『ふたり酒』

『ふたり酒』

「この人と出逢えて本当に良かった!」。
そんな方とは、極力ふたりきりでお会いして、
会場にこだわり、美味しい酒肴を共にして、
熱く語り合い、充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

2015年9月21日。

ナゴヤドームの試合後、

べんちゃん主催の食事会で。

 

前章に続き

プロ野球・元西武ライオンズ、

そして中日ドラゴンズ、

不動の4番バッター

レジェンド・和田一浩氏。

 

野球が好き?

特にそんなこともなかった家内。

だが、べんちゃんに対しては

とても親近感を持っていた。

 

前章で述べたように、

自分の母親をオールスターゲームに

招待してくれたり、

その翌年2004年12月4日には

べんちゃんの結婚披露宴に夫婦で、

つまり亭主のみならず

自分まで招待してくれたことを

とても喜んでいた。

平素は私の友人を

「さん付け」で呼ぶ家内が

「べんちゃん」と

いつも「ちゃん付け」で

呼ぶほどだった。

更に、これには私も大笑い。

それは、

べんちゃんのオープンスタンスで

グリップを耳の高さまで上げ、

バットを左右に振りリズムを取る

あの独特のバッティングフォームを

真似る(笑)

平素はそんなイメージのない女性、

ある時それをべんちゃんに話しても

信じてもらえなかった(笑)

 

こんな事もあった。

それはゴールデンカルテット

( 西村徳文氏、宮本慎也氏、

 べんちゃん、私 )

毎年1月末の恒例のゴルフ。

既に中日ドラゴンズに

移籍していたべんちゃんは

前日に名古屋から上京、

我が家へ泊ることになった。

東京にいた頃は、

常に車で我が家へ来ていたが、

この時は名古屋から新幹線、

東京駅からは私が経路を案内。

(今思うと私が何も言わなければ

 きっとタクシーで来ていた

 と思う)

 

「東京駅の3番線から

 青い色の京浜東北線に乗って…。」

電話でべんちゃんに説明をする私に、

家内は怒り心頭。

「あなた、年俸4億円(推定)の

 選手を、東京駅から

 人目に触れる

 ローカル線なんかに乗せて。

 あなたが車で東京駅まで

 迎えに行くわけには、

 いかないのですか!」

 

普段は私に物言う女性ではないが、

ことベンちゃんの事になると…。

因みにべんちゃんは、

私に言われるがまま、

京浜東北線に20数分乗って

我が家へ。

同じ車両の乗客は、

さぞかし驚いた事と思う(笑)

 

2014年。

私の長男が結婚式を挙げた。

当日参加出来ない

平素私が入魂にしている

通称『萩原組』のプロ野球選手、

大相撲の力士、噺家さんらが

日本各地からリレー式により、

披露宴で上映する

お祝いのビデオレターの

メッセージをよせてくれた。

その進行役をしてくれたのは、

慎也こと宮本慎也氏。

その慎也と最後の編集のため、

我が家で打合せ。

全員のメッセージを確認した。

その時のべんちゃんの

ナゴヤドームからのメッセージ、

「 萩原さんとは長いお付き合いで

 とても素晴らしい人なんですが、

 奥さんはもっと素晴らしい人で

 いつも食事を

 ご馳走になっています。

 それがまるでご飯屋さんで

 食べるような料理で…。」

このメッセージを聞いた慎也が、

「これって、新郎へのお祝いに

 なっていませんよね(笑)」

 

ハイ!

家内へのメッセージです(笑)

 

料理と言えば、

こんな事もあった。

2015年9月10日。

忘れもしないベンちゃんから…。

「 和田です。突然ですが

     今シーズン限りで

  引退することに なりました。

 長い間本当にお世話になりました。

 そこで萩原さん、

     お願いがあるのですが

 21日のナゴヤドーム、

 ジャイアンツとの

 デーゲームなんですよ。

     監督(谷繁元信)に頼んで

  出場させてもらい、

     お世話になった方を

     その試合に招待して、

    その後、食事をご一諸 したい

 と思っているんです。

     奥さんと名古屋まで

     来ていただくわけには

     いかないですか…?」

 

私はもちろんだが、

そんな家内が断るわけがない(笑)

 

その試合後に行われた

ベンちゃん主催の食事会での事、

我々夫婦が座る円卓に

ご挨拶に来られたベンちゃんの奥さん、

「 主人は萩原さんの家から戻ると

  必ずいただいたメニューを

  説明してくれて、

 とにかく「美味しかった」

 「美味しかった」って

 言うんですよ。」

 

その話をにこやかに聞いていた家内、

ご機嫌だった事は

言うまでもない。

 

この食事会と言えば、

結びの挨拶を頼まれた私は、

前章で綴ったように

かつて私がお願いした

オークションの品に

ベンちゃんグッズが

何も入っていなかったエピソード。

そして、何といっても

今日の食事会の顔ぶれ。

( 横浜からべんちゃんの主治医、

  自主トレ先・佐賀県で

 お世話になった一家、

 高校時代の友人、恩師、

 社会人野球時代のチームメイト、

 西武ライオンズ時代のトレーナー。

 更に長男が現在所属する

 少年野球チームの仲間と

 その付き添いの親。

 べんちゃんは会の冒頭に、

 一人ひとりをみんなに紹介した )

そこには誰一人、

ドラゴンズのチームメイトや

プロ野球関係者がいない事に

私は触れ、

とかく「今、現在」ばかりを

重んじる人や世の中にあって、

こん日までお世話になった方への

「恩」をけして忘れない

このべんちゃんの

律義な人間性に、

改めて私は感銘したと

スピーチをさせてもらった。

 

因みに、べんちゃんの

球団による正式な引退試合は

その3日後の24日の

阪神タイガース戦だったが、

その前に自分がこれまで

お世話になった人たちと

自分のプロ野球人生のけじめを

つけたかったと、

あとになって私は聞かされた。

 

実は今日まで私が、

胸にしまっておいたことがある。

それは…、

この2015年の6月から

家内は入退院を繰り返した。

(翌年1月逝去)

