『ふたり酒』

『ふたり酒』

「この人と出逢えて本当に良かった!」。
そんな方とは、極力ふたりきりでお会いして、
会場にこだわり、美味しい酒肴を共にして、
熱く語り合い、充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月18日(月)。

 

前章に続き

プロ野球・公式記録員

山本 勉 氏

 

 

今回、私のリクエストから

わざわざ足を運んでいただいたお礼に

山本記録員が「大相撲ファン」と知り、

幕内格行司・木村朝之助さんに

筆耕をお願いして、

オリジナルの色紙を宛名入りで作成、

プレゼントさせていただいた。

( 添付された大入り袋は今年の

     初場所中日八日目の「天覧相撲」

 天皇皇后両陛下と愛子様ご来場の際に

 関係者に配られた貴重な

 『行幸啓記念』大入り袋)

 

今回の『ふたり酒』の会場は、

 

 浅草ビューホテル

東京都台東区西浅草3-17-1

TEL: 03(3847)1111

つくばエクスプレス「浅草駅」直結

 東京メトロ銀座線「田原町駅」

 徒歩7分

 

27階「華‐KAORI‐」

 

 浅草エリアや東京スカイツリーが一望

  写真提供:浅草ビューホテル

 

35年来、当ホテルメンバーの私が

最もお気に入りの格式のある

「貴賓室」。

6人収容のこの個室を

贅沢に「ふたり」で。

 

今日の『ふたり酒』。

何せ初対面なので、

ギクシャクするかと思いしや、

その心配には全く及ばなかった。

互いが互いに質問をして進む会話。

以前、このブログにも綴ったが、

このパターンは、人と人とが

コミュニケーションを図る

「 最善の会話スタイル 」

 

山本氏は有難い事に、

これまでの私のブログを

隅から隅まで

読んでいただいているようで

私について、

私よりも詳しかった(笑)

中でも自身の趣味

「大相撲」に関しては

特に質問が多く、

一方私からは、

今回お会いするきっかけとなった

山本氏の著書に見られる

球場の跡地巡りは、

いったい何を思って

閉鎖された球場の跡地を

巡りたかったのか?

まずはそれを聞いてみたかった。

 

「 私は公式記録員として

  駆け出しだった20代後半に、

  これまでプロ野球の公式戦が

  開催された球場が

  289ケ所もあることを知り、

  まずそれに驚きました。

  しかしそれから閉鎖したり

  野球場として

  既に使用されていない場所が

 100ケ所を超えていて、

  いつの日か

 全ての跡地を訪ね歩き、

  残されたスコアカードをめくり、

  エピソードも交えて

  コラムを記そうと思い、

  始めたんです。

  昔は今と違い

  インタ―ネットなどもなく、

  調査ツールに乏しかったので、

  きちんとした資料が

  残されていません。

  ならば私がそれをしようと。

  自分が40年近く務めて来た

  プロ野球の公式記録員としての

  言わば総決算のつもりで

  後世に残せれば… 」

 

私は既に読み終えた

本の内容もさることながら

このきっかけと行動力、

そして何といっても

ご自分が長年携わった

仕事に対する感謝の念、

更に後世の為という

プロ野球界への恩返しの思い。

私はしばし言葉を失った…。

そしてこの総決算が

記録員・山本 勉の功績として

未来永劫に球史に残る事を

願った。

 

調査の最中には、

得難い体験もあったという。

それは貴重な球界のレジェンド、

今西錬太郎さん、広瀬叔功さん、

安仁屋宗八さん、山田久志さんら

往年の名選手から話を伺えた事だと、

山本氏はうれしそうに顔を崩す。

 

更に私は長年プロ野球を見て来て

以前より疑問に抱いていた事を

ぶつけた。

それは、「ヒット」なのか?

「エラー」なのか?

そのジャッジである。

例えば守備力のある

二塁手あるいは遊撃手が

守備範囲が広いゆえに

ギリギリで追いついたボールを弾き、

走者はセーフになったとする。

それが通常の野手なら

とても追いつかない

ポジションだとしたら、

その判定は「ヒット」

ではないだろうか!?

 

山本氏は、

「ヒットとエラーの判定の基本は

 打球の質(強いとか弱い)や

 跳ねかた、 野手の対応の仕方、

 走者の走力、グラウンド状態、

 などを考慮して総合的に

 判断しています。

 更に私は、

 野手が打球を処理したときの形

 =「絵面」も判断基準にします。

 萩原さんがおっしゃる

 守備力のある選手と、

 そうでない選手の場合、

 ジャッジは弾いた瞬間の

 その絵面によっては

 守備力のある選手でも

 エラーとします。

 絵面は重んじています 」

 

「 絵面か…。

 では同じように

 技能的に異なるパターン。

 走力のある選手と

 ない選手の場合の判定は

 いかがでしょう?」

 

「たとえば走者なしの場面で

 詰まったショート前への

 ボテボテの打球。

 この打球を遊撃手が弾いた。

 この時、走力のある選手であれば、

 遊撃手が処理して一塁へ投げても

 駆け抜けていただろうと想定して

 「ヒット」にします。

 逆に走力が

 そこまでない選手の場合には、

 遊撃手が処理して

 一塁へ投げていれば

 アウトにできていただろうと

 想定して「エラー」を押します 」

なるほど…。

瞬時にそれらを総合的に見て判断する

これぞプロ!

まずは、そのことに驚きながらも

一方で選手側からすると

時に記録でも絡んでいようものなら、

そのジャッジが「死活問題」にも

なりかねない。

 

山本氏は、

「記録員は日頃選手とは

 あまり交流しないように

 しています 」

それは「情」がジャッジに

影響するとまずいからと言う。

このことは、

かつて元審判員からも

同じことを私は聞いている。

 

更に私は、

「プロ野球の世界の上下関係は

 あくまでも年齢ですよね。

 例えば、高卒の選手が

 既にプロ野球界で4年も5年も

 活躍していたとしても

 後から入団した社会人野球を経た

 プロ1年目の選手の方が

 年齢が上だったら

 プロのキャリアに関係なく

 この社会人からの選手の方が

 先輩になると聞いています。

 同じプロ野球界でも

 記録員の方の場合は、

 いかがなんですか?」

 

「 記録員には明確な基準は

 ないと思います。

 入局が先でも

 後から入局の先輩には

 「さん」付けで敬意を

 表していますし、

 その逆に入局があとの先輩も

 先に入局の後輩を

「さん」付けして立てます。

 互いがリスペクトして

 上手くやっている、

 といった感じです 」

 

会話の「キャッチボール」は

尽きない。

中でも「縁」を感じたのは、

このブログにも綴った

私が昵懇にしている同士の戦い

千葉ロッテ西村徳文監督、

対する中日ドラゴンズ4番打者

和田一浩選手が戦った

伝説の2010年の日本シリーズで

山本氏は記録員を担当していたという。

前述のようにこれまで実働38年で

日本シリーズの出場は3回、

にもかかわらず…。

「 萩原さんがあの2010年の

 日本シリーズの模様を

 ブログに詳細に、熱く、

 綴られていて

 それを読んでいた私も

 当時を思い出しました。

 あの日本シリーズは

 本当に凄かった!」

 

最後に私から定番の質問(笑)

