『ふたり酒』

『ふたり酒』

「この人と出逢えて本当に良かった!」。
そんな方とは、極力ふたりきりでお会いして、
会場にこだわり、美味しい酒肴を共にして、
熱く語り合い、充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月12日(木)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・横浜DeNAベイスターズ 

相川亮二監督。

昨年8月6日、

このブログの第(16)章で

「相川亮二コーチ」として綴り

今回、2回目のゲスト。

 

その前回のブログの文末で私は、

「横浜、ヤクルト、ジャイアンツと

 セ・リーグの在京3チームでプレー、

 五輪、WBCと国際試合も経験、

 指導者としてもジャイアンツ、

 そして横浜。

 現在の横浜DeNAベイスターズでは、

 三浦大輔監督の片腕として、

 ヘッド格のコーチ。

 そんな豊富な経験を持ち

 上からはかわいがられ、

 下からは慕われる

 そんな相川亮二の監督就任を

 私は強く願っている。」

と結んでいる。

そしてこの2ケ月後、

私の悲願である

「相川亮二監督」が

誕生した。

 

相川亮二氏(以下亮二)との出逢いは

今から17年前、

2009年5月16日(下記写真)。

神宮球場での阪神タイガース対

東京ヤクルトスワローズの試合後、

スワローズの宮本慎也選手と亮二、

そして当時は、

阪神タイガースに在籍していた

新井貴浩選手と私の4人で、

赤坂の焼き肉店で食事をした時が

最初だった。

 

      【 17年前  】

写真左より相川亮二、新井貴浩、

宮本慎也、私

(以下、全て敬称略)

 

私も若いが、みんな実に若い(笑)

この中から監督が2人誕生、

宮本慎也監督が実現したあかつきには

パーフェクト。

この写真は更に価値あるものになる。

 

前述のように

アテネ五輪でチームメイトだった

和田一浩(当時西武ライオンズ)は

「亮二は熱くていい奴です!

 萩原さんが絶対に気に入る奴です。

 是非、紹介させてください!」

その後、スワローズで

チームメイトになった

宮本慎也は、

「今度、亮二も食事に誘いますよ。」

阪神タイガースの新井貴浩からも

(現広島東洋カープ監督)

「亮二とは同い年なんですよ。

 一度、3人で食事でも

 したいですね。」

まるで「三処攻め」のように

(笑)

そんな相川亮二と私は、

赤い糸で結ばれていたのかも

しれない。

 

その亮二と

この赤坂での初対面の後、

当時のブログに私は

次のように綴っている。

「相川亮二選手は、

 評判通りの男であった。
 目の前にいる初対面の私の

 アルコールが入ったグラスや

 食べ物のお皿の空き加減を

 常に気遣いながら食事や

 会話をする。
 謙虚な『ナイスガイ』で、

 野球を熱く語る男だった。」
 

その出逢いをきっかけに、

亮二は一人でも我が家へ

来るようになった。

これまで数多くのプロ野球選手が

我が家に出入りして来たが、

亮二の人柄に

「 相川さん、うちの娘を

     もらってくれないかなぁ。」

家内に唯一、

そんなセリフを言わした男である。

 

当時、毎年12月に私が開催していた

「萩原杯チャリティゴルフ」にも

出逢った年から欠かさず

参加してくれた。

またその間、

ジャイアンツにFA移籍した時も

引退を決めた時も

ジャイアンツやベイスターズに

コーチで呼ばれた時も

必ず報道で公開される前に

連絡をくれる義理堅い男で

それはもちろん

今回の監督就任の際も

同様だった。

 

亮二と『ふたり酒』をすると

野球談議よりも

むしろ一般的な話題の方が多い。

それは彼が一般的感覚を

身につけているからだと思う。

数年前、

今の奥さんと

お付き合いが始まった当初、

「 萩原さん、一度会って

     もらえますか?」

「 おい亮二、もし俺が会って

     付き合い止めた方がいいよ、

 と言ったら、

    別れるのか(笑)」

そんな軽口を聞いた後、

2度ほど3人で食事をしたが

とても感性豊かな女性だった。

 前言撤回!

そしてそれから約2年後、

ほろ酔い加減の私のもとに

「今日、入籍をしました。」

元旦早々、

めでたい報告があった。

 

前置きが大変長くなったが、

昨年10月、

横浜DeNAベイスターズの

新監督に就任以来、

「お祝いさせてもらわないとね。」

ところが新監督、

多忙に多忙を極め、

5ケ月遅れの今日やっと

お祝いの『ふたり酒』。

話はそれるが昨年12月20日、

私が開催したチャリティパーティでは、

急遽球団のスタッフミーテイングが

入ったにもかかわらず

ミーテイング会場の横浜とは

反対方向のパーティ会場に

貴重なチャリテイグッズを持参して

30分だけ顔を出してくれた。

私の顔が立った事は言うまでもない。

 

さて、今日の『ふたり酒』の会場は

このブログで既に何度も登場している

私の推し

鮨割烹「ひら川」。

 

 

以前、このブログを見た亮二から

「僕も行ってみたいです。」

そんな経緯もあったので、

その時から私の中で

お祝いは「ここ」と決めていた。

この日は横浜スタジアムで

オープン戦のデーゲーム。

試合後、横浜から遠路

都内の湯島まで足を運んで

『ふたり酒』。

明日も予定が入っている中、

しっかり4時間、

大いに飲み、かつ語った。

監督業のやりがいや

シンドイ部分等の野球談議。

彼の話は昔から

泣き言や愚痴、言い訳が

一切ないので

快く受け止める事ができる。

(個室から漏れた会話に

 店主曰く「相川さんの声

 の方が多く聞こえました」

(笑) 

そんな亮二が突然、

何を言うかと思いしや…、

「 しかし萩原さん、

  どんなに疲れていても

  どんなに嫌な事があっても

  家に帰り、

  娘の顔を見れば

  全て吹っ飛びますよ(笑)」

 

