「この人と出逢えて
本当に良かった!」
そんな方とは極力
ふたりきりでお会いして、
会場にもこだわり、
美味しいお酒と肴を共にして、
熱く語り合い、
充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。
お付き合いください。
2015年9月21日。
ナゴヤドームの試合後、
べんちゃん主催の食事会で。
前章に続き
プロ野球・元西武ライオンズ、
そして中日ドラゴンズ、
不動の4番バッター
レジェンド・和田一浩氏。
野球が好き?
特にそんなこともなかった家内。
だが、べんちゃんに対しては
とても親近感を持っていた。
前章で述べたように、
自分の母親をオールスターゲームに
招待してくれたり、
その翌年2004年12月4日には
べんちゃんの結婚披露宴に夫婦で、
つまり亭主のみならず
自分まで招待してくれたことを
とても喜んでいた。
平素は私の友人を
「さん付け」で呼ぶ家内が
「べんちゃん」と
いつも「ちゃん付け」で
呼ぶほどだった。
更に、これには私も大笑い。
それは、
べんちゃんのオープンスタンスで
グリップを耳の高さまで上げ、
バットを左右に振りリズムを取る
あの独特のバッティングフォームを
真似る(笑)
平素はそんなイメージのない女性、
ある時それをべんちゃんに話しても
信じてもらえなかった(笑)
こんな事もあった。
それはゴールデンカルテット
( 西村徳文氏、宮本慎也氏、
べんちゃん、私 )
毎年1月末の恒例のゴルフ。
既に中日ドラゴンズに
移籍していたべんちゃんは
前日に名古屋から上京、
我が家へ泊ることになった。
東京にいた頃は、
常に車で我が家へ来ていたが、
この時は名古屋から新幹線、
東京駅からは私が経路を案内。
(今思うと私が何も言わなければ
きっとタクシーで来ていた
と思う)
「東京駅の3番線から
青い色の京浜東北線に乗って…。」
電話でべんちゃんに説明をする私に、
家内は怒り心頭。
「あなた、年俸4億円(推定)の
選手を、東京駅から
人目に触れる
ローカル線なんかに乗せて。
あなたが車で東京駅まで
迎えに行くわけには、
いかないのですか!」
普段は私に物言う女性ではないが、
ことベンちゃんの事になると…。
因みにべんちゃんは、
私に言われるがまま、
京浜東北線に20数分乗って
我が家へ。
同じ車両の乗客は、
さぞかし驚いた事と思う(笑)
2014年。
私の長男が結婚式を挙げた。
当日参加出来ない
平素私が入魂にしている
通称『萩原組』のプロ野球選手、
大相撲の力士、噺家さんらが
日本各地からリレー式により、
披露宴で上映する
お祝いのビデオレターの
メッセージをよせてくれた。
その進行役をしてくれたのは、
慎也こと宮本慎也氏。
その慎也と最後の編集のため、
我が家で打合せ。
全員のメッセージを確認した。
その時のべんちゃんの
ナゴヤドームからのメッセージ、
「 萩原さんとは長いお付き合いで
とても素晴らしい人なんですが、
奥さんはもっと素晴らしい人で
いつも食事を
ご馳走になっています。
それがまるでご飯屋さんで
食べるような料理で…。」
このメッセージを聞いた慎也が、
「これって、新郎へのお祝いに
なっていませんよね(笑)」
ハイ!
家内へのメッセージです(笑)
料理と言えば、
こんな事もあった。
2015年9月10日。
忘れもしないベンちゃんから…。
「 和田です。突然ですが
今シーズン限りで
引退することに なりました。
長い間本当にお世話になりました。
そこで萩原さん、
お願いがあるのですが
21日のナゴヤドーム、
ジャイアンツとの
デーゲームなんですよ。
監督(谷繁元信)に頼んで
出場させてもらい、
お世話になった方を
その試合に招待して、
その後、食事をご一諸 したい
と思っているんです。
奥さんと名古屋まで
来ていただくわけには
いかないですか…?」
私はもちろんだが、
そんな家内が断るわけがない(笑)
その試合後に行われた
ベンちゃん主催の食事会での事、
我々夫婦が座る円卓に
ご挨拶に来られたベンちゃんの奥さん、
「 主人は萩原さんの家から戻ると
必ずいただいたメニューを
説明してくれて、
とにかく「美味しかった」
「美味しかった」って
言うんですよ。」
その話をにこやかに聞いていた家内、
ご機嫌だった事は
言うまでもない。
この食事会と言えば、
結びの挨拶を頼まれた私は、
前章で綴ったように
かつて私がお願いした
オークションの品に
ベンちゃんグッズが
何も入っていなかったエピソード。
そして、何といっても
今日の食事会の顔ぶれ。
( 横浜からべんちゃんの主治医、
自主トレ先・佐賀県で
お世話になった一家、
高校時代の友人、恩師、
社会人野球時代のチームメイト、
西武ライオンズ時代のトレーナー。
更に長男が現在所属する
少年野球チームの仲間と
その付き添いの親。
べんちゃんは会の冒頭に、
一人ひとりをみんなに紹介した )
そこには誰一人、
ドラゴンズのチームメイトや
プロ野球関係者がいない事に
私は触れ、
とかく「今、現在」ばかりを
重んじる人や世の中にあって、
こん日までお世話になった方への
「恩」をけして忘れない
このべんちゃんの
律義な人間性に、
改めて私は感銘したと
スピーチをさせてもらった。
因みに、べんちゃんの
球団による正式な引退試合は
その3日後の24日の
阪神タイガース戦だったが、
その前に自分がこれまで
お世話になった人たちと
自分のプロ野球人生のけじめを
つけたかったと、
あとになって私は聞かされた。
実は今日まで私が、
胸にしまっておいたことがある。
それは…、
この2015年の6月から
家内は入退院を繰り返した。
(翌年1月逝去)
その半年の間にあったべんちゃんの
「2000本安打達成記念食事会」
そして「引退による名古屋行き」
自らの体調については
多くを語らなかった家内だが、
きっと、しんどかったと察する。
しかし家内は、
これまでべんちゃんから受けた
数々の「恩」に対して、
最後にそのお返しを
一生懸命したかったと思う。
事実、あのべんちゃんの
2000本安打達成の
お祝いの食事会は、
家内の手料理で迎えた
我が家の最後の客人だった。
私の大きな後悔である
褒める事をしなかった亭主と違い、
べんちゃんは、
いつもしっかり家内を評価して、
褒めてくれた。
それは家内からすると
どんなにか、
うれしい出来事だったのでは、
ないだろうか。
それがべんちゃんに対する
強い想い入れに繋がったと
私は解釈している。
こうしてべんちゃんを語り出すと
止まらなくなってしまう。
本題のこの日の5時間半にわたる
充実した会話に至らない。
大変申し訳ないが、
もう 1 章お付き合いを。
(つづく)
追 伸:前章をご覧いただいた
何人かの方から
和田一浩選手は、
なんで「べんちゃん」と
呼ばれているのですか?
という質問を
いただきました。
それはかつて存在した
同姓の演出家「和田 勉(べん)」氏に
因んでいます。