山本氏がプロ野球界に入った

1989年(平成元年)以降に

見てきた選手の中から

ベストナインを選出してもらった。

38年間、記録員として

1507試合出場、

更に3500試合を超す

スコアを記録して来た

「選出に忖度など全くない

 公平な立場の公式記録員」

山本 勉が選ぶ

題して、

『これが最強のメンバーだ!』

 

投 手: 斎藤 雅樹(G)

捕 手: 古田 敦也(S)

一塁手: 清原 和博(L)

二塁手: 荒木 雅博(D)

三塁手: 落合 博満(M)

遊撃手: 宮本 慎也(S)

左翼手: 金本 知憲(T)

中堅手: 松井 秀喜(G)

右翼手: イチロー(B)

 

( )内は球団名イニシャルの略

 

この9人のメンバーを

言い終えた山本氏は、

「落合さんは本来なら一塁手、

 もしくは二塁手なのでしょうが、

 どうしても荒木さんを

 入れたいので、

 主にロッテ時代守っていた

 三塁手にさせてもらいました 」

この件については、

私との会話の中で

とても興味深い話があった。

それはその中日ドラゴンズの

荒木雅博選手について。

「荒木さんの凄いのは

 毎回必ず1塁のカバーリング、

 バックアップに走る事です。

 事実そのカバーで救われた

 プレーがいくつもあります。

 世間で名手と言われる二塁手でも

 カバーに走らない選手がいます。

 だから私にとって二塁手は

 荒木さん以外ありえません 」

そこにはかなり熱く語る

公式記録員がいた。

さすがに記録員として

1球1球ボールから目を切らさず

前述の判定のごとく

状況をしっかりと見ている。

 

初対面はどこへやら

今日も実に充実した

『ふたり酒』だった。

子供の頃から観てきたプロ野球、

しかし今日、

山本記録員から色々と話を伺い、

これからはまた違った角度で

プロ野球を楽しむ事ができる。

 

そして帰り際、

「私の故郷、愛媛の名産です。

 ちょっと重たいですが

 お持ち帰りください 」

そう言って、

リュックの中から出したのは…、

 

「みかんの産地愛媛県のみで

 生産されている高級希少品種

『果試28号』と『甘平』、

 100%無添加ストレート

 ジュース。

 外皮の成分が入らないように

 丁寧にしぼりそのまま

 瓶詰めにした 」

そんな説明が記された

みかんジュースが2本。

 

こんなに重たいものを

わざわざ私の為に…。

 

帰路は逆方向、

横断歩道を渡り、

向こう側で立ち止まり

こちらを見る山本 勉氏。

道路を隔てて互いに手を振り合い、

別れを惜しんだ。

 

翌朝すぐにきたメールには、

昨夜は楽しい時間を

過ごさせていただき

ありがとうございました。

素晴らしい東京の夜景に、

美味しい食事、

そして勉強になる話の数々。

面識のなかった私に

声をかけていただいたことに

感謝いたします。

お土産で頂戴した色紙は

生涯の宝物に

させていただきます。

これまで簡単に「縁」という

言葉を使っていましたが、

そこには行動力が

あってこその結果と

改めて実感させられました。

私たちの出会いも

萩原社長からの電話がなければ

一生ご縁は

生じなかったわけですから。

縁の全てが偶然に

生まれるものではないのですね。

萩原社長がよろしければ、

今後もお付き合いのほど

よろしくお願い致します。

この度は

ありがとうございました。

 

日本野球機構 山本 勉

 

(ご本人に掲載の了承をいただき、

 原文のまま)

 

人生終盤?

古希を迎えても

まだまだこうして

新しい出逢いがある。

こんな出逢いの醍醐味が

私の人生を豊かにして

日々の活力にもなっている。

この山本 勉 記録員との

出逢いのきっかけを作ってくれた

カミこと上川誠二氏に

改めて感謝をしたい。

 

【   こぼれ話   】

 

今日、私が山本記録員と

お会いする事を知ったカミが、

「萩原さん、僕と江川卓さんとの

 対戦成績を山本さんに

 聞いていただけませんか?」

 

初対面の山本氏に

いきなりお願い事、

しかも記録員としての

仕事に関わる…、

とても悩んだが、

今回のきっかけを作ってくれた

他ならぬカミの頼みでは

しょうがないショボーン

 

だが、この対戦。

実は私自身も興味があった。

それは以前よりカミは、

現役時代対戦した投手の

ナンバーワンは間違いなく

「江川 卓」と常々言っていた。

「 あんな速い球、

  後にも先にも江川さんが一番、

  手元で浮いて来ましたから… 」

 

カミはそう言うが、

私はしっかり覚えている。

それはカミが

中日ドラゴンズルーキーイヤー。

ジャイアンツ戦で江川投手から

サヨナラヒットを含む3安打猛打賞。

この試合がきっかけとなり、

レギュラーの座を掴み取り、

中日8年ぶりとなるリーグ優勝、

更に西武ライオンズとの

日本シリーズでは逆転本塁打や

同点タイムリーなど放つ大活躍、

敗退はしたが敢闘賞を受賞した。

つまりそれが上川誠二の

プロ野球人生の始まり、

そのきっかけを作ってくれた

投手である。

 

そんなカミ自身が

強い思い入れある『昭和の怪物』

江川 卓 投手。

その対戦成績はいかに?

山本氏に恐る恐る尋ねると…、

「わかりました。 明日調べて

 連絡させていただきます 」

快く引き受けてくれた。

 

翌朝、山本氏からのメール。

「 江川さんとの対戦は

  最初は苦しんだようですが、

  上川さんがセ・リーグの

  最後の年には 攻略に

  成功していました。

   「江川さんの球は速かった」

     とのことですが、

     70打数でわずか4三振は

     アッパレ!

  ではないでしょうか 」

 

ふたりの対戦は5年間。

通算70打数20安打、

2割8分6厘。

打点3、三振4。

最後の年(1986年)に限れば

18打数8安打、

4割4分4厘。

( 調査協力:山本 勉 記録員 )

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月18日(月)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・公式記録員

山本 勉 氏。

 

    「東京スカイツリー」をバックに「乾杯」

 

お気付きだろうか?