昨年6月に生まれたばかりの

「 陽和(ようわ) 」ちゃん。

可愛くて可愛くて

しょうがないようだ(笑)

そこで私から大きなお世話の一言、

「 一人っ子はかわいそうだから

 最低もう一人頑張れ!(笑)」

「 ハイ!」

この返事が今日の会話の中で

一番大きな声だった(笑)

 

来る3月27日〈金)。

監督初出陣の開幕ゲーム、

残念ながら所用と重なり

私は行くことが出来ないが、

「 今シーズンは是非、

 横浜スタジアムに

 来てください!」

「 監督ストレスがたまったら

  また『ふたり酒』をしょう!」

そんな約束をして別れた。

 

新監督としてこれから始まる

長いレギュラーシーズン、

これまでとは立場も環境も変わり、

様々な想定外の出来事が

次から次へと起こることとは思うが

「 総理大臣とプロ野球の監督、

  3日やったら辞められない 」

互いに新任同期生、

高市早苗総理と共に(笑)

やりがいを感じて

ファンや国民のために

是非、頑張ってほしい!

そして亮二においては、

ポストシーズンも

是非、私を楽しませてもらいたい。

 

この出逢いに導いてくれた

宮本慎也氏と和田一浩氏には

心より感謝を申し上げたい。

 

【 追 伸 】

昨今私が、

プロ野球関係者と

食事をした時に、

遊び心で必ず聞く

「あなたが選ぶベストナイン」。

その条件は、

自分が現役時代の

チームメイトを含めた

当時現役で活躍していた選手。

 

今日も亮二に聞いてみた。

「  外国人も入れて良いですか?」

そのように付け加えた

『 相川亮二監督が選ぶ

  ベストナイン 』

 

投 手:上原 浩治

捕 手:城島 健司

一塁手:タイロン  ウッズ

二塁手:井口 資仁

三塁手:村田 修一

遊撃手:宮本 慎也

左翼手:ウラディミール   

                     バレンティン

中堅手:多村 仁志

右翼手:福留 孝介

 

べんちゃん(和田一浩氏)と

ほぼ同時代にプレーしている亮二、

にもかかわらず同じ選手の選出は

上原浩治と井口資仁の二人だけ。

見る角度が異なると

このように違いも…。

面白いものである。

 

 

 

2013年。

第3回WBC出場の時に使用した

「侍JAPANのジャンパー」

「侍JAPANのキャップ」

「キャッチャーミット」

そして記念に公式ボールを

大会直後、

我が家に届けてくれた。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

       WBC日韓戦を観戦

 

3月7日(土)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

澤ちゃんこと 

恵比寿化成(株)澤村 太郎社長。

このブログ、(11)章に続き

2回目のゲスト。

 

 澤ちゃんとは、

私の出身大学の先輩が

かつて主宰していた

異業種交流会で出逢い、

以来25年を超えるお付き合い。

 

この間、

「月例会」と称して月に一度、

互いの行きつけの店を

交互に設営する『ふたり酒』や

かつて弊社が

「イベント企画制作部」を

営んでいた時代、

私どもの主催イベントへ

参加者動員や協賛をしてくれた。

また澤ちゃんの会社の

忘年会の設営や

社内旅行における余興手配などの

お手伝いもさせてもらった。

中でも最大の出来事は15年前、

澤ちゃんのお父様である

先代社長の「お別れの会」

東京と大阪で、

弊社がプロデュースさせて

いただいた事である。

 

今日の『ふたり酒』の会場は、

「東京ドーム」。

 

東京都文京区後楽にある

1988年に開場した

日本初のドーム球場。

ご存じ読売ジャイアンツが

専用球場にしている。

 

このブログ『ふたり酒』

始まって以来初の店外(笑)

 

実は来週「古希」を迎える

私のお祝いに、

本日のWBC 韓 国 V S 日 本 戦の

内野 指定席 S に

ご招待いただいた。

 

WBCのチケットといえば、

私は3年前の前回大会の時、

大谷翔平ファンの娘にせがまれ、

私が持つプロ野球界の

ありとあらゆる人脈を頼っても

手にすることはできなかった。

最後は強力な某関係者から

コミッショナーにまで

連絡を取っていただいたにも

関わらず…。

その私の中で出した結論は

全ては抽選という「フェアな形」、

それがWBCのチケットだと

解釈していた。

 

澤ちゃんは、

両面粘着テープの加工販売をする

恵比寿化成(株)の二代目社長。

その恵比寿化成さんは

これまで継続して

東京ドームに広告を出している。

 

レフトスタンドの最もポール寄り

 

そんな関係から

プロ野球関係者でも入手できない

このプラチナチケットを

手にする事ができるようだ。

そうか…、そういう事か…。

 

それにしても

そのゲームの同伴者に

私を選んでいただいた事が

とてもうれしかった。

実はこの日、

既に15時から別の場所で

お祝いの『ふたり酒』の

ご招待を受け、

二次会の会場が、

この東京ドーム(笑)

しかもプールCの

1次ラウンドで最も人気の高い

韓国戦。

 

試合は期待に背くことなく

接戦の好ゲーム。

3点先制された日本は、

鈴木誠也の2ランで

追い上げののろし、

3回には大谷翔平の同点ソロ、

鈴木誠也の一時勝ち越しソロ、

さらに吉田正尚にも

ソロが飛び出し、

メジャーリーガーパワーを

見せつけた。

「天下無双打線」が爆発。

8対6で勝利を収めた

素晴らしいゲームだった。

前述のように

ただでさえ貴重な

WBCの戦いを

観戦できるだけでも。

しかも韓国戦。

更にこれだけ中身の濃い

「ナイスゲーム」。

プロ野球観戦歴60数年、

忘れる事の出来ない

「野球観戦」になった。

 

この恵比寿化成さんの

東京ドームの宣伝看板と言えば、

面白い話しがある。

 