その半年の間にあったべんちゃんの

「2000本安打達成記念食事会」

そして「引退による名古屋行き」

自らの体調については

多くを語らなかった家内だが、

きっと、しんどかったと察する。

しかし家内は、

これまでべんちゃんから受けた

数々の「恩」に対して、

最後にそのお返しを

一生懸命したかったと思う。

事実、あのべんちゃんの

2000本安打達成の

お祝いの食事会は、

家内の手料理で迎えた

我が家の最後の客人だった。

 

私の大きな後悔である

褒める事をしなかった亭主と違い、

べんちゃんは、

いつもしっかり家内を評価して、

褒めてくれた。

それは家内からすると

どんなにか、

うれしい出来事だったのでは、

ないだろうか。

それがべんちゃんに対する

強い想い入れに繋がったと

私は解釈している。

 

こうしてべんちゃんを語り出すと

止まらなくなってしまう。

本題のこの日の5時間半にわたる

充実した会話に至らない。

大変申し訳ないが、

もう 1 章お付き合いを。

 

(つづく)

 

追 伸:前章をご覧いただいた

    何人かの方から

    和田一浩選手は、

    なんで「べんちゃん」と

    呼ばれているのですか?

    という質問を

    いただきました。

それはかつて存在した

同姓の演出家「和田 勉(べん)」氏に

因んでいます。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

 

1月23日(金)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・元西武ライオンズ、

そして中日ドラゴンズ

不動の4番バッター

レジェンド・和田一浩氏。

 

1997年西武ライオンズへ入団、

2008年 FA により

中日ドラゴンズへ移籍した

和田一浩氏(以下べんちゃん)。

その現役生活19年間の

主たる受賞歴は、

レギュラーシーズンで

首位打者、最多安打、最高出塁率、

6度のベストナイン、

そして3度の月間 MVP を始め

セ・リーグ年間 MVP 。

オールスターゲームでは

新人賞、優秀選手賞。

又、パ・リーグオールスター

東西対抗での最優秀選手賞。

更にポストシーズンでも

クライマックスシリーズ MVP

日本シリーズの敢闘選手賞や

優秀選手賞 等々、

その受賞歴をここで

書き尽くす事は容易ではない。

国際試合には、

2004年のアテネ五輪や

2006年の第1回 WBCに

日本代表選手として出場している。

2015年には史上最年長で

通算2000本安打を達成し、

『名球会』入りした。

(42歳11ケ月)

現役引退後は、

2023年から2年間、

古巣の中日ドラゴンズの

一軍打撃コーチを務め、

現在は名球会理事、

NHKの野球解説者などで

活躍している野球人、

通称「ビックベン」である。

 

 

べんちゃんと私は

28年にわたる付き合い。

この『ふたり酒』ブログ

第19章の現在中日ドラゴンズの

昇竜館館長を務める平沼定晴氏が

西武ライオンズ時代の

1998年7月8日に、

我が家へ連れて来た事が

最初の出逢いだった。

しかしそれはあくまでも

きっかけ。

と言うのもその日は他にも

合わせて7名のゲストがいて、

べんちゃんとはほとんど

会話らしい会話はしていない。

 

それから1年くらい経過した

ある日のこと。

私は千葉ロッテマリーンズの

西村徳文氏(当時コーチ)との約束で、

ロッテの2軍球場「ロッテ浦和」へ

車で出かけた時の事、

その駐車場で偶然にも

べんちゃんとバッタリ。

顔覚えの悪い私(苦笑)、

べんちゃんの方が覚えていて

声をかけてくれた。

当時のべんちゃんは、

1軍と2軍を行ったり来たりの選手で

ファームの試合でロッテ浦和へ?

私はずっとそう思い込んでいた。

ところがその何年か後、

「 実はあの日、ゲームをする球場を

  間違えちゃって(笑)」

後の超一流のプロ野球選手らしからぬ

なんともとぼけた話だが(笑)、

その時に互いの携帯電話の番号を交換、

その後、べんちゃんの後輩が

戦力外通告された時に

就職先の斡旋を私に依頼して来たり

何かと連絡を取るようになった。

そんな事を考えると

仮にあの時、

べんちゃんが球場を

間違えなければ、

あるいは駐車場でバッタリ

会っていなければ、

こんにちのお付き合いは

なかったと思う。

このブログで何度も綴っているが

人の出逢いは

本当に摩訶不思議な

「縁」である。

 

そのベンちゃんは

私がこんにちまで

お付き合いしてきた

プロ野球人の中でも

ちょっと違うタイプだった。

それは彼が残した実績は「超一流」、

しかし彼の「謙虚さ」、「やさしさ」

「律義さ」は、

勝負の世界にあって

「勝ち組」にありがちな

それらとは全く違っていた。

今回の『ふたり酒』は、

この日の出来事はもちろんだが、

それらを立証する

彼の人間性について、

私とのエピソードを交えながら

綴ってみたい。

 

今日の会場は、

 ひら川 

 

  のれんも看板もないお店「ひら川」

 

東京都文京区湯島3丁目―36-4

TEL: 03(6279)9222

地下鉄千代田線「湯島駅」徒歩1分

地下鉄メトロ銀座線「上野広小路駅」

徒歩4分

JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」

 徒歩7分

 

そう錦戸親方と私の密会の場所

(笑)

現在「私イチオシの店」。

 

    6席のカウンター

 

今一度、

このお店の紹介をすると…、

 

握り鮨をメインに

天然素材と旬の味覚を重視した

お任せコースの日本料理店。

店内はカウンター6席と

個室の4人掛けテーブルが1つ。

MAX10名。

洗練された静かな

隠れ家的空間で

特別なひとときを

過ごすことができる。

季節の食材を活かした

全8品のコースは、

前菜からデザートまで

素材の持つ味わいを

最大限に引き出している。

今回も又、

大将にお願いをして、

唯一の個室(定員4名)を

2人で使用させてもらった。

 

料理人として異色の経歴を持つ

この大将の紹介もしてみたい。

大将は18歳で、

故郷(長崎県)を後に上京、

20代はプロのミュージシャン。

そして30歳を機に

ミュージシャンを断念、

原宿で「九州料理」を提供する

飲食店に勤務した。

わずか3年で荻窪に独立、

そこで12年間営業した後、

決意も新たに

現在地に一昨年オープンした。

大将は、

「 書物や食べ歩きの独学で

     学んできたので、

     誇れるものは何もありません。

    ただ、第一次産業(素材生産者)