プロ野球観戦に球場へ足を運ぶと

試合開始前、

両チームのスターテイングメンバーの

発表後に、

そのゲームを担当する審判団、

そして公式記録員の名前が

場内にアナウンスされる事を。

 

実況中継の中ではアナウンサーが、

あるいはスポーツ紙の紙面では

「この記録は史上何人目です 」

「この対戦成績は過去… 」

これらの記録のデータは全て

この公式記録員が管理して

情報を流す。

また全試合で、

「ヒットかエラーか?」

「暴投か捕逸か?」などを

その場で判断し決定する事も

公式記録員の重要な仕事で、

専用の公式記録システムへの

データ入力や試合後の

スコアカードの認証や保管、

試合データの速報、

公式記録の確定など

その仕事は多岐に渡る。

一軍、二軍全ての公式戦が

開催される球場へ行き

スコアを記録する。

各記録員とも年間で少なくても

100試合以上のゲームを

見ていると聞く。

今日のゲスト山本 勉氏は

この「公式記録員」の

仕事をして38年、

現役最古参である。

そのプロフィールを

簡単に紹介させていただくと…。

 

1964年生まれ。

愛媛県北宇和郡津島町

(現宇和島市)出身。

宇和島東高校卒業後、会社員を経て

1989年からセ・リーグ公式記録員。

両リーグの統合により2010年から

日本野球機構(NPB)所属となる。

1993年から一軍公式戦を担当して、

現役最多の1507試合に出場。

日本シリーズ出場3回、

オールスターゲーム出場3回

(2025年12月末現在)

 

この山本記録員と私の出逢いから

本日に至る経緯を知った誰もが驚き

そして口から出る言葉は、

「その行動は普通ない(笑)」

 

実は山本記録員と私、

本日初対面

 

それは今年の年明け早々、

1月17日(土)の事だった。

月いちでゴルフを共にする

このブログ(26)章のゲスト

かつて中日ドラゴンズや

千葉ロッテマリーンズの

内野手として活躍した

上川誠二氏が

(以下カミ)

ゴルフ場へ行く車中。

「そう言えば先月、

 面白いことがあったんですよ。

 プロ野球の公式記録員の

 山本さんという方から

 突然電話があって、

 僕が中日ドラゴンズ時代に

 セ・リーグ通算25000本目の

 メモリアルアーチ(本塁打)を

 打った時の話を聞きたいと。

 その話しが終わったら、

 今度は萩原さんの話題になって

 どうやら萩原さんのブログを

 いつも見ているらしいです。

 そのブログに僕が出ていたので

 『 萩原さんって凄い人脈を

   持たれた方ですが、

 いったいどんな方なんですか?』

 って、聞くんですよ(笑)」

 

それは山本記録員が

面識もないカミにした

この12月7日の1本の電話から

全ては始まった。

私からすると面識もない方が

私のブログファンだと知り

ありがたいと思う気持ちと同時に

お相手の職種からして

とても興味を抱いた。

それから1ケ月半が過ぎたある日、

毎年この2月の末頃に送られてくる

その年の新しい「プロ野球選手名鑑」。

送り主は、

このブログ(23)章のゲスト

大阪の小橋英明氏。

小橋氏はかつてこの選手名鑑の

発行元「スポニチプライム」社の

専務を務めており、

長年、新しい名鑑が発行されると

すぐに私に送って下さる。

私は1ケ月半前のカミのその出来事を

ふと思い出し、

「もしかしたら載っているかな?」

独り言をつぶやきながら

名鑑をめくっていくうちに

『NPB記録員名簿』

というページに目が留まった。

「確か山本さんと言ってたな… 」

記録員25人の名が連なる

その名簿の中に「山本」という苗字は

ひとりだけだった。

「カミが言っていたのは

 この人だな!」

そこには在職38年、

通算試合数1507試合という

いづれも記録員の中では

トップの経歴が記載されていた。

「へぇーこういう人なんだ。

 又、なんだって私のブログを

 見てくれているのかな?」

更に興味を持った私は

「文明の利器」

現在はパソコンで検索すれば

なんでも出てくる。

早速パソコンをたたくと、

そこには昨年、現役記録員唯一の

記念すべき「1500試合出場」

達成した事、

そして「球跡巡り」という

著書を出されていることが

掲載されていた。

更に私はその著書を検索、

あらすじに目を通し、

とても興味を抱き早速購入、

2週間ほどかけて読み終えた。

 

 

この本の内容は、

「 時代とともに消えた

 55の球跡を辿る。

 後楽園、平和台、大阪、

     西宮、日生など、

 かつてのプロ野球本拠地球場から

 数試合しか開催されなかった

     地方球場まで。

 選手・審判・観客の記録に残る

 あの日の光景が甦る―。

 プロ野球公式戦開催

     全289球場一覧などの

 データのほか、

 懐かしの野球場、世相を反映した

 貴重な写真も多数掲載!!」

  (引用:理工図書)

 

しかし、日本全国に足を運び

良く調べたものだ!

しかも1つ1つの球場での

エピソードが満載。

これはプロ野球ファンはもちろん

関係者も必見だ。

この著者と会ってみたい。

話を聞いてみたい。

たまらなくそんな願望に

駆られた私は、

すぐにカミに連絡を入れた。

「カミ、去年電話が

 かかって来たという

 山本記録員って

 凄い人なんだよ!

 本も出していて、

 又、その本が実に面白い、

 いや、感心する!

 着信履歴、

 残っていないかな?」

 

既に4ケ月も経過していたので

カミも自信がなさそうだったが、

すぐに折り返しの連絡があり、

「 ありましたよ!……です 」

 

そして4月6日のこと。

私はカミから聞いた

山本記録員の携帯電話に

思い切って電話をしてみた。

が、残念ながら留守電。

メッセージを残した。

「山本様の携帯電話で

 宜しかったでしょうか?

 突然のお電話失礼します。

 私、元中日ドラゴンズの

 上川誠二氏の友人の萩原と

 申します。

 上川氏から山本さんが

 いつも私のブログを

 ご覧いただいているという

 話を聞きまして、

 山本様の著書を購入して

 読ませていただきました。

 その内容にとても興味を抱き、

 彼の着信履歴から

 こうして突然のお電話を

 させていただきました。

 失礼でなければ一度、

 お会いしてお話を聞かせて

 いただけないもの

 でしょうか?」

 

留守録に吹き込んだものの

私は急に自分の図々しさ、

厚かましさを恥じた。

それはまさに

「穴があったら入りたい」

そんな心境にさえなっていた。

電話なんかしなければ

良かった…。

 

ところが!

 

その電話から30分も

経たないうちに

折り返しの電話が!

「 山本と申します。

  お電話ありがとう

  ございました 」

私は、ホッとしながら、

改めて留守録に吹き込んだ

これまでの経緯を説明。

山本氏はお会いする事を

快く承諾して、

いや、むしろ喜んでさえいただき

約1ケ月半先の

プロ野球のゲームのない月曜日に

お会いすることを約束、

それが本日実現したというのが

これまでの経緯である。

 

ホテルのロビーで待ち合わせ。

ブログで私の顔を知る

山本氏の方から

お声をかけていただき、

名刺交換。

食事が始まり、

まずは全ての始まりの

山本氏がカミへかけた

電話のいきさつを聞いてみた。

山本氏の話しによると、

前述の著書、時代と共に消えた

日本全国の球場の『球跡巡り』

(「球跡」は山本氏の造語)

その本には掲載が間に合わなかった

既に閉鎖された球場を

更に巡り歩き、調査を続けた中の

「 長野県営松本球場 」

について。

 

「 その球場で、最後の公式戦が

 行われたのが

 40年前の1986年6月15日、

 ヤクルト対中日戦なんです。

 そこでセ・リーグの通算

 25000号メモリアルアーチが

 飛び出したのですが、

 それを打ったのが

 当時、中日にいた上川さんで、

 その時の状況の取材をしたくて

 関係者に電話番号を聞いて

 電話をかけたんです。

 更にパソコンで

「上川誠二」さんを検索したら

 萩原さんのブログが出てきて

 それが面白くて、

 さかのぼって全て読ませて

 いただきました。

 私の職業のプロ野球もそうですが、

 大相撲に関しても

 他のジャンルでも

 その人脈といい、

 それぞれとの深いつながりといい

 エピソードといい、

 すっかり文章に引き込まれました。

 まさかその萩原さんから

 お電話をいただき、

 こうしてお逢いできるなんて… 」

 