   2020年の第1号 看板

 

この看板が最初に設置されたシーズン、

現在の横浜DeNAベイスターズの

相川亮二監督は(以下亮二)

当時ジャイアンツに在籍、

バッテリーコーチを務めていた。

私は亮二に、

「レフトスタンドの

 一番左にある柱に

 広告を出している会社、

 私の友人の会社なんだよ。

 その社長が、

 『ホームランボールを

 あの柱に当てた選手に

 ポケットマネーで

 賞金を出す』

 それを相川さんに

 伝えてほしいと

 言ってたよ(笑)」

 

亮二がそれをジャイアンツの

選手たちに言ったかどうかは

定かではないが、

そんなやりとりがあった。

 

今回も「美酒美肴」

すっかり酔いしれ

充実した『ふたり酒』だった。

 

15年前のお父様の

「お別れの会」において、

ご自分の想いを

具現化できた事を

いつまでもいつまでも

私に感謝して、

事あるごとに

それを話題にする澤ちゃん。

この事に限らず、

彼の話題には、

「以前、お世話になった」

という昔の出来事を

しっかりと自分の中に残し、

その人に対する「感謝」を

けして忘れず恩返しをする。

世の中、

言葉で「感謝」「感謝」と

言う人多かれど、

これほど「重みのある感謝」

実行に移せる人もそうはいない。

そんな彼を

見習わなくてはいけないと

私は常々思っている。

 

古希を迎えても

亡き父が私に残してくれた

「まだ足りぬ学べ学べとあの世まで」

生涯「学び」を忘れてはならないと

心している。

 

【 追 伸:1 】

翌日8日の対オーストラリア戦の

「天覧試合」、

この日の澤ちゃんは

「エキサイトシート」で

(グラウンドの最前列に位置する特別席)

連日の観戦と聞き、

「グッドショットの写メを是非!」

 

頼んで送られてきたその写メは…。

 

選手目線のエキサイトシートから

2塁ランナーに出た大谷翔平選手と

その後ろには「恵比寿化成」の

広告!

会社の社員たちも誇れる

「グッドショット」に違いない。

 

【 追 伸:2 】

そして日を改め、

澤ちゃんからの紹介で知り合い

20年を超えるお付き合いの

木山徹志社長と林雅俊社長、

その3人がサプライズで

ゴルフ帰りに

私の「古希祝い」の食事会を

開催してくれた。

 

 

そこでサプライズが!

 

 

私の写真入り「掛け時計」を

記念に頂戴した。

このパネルに書かれた文字「感謝」は、

むしろ私からお三方へ

「重みのある感謝」

しなければいけないと

思っている。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月6日(金)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

造園業『雪花園(せっかえん)」の代表

田中一光氏。

 

田中一光氏(以下、一光さん)

との出逢い、

そしてこれまで続く

32年のお付き合いは

私の中でしっかりと

その足跡を残している。

一光さんを一言で言ってしまえば、

「我が家の庭を剪定(手入れ)

 していただいた庭師さん」

という事になるのだろうが、

そんな一言ではとても片づけられない

多岐に渡る中身の濃い

長いお付き合いが今も尚続く。

振り返ってみると、

当初は利害関係で

始まったお付き合いには違いないが、

いつの日かそれを超越した関係となり、

利害関係が全くなくなった現在でも

そのお付き合いは続き、

今では逆に様々な面で

私がお世話になっている。

 

今日の会場は、

居酒屋「もみじ」

埼玉県川口市新井宿47

048(242)3858

埼玉高速鉄道「新井宿駅」

2番口下車徒歩5分

定休日:日祝・月曜・火曜

 

 

住宅街にポツンと1軒、

地元に根付き、愛されるお店。

その隠れ家的なお店は、

席も広く、落ち着いた空間だ。

「人生を大切にする方が集う

 大人の居酒屋」

ママの目指すものだそうだ。

なるほど、昭和の音楽が流れ、

そんな雰囲気が漂う。

実はこの七瀬怜子ママの本業は

コンパニオンクラブ

「オフィスパピヨン」

のオーナー。

 

一光さんのお住まいは

ここから歩いても15分ほどの

日本の植木の街として

400年以上の歴史を持つ

「安行(あんぎょう)」地区の赤山。

一光さんとの『ふたり酒』は

毎回このお店に

私が東京から出向き、

終電を気にしながら呑む(笑)

 

そんな一光さんとの

出逢いのストーリー。

それは出逢う前年の

1993年8月。

私は父の主治医に呼ばれ

父に肝臓がんが発見され、

「余命2年」という

ショッキングな宣告を受けた。

本人には最後まで隠し通したのだが、

その間の私は、

仕事に於いて父が知っていて

私が知らない事がないように、

色々聞き出したり、

最後の親孝行と、

父が現在一番望む事を

母に聞き出してもらったり…。

とにかく本人に余命の事は

一切隠しているのだから

何を聞き出すにも一苦労、

今思い出してもそれは

「至難の業」だった。

そしてその父が望んだこと

それは、

「重睦(私)が建てた家で同居したい」

という事だった。

 

私は早速、

当時両親の家と私の家族の家、

その2軒が並び立つ敷地内の

両方の家を取り壊し、

新たに両親との同居の家を

建築する計画を進めた。

当時37歳、

金融機関から借り入れをして

建設するにあたり、

その返済原資を確実なものに

しなくてはならない。

そこで、これまで父が

長年こだわってきた庭を崩し、

そのスペースに

6台の車が配置できる駐車場を作り、

その賃貸収入を

返済の一部に充てる計画をした。

それまでの約20年、

庭の手入れをしてくれていたのは

高校時代の親友(造園屋さん)。

今後、その付き合いがなくなる

という事を告げる時には

断腸の思いだった…。

ところがそのお断りした後、

建築設計士は、

「全て無くすことはない。

 駐車スペースの周りだけでも

 緑が欲しいですね。

 でもメンテなど今後の負担を考えると

 素人が手入れできる程度の規模に

 しましょう。」

そこで建築を請け負った

業者からの紹介で

新たに来られた造園屋さんが

「雪花園」の田中一光氏だった。

しかし、いざ造園してみれば、

素人の手入れというわけにもいかず、

以来、一光さんには年に2度、

手入れに来ていただいた。

後に私の主催するゴルフ会や

パーティに友人知人を連れて

参加してくれたり、

そのイベントに協賛してくれたり

いつの日か?

