第三章 1983年~1990年 

       (営業部長時代)

 

   (33)招 待 会

 

「トキワ人生を振り返る」と題し、

トキワへ入社してから今日まで

私自身が経験した出来事を綴る

このブログ。

綴りながら「ふと」気づいた…。

92年間のこの会社の足跡を

一番よく知っているのは

祖父でも父でもふたりの叔父でもなく、

もはやそれは私だということを。

 

そこで、私が入社する以前の事でも

既に私しか知らない出来事や

あるいは残された資料を紐解いて

トキワの足跡を後世に残すことは、

私の大きな使命だと心して

それらを含めて、

これからここに綴るようにしたい。

 

今回の内容こそ、まさに。

 

父が社長の時代に頻繁に開催された

「招待会」

過去の資料を紐解くと

それは会社の周年記念や

新製品の発売記念に

催されている。

 

このような会合でもない限り

個人的に旅行へ行く機会は

中々なかった時代で、

自己負担のない招待ともなれば

尚更。

取引先には、

とても喜ばれたようだ。

 

招待会への参加条件は、

「一定の期間中に、

 定められたお買上金額を

 クリアすると、

 どこどこへご招待。」

という要領。

そのお買上金額次第では、

夫婦単位などのように

複数も可能となる。

 

高度経済成長期で

世の中の景気も良く、

商品は国内で生産された時代。

特殊な製造方法の我々の商品は

アウトサイダーに侵されることなく

又、商経ルートも確立され、

利益もしっかり確保していたが故に

これらの招待会も

開催することができたのだろう。

 

この父の時代に開催された

数々の「招待会」を

残された資料を基に

振り返ってみたい。

 

1983(昭和58)年に開催した

「東京ディズニーランド」については、

前述しているので割愛する。

 

1955(昭和30)年、

創業25周年行事として

「観劇会」を開催したことが、

残された資料によると

最初に催された招待会のようだ。

以後10年間にわたり、

明治座、歌舞伎座、東宝劇場、

新宿コマ劇場、新橋演舞場にて

この「観劇会」は、

毎年行われている。

 

1968(昭和43)年11月には

業界で初めて招待会を海外で開催。

(香港・マカオ)

以後、台湾、シンガポール、韓国、

マニラなどで、毎年開催している。

ここにフィリピン・マニラでの

招待会の詳細が残されている。

1974(昭和49)年。

創業45周年記念セールとして

前述のグラムコートの

お買上金額に応じた

3泊4日の招待会で、

マニラ市内の見学や

オプショナルツアーとして

「バグサンハンの日帰り観光」

あるいは「ゴルフ」という

選択コースが組まれている。

参加取引先は21社で、

(参加者のほぼ全員が代表者)

各々が1名の同伴者を連れて参加。

その同伴者の内、18名が奥様。

みなさん愛妻家です(笑)

お世話役のトキワからは

4名の役員社員が同行、

こちらもみな奥様同伴で

一行は50名。

父である社長は参加しておらず

団長は叔父の専務、当時40歳。

と資料にある。

 

21社の顔ぶれを見ると、

現在もお取引を頂戴している会社が

3社ある。

ほぼ半世紀が経過する現在、

感謝あるのみである。

 

国内の招待会に目を向けると、

1971(昭和46)年に大相撲観戦、

その翌年には展示会を兼ねた伊東温泉、

1973(昭和48)年には湯河原温泉

と続く。

1975(昭和50)年には

沖縄国際海洋博覧会(EXPO’75)。

そしてその翌年には、

東洋ゴム工業の福島工場見学

という勉強会を兼ねた催しも

行われている。

 

この国内の招待会の中で

私も鮮明に覚えているのが、

1970(昭和45)年、

創業40周年を記念して

「人類の進歩と調和」をテーマに

大阪で開催された

「日本万国博覧会」(EXPO’70)

への招待である。

 

 

 

この招待会は長年にわたり、

語り草となっている。

 

父(社長)と叔父(専務)、

2人が中心となった二代目時代の

「招待会の集大成」

と言っても過言ではない。

 

この謝恩セールの売り出し期間は

前代未聞の足掛け3年、

577日間という期間の長さに

まず驚きを覚える。

しかもこの招待会は

当初3月に1回開催の予定が

参加者があまりに多く

7月にもう1度、開催している。

参加者は総勢132名。

この規模に比例して

セール期間中の売上があった

という事になるので、

招待会の成果は大である。

 

写真資料にみられるように、

1日目が京都市内見学で奈良泊、

2日目は奈良市内見学後に

有馬温泉泊、

そして3日目がメインの万博見学。

 

しかし、このように開催して来た

数々の招待会も

参加する取引先の価値観の変化や

主催者側にとっては、

招待会を開催するために必須の

利益確保が…。

 