    へ最大限のリスペクトを

    している事と

    『誰が為(タガタメ)の料理』を

     常に根底において

     料理をしています。」

と語る。

 

サービス業で、

大切にしなくてはならない事、

それは来客への感謝を忘れず、

「顧客ありき」こそ、

基本だと私は思っている。

まさに「誰が為」である。

そんな気持ちが、

大将の謙虚さや愛想、

会話にも現れている。

 

べんちゃんという

プロ野球人が

私を虜にした最初の出来事。

それは知り合って3年目の

2001年の事だった。

その頃私は『日本赤十字社の

活動資金チャリティ』として

ゴルフ場を貸切で

大規模なゴルフコンペを

隔年で主催していた。

その目的であるチャリティの

メインイベントは、

プレー後に行う「オークション」。

毎回私は、プロ野球界や大相撲界、

格闘技界らの友人知人にお願いして

彼らのサイン入りグッズを集め、

オークションに臨んでいた。

 

そのお願いを

初めてべんちゃんにしてみた。

シーズン中にも関わらず

べんちゃんは早々に、

チームメイトにも声をかけて

グッズを集めて送ってくれた。

その内容は、

当時の西武ライオンズの主力選手、

「松坂大輔投手のユニフォーム」

「松井稼頭央選手のスパイク」

「カブレラ選手のバット」

それらをサイン入りで。

更にその3選手の

サイン入りボール4個づつ、

合計1ダース。

 

早速、私はお礼の連絡をした。

「  べんちゃん、ありがとう!

   こんな貴重なものを沢山に、

   参加者たちも喜ぶよ。

  ところで、

  べんちゃんのグッズが

     何も入っていないけど…。」

 

「 ハッハッハハ。

 僕のグッズなんか

 オークションに 

 かかりませんよ!

 そんな事したら

 萩原さんが笑われて

 しまいますよ。」

 

因みにべんちゃんは

この前年から出場機会も増え

時に4番を任されたり、

この年には、

「次世代を担うバッテリー」

として松坂大輔投手と

開幕戦でスタメン起用されていた。

( 既に大方の野球ファンは

  外野手・和田一浩を

  認識していると思うが

 入団時のポジションは

 キャッチャー )

 

こんな謙虚な男は、

私としても初めてだった。

 

実は彼は下戸で

『ふたり酒』と言っても

アルコールは全く呑めない

呑まない。

そんな事もあって

シーズンオフにそのお礼を

ゴルフでさせてもらった。

その帰りの我が家での食事の時、

何故か?

私の亡き父は「柿」が

大好物だったという話になった。

以来、こんにちまで

べんちゃんの故郷岐阜の

名産「甘柿の王様」と言われる

『富有柿』を「仏壇へ」と、

20年以上も毎年、

送ってくれている。

天国の親父もさぞかし

喜んでいると思う。

 

私の親にしていただいた恩は

これだけではない。

私の義母はとても野球好きだった。

が、オールスターゲームは

一度も観戦したことがなかった。

そんな話から2003年、

千葉マリンで開催され、

べんちゃんが初めて出場した

オールスターゲームに

その義母と私を招待してくれた。

しかも一塁側のベンチ裏、最前列。

このゲームで活躍したべんちゃんは

オールスターゲーム初出場で

活躍した選手に贈られる

「新人賞」を受賞、

その表彰式を見ていた義母が

とても喜んでいた姿は、

今も尚、私の脳裏に焼き付いている。

 

野球観戦の招待と言えば、

大阪出張時の私と

当時大阪で就職していた長男を

甲子園で開催、自身も選出された

オールスターゲームに

招待してくれた事もあった。

又、べんちゃんが初出場の

東京ドームでの日本シリーズや

西武ドームでの日本シリーズにも

家内と私を招待してくれた。

そんなビッグゲームに

何度も招待を受けた。

しかもそれが常に、

選手が手に入る「招待券」ではなく、

毎回自腹でチケットを買って…。

「頼むからお支払いさせてほしい」

いくら言っても

「いつもお世話になっているので。」

べんちゃん曰く、

「 招待券だと

  あまり良い席ではないと

  思うので…。」

そんな理由から

良い席を取っているにも関わらず、

毎回試合が終わるや否や

すぐに連絡が来て、

「席、大丈夫でしたか?」

 

いつもお世話になっているのは、

私の方で…(苦笑)

ただただ恐縮である。

このようにべんちゃんの

「謙虚さ」や「やさしさ」に

私はこれまで幾たびも触れて来た。

 

そして「律義さ」。

べんちゃんは FA での移籍の時も

引退の時も、コーチ就任の時も

必ず報道の前に連絡をくれた。

それは、

「正式発表の前に

 一部のマスコミに

 漏れてしまったりします。

 そのスクープが

 新聞報道される前に

 連絡と思い…。」

 

ありがたいことに、

このことに関しては

これまで私が

お付き合いして来た選手たちは

皆、そうだった。

だから私は逆に

報道までは絶対に口外しない。

それが彼らへの礼儀だと

思っている。

 

2015年6月11日。

そんなべんちゃんが大きな勲章

「通算2000本安打」を達成した。

大学卒業(東北福祉大)で

社会人(神戸製鋼)を経験し、

そこからプロ入りした選手の

2000本安打達成は、

古田敦也氏、宮本慎也氏に

次いで3人目。

しかも20代で一度も

規定打席に到達していなかったり、

34歳までに1000本安打の

達成がなかった選手では史上初。

つまりそのくらい

「遅咲きの花」だった。

 

実は西武ライオンズを離れる時に

私とこんな会話があった。

当時既に35歳、

通算安打数は1032本。

失礼ながら誰がどう考えても

2000本安打への到達は

まず難しい。

そんな状況でも

「 萩原さん、実は僕

 2000本安打狙っているんですよ。

 でもこんな事言ったら

 マスコミに笑われるので、

 萩原さんの胸に

 しまっておいて下さい(笑)」

 