『ふたり酒』もする仲になった。

人の繋がりとは

本当に面白いものである。

父が余命宣告されなければ、

又、私がその父の

最後の願望を聞き、

家の新築を実行しなければ、

当然、これまでの親友(庭師)に

そのままお願いしていただろうし、

仮に一光さんに変わったとて

平日の日中に手入れに来られる

一光さんと私が会う機会も

皆無に等しく、

又、仮に会う機会に

恵まれたとしても

ゴルフだお酒だと

共通の趣味がなければ。

ここまでのお付き合いには

発展しなかっただろう。

 

生まれも育ちも地元・赤山で

顔も広く、

沢山の友人を持つ一光さん。

私のイベントの集客には

欠かせない人物になってしまった

(笑)

 

今日の『ふたり酒』。

昔話しの中で、

「 萩原家の庭の手入れに行く

 大きな楽しみが

 3時のおやつに出る

 奥さん手作りのチーズケーキ。

 あれは本当に美味しかった!」

ありがたい。

ここにも家内の料理ファンが

いてくれた…。

現在、喜寿77歳の一光さんは、

「川口の顔」。

これまでの

川口市スポーツ少年団や

川口市スキー連盟など

団体の要職に就き、

川口市スポーツ推進委員を務める。

話を聞き、感心するのは

とにかく「若者の育成」という

意識がとても強い。

ボランテア精神旺盛の方である。

私のチャリティに惜しげもなく

多大な協力をしてくれる事も

頷ける。

今は造園業の方は、

ほとんど息子さんに

任せているという。

栃木県の馬頭に

定期的に通い米作りにも励む。

毎年秋にはその新米

「姫ごのみ」を送ってくれる。

 

沢山の友人に囲まれ、

精力的に色々な活動に励む

一光さん。

私も77歳になった時に

こんな人間になりたい!

今日も話を聞きながら

刺激を受けて帰路についた。

 

この出逢いに導いてくれた

今は亡き大川建設の

大川良平社長には心から

感謝をしたい。

 

追 伸:

26年前、一光さんは

我が家の庭に、

「この町の風物詩を作りましょう!」

と提案。

北海道で20年間育てた

「もみの木」を我が家へ移植。

それは駐車場として貸す

車1台分のスペースを犠牲にして

(笑)

更にその周りを

東武電鉄払い下げの「枕木」で囲む

こだわりだった。

それが育ちに育ち、

高さ約5メートルに

クリスマスシーズンには

一光さん自らトラッククレーンの

ゴンドラに乗り、

このもみの木に800発の

イルミネーションを装着。

毎年、11月26日の

家内の誕生日に「点灯式」、

クリスマスが終わった

12月26日に「消灯式」と

1ケ月間限定で

イルミネーションを点灯した。

通りがかりの誰もが立ち止まり

見物していく

一光さんと私の「こだわりの合作」。

 

 街の風物詩になった

高さ5メートルの「もみの木」

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

2月21日(土)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

富士屋ホテル(株)代表取締役社長

安藤 昭 氏。

 

国際興業のグループとして

箱根・小田原エリア、山梨エリアの

11ケ所のホテルなどの施設を

統括する社長、安藤  昭氏。

中でも箱根・宮ノ下にある

「富士屋ホテル」は、

1878年、リゾートホテルの

草分けとして創業、

何世代にもわたる人々とともに、

そこにあり続ける価値から

日本全国「一度は泊まってみたい

温泉旅館」にランクされ

正月恒例「箱根駅伝」の

実況中継では、

ホテルの前が駅伝コースとあって

毎年話題に上る。

 

私が安藤社長と

お付き合いをさせていただき、

早12年が過ぎようとしている。

日本最大のリサーチ会社、

帝国データバンクが

日本全国の社長の出身大学を

毎年リサーチ、

大学別社長輩出数を発表する。

そのランキング第45位前後に

例年ランクされるのが、

私の出身大学「CUC千葉商科大学」で

その全国に広がる社長数は

東京商工リサーチのそれと2社合算、

重複している顔ぶれを除き、

約1,800人に上る。

(現在日本の4年制大学は793校)

そのリサーチがきっかけで、

現在、実社会で会社経営を担う

社長や経営幹部が集う会として、

大学を支援する「CUC経営者会議」

11年前に発足した。

その立ち上がりの前から

発起人代表として

組織づくりのお手伝いをしたのが、

初代会長を務めた

当時、日本全国に広がる

上場企業「ビューホテル」グループの

石井一男社長、

副会長には当時「花巻温泉」の

(現富士屋ホテル社長)

安藤 昭社長と私、

その3人だった。

我々は会の立ち上げにあたり

大学関係者と共に

何回となく会合を重ねた。

安藤社長とは、

そこから始まったお付き合いで、

こんにちに至っている。

 

今日の会場は、

日本料理「 ひら川 

 

     

実はこの「ひら川」。

入り口を見てもお分かりの様に

のれんも看板もない。

黒を基調とした店内からも

隠れ家のようなお店。

事実、常連たちは異口同音に、

「あまり人に知られたくない」

取材を極力避けたい大将、

かつて私がこのブログで、

店や大将について触れることを

許可してくれた恩義と

その経緯から

再びここに書くことは

差し控えたい。

 

今回も又、

大将にお願いをして、

唯一の個室(定員4名)を

2人で使用させてもらった。

 

