「この人と出逢えて
本当に良かった!」
そんな方とは極力
ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、
美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、
充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。
お付き合いください。
5月18日(月)。
前章に続き
プロ野球・公式記録員
山本 勉 氏
今回、私のリクエストから
わざわざ足を運んでいただいたお礼に
山本記録員が「大相撲ファン」と知り、
幕内格行司・木村朝之助さんに
筆耕をお願いして、
オリジナルの色紙を宛名入りで作成、
プレゼントさせていただいた。
( 添付された大入り袋は今年の
初場所中日八日目の「天覧相撲」
天皇皇后両陛下と愛子様ご来場の際に
関係者に配られた貴重な
『行幸啓記念』大入り袋)
今回の『ふたり酒』の会場は、
浅草ビューホテル
東京都台東区西浅草3-17-1
TEL: 03(3847)1111
つくばエクスプレス「浅草駅」直結
東京メトロ銀座線「田原町駅」
徒歩7分
27階「華‐KAORI‐」
浅草エリアや東京スカイツリーが一望
写真提供:浅草ビューホテル
35年来、当ホテルメンバーの私が
最もお気に入りの格式のある
「貴賓室」。
6人収容のこの個室を
贅沢に「ふたり」で。
今日の『ふたり酒』。
何せ初対面なので、
ギクシャクするかと思いしや、
その心配には全く及ばなかった。
互いが互いに質問をして進む会話。
以前、このブログにも綴ったが、
このパターンは、人と人とが
コミュニケーションを図る
「 最善の会話スタイル 」
山本氏は有難い事に、
これまでの私のブログを
隅から隅まで
読んでいただいているようで
私について、
私よりも詳しかった(笑)
中でも自身の趣味
「大相撲」に関しては
特に質問が多く、
一方私からは、
今回お会いするきっかけとなった
山本氏の著書に見られる
球場の跡地巡りは、
いったい何を思って
閉鎖された球場の跡地を
巡りたかったのか?
まずはそれを聞いてみたかった。
「 私は公式記録員として
駆け出しだった20代後半に、
これまでプロ野球の公式戦が
開催された球場が
289ケ所もあることを知り、
まずそれに驚きました。
しかしそれから閉鎖したり
野球場として
既に使用されていない場所が
100ケ所を超えていて、
いつの日か
全ての跡地を訪ね歩き、
残されたスコアカードをめくり、
エピソードも交えて
コラムを記そうと思い、
始めたんです。
昔は今と違い
インタ―ネットなどもなく、
調査ツールに乏しかったので、
きちんとした資料が
残されていません。
ならば私がそれをしようと。
自分が40年近く務めて来た
プロ野球の公式記録員としての
言わば総決算のつもりで
後世に残せれば… 」
私は既に読み終えた
本の内容もさることながら
このきっかけと行動力、
そして何といっても
ご自分が長年携わった
仕事に対する感謝の念、
更に後世の為という
プロ野球界への恩返しの思い。
私はしばし言葉を失った…。
そしてこの総決算が
記録員・山本 勉の功績として
未来永劫に球史に残る事を
願った。
調査の最中には、
得難い体験もあったという。
それは貴重な球界のレジェンド、
今西錬太郎さん、広瀬叔功さん、
安仁屋宗八さん、山田久志さんら
往年の名選手から話を伺えた事だと、
山本氏はうれしそうに顔を崩す。
更に私は長年プロ野球を見て来て
以前より疑問に抱いていた事を
ぶつけた。
それは、「ヒット」なのか?
「エラー」なのか?
そのジャッジである。
例えば守備力のある
二塁手あるいは遊撃手が
守備範囲が広いゆえに
ギリギリで追いついたボールを弾き、
走者はセーフになったとする。
それが通常の野手なら
とても追いつかない
ポジションだとしたら、
その判定は「ヒット」
ではないだろうか!?
山本氏は、
「ヒットとエラーの判定の基本は
打球の質(強いとか弱い)や
跳ねかた、 野手の対応の仕方、
走者の走力、グラウンド状態、
などを考慮して総合的に
判断しています。
更に私は、
野手が打球を処理したときの形
=「絵面」も判断基準にします。
萩原さんがおっしゃる
守備力のある選手と、
そうでない選手の場合、
ジャッジは弾いた瞬間の
その絵面によっては
守備力のある選手でも
エラーとします。
絵面は重んじています 」
「 絵面か…。
では同じように
技能的に異なるパターン。
走力のある選手と
ない選手の場合の判定は
いかがでしょう?」
「たとえば走者なしの場面で
詰まったショート前への
ボテボテの打球。
この打球を遊撃手が弾いた。
この時、走力のある選手であれば、
遊撃手が処理して一塁へ投げても
駆け抜けていただろうと想定して
「ヒット」にします。
逆に走力が
そこまでない選手の場合には、
遊撃手が処理して
一塁へ投げていれば
アウトにできていただろうと
想定して「エラー」を押します 」
なるほど…。
瞬時にそれらを総合的に見て判断する
これぞプロ!