そんなべんちゃんの決意を知る

家内と私はべんちゃんの

通算2000本安打達成には心底喜び、

そのお祝いを2015年6月20日、

この日東京ドームでの試合のため

名古屋から上京していたタイミングで

我が家でさせてもらった。

それは中日ドラゴンズ対

読売ジャイアンツのデーゲームの後で、

前々年引退した慎也(宮本慎也氏)と

この日の敵チームで

当時ジャイアンツに在籍していた

亮二も参加してくれた。

(相川亮二現DeNAベイスターズ監督)

 

  2015年6月20日。

   べんちゃんの通算2000本安打達成記念

   我が家での食事会。

 

偶然にもこの前日は、

べんちゃん43歳の誕生日。

ダブルでお祝い。

 

家内の手作りケーキで

「ハッピーバースデー♪」

 

写真撮影:相川亮二

 

次章は、

家内のベンちゃんへの強い想い、

エピソードが残るメモリアルゲーム、

ベンちゃんの引退に纏わる話、

そしてこの日の5時間半にわたる

2人の会話の内容を

差しさわりのない範囲で(笑)

綴ってみたい。

 

(つづく)

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

1月19日(月)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

大相撲・元小結 豊真将の

錣山(しころやま)親方。

 

 

山口県出身の錣山親方は

地元の中学を卒業後、

高校相撲の名門・埼玉栄高等学校へ

誘いを受けて進学、

その後、日本大学に入学するも

蜂窩織炎の悪化により

1年で相撲部を退部、

その後大学も中退した。

約3年間相撲から離れていたが、

アルバイト先の社長の紹介で

開設したばかりの錣山部屋へ入門、

再び相撲を始めた。

(部屋の師匠はあの突っ張りの

 元関脇・寺尾)

 

当時の錣山部屋では、

初めての関取(十両力士)で、

初土俵から早2年で新入幕、

山口県出身の幕内力士としては

35年ぶりだった。

その後も幕の内で、

優勝争いに絡んだり

敢闘賞5回、技能賞2回の

三賞受賞など、

その活躍は周知のとおり。

何といっても

「手刀」、「塵手水」、

勝ち負けに関係ない取組後の

深々とした「礼」など

「所作」が実に細やかで丁寧、

清々しかった力士として

多くの相撲ファンの

記憶に残っていると思う。

2年前に元寺尾の先代師匠が

急逝したことから

21代錣山として部屋を継承、

現在に至る。

 

この親方と私の出逢いは

実に面白い。

前出のプロ野球界の

球団経営者として

数々の実績を残した

瀬戸山隆三氏。

私とはこんにちでも

コンスタントに

『ふたり酒』をする仲だが、

一昨年秋のこと、

「社長、大相撲の阿炎(アビ)関は

 お付き合いないですか?」

野球界を離れた現在でも、

いくつもの会社や組織の

顧問を務める瀬戸山氏。

その一つにサッカー J 1 の

「アビスパ福岡」がある。

 

かつてプロ野球の

西鉄ライオンズが球団を売却、

いくつかのスポンサーを経て、

西武が買収し西武ライオンズとして

本拠地を埼玉県所沢へ移した。

それでも当時の福岡は

西鉄ライオンズ以外は

受け付けない絶対的なファンが

根強く残っていた。

南海ホークスを買収した

スーパーダイエーは

それまでの本拠地の大阪から

その福岡へ球団を移転させ、

新球団「福岡ダイエーホークス」を

立ち上げた。

瀬戸山氏はその立ち上げの時の

責任室長として、

縁もゆかりも、右も左も分からない

福岡の地でスポンサーやファン作りに

遁走した。

しかも観客が足を運ぶ球場は、

(当時:福岡ドーム)

市内とは離れた海岸の埋立地。

 

しかし地道な努力は花を咲かせ、

地元福岡のファンをつかみ

スタジアムの観客は連日満員、

瀬戸山隆三氏のその手腕は

誰もが知る大きな功績として今も尚、

プロ野球界の語り草になっている。

( 瀬戸山氏はその後移籍した

  千葉ロッテマリーンズの本拠地

  千葉マリンスタジアムでも

  同様の功績を残している )

 

同じ福岡の地で、

観客動員に苦しむサッカー J 1 の

アビスパ福岡が、

世界は違えどもその噂を聞き

ノウハウを乞う為に

瀬戸山氏を顧問に招いた。

 

2025年にアビスパ福岡は

球団創立30周年を

迎えるにあたり、

その記念事業の一環として

大相撲の阿炎(アビ)関と

アビスパ福岡を

コラボさせたいという

何とも冗談みたいな

語呂合わせのビジョン(笑)

その実現のために

阿炎関とコンタクトを取りたいと

アビスパからの依頼で

瀬戸山氏が私に連絡を

してきたというわけである。

前述のように、

瀬戸山氏がプロ野球界に在籍中、

散々お願いごとをして来た私。

瀬戸山氏からのお願い事は、

これまでもそう簡単に

断るわけにはいかなかった。

 

私にとって阿炎関はもちろん、

関取の所属する錣山部屋の

関係者は誰一人知らない…。

「全く繋がりはないですが、

 ちょっと動いてみます。」

私はそう言って、

瀬戸山氏との電話を切った。

 

そこで相撲界の事で困った時には

46年の長きお付き合い

元水戸泉の錦戸親方(笑)

早速連絡を取ると

「 分かりました。阿炎の師匠の

  錣山親方に話してみます 」

因みに錦戸親方と私の関係も

互いが困った時に力になる

「断れない関係」(笑)

 

その後、

この話はとんとん拍子に進み、

昨年の10月、

30周年の記念イベントが福岡で開催、

阿炎関とのコラボイベントは

大盛況の内に終えたという。

 

話はこれだけでは終わらない(笑)

当時、錣山部屋は

九州場所の宿舎に困っていた。

 

(  相撲界の各部屋は、名古屋・

  大阪・福岡の地方場所の時には

  その滞在期間中の宿舎を

  確保しなくてはならない )

 

不動産総合会社「APAMAN」

ビッグスポンサーに持つ

アビスパ福岡はAPAMANに相談。

今度はそのお返しに

ラグビー日本代表の強化拠点

「JAPAN BASE(ジャパンベース)

の合宿所を九州場所の錣山部屋に

格安で提供することになった。

「ウインウインの関係」とは

正にこのことで、

平素の信頼関係の

紹介が紹介を生んだ結果である。

 

