第三章 1983年~1990年 

         (営業部長時代)

 

        (30)製 品 ①

         (グラムコート) 

 

トキワは全て自社ブランドの

オリジナル製品を取り扱う会社。

それは企画から生産、販売までを

一貫として行う。

 

人様が考案した

出来合いの商品を

販売するわけではないので、

商品の企画がとても重要。

その企画次第で売れ行きが異なり

しいては会社の隆盛まで

左右してしまう。

とてもやりがいがある反面、

リスクも高い。

 

私が経験して来た

この45年間のトキワ人生、

ヒット商品の有無が

トキワにおいての「生命線」

と言っても過言ではない。

つまり、

「商品企画の良し悪しが

 会社の成長を左右する」

 

そこで私が入社してから

この時代(第三章)までの

トキワのヒット商品のいくつかを

紹介してみたい。

 

まず何と言っても「グラムコート」。

1965(昭和40)年2月。

 

東レ(株)と東洋ゴム工業(株)

(以下、東レ・東洋ゴム)

のダブルチョップで、

トキワが総発売元として

発売した商品。

 

素材は、表に東レナイロンを

平織(タフタ)にした生地を用い、

その裏面に東洋ゴム開発の

主原料にゴムを配合した

特殊合成樹脂(ライテックス)

を貼り合わした(トッピング)

複合素材。

その素材を使用して、

群馬県富岡市の(株)アサヒで

縫製をした。

 

「グラムコート」というネーミングは、

そもそも東レが持つ商標で、

トキワにとっては

借り物ブランドではあったが、

トキワは長年、

モノポリ(独占)を

させてもらっていた。

 

トキワと言えば「グラムコート」、

「グラムコート」と言えばトキワ

と言われるほど、

業界で認知されたブランドで、

トキワの存在を日本全国に広めた

立役者だった。

 

そしてこの商品を

取り扱っていただいた

全国代理店の会「グラム会」も

1966(昭和41)年7月に発足。

毎年、各地で会合が開催され、

親睦を深めると共に、

各社の販路拡大の情報交換が

行われた。

この「グラム会」の会長は

石川県金沢市の(株)有沢商会、

副会長は栃木県宇都宮市の

(株)矢島と

静岡県島田市の 柴田(株)で、

特に矢島さんは、

栃木県下の多くの中学校や

高等学校にこのグラムコートを

指定納入してくれた。

 

当時、

東レの担当者に言わせると、

「グラム」とは、

重さの単位の中でも

「軽さ」を連想させ、

軽量感がこの商品の特徴で、

この素材の特長でもあった。

これまでは、

業界のレインウエアと言えば、

とにかく「ごつい」。

良く言えば、

しっかりとしていたのだが、

着る人の気持ちを掴んだ

軽量化の実現は画期的で、

この商品がヒットした

最大の要因だった。

 

その東レとのパイプ役で、

軽量化を実現させた素材の開発、

縫製工場の段取りと、

全面的な尽力をしてくれたのが、

前項の名物男、

当時東洋ゴムの課長 

浅野生良氏だった。

 

この誕生から12年後、

今から45年前の

私のアルバイト時代も

この「グラムコート」は、

依然トキワの大黒柱で、

一般用や学生用はもちろん

多くの官公庁で指定商品

となったことで、

その名を広め、量販に繋がった。

 

 

このカタログ写真は約40年前。

現代のレインウエアと比較すると…、

まさに「いにしえ」(苦笑)

 

このグラムコートには、

型(品番)が7品種あり、

素材とその用途で分類されていた。

 

 

又、当時「ブルー」、「ホワイト」、

「レッド」を「東レ3原色」といって、

グラムコートの化粧箱は全て、

このスリーカラーを使用、

東レの社会的認知度を

活用させていただいた。

 

今振り返ると、

トキワにとって最初の飛躍で、

まさに

 「 商品企画の良し悪しが

   会社の成長を左右する 」

と言う言葉そのものの

商品だった。

 

(つづく)