今日は前述の「CUC経営者会議」の

行事の一環であるゴルフ会が

富士屋ホテルの親会社、

国際興業が経営する千葉県野田市の

「紫カントリークラブ」で

開催された。

そして今回初めての試みで

大学の教職員も交え、

「会長杯争奪ゴルフ会」として行われ

和やかな中、終えることができた。

平素は役員会や会の集まりで

お会いしても

中々二人きりの時間が取れない

多忙な安藤社長。

今日のゴルフ会後のこの一献、

しばらくぶりの『ふたり酒』

だった。

 

このCUC経営者会議会で

現在、副会長を務める私が

目指す役割分担は「最高の二番手」

 

若い時分から様々な外郭団体や

組織で会長を仰せつかって来た私、

しかしある時から世間でいう

いわゆる「ナンバー2」としての

ポジションに生きがいを

感じるようになった。

そのきっかけは、

20数年前に仰せつかった

極真空手の団体。

その最高責任者(館長)を支える職に

約10年間就いた事が

私をそのような想いに変えさせた。

全面的表に出るトップとは違い

一歩引き下がりながらも

要所要所の決議事項には

上と下の調整を戦略的に図る。

常に自分の個人的感情は抑えて

趣旨や目的をけしてぶらすことなく

「会や組織として大切なことは?」

それを優先順位の一番に考える。

つまりある意味、

常に客観的な見解が求められる。

ある時私は、

このポジションにいる自分が

とても喜びを感じている事に

気付いた。

 

また私はかつて

「最高の二番手」

支えられた経験を持つ。

それは私が31歳の時。

金融機関の取引先の外郭団体で

いわゆる後継者を対象にした

二世の会「昭栄会」が

全支店にあった。

当時、そこへ入会して間もない私を

支店長が会長に大抜擢。

これは、その支店長が

この金融機関の非常勤理事を

務めていた父への忖度だと

未だ私はそう思っている(苦笑)

会社にとっても大切な金融機関、

断るわけにもいかず、

ましてや父が

「人の上に立つ勉強をしなさい」

ところが会員は皆、

それぞれの会社の後継者として

それなりの立場。

しかも会員歴や年齢は

ほとんどの人が私より先輩。

これまで全くお付き合いのない

しかも仕事の利害関係もない

自分より若い会長の存在に

面白いわけがない。

会長の私に対し、よそよそしく…。

いや、正直冷たかった。

そこに私の会長就任と同時に、

副会長に就任した

地元でも有名な企業の社長の実弟

池野利英氏が事あるごとに、

私の盾となり矛となってくれた。

池野氏は私より一回りも年上。

会員たちは、

「池野さんがあれだけ

 立てるのだから、

    それなりの奴なのでは?」

以後、会員たちは私に

全面的に協力してくれた。

それは金融機関の本部曰く

「あの支店の会が

 全店舗の中で一番活発。」

とまで言わしめた。

私は池野利英氏を心底尊敬し

以後、30年を超えるお付き合いを

させていただいた。

(2020年3月27日没・行年75歳)

池野氏には私の長男の結婚式で

主賓としてご挨拶を賜り、

家内の葬儀では葬儀委員長を

務めていただいた。

私に二番手の重要性を

教えてくれた

「最高の二番手」だった。

 

とかく「俺が俺が」の世の中で

一歩も二歩も引き下がって

物事に対処する事に、

ある種の誇りのようなものさえ

感じるようになった。

それはけして

簡単な事ではないが、

むしろ私にしてみれば、

やりがいを感じる。

 

私が考える「ナンバー2」

理想の姿とは…。

自分は出しゃばらず

とにかくトップを立てる。

下からの意見や要望は

ストレートにトップへ

伝えるのではなく

自分の中で一度、

その良し悪しを整理してから

伝える。

時には人が言いづらい

大切な事をトップに進言する。

但し、この時は誰もいない

2人きりの時に。

トップにもメンツがある。

人間性はもちろんだが、

お金の切れないトップは

長として失格。

時に周囲の空気を読み、

トップにその払いどころを

耳打ちできるような

信頼関係が成立していれば

最高のコンビである。

前出の池野氏は

私にそのアドバイスを

してくれた。

また自分自身も人に対して

さりげなく出費をする方だった。

これらはナンバー2として、

どのような世界でも

必要なことだと私は思っている。

 

但し、

これらを全うするためには、

絶対的な条件がある。

それは、

そのトップをナンバー2が

人として尊敬できるか?

利害関係ある仕事が絡む

会や組織と違い、

外郭団体のトップに就く人は

とかく「名誉欲」の強い人が多い。

しかし私は、

それはそれで良いと思っている。

名誉という欲が

その人に取ってモチベーションに

繋がるのであれば…。

大切な事は、

その会や組織の趣旨や目的に

見合う言動を取り、

常にその団体の活性化を考え、

更に会員さんへの配慮をする。

それがトップとしての

必須重要事項だと

私は常々思っている。

 

実は昨年、

私は12年間務めた

某会の副会長職を辞任した。

それは残念ながら長に立つ方が

前述のような言動が

取れる人ではなく、

これ以上自分が副会長職を

続けることに我慢できなかった。

会長の人間性のうんぬんを

問うているのではない。

あくまでも会の会長として

ふさわしい人か?