招待会は一気に減っていった。

 

私が入社してから次世代を担うまでの

12年の間は、

1978(昭和53)年の

荒磯海岸で行われた「つり大会」

と前述の東京ディズニーランド

のわずか2回だった。

 

招待会という会合ではないが、

2代目の時代を振り返る時に

書き残しておかなければならない

「招待」と「一大イベント」

がある。

 

まずひとつは、私が小学生時代。

トキワは後楽園球場(東京ドームの前身)

3塁側内野席に、

年間予約席(ボックスシート)を

4席所有して、

取引先をプロ野球観戦に

招待していた。

当時、盛んなスポーツと言えば

何と言っても「プロ野球」。

そのチケットは引っ張りだこで、

本業の売り上げに、

からり寄与したと聞いている。

 

ここでひとつ余談を…。

当時、後楽園球場をホームグランド

にしていたチームは、

セ・リーグの読売ジャイアンツと

パ・リーグの東映フライヤーズ。

(現北海道日本ハムファイターズ)

 

当時の年間予約席のシステムは

この両チームの開催試合が

共に観戦できた。

人気のジャイアンツに対して

現在とは異なり、

パ・リーグそのものが不人気。

東映フライヤーズのチケットは

誰も欲しがらず、常に残る。

 

縁あって、

現在多くのプロ野球関係者と

お付き合いのある私だが、

その彼らが、人気のない

昔のパ・リーグのことを

私があまりに詳しいので驚く。

実はそれは、

取引先が優先の

ジャイアンツ戦の招待チケットは

当時私には回って来ず、

誰も好まない、

残った東映フライヤーズのチケットで

パ・リーグの野球を年間何度も

観戦していたから(笑)

 

当時、東映フライヤーズにいた

若き日の張本 勲選手

などをよく観ていた。

 

そしてもう一つ、

「一大イベント」。

それは、1964(昭和39)年

あのカネボウとタイアップした

「景品付き大特売」。

10ケ月間にわたり、

トキワの各種オリジナル製品を

お買上いただき、

その都度点数の入った

景品カードが配布され、

写真に見られる各種景品と

交換するというもの。

 

景品はカネボウ化粧品を始め

アキレスの製品など、

時代をとても感じるのは、

「テレビ」や「洗濯機」、

「掃除機」などの電化製品が

景品に多いこと。

パンフレットに掲載される「車」は

「トップ賞」として

期間中、最も多く

お買い上げいただいた代理店に

贈呈されたと聞いている。

 

 

 

前述の東レや東洋ゴム、アキレス

そしてこのカネボウなど

大手上場企業を協賛につけることは

父が得意とする?

パターンのようであった。

それは甘え上手と言うよりも

父の持つ「共存共栄の精神」が

相手に伝わっていたという

表現の方が適切だと思う。

 

協賛する会社(担当者)も

平素トキワが仕入先を販売先同様に

大切にしていたことを感じてのこと

と察する。

 

「 利は元にあり。

  物を買っているからと言って

  けして立場が上というわけ

  ではない。

  商取引は持ちつ持たれつ。

  平素、仕入先には販売先同様の

  言動やお付き合いを

  心掛けなくてはいけない。」

 

父は私を含め社員にこの事を

しっかりと教育していた。

現在の「トキワスタイル」の

根幹でもある。

 

私は今回、

これらの資料を紐解きながら、

当時のトキワの役員社員が

招待会の度に、

さぞかし大変な思いをしながら

取引先のお世話をしていたので

あろう…と思った。

そしてそれは、

けして「やらされ感」でなく

「人に喜んでいただく」

というトキワの精神に

同調していたからこそ

招待会も数多く開催が

実現したと思う。

招待会における

トキワの役員社員の

立ち振る舞いが

取引先のトキワに対する

好感度や親近感となり、

売り上げに結びついたと察する。

それが「招待会」が生んだ

最大の効果に違いない。

 

トキワがなぜこれまで92年間も

商売を継続することが出来たのか?

今それを振り返ると…、

「取引先に恵まれた」

「ヒット商品の開発」

「社員に恵まれた」

異論はない。同感である。

 

しかしそこに至る以前に、

代が替っても

そこに働く顔ぶれが変っても

時に中心人物が抜けても

常に取引先に対して

商品やサービス、

更にイベントなどを通じて

「喜んでいただく」という精神と

利害の立場に分け隔てない

「共存共栄」の精神が

「トキワらしさ」として

長年受け継がれて来たことが

大きな要因だと私は確信している。

 

そしてそれは未来永劫に

私はもちろんのこと、

これからのトキワを担う役員社員は

先人たちが残したこの精神を

絶対に忘れずに、

受け継いでいかなければ

ならない。

 

(つづく)