このブログにも綴ったように

昨年11月、

錦戸親方の招待で

九州場所へ行った私。

それを知った瀬戸山氏は、

「 せっかく九州に行かれるなら

  是非、錣山部屋の新宿舎を

  視察してくださいよ 」

それまではほとんど

ショートメールの交換だけで

会ったことすらない

元豊真将の錣山親方。

正直私は、

紹介した手前の義務的な

あまり気乗りのしない

視察訪問だった。

 

ところが…、

「おかげさまでこんな立派な

 宿舎を提供していただけました。

 おそらく全相撲部屋一、

 では、ないですかね!」

初対面の私にそう告げると

親方は宿舎内の案内に始まり、

稽古後のちゃんこ鍋を

ご馳走してくれたり、

これから私が錦戸親方の招待で

大相撲観戦に福岡国際センタ―へ

向かうことを知ると、

会場まで車で送ってくれた。

 

まだまだこの面白い縁は

終わらない(笑)

その1ケ月後の12月23日。

「日本相撲協会財団法人設立

 100周年記念式典・祝賀会」

が両国国技館で開催され、

大相撲関係者と

これまで長年相撲界に

貢献して来た人が招待されるパーティに

光栄にも私は錦戸親方のご厚意で

ご招待に預かった。

 

 

約600人の関係者や

招待客がごった返す中で、

なんと錣山親方とバッタリ!

しばらく話をしているうちに

「今度食事でも行きましょう。」

私のその誘いに

「是非、宜しくお願いします!」

社交辞令ではなさそうな(笑)

乗り気の親方と?

今日の『ふたり酒』に

至ったというわけである。

 

錣山親方とのこれまでを

長々と綴ったが、

それは今回の出逢いは、

私からすると

実に稀有な出逢いで、

ここに至るまでには

当初のアビスパの狙いとは

関係のない人たちの

平素の持ちつ持たれつの

繋がりと信頼関係が生んだもので

錣山親方は阿炎関の師匠

という事はあったものの

私と共にアビスパの狙いとは

直接の関係はない。

つまり、錣山親方と私は

かなり可能性の低い

「出逢い」だったと思う。

 

今日の会場は、

このブログに何度か登場している

「湯島3丁目」

 

東京都文京区湯島3丁目―37-4

TEL: .03(6284)2212

地下鉄千代田線「湯島駅」徒歩2分

 JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」

徒歩5分

 

     湯島3丁目

 

改めて紹介すると、

数多くの鮨職人が巣立たれ

北大路魯山人がこよなく愛された

江戸前寿司屋さんから独立した

大将が作る和食と

福建省出身の女将さん監修による

餃子、シュウマイ、春巻き、

更に名物のカニクリームコロッケ、

黒毛和牛ステーキやメンチカツなど

まさに「和洋中」全て揃った店。

 

元来、私の好みは「専門店」。

それはやはり

その道ひと筋で歩んで来た職人への

信頼とリスペクトから。

しかしこの湯島3丁目の料理、

すべての味に間違いはない。

面白いのは、

「お好みで」とばかりに

カウンターに並ぶ

16種類の醤油と5種類のソース。

そこで私は女将さん任せの

「日本酒」と

あらかじめ予算を言って

大将に組み立ててもらう「料理」で

『ふたり酒』。

今回も約10日前に予約を入れ

今日のメニューも隣席の客にはない

かなり大将の気合が入った

ラインナップだった。

 

そんなほぼ初対面に近い

親方との今日の『ふたり酒』。

初回の話題はまず自然に「相撲談義」。

生い立ちや家族の事、

趣味や人生観など

いつもの私の多岐に渡る話題は

次回から(笑)

そして初めての『ふたり酒』に必須

「私のチェックポイント」(笑)

今日は2軒で約5時間、

親方の口からは一切

人の批判話は出なかった。

次に「質問」。

今日の『ふたり酒』は

途中からは親方が

私への質問攻め(笑)

2年前に先代から引き継ぎ

部屋の運営に当たってはいるものの

先代の元寺尾関が

個性派の師匠だっただけに

継承後の弟子の指導や

後援者とのお付き合い、

部屋の行事の開催など

考えなくてはならない悩み事が

多い様子だった。

私も同じ継承者の立場、

しかも聞けば親方と私の長男は

同年(笑)

親心が沸いたわけではないが、

少しでもお役に立てればと。

これまで4つの相撲部屋、

7人の師匠と接してきた

私の相撲界との約60年。

見てきた事、感じた事を

率直に話してみた。

 

翌日の親方からの電話、

「 昨日は楽しい食事会を

  ありがとうございました。

  色々な話が聞けて

  とても勉強になりました。

  またぜひご一緒させて

  下さい。 」

 

良かった!

そんな言葉から、

私がしたこれまでの経験話が

「常陸(ひたち)」に

ならないで…。

 

(「常陸(ひたち)」とは

 相撲界の隠語で

 「偉そうな言動をする人」を言う。

 昔、「常陸潟(ひたちがた)」と言う

 何でも偉そうにする力士が

 いた事から引用されている。

 相撲界に携わる人たちは

 タニマチ(後援者)など

 この手の人を最も嫌う)

 

今回の出逢いで私が感じた事。

人とのご縁は、

本当に不思議である。

偶然に出会ったり、

知り合いの知り合いで

つながったり。

なぜ、この方と

出会うことができたのか?

論理的に説明ができないからこそ、

「ご縁」と呼ぶのだと思う。

摩訶不思議なご縁は、

神様仏様が与えてくれた

チャンスなのかもしれない。

そのチャンスを大きく育てたり

長続きさせるのは、

ひとえに自分の努力次第だと

私は思っている。

与えられたチャンスから

先の展開も、

神様仏様に望むのは、

あまりにも頼り過ぎ(笑)

与えられたご縁を

長続きさせるために

私はその人と別れる時に

「またこの人と会いたいな」

と思うようにしている。

(そんな人ばかりではないが/苦笑)

実は福岡で初めて会った錣山親方に

私はそのように思っていた。

それが1ケ月後の

約600人がごった返す

パーティでの偶然の再会、

それが今日の『ふたり酒』に

繋がったと思う。

 

2軒目は親方の知り合いの店、

5時間にわたる今日の『ふたり酒』。

初対面から3度目、

初めて酒を呑みかわす2人とは

とても思えなかった(笑)