それが私の判断基準で、

私自身は名誉や名ばかりで

その職に就き、

続ける事は本意ではなく

あくまでも会長を支える事が

「副会長」の責務と

考えていたので、

そのポリシーに反する

再任要請に応える事は

できなかった。

 

今日の『ふたり酒』のお相手

安藤 昭社長(以下安藤氏)は、

現在、CUC経営者会議の

2代目会長。

前述のような会の長として

これ以上の適任者はいない。

常に目的をぶらさず、

冷静な判断の下、

色々な提案をして

会の活性化を図っている。

会員への気配りも忘れず、

そう言ってはなんだが、

使うところでしっかりと使う。

私からすると

「二番手」として、

全量投入をしたくなるような

人格者である。

 

その安藤氏が私を感動させた

エピソードがある。

それはこの会が立ち上がり3年目、

今から8年前の2018年。

当時、安藤氏は岩手県の

花巻温泉で社長をしていた。

花巻温泉とは、

国際興業が開発した温泉地で、

4つの館を持つ。

中でもひときわ高級な旅館が

「佳松園(かしょうえん)」。

安藤氏が社長在任中、

私は3回ほど訪れているが、

温泉好きな私が

日本全国訪れた温泉の中でも

施設、サービス、お料理、温泉、

その総合点は3本の指に入る。

そこへ2018年の10月23日、

CUC経営者会議の有志で、

ゴルフを兼ねて旅行へ行った。

偶然にもその翌月の11月10日、

私が在籍している

日本赤十字社最大の支援団体

「日赤紺綬有功会」の旅行があり、

しかもこの「佳松園」が

コースに入っていた。

説明を付け加えると、

この日本赤十字社の

紺綬有功会の旅行とは、

2011年3月11日に

勃発したあの未曽有の大災害

「東日本大震災」の被災地

東北地区を支援することが目的で

毎年秋にコースを変えて

東北地区に2泊3日で訪れ、

被災地の支援をする事が

目的の旅行。

残念ながら私は、

この年の旅行は所用と重なり、

行くことが出来なかったが、

このわずか18日違いの

偶然の出来事を

CUC経営者会議の旅行の折、

安藤氏に話した。

 

そして…。

その日赤旅行の参加者が

東京へ戻った翌日。

日赤の担当部長から連絡があり、

「 萩原さんスミマセン。

 佳松園の夕食時に

    当館の社長と萩原さんが

 親しい関係だと説明があり、

 沢山のお飲み物の

 差し入れをいただきました。

 皆さんとても喜んで

 おられました。

 ありがとうございます。

 しかし岩手県まで…、

 相変わらずお顔が広いのに

 驚きました。」

 

それを耳にした私、

「 。 。 。 」

 

安藤氏は私に何も告げることなく、

そのような気配りをされ、

私の顔を立ててくれたわけである。

 

「目配り気配りは出世の源泉」

これは亡き母が

自分が造った「ことわざ」だと

よく自慢気に言っていたが(笑)

まさにこの造語そのものである。

こんなエピソードもあり、

私の安藤氏に対する見方は

特別なものになった。

 

日赤と言えば、

毎年年末に私が主催する

日本赤十字社活動資金チャリティの

パーティの中で行う

ビンゴ大会の賞品に

安藤氏が現在社長を務める傘下、

箱根富士屋ホテルの

「1泊2食付きペアご招待」

を協賛してくれる。

この豪華な賞品内容に

毎回参加者が喜ぶことは

言うまでもない。

 

今日はそんなお礼方々

安藤氏と久しぶりの

『ふたり酒』ができる事を

私はとても鶴首していた。

 

話題は大学の現況に始まり、

CUC経営者会議の運営、

本日初めての試みだった

「会長杯争奪戦ゴルフ会」など

それら大学に関わる話しは

もちろんのこと、

大学卒業後、

これまで歩んで来た人生について、

私から色々と質問を

させてもらった。

 

「自分の人生を支えたものは?」

安藤氏は間髪入れず

「反骨心ですね。」

この反骨心の基となる事が

私も全く同じ事だっただけに、

しばらくこの話で盛り上がった。

その反骨心を持って、

とにかく前任者がやらなかった

積極的な営業戦略を

次から次へと打ち出したという。

更に私は、

まるでインタビュアの如く

深堀を求めて突っ込む…。

「客室予約や結婚式の取り方、

 デッドスペースの活用や

 客室の増設など

 投資は大好きでした(笑)」

大好きとは言っても

それらの投資が数字になって表れ、

功績として認められた事が

その後の出世に繋がったのだろうと

話しを聞いて私は確信を持った。

前職である10年間在籍した

花巻温泉ホテルの社長業、

「それまで縁のない土地で、

 しかも面識のない社員との仕事、

 立て直しで派遣されたので

 色々な事を大改革、

 やりがいがありました。

 このまま花巻に残りたかった

 くらいですよ(笑)」

 

今日の『ふたり酒』も

実に充実した時間を

共有することができた。

店の外で待つ運転手さんと共に、

これから一路箱根まで。

さぞかし遅い時間の

到着になるのかと思うと

心苦しかった。

にもかかわらず、

「お家まで送ります。」

押し問答の末、

反対方向の私を乗せて

車は走り出した。

 

私は改めて

誰もが認める

そして誰も出来ない

「最高の二番手」をと

心した。

 

素晴らしい「財界人」と出逢い

お付き合いさせて

いただいている。

「CUC経営者会議」の

生みの親である

千葉学園の瀧上信光常務理事に

心より感謝を申し上げたい。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

写真左:西武ライオンズ時代 

写真右:中日ドラゴンズ時代

  ユニフォームとバット

 

アテネ五輪で履いたスパイク。

1000本安打達成記念パネル。

2000本安打達成記念バット。

 

引き続き

プロ野球・元西武ライオンズ、

そして中日ドラゴンズ、

不動の4番バッター

レジェンド・和田一浩氏。

 

べんちゃんの現役時代、

私は前述のように、

千葉ロッテマリーンズに

どっぷりと浸かっていた。

そんな背景の中で

敵チームにいたベンちゃんとの

エピソードがまた面白い。

 

千葉マリンスタジアムでの

西武 対 ロッテ戦は、

べんちゃんが西武ライオンズに

在籍していた時代には、

私がよく観戦したカード。

ただ事前に私の観戦を

べんちゃんに知らせる事は

特にすることもなかった。

ところがあるデーゲーム、

試合直後、

べんちゃんから連絡が。

「 萩原さん、今日マリンへ

  観戦に来られて

      いませんでしたか?

