「この人と出逢えて
本当に良かった!」
そんな方とは極力
ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、
美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、
充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。
お付き合いください。
6月19日(金)。
今日の私の『ふたり酒』のお相手は、
元NHKチーフアナウンサー
緒方喜治氏。
緒方喜治氏(以下緒方アナ)と
私の出逢い、
それは今から24年前の
2002年11月18日にさかのぼる。
九州は福岡、「長浜屋台」で
酒を酌み交わした事がきっかけ、
それからこん日までの
長いお付き合いである。
当時私は、毎年11月の連休を利用して
空路福岡入り、
11月は大相撲九州場所が開催とあって
福岡に滞在している大相撲関係者と
会食、
翌日にはレンタカーを借りて、
長崎県島原市にある
「児童養護施設」へボランテアに向かう
という恒例行事があった。
この養護施設のボランテイアは
父から引き継いだもので
年に1度、差し入れを持って訪問、
子供たちの誕生日やクリスマスには
東京からプレゼントを贈る
そんなボランテアだった。
その折に何度かご一緒してくれたのが
「なにわの親友」
上方落語協会理事の桂 文福 師匠で、
文福 師匠は落語(小話)で
施設の子供たちを激励、
ボランテアに協力をしてくれた。
目の前で聞く師匠の小話に、
子供たちは大笑い、
とても喜んでくれた。
話はもどり…、
緒方アナと初対面の
24年前のこの日は
大相撲九州場所9日目で、
やはり長崎へ向かう前日。
私が福岡へ行くと必ず顔を出す
千葉ロッテマリーンズや
オリックスバファローズで
監督を務めた西村徳文氏紹介の屋台で
既に福岡入りしていた文福 師匠と
合流する約束をしていた。
すると師匠から連絡が入り…、
「社長、NHKの大相撲実況アナの
緒方さんを是非紹介したいので、
今晩、誘ってもええでっか?」
そんな文福 師匠と屋台に現れたのが、
大相撲の実況中継を終えたばかりの
緒方喜治アナウンサーだった。
以来、24年間にわたるお付き合いは、
弊社主催のイベントの司会や
それはプライベートでも
長男の結婚式や家内の1周忌法要まで
司会をしていただき
公私ともに大変お世話になっている。
そんな緒方アナの紹介をすると…、
広島県出身で慶応義塾大学卒業後、
1974年にNHKへ入局。
スポーツアナウンサーとして
主に1981年から2004年まで
23年間にわたり、
大相撲中継の実況を担当、
因みにこの時代の主な横綱は
北の湖、千代の富士、
貴乃花、若乃花ら。
また大相撲のみならず、
メイン格でモータースポーツ、
その他に高校野球、柔道、剣道、
バレーボール、バスケットボール、
ハンドボールなど
多岐に渡る実況を幅広く担当、
その間、1992年のバルセロナ五輪、
1996年アトランタ五輪では
NHKを代表して
現地からの実況をしている。
1998年の夏の甲子園では、
松坂大輔投手が延長17回を
投げ切ったあの伝説のPL学園対
横浜高校の実況も担当、
テニスにおいても
ウインブルドンの実況を担当しており、
まさに「日本を代表する
スポーツアナウンサー」
と言えるだろう。
アナウンサー引退後は
NHK放送研修センターでの
日本語センターの講師、
さらに雑誌NHK大相撲中継の
編集長として、
記事を執筆するかたわら写真撮影、
「東京写真記者協会」会員の
肩書も持つ。
因みに、私のライフワーク
年末の日赤チャリティイベントでは、
写真撮影をボランティアで
協力してくれている。
今日はそんな緒方アナと
久しぶりに『ふたり酒』。
会場は、
「手打ちそば ゆき庵」
東京都台東区上野5丁目―24-2
地下1階
JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」
徒歩2分
地下日比谷線「仲御徒町駅」
徒歩2分
隠れ家的な手打ち蕎麦屋さん。
蕎麦屋と言っても
蕎麦の美味しさもさることながら
「蕎麦前」がとても充実している。
気の利いたお通しに始まり
旬の刺身の盛り合わせ、
蕎麦屋ならではの
鴨葱の焼き物や出汁巻き卵、
天婦羅など6~7品を食し、
最後に「せいろ」で〆る。
私は馴染みの店になると
あらかじめ予算を言って
お任せメニューを
組み立ててもらう。
今回は3日前に予約を入れ、
この日に合わせて
段取りをしてもらった。
プロの料理を食する
外食の「醍醐味」とは、
こんなところにもあると
私は常々思っている。
今日も大将はしっかりと
「気合のメニュー」を
組み立ててくれていた(笑)
さて、今日の『ふたり酒』。
改めて緒方アナに
NHKアナウンサー時代を
振り返っていただこうと
私が持ち出したことは…。
「 緒方アナはこれまで、
相当な数のインタビューを
されてきたでしょうから
今日は逆にそのインタビューを
私にさせてください(笑)」
「確かにされることには
あまり慣れていません。
お手柔らかに(笑)」
「天下の元NHKアナウンサーに
インタビューができるなんて
こんな機会は中々ありません。
宜しくお願いします。
さて、緒方アナは転勤が
本当に多かったですよね。
異動先を時系列で
教えてください」
「入局してまず秋田県、
それから熊本、名古屋、
東京、福岡、再び東京
それから大阪、最後に
又、東京です(笑)」
「アナウンサーの方々皆さん
そんなにされるものですか?」
「いや、地方局採用の人は、
その管内の異動が中心ですが、
私のような東京採用の職員は
日本中にばらまかれて
サラリーマン人生が
始まります。
多かれ少なかれ、
必ず転勤はあります。
大阪は6年間いましたが、
大阪で単身赴任を始めたとき、
6年生だった娘が、
東京に帰ったときには
大学1年でした(笑)」
「私が緒方アナと
お知り合いになった時も
その大阪時代でした。
ほとんど単身だったのですか?」
「そんな事はありません。
家内は「引っ越しは大変だったけど
公費で日本中を旅行できて
楽しかった」と言ってます(笑)」
「その奥様も入局後最初の勤務地、
秋田でお知り合いになって
結ばれた。
秋田転勤、大正解でしたね(笑)
振り返ると、
どこが一番思い出深いですか?
