第一章 1977年~1980年 

(アルバイトから結婚まで)

 

(4)アルバイト時代 ③

 

今思うと、

芸能プロダクションに所属して、

ミュージシャンとしては引退したが、

「企画制作事業部」に配属され、

社長の側近で社会人の「イロハ」を

厳しく教えていただいた事は、

その後の我が人生にとって、

とても大きな影響があった。

「まずは与えられた仕事を

 創意工夫して好転させる事が、

 やりがいに繫がっていく…。」

何でも任せてくれた

その社長の教えだった。

 

アルバイトであろうが、

私の仕事に対する取り組み方は

その教えを貫き、

毎日が楽しく臨めた。

ただ当時勘違いしていたことは、

社長の息子故に

やらせてくれたということを。

 

これまで社員が築き上げた

実績や彼らの心情などは、

全く考えもしなかった…。

彼らからすると相当

「生意気な小僧」に映り、

彼らの人生を変えてしまった

とさえ、今は思っている。

この一連の私の行動を、

果たして社長である父は

当時どのように

思っていたのか?

 

アルバイト時代を含めて

丸4年間一緒に働いた

 I という古参の部長がいた。

私が生まれた年に入社した

とのことだから

この時点で在職21年。

やはり田舎の中学校を卒業して

住み込みから出発していた。

かなり癖はあったが、

積極的な営業マンだった。

当時、社内では頭一つ

抜きん出ていたが、

社内外で口の悪い事が

評判の人で、

言って良い事と悪い事の

区別がつかないタイプである。

それは得意先から社長に

直接クレームの

電話が入るほど。

 

私は1分1秒早く帰社することが、

まるで美徳のような

配達業務を続けているうちに、

ただ配達することに

虚しさを感じていた。

そこで配達先では意識して

30~40分滞在して、

話し込むようにした。

するとそこの店主からは

「帰り土産」とばかりに

注文をくれるようになり、

会社に戻り、

それを報告することに

喜びと楽しみを覚えていった。

 

その注文は日増しに多くなり、

本人は益々有頂天(笑)

そこに前出の I 社員が、

「 社長の息子だから

   相手も気を使って

   注文くれるのさ 」

ただでさえ「社長の息子」という

立場そのものに反発していた

当時の私は、(事実だが・苦笑)

このセリフに過敏に反応した。

 

数日間続いた怒りと共に考えた末、

私は販売会議の席上、

「 新規開拓の飛び込み営業専門に

  やらせて下さい。」と発言。

なぜなら、飛び込みならば

相手は私を社長の息子とは分からず

そこで実績を上げれば

文句ないだろう!

という考えである。

 

しかしそこには、

社長や専務の考えもあり、

何も専門でなくても

良いじゃないか…と。

 

負けず嫌いという性格は、

積極的な良い面と

一方で人との摩擦を招く

悪い面があるが、

当時はそのような

相手の心情など考える

余裕はなかった。

 

配達業務で注文を取る一方、

名刺片手に飛び込み営業で

実績を上げていった。

 

そんな私に与えられた

次なる仕事は、

会社のメインの販売先である

問屋回り。

しかも当時のナンバ-ワンの

取引先を担当する事になった。

栃木県宇都宮市に会社を構える

履物問屋の (株)矢島。

ここの社長は2代目で、

互いの創業者同士からの

それは親戚同様の

深いお付き合い。

父が最後まで他の社員には

任せることが出来ずに

自分が担当していた大切な会社を

アルバイト生の私が

引き継ぐことになった。

 

本来、

相当プレッシャーを

感じるところではあるが、

営業が楽しくてしょうがない

当時の私にとって、

プレッシャーの微塵も

なかった。

今思うと父は、

私の実績や技量からではなく、

同族のものが担当した方が

このY社の場合には、

スムーズに事が運ぶと考え

私を指名したと思う。

その後、数多くの地方問屋を

担当した私が初めて担当した

問屋さんだった。

 

父の読み通り?

矢島の2代目社長は

私のことを息子のように

かわいがってくださり

注文も出してくれた。

 

これは次に担当した

やはり履物問屋で

茨城県土浦市に社を構える

(株)片岡ゴム商会も同じだった。

 

私はこの2社に、

当時メーカーの営業戦略の一つ、

「同行販売」を

させていただくことになった。

 

「同行販売」とは、

メーカーの立場の我々が

卸問屋の営業マンと一緒に、

その取引先の小売店を訪問。

注文をもらうという仕組み。

 

それぞれの会社近くの旅館

(当時はまだビジネスホテルも稀)

に泊まり、約3日間の同行販売。

1日に約7~8軒訪問する。

 

「レインウエア」に関しては、

当然そこの問屋の営業マンより

プロである我々の方が

詳しいことから、

その商品説明は我々がする。

 

ところがまだ携わって約半年、

大した商品知識も持たない

アルバイト生は、

その戦力には程遠い(苦笑)

長年ご商売をされている

相手のご主人の方が

商品知識も遥かに詳しい。

 

「あんたまだ若いから

 分からないと思うけど…。」

などと言われる始末。

 

今思えば、

商品知識も教えず派遣した

父も父だと思う(笑)

恥かきの連続だった(汗)

 

しかし私に取って、

この21歳で体験した

「同行販売」は、

様々なタイプの大人と接し、

それに伴う臨機応変な対応の

必要性を教えてくれた。

と同時に「商品知識」と

「業界知識」を持たずして

営業に出てはならないという

教訓も得た。

 

「同行販売」の日程を終え、

帰り際にそれぞれの社長から

いただく3日間の受注分を含む

オーダーは、

それは格別なもので、

私は誇らしげに会社に戻る…。

 

事務的な面でも新しい事を

色々会社に提案、

営業マンとしても

そこそこの売上げを

上げていった。

 

当時、私の仕事の目標は、

アルバイト生とはいえ、

会社内に自分のポジションを

しっかりと作ることだった。

 

しかし、

その目標達成の為の言動は

社長の息子故に許され、

すぐ口に出す I 氏のみならず

長年働いて来た社員たちの

大きなストレスになっていた

と思う。

 

アルバイト生活から9ケ月目、

12月のある日。

私の人生ビジョンが

大きく変わる事を

父から告げられる。

 

(つづく)