     緑色のシャツ着て。」

私の観戦ポジションは、

いつも一塁側内野席。

レフトを守るべんちゃんから見て

正面には違いないが、

まさかそんな遠くから…。

しかもほぼ満員の客席、

本当に?

しかしそれが事実だっただけに

驚いた。

 

とにかくベンちゃんは

私の観戦ゲームで

よくホームランを打った。

それは当時、

「 萩原さん、

 毎日観戦に来てください。」

と言わしたほど。

更に彼の名セリフ。

西武 対 ロッテ戦、

「 萩原さんは僕が打って、

 試合の結果は

 ロッテが勝つ。

 それがいいんですよね。」

 

このセリフは後に、

2005年から始まった

セパ交流戦で

ロッテと対戦した

ヤクルトの慎也こと

宮本慎也にも同じ事を

言われた。

 

おっしゃる通りで(笑)

 

しかし、このセリフが

成り立たなかったゲームも。

それはべんちゃんが

中日ドラゴンズへ移籍後、

あの伝説の2010年の

日本シリーズ。

千葉ロッテマリーンズ対

中日ドラゴンズ。

 

千葉ロッテの監督は

ニシこと西村徳文。

( 監督就任1年目のニシは

  シーズン3位から

  C S を制し 勝ち上がった )

対する中日ドラゴンズの

4番バッターは

べんちゃんこと和田一浩。

( べんちゃんは、

     このレギュラーシーズン絶好調。

 首位打者争いこそヤクルトの

 青木宣親に敗れたが、

 打率339、キャリアハイの

 37本塁打、更に打点は93で

 チーム三冠王の成績を残し

 セントラルリーグの

 最高殊勲選手にも輝いている )

更にドラゴンズの

落合博満監督とニシ、

対戦するその両監督は

かつてのチームメイト。

(ロッテオリオンズ)

 

ニシとべんちゃん、

長年シーズンオフに慎也も含め

ゴルフを一緒にして来た仲間。

まさかその2人が

日本シリーズで戦うとは

私にとって、

夢のようなことだった。

更にマリーンズの

3塁ベースコーチには

旧知のカミこと

上川誠二が腕を回している。

カミも又、

かつて中日ドラゴンズの

コーチ時代、

ともにファームで汗を流した

新人時代のアライバこと

荒木雅博と井端弘和

(現侍ジャパン監督)、

更に森野將彦の3人が

敵チームのレギュラーとして

自らが立つ

コーチャースボックスのすぐ横で

内野を固めていることが

「夢のようだった」

語っている。

この対戦は、

そんな色々な繋がりを持った

大変興味深いシリーズでもあった。

 

前述のように、

ただでさえニシが

監督になっただけでも

舞い上がっていた私。

まさか就任1年目から

日本シリーズに出場するなどとは

失礼ながら考えてもいなかった。

ナゴヤドームで1勝1敗、

千葉マリンで2勝1敗、

ロッテが大手をかけて乗り込んだ

ナゴヤドームの第6戦。

私は観戦のため名古屋へ。

いつものように、

ニシにチケットをお願いすると…。

「 すみません。

  全く取れないんですよ!」

ええっ、監督でも?

私は既に新幹線やホテルの

予約を取ってしまっている。

そこでやむを得ず

敵チームのベンちゃんに

お願いをしてみた。

 

「 1枚でいいんですか?

 実は今回ひとり1枚だけ

 出せるんです。

 それを使ってください。

 ただし萩原さん、

 1塁側ですよ(笑)」

 

私が3塁側ロッテの応援に

行くことを知ってのセリフ

(笑)

だがこの際、

1塁側は嫌だなどと

贅沢を言っている場合ではない。

ニシの名誉のために

付け加えると

その後、新幹線に乗る直前

ニシから

「1枚だけ何とかなりました」

と連絡が入った。

実はこの話しは、

これまでニシにもべんちゃんにも

していないのだが、

せっかく2人が用意してくれた

プラチナチケット。

無駄には出来ないので、

私は球場で両方とも受け取り、

ゲーム中、1塁側と3塁側

両方の席を行ったり来たり

(笑)

 

この第6戦は延長15回、

5時間半を超える死闘の末、

2対2の引き分け。

ホテルへ戻る帰路のタクシーは

長蛇の列。

諦めて最終の地下鉄に乗るも

車内はぎゅうぎゅう詰め。

 

そして迎えた翌日の第7戦。

接戦のゲーム展開は、

9回表が終わり、

7対6でマリーンズがリード。

いよいよニシの胴上げが

見られる!

最終回の9回裏、

ドラゴンズの先頭打者は、

なんとベンちゃん!

前述のようにこれまでは

べんちゃんが打つ事を

楽しみに観て来た私だが、

正直、この時ばかりは…。

 

そのベンちゃん、

なんと左中間を破る3塁打。

その後の犠牲フライで

同点のホームを踏み、

このシリーズ3度目の

延長戦に突入。

(しかしあの場面で…。

 敵ながら『アッパレ!』)

結末は延長12回、

勝ち越したマリーンズが

その裏を抑えて

西村マリーンズ『下剋上』の最終章、

日本一が決まった。

そんな複雑な想いで観戦した

私にとって生涯忘れる事のできない

思い出の日本シリーズだった。

 

そこには又、

ベンちゃんの人柄が出た

エピソードがある。

それはこの第7戦の朝、

ベンちゃんに前日のチケットの

お礼をメール。

その中で、

帰りのタクシーはひろえない、

終電は満員だったと

何気に送信すると、

「 そうでしたか。

 じゃ、今日の試合後は

 僕の車に乗ってって

 ください。」

 

本気かどうか定かではないが、

私としては、

マリーンズの応援に来ている手前、

べんちゃんは敵チーム。

チケットはともかく、

車に乗せてもらうわけには

いかない(笑)

熾烈の戦いの最中、

いったいどこまで

人の良い男なんだろう…。

結局ベンちゃんは、

この日本シリーズ7試合で、

29打数12安打1本塁打

6打点と大活躍。

敗戦チームにあって、

「敢闘選手賞」を受賞した。

 

もし私がこの時、

べんちゃんの車に

乗せてもらっていたら、

敵チームの「敢闘選手」と

どんな展開の会話になったか?