今章では、

異口同音に言われた

「 その行動は普通ない(笑)」

プロ野球公式記録員

山本 勉氏と私の

今日の「初対面」までの経緯を

綴らせていただいた。

 

次章ではこの日の

実に興味深い内容の

『ふたり酒』を

綴らせていただく。

初対面のゲスト、

この山本記録員について

いきなり2章にわたって綴るという

これまでに例をみない『ふたり酒』。

だがそこには簡単に「縁」という

言葉で片づけるのではなく

行動を起こした結果という

この出逢い。

まずはその経緯を最初に、

しかも詳細に

どうしても綴りたかった。

 

(つづく)

 

【  追 記  】

前章(44)の追記に

書きましたように、

元水戸泉・錦戸親方④章も

多くの読者より

心温まる感想文を

頂戴しました。

私の方で特にゲストの錦戸親方に

ご覧いただきたい感想文を

ご本人たちにご了承いただき、

転送させていただきました。

後日、律義な錦戸親方より

それらの感想文への思いを

頂戴しました。

親方ご了承のもとに

掲載させていただきます。

 

お疲れ様です‼️

皆様からの感想メール

読ませていただきました

多くの方が萩原さん、好江さんの

お人柄を讃えてくださり、

そして生き方に共感されていることに

本当に胸が熱くなりました。

それも大相撲や野球を

こよなく愛すだけではなく、

人を愛しおもてなしの心くばり。。。

それは好江さんあっての

萩原さんであり、

萩原さんあっての好江さんに

尽きると思います🙇

若い頃から萩原さんとお付き合いを

させていただいていますので、

よけいに好江さんの心の広さに

あらためて感服しております。

またあの頃に戻れたら、

今度は好江さんも含めて

ゆっくりとテーブルを

囲みたいです……

すいません、長々と😅

あらためて萩原さんとの

出会いに感謝しております!

そしてこの出会いを作ってくれた

師匠に感謝しておりますm(_ _)m

  

           錦戸眞幸

(原文のまま)

 

※ 1)好江(私の亡き家内)

  2)師匠(錦戸親方の師匠で

    私たちの縁結び、

    第46代横綱・朝潮こと

    五代目高砂浦五郎親方)

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月16日(土)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

大相撲・元関脇水戸泉の

錦戸眞幸親方。

 

 

この『ふたり酒』には、

(9)章・(18)章・(25)章と

3回登場いただき、

今回が4回目の錦戸親方。

親方とは46年のお付き合い、

その中での数々のエピソードは

いくら綴っても、まだまだ(笑)

そこで今回は、

過去3回で全く触れていない

私に取ってとても大切な

想い出深いエピソードを。

それは今日の親方との

『ふたり酒』でも話題に。

 

今日の会場は、

このブログ3回目

「てんぷら初穂」

東京都港区赤坂3-15-12-3F

地下鉄千代田線「赤坂駅」徒歩3分

地下鉄銀座線・丸ノ内線

 「赤坂見附駅」徒歩5分

 

 

ホテルオークラ、

キャピトル東急ホテル他

40年間天ぷらひと筋に生きる

富山 三喜男 料理長。

 

 

「太白(たいはく)」一番搾りの

ごま油100%を一度だけの使用で、

本来持つ素材の本当の美味しさを

引き出すことに強いこだわりを持つ

「ザ・職人」。

私とは、ホテル時代、

専門店の料理長時代、

そしてオーナーとして経営する現在、

30年にわたるお付き合い。

 

    今日の逸品

「お芋(シルクスィート)の天婦羅」

実はこれ「裏メニュー」。

低温の別鍋で20分かけて

薄い衣で揚げる絶品。

親方に是非食べてもらいたいと、

大将に事前リクエスト。

 

錦戸親方は高砂部屋から独立、

部屋を起こして24年になる。

その部屋を創設してまもなく

私は部屋の力士の励みになればと、

親方にこんな提案をした。

それは、

『錦戸部屋東京幕下会』(以下幕下会)

の発足。

大相撲を長くあるいは深く

見ている人には

理解してもらえると思うが、

どこの部屋でも後援者は、

「一日も早く関取を!」

そんな思いで応援をする。

確かに関取(番付の十両以上の力士)

というのは、力士誰もが目指す

憧れの地位には違いない。

しかしそう簡単に上がれる

ものではない。

番付上、その十両の前には

「幕下」という地位があり、

如何なる力士と言えども

まずそこを通過しなくては

十両に昇進することは出来ない。

部屋の師匠にしても

この幕下力士を作るのは大変。

そこでそんな言わば

「関取予備軍」である

幕下に昇進した力士だけが

入会できる「幕下会」という会を

錦戸部屋に作ろうと

20数年前、親方に提案をした。

 

力士が幕下へ昇進した時には、

まずそのお祝いに、

幕下力士から締める事が許される

「博多帯」をプレゼント。

入門したばかりのお相撲さんは

幕下以上の兄弟子たちが締める

この博多帯にまず憧れる。

そして、年3回の

東京場所の初日前日には、

我が家で家内の手料理を。

そんな激励をして

一場所でも早く

関取に昇進してもらいたいと願う。

(これまで錦戸部屋では

 7名の力士が幕下へ

 昇進している)

因みに、

めでたく関取に昇進した暁には、

幕下会は「卒業」という意味で

その卒業祝いに、

「関取の三種の神器」と言われ、

十両に昇進すると

すぐに準備しなくてはならない

「化粧まわし」、

「本場所の締め込み」

「黒紋付羽織袴」。

その中の「黒紋付羽織袴」を

プレゼントする。

そしてもうこれからは、

関取としてもっと立派な後援者に

可愛がってもらいなさいと

送り出す(笑)

(これまで同部屋で

 十両へ昇進した力士は2名)

 

錦戸親方は、

当時を振り返りながら

「萩原さんはさすがに

 相撲界そのものを

 よく知っています。

 このような発想で

 力士を激励する人は

 唯一無二でしょう。

 いや、当時僕自身が

 この会の発足を

 聞いた時には

 驚きましたから…。

 本当に有難かったです」

 

実は稀有なことは、

会の発足だけではない。

この「幕下会」の会長は

私の家内、幹事長は私という

たった二人だけの会(笑)

どんなに望まれても入会お断り。

全国に数多くの後援会が点在する

錦戸部屋だが、

会員たったの2名、会長は女性、

そんな会はこの会だけだと。

(笑)

なぜ?

