信破綻後も

色々な面でお世話になった方。

そのお誘いを断るわけにもいかず

ご招待を受けたものの

それは平日日中のリサイタル。

なんとなく後ろめたさもあり

暫く誰にも言えなかった(苦笑)

 

つまり、

「あの東日本大震災が起きた瞬間、

 どこにいましたか?」

という、

当時あちらこちらで

互いによく交わした問いかけに。

(苦笑)

 

そして私の親友 I 社長

実はこのI社長と治山常務理事、

そして私の3人。

定期的にゴルフや会食をする

入魂の仲だった。

 

I 社長は、

定期預金を出資金に振替えさせられ、

その2000万円が

『どぶに捨てたお金』

なってしまった事、

(仮に定期預金のままであれば

 破綻しても全額払い戻された)

そのやり方や

その後融資を断られた一件など、

この諸々の出来事に

納得することはなかった。

 

「 萩原さん、お金の問題以上に

 やり方が実に酷いでしょう!

 絶対に泣き寝入りはしませんよ。

 断固として戦います!」

 

平素よりとにかく一本気な方。

顧問弁護士を立てて裁判で争った。

 

I 社長の会社は、

前出の北支店が取引窓口で

その時の支店長、

あの私にお百度参りしたTの

再就職先の金融機関の外で、

終業後を待ち伏せ、

喫茶店へ連れて行き、

当時の事実関係を回顧しながら

わざと相手にしゃべらせ、

その会話を全て録音。

これが証拠の決め手となり

裁判で勝訴。

 

ここでは名を上げられないが、

国家機関を相手取った

裁判の勝訴は前代未聞だろう。

 

今は亡き I 社長、

とにかく義理人情にとても厚く、

曲がったことが

大嫌いなI社長が見せた

執念の行動だった。

 

これらに見られる「人間模様」。

中には人の道から外れた事を

平気でした人間が、

その後、それなりに

順風な人生?を

歩んでいる…。

 

しかし、

「人生、棺桶に入るまで

 何が起こるか分からない」

この言葉を信じたいと思う。

 

(つづく)