第一章 1977年~1980年 

 (アルバイトから結婚まで)

 

(2) アルバイト時代 ①

 

昭和52年(1977年)4月。

いよいよ明日からアルバイトという

前夜はほとんど眠れぬまま

出社したことを

今でもしっかりと覚えている。

 

これからは社長の息子という立場で、

幼少の頃から可愛がってもらった

叔父である専務や私のことを

「しげちゃん」と呼ぶ旧知の社員達が、

どのように接して来るのか?

逆に私はどのように接すれば良いのか?

色々考えていると

頭がだんだん冴えて来て、

外はいつの間にか明るくなっていた。

 

我が家の駐車場に車を止めている

 社員の本間氏の運転する車に同乗。

今思えばアルバイト生、

電車通勤が当然。

このような行動は

本来は許されない。

本間氏は、

山形県鶴岡市の中学校を卒業後、

我が家に住み込みで働いていた。

確か私とは一回りくらい

年が離れていたと記憶する。

現代ではとても考えられないが、

当時は地方から上京し、

社長宅に住込みで働く社員が

何人かいて、

その人たちと私ら家族は

同じ屋根の下、

寝食を共にしていた。

 

そしてその社員たちは、

どういうわけか?

兄ではなく私の部屋に

同居していた。

おそらく両親は、

私の方が物事を頼み易く

我慢をさせ易かったと察する。

 

その社員たちの生活といえば、

朝食と夕食は、

休日(当時は日曜祭日)を除き

私たちと同じ食卓。

お風呂は我が家ではなく

銭湯に通い、

洗濯は休日に

我が家の洗濯機を使い

自分たちでする。

 

お世話する母や

同じ部屋で生活する

私に気を使い、

社長には休日と言えども

私用で使われる。

住込み社員たちの

この生活環境は

仕事よりも辛かったと察する。

しかし、そんな事が

当たり前の時代だった。

 

さて、

私が最初に与えられた仕事は

商品の荷造り(梱包)。

本社は4階建ての自社ビルで、

その1階が荷造り場。

3階の事務所で電話受注した品物を、

1階、2階、一部4階に保管された商品を

品揃えして1階で梱包する。

 

エレベーターのないビル、

重い荷物を持っての

階段の昇り降りは容易ではない。

因みに後に私が見て来た

新入社員たち。

そのほとんどが

最初に経験するこの作業で

3ケ月位の間に体重が皆

10Kg近く落ちる。

 

1階の作業場で、

商品を段ボールに詰め

ガムテープで封じる。

その段ボールに

手でベルトを掛け、

専用手動機で締めてから

鎌(カマ)で

その余剰ベルトを切る。

そして留め具を

両方のベルトに手で差し込み

やはり専用手動機で締める。

最後に送り主である

弊社の専用荷札に取引先の

住所・社名・電話番号の書かれた

台紙付きセロハン紙を乗せ、

上からインクを付けた

ローラーで手刷り。

現在の自動梱包機と違い、

なんと手間のかかる

作業だったことか(苦笑)

 

生まれも育ちも東京の私は、

雨の日の雨具は傘。

父の会社の商品とは、

その傘が差せない状況の方が使う

当時で言う

「雨合羽(あまがっぱ)」

今で言う「レインウエア」だが、

私は全く着た経験が無かった。

 

馴染みのなかった私は、

日々、配達や出荷される

これらの商品に、

「いったいどこで、

 どのような人が、

 この商品を使っている

 のだろうか?」

 

父の仕事に携わった私が

最初に疑問を感じた事だった。

 

約2ケ月後、

同時に与えられた仕事は

「配達」。

当時は東京都内やその近郊は

運送便でなく全て社用車による

配達だった。

前出の 本間氏は

その配達が主たる仕事。

前日に受注した商品を

午前中に品揃え、

午後に配達する。

 

又、地方出荷の

梱包作業をしていたのはE 社員。

前述のように1階、2階、4階に

保管された商品を1階に降ろして

梱包するのだが、

2人ともその作業要領は同じで、

1件の取引先の注文書ごとに、

何種類かの商品の品揃えをするので、

何回も各階を行き来している。

 

そのように指導された私は、

何回か繰り返しているうちに

考えた。

 

まず、

全ての注文書を

机の上に一堂に並べ、

各階ごとに商品を分けて数量集計、

その各階ごとにまとめた商品を

1階に降ろす。

それから初めて取引先ごとに

梱包をする。

 

配達の順路とて同じ。

こだわりなのか?

お気に入りの順路なのか?

教えられたコースは

どうも組立てが悪い。

私は芸能事務所で働いていた時代に

都内もよく車で走っていたが、

交通渋滞が日常茶飯事の

都内においては、

いかに抜け道を覚えたり

行先が複数の場合には、

その組立て方ひとつで、

要する時間が

大きく異なることを

当時、社長から

厳しく言われていた。

 

その社長は、

「仕事とは、趣旨目的に沿って

 いかに自分自身で

 時間管理が出来るか」

それがとても重要なことを

繰り返し教えてくれた。

 

前述の私が考えた

独自の品揃えや配達順路を

若干21歳のアルバイターが

するものだから、

もう何年も何十年も

働いている社員は

面白いわけがない。

 

父の時代の社員との

このような関係は、

更にエスカレートしていく…。

 

(つづく)