私がそんな会にした理由は、

大相撲の後援者(タニマチ)を

取りまとめるのは

ややこしいから(苦笑)

「俺が俺がの後援者」

他のスポーツや武道、格闘技など

それらの後援者との大きな違いは、

こんな「おらが大将」の後援者が

異常に多いのが相撲界(笑)

後援者同士仲良くなる事はごく稀。

そして会長を家内にしたのは、

食事会当日の料理長として

2~3日前に買い出し、

そして料理の仕込み、

当日迎えるゲストは

主役の幕下力士のみならず、

錦戸親方や部屋付の千田川親方

(前任者)、

代表代行の梅の里さんや

床山の中山さんなど

資格者のスタッフも含めて

5~6名。

(資格者とは力士は十両以上、

 他親方、裏方さんは

 十両格以上をいう)

 

そこには「えびすこ強い」

(相撲界の隠語で大食漢のこと)

お相撲さんがいるので

家内が作る量は半端ない。

年間3回開催するので

同じ料理は極力出さないでと

料理長に私からの

我がままなリクエストも。

そして滞在時間の約6時間、

立ちっぱなしで料理。

ゲストが帰った後にお片付け、

そして深夜にやっと自分の夕食。

会長にでもなって頂かないと

途中で投げ出されたら、

会は解散に追い込まれる。

いや、これは悪い冗談。

10数年間、年3回、

文句ひとつ言わないで

私の勝手な想いを

本当によく続けてくれた…。

 

そんな家内と親方の付き合いも

我々の新婚時代からなので、

36年だった。

家内も錦戸親方だから

続けてくれたと思う。

いつも笑顔を絶やさず、

けして出しゃばる事はしない。

人との会話で

自分が知っている事でも

相手のことを考え、

何も言わず黙って聞いている。

そして常に弱者の味方。

そんな家内は、

大勢の人前に出る事を

あまり好まなかったが、

「幕下会会長」として

年3回の錦戸部屋の

東京場所千秋楽の祝勝会だけは

必ず私と一緒に参加した。

(時に親方から壇上挨拶の依頼も)

その家内が亡くなり、

私は親方に頭を下げた。

それは…、

この祝勝会は今後、

参加を控えさせていただきたいと。

親方には数々の恩義があるにも

関わらず…。

だが私からすると

家内とふたりで、

参加していた唯一の会、

これまでのように

参加する気持ちには

どうしてもなれなかった…。

 

2016年2月6日。

家内の告別式。

その出棺時、

錦戸親方はじめ部屋の関係者、

そして全力士で家内の棺を霊柩車へ。

 

家内が人生で唯一の「長」だった

この『錦戸部屋東京幕下会』での

労をねぎらい、感謝を込めて

私は親方にお願いをした…。

 

(9)錦戸親方(元・水戸泉) | 『ふたり酒』

(18)錦戸親方(元水戸泉)② | 『ふたり酒

(25)錦戸親方(元水戸泉)③ | 『ふたり酒』

 

【  こぼれ話 】

今日の『ふたり酒』で、

親方に聞いてみた。

「 親方、もし水戸泉だったら

 現役のどんな力士と

 対戦してみたいですか?

 その理由は?」

 

「  正直、あまり魅力があり、

   対戦してみたいと思う力士は

       いませんが、

   強いて言えば『大の里』

  でしょうか。

      スピード出世で

      横綱まで駆け上がったので

      どれだけ強いのか?

   肌で感じてみたいですね 」

 

水戸泉と大の里の対戦が

夢の世界で実現したら

水戸泉はきっと、

いつも以上に天井めがけて

目一杯の塩を撒くことだろう。

 

 

1994年8月 

 親方が新築祝いに下さった

「横綱博多人形」

 

これまで親方からは、

本当に沢山の品々を頂戴している。

今日の『ふたり酒』でも

「古希祝い」を。

この新築祝いの博多人形は、

私に取って色々な意味で

想い出に残る大切な宝物。

 

【 追 記 】

おかげさまで、

このブログへの訪問者が

毎週1000人を超えるように

なりました。

ありがとうございます。

そして感想文を寄せてくれる方も

毎回30名~40名いらっしゃいます。

もちろんその皆様には私から

返信をさせていただいていますが、

同時に

「これは是非、お相手のゲストにも

 読んでいただきたい 」

そんな感想文は

ご本人のお許しをいただいて

ゲストにそのまま転送を

させていただいています。

(ゲストも感動する事しばしば)

これらの感想文は

私にとって喜びと共に

自分自身への「気づき」にも繋がり、

学ばせていただいています。

それはまさに父が残してくれた言葉

「まだ足りぬ学べ学べとあの世まで」

そのものです。

そしてこのブログを綴る上で

大きな「励み」になっています。

この場を借りて

衷心よりお礼を申し上げます!

又、前(43)章のように

何人かの方から同じ質問を

頂戴した場合には、

今後、このブログの中で

【追記】としてオープンに

お答えさせていただきたいと

思っています。

 

今後もこの『ふたり酒』

どうぞ宜しくお願いします。

 

【錦戸親方ブログ】

 

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月15日(金)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・東北楽天ゴールデン

イーグルスの渡辺直人二軍監督。

ちょうど1年前の(13)章のゲストで

今回が2回目。

 

 

今年からプロ野球の

2軍(ファーム)リーグは

長年続いた従来の「イースタン」、

「ウエスタン」という2リーグ制から

1リーグ3地区制

東地区(5球団)

中地区(5球団)

西地区(4球団)

へと再編された。

これは移動負担の軽減と

新規球団の加入促進を目的とした再編で

これにより合計14球団による

「ファーム・リーグ」として

現在運営をしている。

 

渡辺直人(以下直人)が

監督として指揮を取る

東北楽天ゴールデンイーグルスは、

東地区に所属、

本日(5月15日)現在、45試合を消化

26勝16敗3分で

北海道日本ハムファイターズと

同率で首位につけている。

もちろんファームリーグの目的は

「若手の育成」が一番、

勝つことは二の次かもしれないが

負けるより勝った方が良い(笑)

今日もロッテ浦和球場で

千葉ロッテマリーンズ相手に

3対0の勝利。

 

その試合後、

「お疲れさん!ご無沙汰。」

そんな再会の挨拶と握手から始まった

今日の『ふたり酒』。

 

今日の会場は、

 高麗房(こうらいぼう) 」 

 

埼玉県さいたま市大宮区北袋町

2-424

TEL: 048(647)1060

JR京浜東北線「さいたま新都心駅」

東口徒歩12分

 

1年前の直人との『ふたり酒』の会場。

「さいたま」が地元の

このブログ(12)章の私の主治医、

湯澤久徳先生が

Jリーグ「浦和レッズ」の

選手御用達の良い店があるからと

紹介してくれたお店。

私もとても気に入ったものの

立地面で残念ながらその時以来、

1年ぶりの入店。

今回も直人の宿泊ホテルの立地を考え

この「高麗房」をセット。

私自身とても楽しみにしていた。

 

     今日の逸品

最高級の部位「シャトーブリアン」

 

今一度、この店の紹介をすると 

埼玉の老舗焼き肉店。

創業時より一貫として

A5の国産牛を使用。

全国の和牛産地から熟練職人が

確かな目利きによって厳選した

その時々の最高の部位の

仕入れを行い、

全ての素材に一切妥協せず、

素材本来の味を最高の状態で

提供している。

住宅街に「ポツンと1軒」

落ち着いた雰囲気の店内は

全て完全個室。

プライベートな空間で

周りを気にせず楽しめる

『ふたり酒』には

もって来いのお店。

 

前述のように直人とは1年ぶり。

ただこの間にこんな出来事があった。

毎年年末に開催している

私のライフワーク

「日本赤十字社活動資金チャリティ」の

イベントに、

直人は昨年自身の

ユニフォームとキャップを

オークション用に提供してくれた。

実はこれには後日談があり、

それが最初に送られて来た時には

直人のサインが入っていなかった。

当日のオークションの落札者からすれば

サインの有無は全く価値が違う。

主催者としても

参加者に喜んでいただく為にも必須。

そこで私は、

「直人、サインが入っていないよ~。

 申し訳ないけど頼む!」

「スミマセン!分かりました。

 自宅の方へ送っていただけますか?

