「この人と出逢えて
本当に良かった!」
そんな方とは極力
ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、
美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、
充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。
お付き合いください。
12月3日(水)。
今日の私の『ふたり酒』の相手は、
プロ野球・福岡ソフトバンクホークス
バッテリーコーチ
清水 将海氏。
清水将海氏は、
1996年のドラフト会議で
千葉ロッテマリーンズから
1位指名(逆指名)を受け入団。
その年は彼の出身、
青山学院大学から3人が
1位指名という快挙だった。
(ダイエーホークスへ井口資仁
・広島カープへ澤崎俊和)
当時の青学の強さがうかがえる。
翌年4月5日の開幕戦で
新人キャッチャーとして
史上8人目のスタメン出場、
エース小宮山 悟
(現早稲田大学野球部監督)
とバッテリーを組み
完封勝利を挙げ、
打っては史上12人目の
ルーキー本塁打を放つなど
最高のスタートを切った。
その後2004年に
中日ドラゴンズへ移籍
2010年には
福岡ソフトバンクホークスへ
移籍して、2011年に
現役を引退している。
引退後はソフトバンクの
バッテリーコーチに就任、
その時代に育てたのが
あの「甲斐キャノン」こと、
甲斐拓也捕手
(現読売ジャイアンツ)である。
2018年からは
青山学院大学時代の同級生、
井口資仁氏が千葉ロッテマリーンズの
監督に就任した事から
同球団へバッテリーコーチとして
移籍。
高卒新人の松川虎生を育てている。
2023年からは、
ソフトバンクへ復帰、
現在は三軍バッテリーコーチとして
若手捕手の育成に当たっている。
私との付き合いは23年。
この「23年」というのは、
彼がその都度その年数を
記憶していて私に言う。
自他ともに認める記憶力の良い私、
しかし彼のそれは私を上回る。
キャッチャ-という職業柄か?
今日の『ふたり酒』の会場は、
浅草ビューホテル
東京都台東区西浅草3-17-1
TEL: 03(3847)1111
つくばエクスプレス「浅草駅」直結
東京メトロ銀座線「田原町駅」
徒歩7分
(1階) THE LOBBY BAL
開放的な空間でカジュアルに楽しめる。
バリエーション豊かなドリンクと
冷菜からお食事・デザートまで
取り揃えたオールラウンドな
大人の空間。
(28階)THE TOP BAL 華美(Hanabi)
浅草の粋と東京の輝きが響き合う
バーラウンジ。
東京スカイツリーが望む
バーカウンターでは
お酒の知識が豊富なバーテンダーが
特別な時間を提供、
古き良き日本の魅力を一望しながら
静かに刻む至福のひとときを
過ごせる。
清水将海氏(以下将海)を
前述の23年前まで、
私は全く良く思っていなかった。
当時の私は千葉ロッテマリ-ンズに
どっぷりと浸かっていたので(笑)
1軍2軍のコ-チや選手とは
ほとんど面識があった。
それは2000年から
2005年までの6年間
毎年12月にマリーンズのコーチや
選手に参加してもらい、
『萩原杯マリーンズゴルフ』という
チャリテイゴルフコンペを
開催していた。
一般人3人の中にコーチ、
あるいは選手に
1人入ってもらいプレーする。
コンペ前日には、
ゴルフ場に隣接したホテルに宿泊、
「前夜祭」と称し、
コ-チや選手と飲食、
更に二次会を共にするという
一般参加者(私の友人に限定)に
大変好評な会で、
千葉ロッテマリーンズの優勝を願う
激励が目的だった。
(2005年に31年ぶり日本一に
輝いた年を最後とした)
その会に大きく尽力してくれたのが
当時の西村徳文外野守備走塁コ-チ
(後の監督)で、
マリーンズ関係者の人選は
全て西村コーチに任せていた。
私はこのゴルフ会のおかげで
コーチや選手とそれは親しくなった。
その第2回目の2001年、
初めて参加した将海。
彼は前日を含め2日間、
主催者である私に
挨拶一つなかった。
更にその翌シ-ズン、
試合前のベンチや通路で会っても、
「先日はありがとうございました。」
でもなければ
「こんちは」の挨拶すらない。
(この世界は通常、関係者しか
立ち入り出来ない場所にいる人には
知り合いでなくとも
挨拶をするのが慣例。)
ドラフト1位で入団したからか?
「なまいきな奴だなぁ」と
いささか堪忍袋の緒が切れた私は、
そのシ-ズンオフに
次回のゴルフ会の打合せを
西村コ-チとしている時に、
「清水将海には
声をかけないでくれ!」
とまで言った。
事のあらましを聞いた西村コ-チは、
首をかしげながら私に。
「そんな奴じゃないですけどね…。
そんな奴だったら萩原さんに
紹介なんかしませんよ。」
確かに西村コーチと私の
それまでの長い付き合いの中で
1度たりとも私の気分が
悪くなるような選手を
紹介されたことなどなく、
むしろ彼が性格的に問題あり
と思う選手は、
最初から私には
紹介してこなかった。
私はその年、
「もう1回だけ」と、
将海の参加を自分自身の中で
容認した。
そして将海が2回目の参加となった
「前夜祭」後、
ホテル内で行われた二次会のスナックで
意識的に彼の隣に座ってみた。
始めはギクシャクした
当たり障りのない会話をしていたが、
会話の中で私が親しくしている
当時、福岡ダイエ-ホ-クスの
石川晃スカウト(ブログ第20章)
の名前が出た。
石川氏は将海の学生時代にも
近づいてきたという。
私はその場からすぐに
石川氏へ連絡を入れ、
将海に電話を代わった。
それがきっかけで
将海と私は急接近。
以来、コンスタントに
『ふたり酒』をする仲となった。
それは将海の移籍先の
名古屋でも福岡でも…。
私の出張と彼のスケジュ-ルを
すり合わせて。
特に私の家内は
将海をとてもかわいがり、
将海の家族を我が家へ
招待したほど。
人の付き合いとは本当に面白い。
何がきっかけで
入魂の繋がりになるかわからない。
このように人と人は、
最初から順調に長い付き合いに
なる人ばかりではない。
ただ、この将海の時のように
私が自分の方から
歩み寄らなければ
こんにちのような付き合いには
ならなかったと思う。
『以心伝心』、
相手もこちらを良くは思って
いないわけだから…(苦笑)。
後に将海は、
「僕は本当に人見知りで
駄目なんですよ!
特に萩原さんのように
物事を仕切っているような
積極的な人は尚更なんです…。
萩原さんとこのように
親しくさせてもらうなんて
あの頃を思い出すと
考えられませんよ(笑)」
( 因みに彼の奥方は
とても社交性のある
明るい人。
バランスが取れている・笑)
以来、私はなんとなく
ギクシャクした関係の人とは
一度は自ら歩み寄り、
声をかけるように心がけている。
事実、その後も何人か
当初ギクシャクした関係が
後に良好な関係になっている。
清水将海は、
このように
「人への歩み寄り」を
私に教えてくれた。
今日の『ふたり酒』も
ホテル内を2軒はしご。
若手選手の教育の難しさ、
家族のこと等々…。
話題は尽きなかった。
今から約15年前
平成23年3月11日、
「東日本大震災」。
「 大丈夫ですか?
何もなかったですか?」
単身赴任先の福岡から
私の安否を気遣い、
最初に電話をくれたのは
将海だった。
「自分が変わらなければ
何も変わらない。」

12年前の『ふたり酒』
2013年10月15日 於:福岡・ 中州
