終盤の親方は、

すっかり出来上がって

いました(笑)

千田川親方と錣山親方との

相撲界親方衆と私の対戦成績は、

1勝1敗の引き分け(笑)

 

このご縁に導いてくれた

瀬戸山隆三氏、

そして錦戸眞幸親方には

心から感謝を申し上げたい。

 

大相撲初場所は昨日12日目を終え、

2敗の新大関安青錦がトップを走り

3敗力士6人がそれを追う展開。

阿炎関もそのひとりで、

優勝戦線に残る。

是非、頑張って

師匠である錣山親方を

喜ばせてほしい。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

1月10日(土)。

本年最初の『ふたり酒』のお相手は、

大相撲・元幕内 徳勝龍の千田川親方。

 

 

「自分なんかが優勝して…

 いいんでしょうか?」

今から6年前の2020年1月26日。

初場所の千秋楽で

幕尻の徳勝龍が14勝1敗で

幕の内最高優勝をした時の

NHKの場内インタビュー、

徳勝龍関の第一声である。

 

私はその光景を

テレビ桟敷で見ていた。

そこには60年以上も前から

父の影響で相撲界と接してきた

私にも未知の「関取」がいた。

このインタビューに

とても好感を持った私は、

「こんな謙虚なお相撲さんと

 一度呑んでみたい。」

 

それが6年後に

実現してしまうから

人生は面白い。

 

千田川親方は昨年、

それまで所属していた

木瀬部屋から錦戸部屋へ

移籍した。

その移籍先が私とは

46年のお付き合いの

元水戸泉の錦戸部屋で

なかったら

また、かつての相撲界は、

このような一門外への移籍は

まず考えられなかったので

生涯、この時の徳勝龍関と

待望の酒を吞みかわす事など

あり得なかっただろう。

 

(注:大相撲の世界は

 五つの一門に大別されており、

 木瀬部屋は出羽海一門、

 錦戸部屋は高砂一門。

 理事選など一門ごとに

 票を取りまとめる関係で、

    1票の権利を持つ親方は

    重要。つまり親方の移籍は

 基本的に一門内。

    だがこん日では、

    年寄株の需要と供給の

    アンバランスから

   このようなパターンも

   見られるように

   なった。)

 

今日の会場は、

「手打ちそばゆき庵」

東京都台東区上野5丁目―24-2 

地下1階

JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」

徒歩2分

地下日比谷線「仲御徒町駅」

徒歩2分

 

 

隠れ家的な手打ち蕎麦屋さん。

蕎麦屋と言っても

蕎麦の美味しさもさることながら

「蕎麦前」が充実していて、

お連れした方からは、

とても喜ばれる。

 

気の利いたお通しに始まり

旬の刺身の盛り合わせ、

蕎麦屋ならではの

鴨葱の焼き物や出汁巻き卵、

天婦羅など6~7品を食し、

最後に「せいろ」で〆る。

 

私は馴染みの店になると

あらかじめ予算を言って

お任せメニューを

組み立ててもらう。

必ず10日以上前に予約を入れ、

その日に合わせて

良い食材を仕入れてもらう。

プロの料理を食する

外食の「だいご味」とは、

こんなところにもあると

私は思っている。

今日も大将はしっかりと

気合を入れたメニューを

組み立ててくれていた(笑)

 

千田川親方が錦戸部屋へ

移籍して来た関係で、

一昨年、昨年と2年続けて

私のライフワークである

「日本赤十字社活動資金チャリティ」

の年末パーティーに参加、

オークションへの出品も

協力してくれた。

その品物の中には、

優勝記念の貴重な品も。

 

そんな事から

私はお礼がてら

『ふたり酒』を誘った。

親方は小学生で相撲を始めて

明徳義塾高校、近畿大学と

相撲の名門を歩んで

プロの道へ。

近畿大学出身で過去

大相撲へ入門した力士の中には

私が「プロへ勧誘」した力士や

「四股名の名付け」、

あるいは「仲人」といった

繋がりのある力士がいたり、

過去の監督とも

面識があった事から

共通の話題が。

更に親方の出身地の奈良県は

私がかつて極真空手の

役員をしていた時代、

何回か大会に招待を受けた

思い出の地でもあった。

そんな話に花が咲き

盛り上がった今日の

『ふたり酒』。

 

ちょっと驚い事は、

「 明徳義塾高校時代の稽古が

     一番きつかったです。

 その貯金でやってこれたと

  思います。」

昨今、学生相撲出身力士の

活躍が多々見られるが、

こんなところにも

その理由があるのかも

しれない。

 

実は私、

初めて『ふたり酒』をする相手に

注意している事がある。

それはその人の

人間性を洞察する為の

私なりのチェックポイント。

「何様だ」

と思われるかもしれないが、

私とて一度しか無い人生、

限られた貴重な時間を

今後も共有できる人か否か、

また後々嫌な思いをして

「お別れ」のないよう

探るのは至極当然。

 

そのポイントは、

「人の批判話をする人か?」

もうひとつは、

「人に質問をする人か?」

 

前者の場合、

長い付き合いならいざ知らず

まだ付き合いの浅い私に

人の批判話を聞かせるような人は

聞いている方が不愉快

であるばかりでなく、

その人の人間性そのものが

問われると思っている。

それこそ人の事を言う前に

「何様?」である。

後者は、

人のお付き合いというのは

持ちつ持たれつ、

絶対に一方通行のお付き合いは

長続きしない。

つまり私が相手を

洞察しているように、

相手も私を洞察して当然。

それが質問へと繋がっていく。

この質問と言うのは、

けして付き合いの長さに

限った事ではない。

互いが相手に質問をしながら

互いの理解を深める事で

コミュニケーションが図れる

とても重要な会話手法だと

私は思っている。

「聞き上手」なる言葉があるが

これも相手への「質問」が

絡んでいる。

人の話はあまり聞かずに、

自分の方から一方的に

話すようなマイペースな人とは

長いお付き合いは出来ないと

これまでの経験から

私は確信している。

 

今日は失礼ながら

我が息子よりも若い親方を

そんな角度から拝察(笑)