 すぐにサインをして

 送らせてもらいます。」

そして後日、

その送られてきた荷物の中には

サインのされたユニフォームと

キャップの他に、

奥方のお手紙と共に仙台銘菓、

更に仙台名物の牛タンシチューが。

いったいどちらが

お願い事をしている立場なのか(笑)

そんな出来事があった。

私はこの直人の奥方には

以前よりとても感心している。

直人との付き合いは15年になるが

以来こんにちまで、

互いに「季節の便り」の

やり取りをしている。

私が送らせていただいた時には

本人からの連絡とは別に

いつも必ず奥方から

事務的でない心温まるお礼状が届く。

中でも10年前、

私の家内が亡くなった時に

家内が大好物だった

山梨県の富士山麓、

「忍野村」で収穫された

匠こだわりの「トウモロコシ」を

送らせてもらった。

その時に私が添えた手紙に

「家内がこよなく愛した

 トウモロコシを…。」

という文を記したところ、

その1年後、

再び送らせていただいた時の

奥方からのお礼状には

「奥様がこよなく愛された

 トウモロコシを

 大切にいただきます。」

実は直人の奥方とはこれまで

一度もお会いしたことはなく、

当然、亡き家内とも面識はない。

そんな相手が書いた一文を

しっかりと記憶に残し、

1年後にそれを引用した文章の

お礼状を出す。

中々出来る事ではない。

それを読んだ時に私は

至極感動をした。

亡き母がよく言っていた

「亭主を生かすも殺すも女房次第」

しっかりと直人を立てている。

現代の若者の夫婦関係には

当てはまらないとは思うが(苦笑)

直人と私のお付き合いの信頼度が

より増すというもの。

余談だが、

直人の奥方の出身地は秋田県。

我が家の長男の嫁も

私の義兄の嫁も秋田県。

みんな「秋田おばこ」(笑)

私が現在の会社へ入社して

初めて担当した地方出張も

秋田県だった。

 

今日の『ふたり酒』。

「僕はホント『野球オタク』

 なんですよ。」

この自己分析に背くことなく

熱く野球を語る直人。

現在のチーム事情や

今後の自分自身について、

しっかりと分析をしたり

自分の考えを語る。

ただ彼の話を聞いていると

人をきちんと思いやり、

物事を客観的に見る事が出来る。

ふと、考えてみると、

現在私がお付き合いをしている

プロ野球人はみな、

このタイプが多い。

だから長いお付き合いが

出来るのかもしれない。

ただ、これまでには、

そんなタイプばかりではない。

既に「人間関係の卒業」をした

私からすると「勘違い」の

プロ野球人も何人か…。

(苦笑)

 

そして本日の結び、

このところ私が

プロ野球関係者に遊び心で聞く

「あなたが選ぶベストナイン」

直人にも聞いてみた。

 

すると直人は、

「萩原さん、僕は自分と

 一緒に戦ったチームメイトだけで

 選ばせてもらっても良いですか?

 もっとビッグネームや

 記録的には凄い選手が

 いるとは思いますが

 同じチーム内で

 普段の練習やゲーム前の準備、

 そんなチームメイトだけが知る

 選手のルーティンまで考慮した

 ベストナインを

 選んでみたいと思います。」

 

「直人らしい」と思った。

もちろん異論はない。

 

『渡辺直人監督が選ぶ

 チームメイトベストナイン』

 

投 手:岸 孝之    (楽天)

捕 手:嶋 基宏  (楽天)

一塁手:中村 剛也 (西武)

二塁手:藤田 一也 (横浜・楽天)

三塁手:中村 紀洋 (横浜)

遊撃手:小坂 誠  (楽天)

左翼手:栗山   巧   (西武)

中堅手:秋山 翔吾 (西武)

右翼手:鉄 平  (楽天)

D   H:山崎 武司 (楽天)

 

( )内の所属球団は

直人が所属した時期に

その選手とチームメイトだった

球団。

そして私の問いかけにはない

「DH」まで選出してくれた

(笑)

 

東北楽天ゴールデンイーグルス、

横浜DeNAベイスターズ、

埼玉西武ライオンズ、

そして再び楽天と

現役生活15年、

「松坂世代」の直人。

実はその間、

交換要員で破談にはなったが

オリックスバファローズが

横浜にいた当時の直人に

トレードを申し込んだ逸話がある。

(本人は知らなかったが・笑)

直人は所属したそれぞれの球団全てに

愛着を感じていると言う。

そんな3球団から選んだ

ベストナイン。

正直、私からすると

「えっ」と思う選手もいたが、

前出の和田一浩氏や相川亮二監督も

かつてのチームメイトを

何人か選んでいる。

極め付きは、

以前、西村徳文元監督に

同じ質問をした時、

「ピッチャーは伊良部秀輝ですね。

 (後のヤンキース他)

 僕のポジションはセンター、

 つまりピッチャーの真後ろから

 見た彼の球は、それは凄かった!

 あれだけのパワーピッチャーは

 そうはいません。

 味方で良かったと思いました。」

 

西村徳文氏が活躍した時代からして

当時のパ・リーグには

もっと大物投手が

いくらでもいたはず。

しかし同僚という立場から

身近に見て、

同じプロ野球選手としての凄さを

実感するのだろう。

私のような素人の選出とは

レベルが違う(笑)

今日も最後にベストナインで

盛り上がった『ふたり酒』。

直人は明日も千葉ロッテ戦。

今日もしっかり4時間、

「気合のガソリン」

たっぷり入れてもらった(笑)

(ハイボール9杯づつ)

今回もまた実に充実した

『ふたり酒』だった。

次回の舞台は直人の地元「仙台」、

そんな約束をして別れた。

 

【 追 記 】

(13) 渡辺直人監督 | 『ふたり酒』

 

【 こぼれ話  】

 

これまでこのブログの読者何人もから

こんな質問を受けています。

「お酒を呑みながらの会話、

 しかも長時間。

 お相手が話された内容、

 ベストナインや数字的な事まで

 相手が言った事を

 よく覚えていて書けるなぁ~と

 感心していますが、

 『ふたり酒』の最中に

 録音やメモを取られて

 いるのでしょうか?」

 

お答えします。

私はただの一度も録音やメモを

取ったことなどありません。

なぜならば、

私はこのブログを書く為に

『ふたり酒』をしているわけでは

ありません。

大切な方と「サシ」で向き合い、

美味しい酒肴を取りながら

熱く語り合うことが目的で、

その充実したひと時を、

又、相手が語った

私の心に強く残ったことを

差しさわりのない範囲で

ここに書き残したいという

想いからです。

つまりこのブログの公開は、

私に取って「後付け」。

ですから、2人の貴重な時間の最中に

「録音」や「メモ」などの

余計な行為は相手に失礼ですし、

私に取って意味のない事です。

 

と、かっこいい事を言いましたが、

3人以上で呑んだお酒の時には

覚えていない事が加齢からか?