「やはり東京です。
東京にいたからこそ
オリンピックへの派遣や様々な
経験をさせていただきましたので」
「そのオリンピックの時もそうですが、
これまで色々なスポーツの
実況中継をされてきました。
私からすると緒方アナと言えば
やはり大相撲。
その大相撲23年間の実況で
最も心に残っている取組、
題して、
「緒方喜治が選ぶこれが大一番」
果たしてその一番は?
「 … 」
しばらく考え込む緒方アナ。
「そうですね。
この一番は私が実況担当を
していたわけではないのですが、
2001年5月場所千秋楽、
貴乃花と武蔵丸、横綱同士の
優勝決定戦ですかね。」
【 注 意 】
力士生命が危ぶまれるほどの
大ケガをおして、強い精神力で
土俵に上がった貴乃花が
武蔵丸を制した横綱対決の大一番。
時の小泉首相が、総理大臣杯を
授与する際に思わず叫んだ。
「痛みに耐えてよく頑張った!
感動した!」
「鬼の形相と言われ、
阿修羅のごとくの表情を
貴乃花が見せて、
今でも往年の大相撲ファンが
「大相撲史に残る大一番」
伝説の様に語り継がれて
います。
あの相撲は本当に凄まじかった」
「ええ、私も感動しました!」
「緒方アナには
私どもの会社イベントや
私のプライベートでも
これまで数多くの司会をお願いして
参りました。また今も尚、
様々な司会をされていますが、
司会者として平素気を付けて
いることは?」
「第一声です。
その場にいる人数にもよりますが、
ゆっくりとした出だしを
常に心掛けています」
「なるほど、
とても勉強になります。
私は早口なんで、
これからそれを意識させて
いただきます。
それとこれは以前から
気になっていた事ですが、
NHKはコマーシャルがないので、
放送中トイレもいけない(笑)
シンドイ経験をされたこと、
過去にありませんでしたか?」
「あの伝説のPL学園対横浜の
延長17回の一戦もそうでしたが、
人間緊張すると催さないものです
(笑)
もちろん放送前には意識して
水分を取らないようには
していました」
気が付けばたっぷり4時間。
互いによく呑みかつ語った。
長いお付き合いだが、
一度聞いてみたかった事を
今日改めて聞くことができた。
これも『ふたり酒』の醍醐味。
来年には喜寿を迎え、
益々お元気な緒方アナ。
そう言えば緒方アナの還暦祝いを
当時、私が幹事を務め、
錦戸親方らと
させてもらった。
あれから早16年…、
月日の経過は本当に早いものである。
この緒方アナとのご縁を
作っていただいた
「なにわのエンカイテーナー」
桂文福師匠に、
改めて感謝を申し上げたい。
【 追 記 】
10年前の私の還暦に、
この緒方アナを始め、
前出の桂文福師匠、錦戸親方、
そして親方の部屋の
代表代行・梅の里さん、
高砂部屋の行司・木村朝之助さんと
呼出し邦夫さんら6人から
いただいた想い出の宝物。
その贈呈名には同い年の家内も
(当時既に没)
連名で筆耕されたサプライズ
の品だった。
『 雲竜型と不知火型
深紅(還暦)のダブル横綱
の模型 』
【 こぼれ話 】
これまで緒方アナや
歴代のNHK大相撲実況中継の
アナウンサー何人かと
接して来た私。
そのルーツは今から59年前、
当時、私が小学校5年生の時、
とても可愛がっていただいた
「生越常重アナウンサー」。
この生越アナには、
NHKの大相撲中継の中で
「相撲豆博士」としてテレビ出演を
させていただいたという
忘れられない想い出がある。
![]()
