それはそれで、

ちょっと興味が…。

 

ブログ和田一浩編。

第3章のここで、

やっと至った

今日の『ふたり酒』(笑)

 

1年半前の7月、

べんちゃんがドラゴンズの

コーチ時代に名古屋で

ご馳走になって以来。

 

28年前の

初対面の時の話しに始まり、

例の球場間違い駐車場の一件

(笑)

伝説の2010年日本シリーズ、

それらの思い出話し、

近年、体調を崩した私を

気遣ってくれたり、

私の趣味のひとつ

「ひとり旅」の話しをすれば、

「魚尽くし」の離島を

段取りするから是非!と。

又、5人の子を持つべんちゃんの

子育ての難しさ等、

そんなプライベートな話題。

そしてもちろん野球談議。

選手時代の西武ライオンズと

中日ドラゴンズの違いや

ドラゴンズコーチ時代の

指導の難しさ。

いや、難しさというよりも

現代の選手の気質が

あまりにも違ってしまったので

コーチとしての戸惑い。

更に現在のプロ野球界について。

不明確な殿堂入り条件、

オーナーやフロントと監督、

監督とコーチの関係性など、

話題は多岐にのぼった。

 

ウーロン茶のべんちゃんと

『ひとり酒』の私との

熱い語りは5時間半。

ふたりは時間の経過も忘れ、

店に一番乗りの開店時間から

閉店時間まで。

気が付けば最後の客だった。

 

翌日のべんちゃんからの

連絡。

「 話が弾み過ぎて

  喉が枯れてます。」

確かにお互いよくしゃべった(笑)

 

実に充実した時間だった。

こうして長い付き合いが出来て、

会う頻度はけして多くなくとも

会えば互いに、

次から次へと出る話題。

中でもベンちゃんから

必ず出るのは…、

「 萩原さんの奥さんから

 うちの嫁さんに

 料理を教えてほしかったです。

 それが最高の後悔です!」

家内が亡くなり丸10年、

いつまでもそんな事を

言ってくれるべんちゃんに、

あの世の家内は、

さぞかし喜んでいると思う。

そして今でも天国で、

べんちゃんの

バッティングフォームを

真似ているかもしれない。

 

私のべんちゃんへの強い願望。

それは、

「中日ドラゴンズの監督」

いつの日かその私の夢を

是非、叶えてもらいたい。

きっとその時には現在のように、

敵チームには

私とお付き合いのある監督がいて、

どちらを応援したらよいのか?

そんな贅沢な悩みを

抱えているかもしれない。

来月に入ればすぐに、

NHKの解説者として、

取材でキャンプ地巡りとのこと。

後日その話しが聞けることを

とても楽しみにしている。

 

3回にわたる

「和田一浩編」、

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました!

 

このべんちゃんとの

出逢いのきっかけを

作ってくれた

中日ドラゴンズ昇竜館館長

サダこと平沼定晴氏には

心から感謝をしたい。

 

そして没後丸10年。

現在私がお付き合いしている

人の中には、

既に私の家内を全く知らない人も。

しかし今回、

べんちゃんとの思い出を

綴った事によって、

家内の事を語る機会にも恵まれた。

ようやく私も

少し気持ちが吹っ切れて

人様に家内の事を

語ることができるようになった。

今回そのきっかけを作ってくれた

和田一浩氏に改めて

衷心より感謝を申し上げたい。

ありがとう!

(完)

 

【 追 伸  1 】

 

最近私は、

プロ野球関係者と

食事をした時に、

遊び心で必ず聞くことがある。

それは、

「あなたが選ぶベストナイン」。

その条件は、

自分が現役時代のチームメイトか

対戦チームの選手。

 

今日もべんちゃんに聞いてみた。

「外国人も入れて良いですか?」

そのように付け加えた

『和田一浩が選ぶベストナイン』

 

投 手:上原 浩治

捕 手:古田 敦也

一塁手:アレックス カブレラ

二塁手:井口 資仁

三塁手:中村 紀洋

遊撃手:松井 稼頭央

左翼手:タフィ ローズ

中堅手:秋山 幸二

右翼手:イチロー

 

そしてお返しに

私が撰ぶベストナイン(笑)

その条件は、

実際に私がこの目でプレーを

生で見た選手。

 

投 手:金田 正一

捕 手:野村 克也

一塁手:王 貞治

二塁手:高木 守道

三塁手:長島 茂雄

遊撃手:松井 稼頭央

左翼手:張本 勲

中堅手:福本 豊

右翼手:イチロー

 

時代は違えども、

イチローと松井稼頭央は

お互いに選出。

ベンちゃんは攻撃型打線で

選出したという。

私の場合二塁手は、

「落合博満」も

考えなくもなかったが、

それではかつての

4番打者ばかり揃えた

ジャイアンツになってしまう(笑)

そこで打順まで考慮した上で

べんちゃんの出身校、

「県立岐阜商業」の大先輩

高木守道を選出させてもらった。

         (全て敬称略)

 

【 追 伸  2 】

 

( べんちゃんのキャンプ地視察報告)

 

今回の『ふたり酒』で

私が気にかけていた両監督の様子を

現地から報告してくれた。

 

2月7日(土)。

於:宮崎県日南市

広島東洋カープのキャンプ取材。

新井貴浩監督と。

 

2月9日(月)。

於:沖縄県宜野湾

横浜DeNAベイスターズの

キャンプ取材。

翌日が休養日という事で

相川亮二新監督と夕食。

 

両監督とも元気そうで何より!

しかし素晴らしい野球人たちと

出逢ったものである。