親方は年齢を感じさせない

物腰の柔らかい、

落ち着いた人で

時に私に昔の相撲界の事を

質問して来るような人だった。

そこで私は、

ちょっと意地悪な質問を

ぶつけてみた。

「〇〇さんはあまり評判が

 良くなかったけど、どうなの?」

(〇〇さんとは共通の知り合い)

だが、その答えはけして言わず

当たり障りなく逃げられた

(笑)

 

そんな親方を洞察しながら

女将が並々と注ぐお酒を

ガンガン呑んでいるうちに

すっかり出来上がってしまった私。

翌日、親方からの電話。

「 昨日はごちそうさまでした。

  無事に帰られましたか(笑)」

しばらくぶりに、

自分より酒の強い人との

『ふたり酒』だった。

 

「親方、年寄酔いつぶっしゃ

 ダメだよ!(笑)」

 

古希を目前に、

いつまでも若いつもりで

調子に乗って呑むものではない。

ましてや元お相撲さんと(苦笑)

そんな反省もあった今日の

『ふたり酒』だった。

 

この出逢いを作ってくれた

錦戸親方に、

改めて感謝を申し上げたい。

 

良い親方が移籍してきたと

私は感じた。

 

 

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

前章に続き、

プロ野球

元千葉ロッテマリーンズ、

そしてオリックスバファローズで

監督を務めた西村徳文氏。

現在は独立リーグ

「宮崎サンシャインズ」の 

ゼネラルマネージャー。

 

西村徳文氏(以下ニシ)との

これまでのエピソードを

3回にわたり彼の人物像と共に

綴っている。

それはニシが私たち夫婦の

人生を豊かにしてくれた

恩人として、

感謝の気持ちを込め、

又、これまで数多くの

『ふたり酒』をして来た

パートナーとして

このブログに書き残しておきたい

そんな私の強い想いからである。

 

今日の公開日(1月9日)は

奇しくも?

ニシの66回目の誕生日。

いや、私からのお祝いのしるしに

この最後の公開日を

誕生日に合わせた(笑)

 

千葉ロッテマリーンズの

ユニフォームを脱いだニシに私は、

何としてももう一度、

NPB(プロ野球)のユニフォームを

着てもらいたかった。

監督までした人間、

監督以外のポジションで

ユニフォームを着る事は

いかがなものか?

もちろんそれは一理ある。

しかし私の中では

本人のプライドさえ許されれば

「ヘッドコーチはあり」

と思っている。

ヘッドコーチとは、

とても重要なポストで

監督の方針を

しっかりと理解した上で支え、

他のコーチや選手との間に入る

パイプ役。

監督経験者であれば

その立場の重要性が

分かるだけに適任だと思う。

一般企業と同じで

ナンバー2という

とても重要なポジションである。

 

前年千葉ロッテマリーンズを退団した

元球団社長・瀬戸山隆三氏は

2012年オリックスバファローズの

執行役員球団本部長に就任していた。

福岡ダイエーホークス、

千葉ロッテマリーンズ、

そしてオリックスバファローズと

3球団で球団社長や球団代表として

球団の経営に携わってきた瀬戸山氏は、

(阪神タイガースからの勧誘もあった)

チーム再建にはうってつけの人物。

プロ野球球団によく見られる

親会社から派遣された、

失礼ながら「球団経営の素人」

とは違い、

百戦錬磨のプロ野球球団の

経営者だった。

当時、神戸と東京を往来していたが

私とは住まいが近い事もあり、

たまに瀬戸山氏の自宅近くの

寿司屋で『ふたり酒』をしていた。

何と言ってもニシの、

千葉ロッテマリーンズ監督就任を

実現してくれた私の大恩人である。

ある日の『ふたり酒』で、

人事権のある瀬戸山氏に

それとなくニシの事を話してみた。

その私のお願いは別にして

当時のオリックスバファローズは

森脇浩司監督がシーズン途中

成績不振から休養中、

監督代行として福良淳一氏が

(現ゼネラルマネージャー)

指揮を執っていた。

どうやら来季もそのまま

監督を任せる様な感じが

私にはした。

が、ヘッドコーチは

未定の様子だった。

何よりも福良氏とニシは同郷で、

現役時代から親交が深く、

色々な面でタイミングが良かった。

その後、ニシのもとに

瀬戸山本部長から連絡があり、

オリックスバファローズへの

入団が、めでたく内定した。

 

ところが、そのほんの数日後。

ニシから突然の連絡が!

「 〇〇球団のGMから今連絡があって、

  監督をしてくれないか?

  と言うんですよ。

  どうしたら…。」

 

〇〇球団とはセントラルリーグで、

ニシの現役時代、

先方の交換要員で折り合いがつかず、

トレードが流れた球団、

しかもその球団のホームグランドは

ニシの住まいと近い。

「 縁だね。

  やるしかないじゃないか!

  ヘッドコーチよりも監督だよ!

  瀬戸山さんに正直に話せば、

  送り出してくれると思うよ。

  そもそもオリックスは、

  こちらからお願いしたわけだし。」

 

だが、私のその考えは甘かった…。

 

ニシから10分もたたずに

折り返し電話があり、

「 もう宮内オーナーに

  了承取ってしまったし、

  今更それは困る

     との事でした…。」

 

この時の出来事は、

私の大きな後悔として

ずっと引きずっていた。

この出来事から13年が経過した

今回の鹿児島での『ふたり酒』で

私は初めてその心中を

ニシに打ち明けた。

 

オリックスバファローズの

ヘッドコーチというポストが

こちらからのお願いにより

実現したか否かは別にして

私からすると

良かれと思ってした事が

結果、

余計な事をしてしまった…と。

「たられば」はないが、

あのまま自然に

〇〇球団からの監督要請に

応じられるフリーの立場に

ニシがいたとしたら、

ニシの野球人生は又、

変わっていたと思う…。

 

なぜこの出来事を

私がそこまで強く

思い続けているのか。

それは…、

監督は内部昇格よりも

(チーム内での監督昇格)

外部からの招聘の方が

監督に与えられる権限など

条件が良くなることが多く、

私としてはセ・リーグの

〇〇球団というよりも

招聘を受けた事そのものに

趣きを感じていた。

 

その後ニシが、

オリックスバファローズの

ヘッドコーチを3年、

監督を2年務めたことは

周知の通り。

 