多々あるようになりました(笑)

その違いはなぜか?

自分でも分かりません。

ただ言えることは、

私は老若男女問わず

『ふたり酒』が好きで、

3人以上でワイワイ呑む

「宴会酒」はあまり好みません(汗)

(私は3人以上で呑むお酒を

 「宴会酒」と称しています)

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月4日(月)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球3球団で、

フロントとして数々の実績を残した

瀬戸山隆三氏。

 

 

今日の会場は、

 

「金寿司」

東京都北区滝野川6-45-10

03(3916)0777

都営三田線「西巣鴨駅」徒歩7分

JR「板橋駅」徒歩10分

 

下町で創業75年の老舗寿司店。

扱う「まぐろ」は特に絶品で

女将が握る都内でも数少ない

江戸前寿司店。

瀬戸山氏と私の『ふたり酒』の

定例会場である。

 

改めて瀬戸山隆三氏の紹介を

してみたい。

1977年「スーパーダイエー」に入社、

食肉売り場を担当していた。

そのダイエーが1989年プロ野球球団

南海ホークスを買収、

水面下でその買収時の調査や

新球団立ち上げの

準備部門として新設された

神戸本店室課長に

中内 功 社長の命により

就任した事が、

瀬戸山隆三氏のその後の人生を

大きく変える。

「 スーパーに入社した私が

  後にプロ野球球団の

  経営に携わるなどとは

  思ってもみなかった(笑)」

南海ホークスを買収したダイエーは

それまでの本拠地大阪から

福岡へ球団を移転させた。

「福岡ダイエーホークス」の

誕生である。

当時の福岡は西鉄ライオンズが

球団を売却した後、

いくつかのスポンサーを経て

西武が買収、

西武ライオンズとして

本拠地を埼玉県所沢へ移したものの

それでも西鉄ライオンズ以外は

受け付けない絶対的なファンが

福岡には根強く残っていた。

その福岡の地で瀬戸山氏は

右も左も分からない中で

スポンサーやファン作りに遁走、

しかも観客が足を運ぶ球場は、

(当時:福岡ドーム)

市内とはかけ離れた海岸の埋立地。

しかしその地道な努力は花を咲かせ、

地元福岡でのファンをつかみ

スタジアムの観客は連日満員、

瀬戸山隆三氏のその手腕は

誰もが知る大きな功績として

今も尚、プロ野球界の語り草に

なっている。

その後瀬戸山氏は2004年に移籍した

 千葉ロッテマリーンズの本拠地

 千葉マリンスタジアムでも

球団代表、球団社長として

同様の功績を残し、

ロッテ球団31年ぶりの日本一にも

貢献。

その後はオリックスバファローズでも

執行役員球団本部長として

球団運営に当たっている。

福岡ダイエーホークス、

千葉ロッテマリーンズ、

そしてオリックスバファローズと

3球団で球団代表や球団社長として

球団経営に携わってきた瀬戸山氏は、

(実は阪神タイガースからの勧誘も)

プロ野球球団の常道である

親会社から派遣された、

「球団経営の素人」とは違い

百戦錬磨の球団経営者である。

そして何と言っても1995年、

それまでパ・リーグに

見向きもしなかったあの「世界の王」を

(現福岡ソフトバンクホークス

 王貞治会長)

時間をかけ、「お百度参り」の末、

ホークス球団に招聘し、

入団にこぎつけた事は

その後のプロ野球界の歴史を

大きく変える事になる。

 

2004年の「プロ野球再編問題」。

当時、経営者側実行委員会の

選手関係委員長をしていた瀬戸山氏が

選手側の代表である

プロ野球選手会古田敦也会長との

(当時東京ヤクルトスワローズ)

交渉後に求めた握手を拒否された一幕は

当時、小学生に真似されたほど

今も尚、多くの人が目に浮かぶ

光景と思う。

 

その瀬戸山隆三氏と私の出逢いは、

遡る事24年前、

2002年6月8日。

私が46歳の時に人生初の

仲人を務めた結婚披露宴の席だった。

それは某幕内力士の結婚披露宴で

その力士の師匠は、

七代目高砂浦五郎親方。

(元大関・朝潮)

当時、家族ぐるみの付き合いをしていた

私と同い年の高砂親方は、

私がこの力士の四股名の

名付けでもあった事から

「ハギさん、こいつの仲人を

 してもらえませんか?」

と、依頼して来た。

しかしながら天下の幕内力士の仲人は

どれだけ社会的地位のある後援者が

やるものか、

父の影響で子供の頃から

大相撲の世界と接して来た私には

充分過ぎるほど分かっている。

私では役不足、分不相応だと

最後の最後まで親方にお断りをした。

最後には、

「 私なんかが仲人を務めたら

  親方が笑われますよ!」

そこまで言うも親方は譲らない。

元来、後援者を持ち上げるような

忖度が大の苦手で

形式などにもこだわらない

失礼ながら何事にも

良し悪しは別にアバウトな親方(笑)

押し問答の繰り返しで

話は前に進まなかった。

そこで私は、我が子のように

可愛がっていただいた

今は亡き五代目の高砂浦五郎親方。

(第46代横綱朝潮)

その女将さんに相談をした。

女将さんにはこんにちでも、

相撲界に関する事で困った時には

いつも相談に乗ってもらっている。

 

「 お引き受けになったらいかが?

  社長がそんなに心配するなら

  当日、仲人としてのご挨拶を

  バッチリ決める事よ(笑)」

背中を押された。

 

46歳という若さで人生初の仲人、

しかも招待客は460名という

それは大規模な結婚披露宴だった。

その中で私がさせていただいた

スピーチの内容は…、

何度も親方にお断りした末、

お引き受けした身分不相応な

大役であるという招待客への

了承に始まり、

父の影響で40年近く

接して来た大相撲界と私の

これまでの歴史。

更に父から学んだ

その角界とのお付き合いの仕方。

そして結びは慣例の新郎新婦の

プロフィールと馴れ初め、

私から二人への励まし。

約15分間のそのスピーチを

一切原稿など見ることなく話した。

私からすると

招待客になめられたくないという意地と

私に依頼した高砂親方に

恥をかかせたくない

そんな一心からだった。

ご歓談の宴が始まり、

我々が座る高砂の席に

すぐにご挨拶に見えられたのが

「福岡ダイエーホークス 

 常務取締役球団代表」

その肩書の名刺を出された

瀬戸山隆三氏だった。

「お仲人さん、本日はご苦労様です。

 ご挨拶に感動しました!」

瀬戸山氏は面識のない私に

お酌をしながらそう言った。

短い会話ではあったが、

私が千葉ロッテマリーンズと

関りがあると知ると

後日、福岡ドームで開催される

対千葉ロッテマリーンズ戦に

2泊3日で福岡へご招待いただき、

野球観戦はVIPルーム、

試合後は福岡最大の繁華街「中州」へ、

宿泊は球団関連のシーホークホテル、

(現在のホテルジャルシティ福岡)

