第一章 1977年~1980年 

(アルバイトから結婚まで)

 

(10)駆出しの正社員時代

    (同業社)

 

一般的にあまり知られていない

業種とは思うが、

東京はもちろん日本全国にも

我々と同じ商売をする

同業社はそれなりに存在する。

 

全国では前身の「日本雨衣協会」が

(1964年時点で全国81社加盟)

1974年に解散、

新たに「日本雨衣連合会」が発足した。

現在も続いているこの会は、

当時、東洋ゴム工業の浅野生良部長と

父が発起人となって設立された。

 

                    日 本 雨 衣 協 会

      81社の商標(織りネーム)掲載冊子 

           (1964年)

          日 本 雨 衣 連 合 会 

        創立40周年記念色紙

                 (2015年)

 

※ 弊社が当番幹事で東京に於いて開催された記念総会で

  各社にお土産としてお持ち帰りいただいた

  「大入り袋」付色紙。

  各社の宛名と共に、「商売繁盛」を相撲文字で

  大相撲行司・木村朝之助さんに筆耕いただいた。

 

  

その40年前の日本雨衣連合会の発足時は、

工業部会・第一分科会に原反メーカー7社、

同じく第二分科会に縫製メーカー5社、

そして商業部会に販売会社が14社、

全国で26社が加盟した。

 

顔ぶれを見ると、

加盟する会社を募ったというよりも、

それなりの歴史と規模のある会社に

限定された感があり、

弊社は商業部会に所属、

父はこの会で初代の副会長を務めた。

ただこの会はあくまでも親睦団体だった。

 

一方東京には、

「東京雨衣協同組合」(以下、東雨協)

という公の組織があり、

この2つの会は共に事務局が

弊社の本社ビル内にあった。

 

そこに会員が出入りしていた事、

又、東雨協に加盟するほとんどの同業社に、

弊社は製品を販売していた事もあり、

駆け出しの私ではあったが、

同業社の人たちとは

早いうちから面識があった。

 

私が正式に入社した1978年には

26社が東雨協に加盟、

1981年からは父が理事長を

務めていた。

 

私がこの二つの会に

正式に参加するようになったのは、

社長に就任した1990年からだが、

それ以前に東雨協の傘下には、

「しずく会」という

私も発起人の一人として名を連ねた

各社の後継ぎ候補、

多くは現経営者の息子たちで

構成された若手の会があり、

この会を通じて東京の同業社と

私は深いお付き合いがあった。

 

12~3社加盟していた

この会の会合は月に一回。

幹事は持ち回りで

「飲み会」や「ゴルフ会」、

「旅行会」を開催した。

 

親団体の東雨協のメイン行事は

「大山阿夫利神社」の合同参拝。

 

この大山阿夫利神社とは、

神奈川県伊勢原市にある

「水の神様」を祀る神社で、

水の源泉である雨を望む我が業界が

「今年の梅雨が多雨長雨で

 ありますように」

と、毎年雨乞いをする神社だった。

 

この神社への合同参拝は、

東雨協の年間最大行事で

毎年4月の第2日曜日に

開催されていた。

 

各社の経営陣はもちろん、

社員やそれぞれの家族も参加、

父が理事長の時代には、

上野公園前を出発して

大型バス2台で現地へ行くほど

参加者のいたイベントで、

私は小学校低学年の頃より

祖父や父に連れられ参拝しており、

後に東雨協が解散した後も

トキワは会社の年間行事の一環として

今も尚、続けている。

 

トキワでは現在、

梅雨入り直前の6月の第一土曜日

全社で参拝をしている。

個人的にはもう60年近くになる。

 

現在、

縁あって仕事とは全く無関係の

多士済々な多くの方々と

お付き合いがある私だが、

駆け出しのこの時代は

業界関係者、中でも特に

「しずく会」の仲間との

お付き合いが一番多く、

それはこの頃、家内に

「誰と飲むのが一番楽しい?」
と聞かれた時に、

私は「同業者」

と即答していたほど。

 

駆け出しの私にとって、

まずはこの業界に馴染まなくては…、

という思いがとても強かった。

 

それほど親しくしていた同業者

ではあったが、

この10数年後に、

ある一件から弊社は東雨協を脱会、

私は東京の同業者とのお付き合いを

一切断った。

 

商品知識を学んだ時の

エピソードにも見られるように、

元来負けず嫌いの性格に

当時の若さも手伝い、

これまでの私は常に、

「意地」や「悔しさ」を

人生のバネにして来た。

 

この同業者との一件も

その類の思いから起こした行動で

これまで30年間、

誰にも明かしたことのないこの経緯を、

今回このブログで初めて

告白しようと考えている。

 

この東京の同業者の中でも

特に親しかったのが S 社の K 氏。

 

弊社と共に、

この業界では東京のベスト3

と言われたライバル会社の S 社。

そこの K 氏は私と同じ立場の後継ぎで

同じ3代目同士。

互いの祖父同士、父同士も

仲が良かったこともあり、

同業ライバルの垣根を越えた

お付き合いで、

「ふたり酒」、「ゴルフ」、「旅行」

互いを「ちゃんづけ」で呼ぶ仲だった。

私より3歳年上の彼は、

大学卒業後、

直ぐに家業に入ったという

共通点も仲の良かった要因の一つ

だったと思う。

 

彼はその後、確か51歳?の若さで、

現役社長の時に急逝。

前述の理由から

疎遠になっていただけに

私としてはとても心残りだった。

 

このように駆出しの頃から

約12~3年間続いた

東京の同業者とのお付き合いは、

楽しい思い出が多かった…。

 

(つづく)