私の知る限り、

現在のプロ野球界の監督には、

ほとんどコーチの人事権がない。

(一部のチームや監督を除く)

これは球団が年俸を抑えるために

前述の内部昇格や球団OBを

監督に起用する事が多く、

その場合のコーチ人事は、

監督の要望は聞き入れず

フロントのコネからの人材で

(外部招聘)

固めることが圧倒的。

 

それらのコーチは、

既にプロ野球界では

それなりの経験や立場を持つ

プライドの高い、

しかも監督とは、

コミュニケーションが

取れていない人材。

監督と上手くいく道理がない。

そして結果が悪ければ

御身大切なフロントは、

自らの責任はどこへやら

監督にその責任を取らせる。

 

2球団で内部昇格のニシ、

マリーンズ時代も

バファローズ時代も

全くそのパターンの監督だった。

1 シーズンで良いから

ニシが願うせめて数人のコーチと

野球をさせてみたかった。

ニシは言う。

「 監督生活約5年間、誰一人

  自分の要望するコーチを

  招聘してはくれませんでした。

  せめてヘッドコーチ、

      三塁ベースコーチ、 出来れば

      二軍監督は自分と意思の疎通が

      出来ている人間と

   やってみたかったですね。」

 

ニシは、この3つのポジションが

勝つためにとても重要だという。

そういえば現在広島東洋カープの

新井貴浩監督も

監督要請が来た時、

現在の藤井彰人ヘッドコーチを

阪神タイガースから招聘したいと

球団にお願いをしたという。

( これまでカープのコーチ人事で

 カープのユニフォームを一度も

 着たことがないコーチの 就任は

 異例だった)

それから3年が経過した新井監督は

昨年私に

「藤井がいてくれて、

 どれだけ助かっているか…。」

 

話はそれるが新井監督といえば、

昨年4月に広島でお世話になる際、

私はチームに何か差し入れと思い、

監督経験者のニシに相談をしてみた。

「20~30人位いるとは思いますが

 裏方さんがその場で食べられる

 ちょっとしたお菓子を

 送ると良いと思います。

 裏方さんあってのチームですし、

 監督の知り合いが

 自分たちにまで気を使ってくれた

 と喜びます。

 監督も顔が立つと思います。」

 

私は早速、

広島マツダスタジアムへ

新井貴浩監督気付で

ちょっとお腹にたまる

東京名物のお菓子を送った。

広島での試合後、

ご馳走になった晩の食事の席で

新井監督は、

「 差し入れありがとうございました。

  裏方さんに気を使ってくれる人は、

  中々いません。さすがです!」

 

そこにはニシのアドバイスとは言わない

「さすがです!」などと言われ

すっかり有頂天になっている

ズルい私がいた(大爆笑)

 

3回にわたり長々と

ニシとの31年間のエピソードを

綴って来た。

この間、

ニシとは数多くの『ふたり酒』を

して来た。

その会場のほとんどが我が家だった。

実は4年前、

ニシはあれだけ吞んでいた

アルコールを止めた。

別段ドクターストップが

かかったわけでもないらしいが、

聞いた理由の真意の程は

あまり定かでない(笑)

ちょっと寂しい…。

今回の鹿児島で、

「 萩原さんからうちのに

  言ってくださいよ。

  もう呑んでもいいのでは?

  って(笑)」

「 それは俺の口からは

      言えないな(笑)」

 

いや、そんな私よりも

もっと寂しがっているのは、

我が家に保管された

「ニシのマイグラス」

このグラスは長年、

ニシとの『ふたり酒』で

グラスの中の焼酎と共に、

ニシの喜びも悔しさも

全て知っている。

 

 我が家で保管された我々ふたりの

    名入りマイグラス

日本のガラス工芸の第一人者

木内 清 先生 作

 

プロ野球の監督経験者が

独立リーグのGM?

そんなふうに思う人もいるだろう。

しかし私はニシの故郷宮崎への

愛を充分に知っている。

これからはその宮崎に

恩返しをしたいと言う。

かつて私が1都1道2府43県で

たった2つ行った事がない土地、

その1つが宮崎だと言った時に

ニシはそれが許せなかったのかも

しれない。

だが、失礼ながらそのおかげで

私も女房孝行が出来て、

家内が言ったような

最高の旅行に繋がったのかも

しれない…(笑)

暖かくなったら、

そんな宮崎に西村徳文GMを訪ねて

「ひとり旅」をしようと思っている。

かつてプロ野球の3球団から

監督要請を受けた男の手腕が

今度は立場を変えGMとして、

どのように発揮するか?

もしかしたらその時には、

4年ぶりに、

アルコールの『ふたり酒』が

できるかもしれない(笑)

 

3回にもわたり長々と

ニシとのこれまでのエピソードを

綴ってきた。

私もこれまで、

ふたりだけの個人的な

良きお付き合いを

続けて来た人は多い。

だがこのように、

ふたりに留まらず、

その相手の紹介や繋がりから

更に素晴らしい人たちと出逢い、

またその人たちが私に

これほど良くして

いただいていることは

中々ないと断言できる。

しかもそのお付き合いは

ニシがプロ野球界から

離れた現在でも

続いている。

これが私に、

「豊かな人生を与えてくれた。」

と言わせる所以だと思う。

それは「感謝」という

たった二文字で、

言い尽くすことなど

到底できない。

 

昨今、人に紹介を受けた後、

そのきっかけを作ってくれた

本来とても大切に

しなくてはならない

そのルーツの人を

いつの間にか忘れたり、

飛び越えた言動をする人を

よく見かける。

「浪花節」

と言われるかもしれないが、

私はこれからも

ニシへの感謝を忘れず、

時にきちんと報告もして

その上でニシに紹介を受けた

素晴らしい人たちとの

お付き合いを続けたいと

改めて心している。

 

31年前、ニシとの出逢いを

段取りしてくれた

横田真之氏には感謝と

そして改めて子息慎太郎君の

ご冥福を衷心よりお祈り

申し上げたい。    (合 掌)

 

(完)

 

※ これまで、

  他言してこなかった秘話が

  文中に出てくるが、

  既にプロ野球界を離れた

     ご本人たち了承の下、

  許される範囲内で

         掲載させていただいた。