帰京の際にはお土産に

ホークス球団のスポンサーでもある

丸一食品の「明太子」を

持ちきれないほど持たせてくれた。

以来24年間、

良きお付き合いが続いている。

ちょっと余談だが、

「感動した」と言えば…。

披露宴が終わり、

金屏風の前での招待客の送賓時、

憧れの北の富士勝昭さんが

「 仲人さん、

  ご挨拶に感動しましたよ!」

この日の結婚式までの準備期間中、

親方夫妻と新郎新婦の間に入り

色々大変な思いや

屈辱的な思いもしたが

そのもやもやが

一気に晴れた瞬間だった。

仲人を務めたこの力士とは

残念ながらその後、

「人間関係の卒業」をしたので、

名前は控えさせていただく。

 

この時がきっかけで

お付き合いが始まった瀬戸山氏だが、

その2年後の2004年、

ホークス球団を退団し、

当時私がどっぷりと浸かっていた

千葉ロッテマリーンズへ球団代表

(その後社長)として

移籍して来られた時には

天と地がひっくり返るほど驚いた。

更にその在任中の2010年、

私の長年の夢、

悲願の「西村徳文監督」の誕生は

瀬戸山氏なくしてありえなかった。

又、その翌年の2011年には

私の出身大学千葉商科大学の

「スポーツビジネス」の科目で

客員教授として教壇に立たれたり

関西出身の瀬戸山氏が

私の生まれ育ちの東京都北区へ

(駅で一つ違い)

引っ越しして来られた。

ここまで来ると、

それこそ俗にいう

前世からの「赤い糸」

結ばれていたとしか思えない

実に不思議な縁だと思っている。

現在はプロ野球界を離れ、

いくつかの会社の顧問として

活躍する瀬戸山氏だが、

再びプロ野球界と関わる話も

来ていると聞く。

こうして定期的に『ふたり酒』をして

互いの人脈に頼った

相談を持ちかけながら

交流を温めている。

 

既に時効だが、

瀬戸山氏にはプロ野球界在籍中、

私が付き合いのある関係者の

コーチ人事や戦力外選手の

再雇用でもお世話になっている。

中でも2010年9月14日。

瀬戸山氏が千葉ロッテマリーンズの

球団社長時代、

千葉マリンスタジアムでの

対福岡ソフトバンクホークス戦で

私が「始球式」を仰せつかった事は

最大の想い出であり、

小学6年生の卒業アルバムに、

「将来はプロ野球選手になりたい」

そんな想いを綴った私からすると

まさかプロ野球公式戦の

マウンドに立つという

信じられない夢のような出来事も

経験させてもらった。

 

              夢の始球式

写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団

 

今日の『ふたり酒』。

互いの近況報告や思い出話しの中で、

私は改めて聞いてみた。

「30年のプロ野球球団経営者として、

 してやったりの出来事は

 なんだったでしょう?」

すると瀬戸山氏は、

「そうですね。

 時系列で話すと、

 まずは南海ホークスの買収時、

 何としても自身の出身地『神戸』を

 新本拠地にしたい中内功社長を

 ビジネス面の事を考えると、

 福岡がベストと1年がかりで説得。

 それが実現して、

 更にそれがその後のプロ野球界の

 フランチャイズモデルになった事。

 そして世界の王さんを

 球団に招聘できた事。

 それまでパ・リーグには全く関心を

 寄せなかった方ですから、

 それは時間がかかりました。

 あとは球界再編の時ですかね。

 球団を合併させ1リーグにという

 オーナー側と、ストライキまでして

 それを阻止しようとした選手会。

 私が選手関係委員長として間に入り、

 2リーグ存続という元のさやへ

 納めた時には正直ホッとしました。

 千葉ロッテマリーンズ時代は、

 球場の土地、球場本体、球団と

 それぞれ所有者が異なる

 複雑な関係を球場と球団を

 一体化させた事は大変でしたが、

 それにより球団経営が一気に

 上向きましたから。

 球場は球団が所有しないと

 球団経営は厳しい。

 これまでほとんどの球場が

 球団の持ち物ではなく、

 あのジャイアンツでさえ

 東京ドームは自己所有では

 ありませんからね。」

 

我々が時に驚き、

時に何となく見て来た

この数々の出来事は、

瀬戸山隆三がプロ野球界に残した

また球界の歴史そのものを変えた

大きな出来事に他ならない。

 

「もう1杯吞みましょうか?」

二人にとって、

いつも最後のはずの1杯が

最後でなくなる(笑)

 

更に私は遊び心で

こんな質問をぶつけてみた。

それは…。

通常の「ベストナイン」という

選手のプレーの技量から選出する

ベストナインではなく

プロ野球3球団で30年間

フロント(球団代表や社長)として、

更にパリーグ理事長や

選手関係委員長なども歴任し、

多くの選手と契約交渉などでも

接して来た瀬戸山氏に

何か特別なエピソードがあった選手や

「人格者」というような角度からの

独断と偏見のベストナインを

選出してもらった。

題して、

「瀬戸山隆三思い出のベストナイン」

(笑)

 

投 手:渡辺 俊介

       (千葉ロッテマリーンズ)

捕 手:的場 直樹

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

一塁手:中島 裕之

       (オリックスバファローズ)

二塁手:井口 資仁

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

三塁手:小久保裕紀

       (福岡ダイエーホークス)

遊撃手:小坂 誠

       (千葉ロッテマリーンズ)

左翼手:村松 有人

       (福岡ダイエーホークス)

中堅手:秋山 幸二

       (福岡ダイエーホークス)

右翼手:糸井 嘉男

       (オリックスバファローズ)

 

※ ( )内の所属球団は

   瀬戸山氏が在籍して

  その選手と交流があった球団

 

実はこのラインナップ、

瀬戸山氏が企てたトレードに

関わった選手がほとんど(笑)

私は後でそれに気付いた。

トレードは双方の選手のみならず、

企てたフロントにも

色々な思いが残っているのだろう。

 

今度は瀬戸山氏自ら、

「更に私の方から付け加えると

 コーチでは福岡ダイエー、

    千葉ロッテ、 オリックスで

 一緒にやった高橋慶彦。

 彼は私の方針を忠実に

 実行してくれた男で

 私としては監督にしたかった男です。

 監督は、福岡ダイエーで共に戦った

 根本陸夫さんですかね。

 私は8人の監督と一緒にしましたが、

 私にプロ野球のいろはを教えてくれた

 『球界の寝業師』、大恩人です。

 (笑)」

 

話は尽きなかった。

そして今日もまた、

我が家で待つ私の娘にと

お寿司のお土産を持たせてくれた

瀬戸山隆三氏。

24年前、

私が止む無く引き受けた仲人、

仮に引き受けなかったら

瀬戸山氏と知り合う事は

まずなかっただろう…。

当時は色々問題もあったが

それを考えると

引き受けて良かったと

今は心からそう思っている。

人と人の出逢いや縁は

実に面白い。

 

いや、

引き受ける引き受けない以前に

私を指名をしてくれた

今は亡き大ちゃんこと元大関朝潮

七代目の高砂浦五郎親方に

感謝するべきだろう。

(合 掌)

 

【 追 記 】

 

瀬戸山隆三氏の著書

「裏方力」(うらかたりょく)

 

 

中々知られていない

プロ野球界の裏事情や

そこでの瀬戸山氏の歩み。

プロ野球ファンなら必見!

是非、読んでみてください。