まずは、そのことに驚きながらも
一方で選手側からすると
時に記録でも絡んでいようものなら、
そのジャッジが「死活問題」にも
なりかねない。
山本氏は、
「記録員は日頃選手とは
あまり交流しないように
しています 」
それは「情」がジャッジに
影響するとまずいからと言う。
このことは、
かつて元審判員からも
同じことを私は聞いている。
更に私は、
「プロ野球の世界の上下関係は
あくまでも年齢ですよね。
例えば、高卒の選手が
既にプロ野球界で4年も5年も
活躍していたとしても
後から入団した社会人野球を経た
プロ1年目の選手の方が
年齢が上だったら
プロのキャリアに関係なく
この社会人からの選手の方が
先輩になると聞いています。
同じプロ野球界でも
記録員の方の場合は、
いかがなんですか?」
「 記録員には明確な基準は
ないと思います。
入局が先でも
後から入局の先輩には
「さん」付けで敬意を
表していますし、
その逆に入局があとの先輩も
先に入局の後輩を
「さん」付けして立てます。
互いがリスペクトして
上手くやっている、
といった感じです 」
会話の「キャッチボール」は
尽きない。
中でも「縁」を感じたのは、
このブログにも綴った
私が昵懇にしている同士の戦い
千葉ロッテ西村徳文監督、
対する中日ドラゴンズ4番打者
和田一浩選手が戦った
伝説の2010年の日本シリーズで
山本氏は記録員を担当していたという。
前述のようにこれまで実働38年で
日本シリーズの出場は3回、
にもかかわらず…。
「 萩原さんがあの2010年の
日本シリーズの模様を
ブログに詳細に、熱く、
綴られていて
それを読んでいた私も
当時を思い出しました。
あの日本シリーズは
本当に凄かった!」
最後に私から定番の質問(笑)
山本氏がプロ野球界に入った
1989年(平成元年)以降に
見てきた選手の中から
ベストナインを選出してもらった。
38年間、記録員として
1507試合出場、
更に3500試合を超す
スコアを記録して来た
「選出に忖度など全くない
公平な立場の公式記録員」
山本 勉が選ぶ
題して、
『これが最強のメンバーだ!』
投 手: 斎藤 雅樹(G)
捕 手: 古田 敦也(S)
一塁手: 清原 和博(L)
二塁手: 荒木 雅博(D)
三塁手: 落合 博満(M)
遊撃手: 宮本 慎也(S)
左翼手: 金本 知憲(T)
中堅手: 松井 秀喜(G)
右翼手: イチロー(B)
( )内は球団名イニシャルの略
この9人のメンバーを
言い終えた山本氏は、
「落合さんは本来なら一塁手、
もしくは二塁手なのでしょうが、
どうしても荒木さんを
入れたいので、
主にロッテ時代守っていた
三塁手にさせてもらいました 」
この件については、
私との会話の中で
とても興味深い話があった。
それはその中日ドラゴンズの
荒木雅博選手について。
「荒木さんの凄いのは
毎回必ず1塁のカバーリング、
バックアップに走る事です。
事実そのカバーで救われた
プレーがいくつもあります。
世間で名手と言われる二塁手でも
カバーに走らない選手がいます。
だから私にとって二塁手は
荒木さん以外ありえません 」
そこにはかなり熱く語る
公式記録員がいた。
さすがに記録員として
1球1球ボールから目を切らさず
前述の判定のごとく
状況をしっかりと見ている。
初対面はどこへやら
今日も実に充実した
『ふたり酒』だった。
子供の頃から観てきたプロ野球、
しかし今日、
山本記録員から色々と話を伺い、
これからはまた違った角度で
プロ野球を楽しむ事ができる。
そして帰り際、
「私の故郷、愛媛の名産です。
ちょっと重たいですが
お持ち帰りください 」
そう言って、
リュックの中から出したのは…、
「みかんの産地愛媛県のみで
生産されている高級希少品種
『果試28号』と『甘平』、
100%無添加ストレート
ジュース。
外皮の成分が入らないように
丁寧にしぼりそのまま
瓶詰めにした 」
そんな説明が記された
みかんジュースが2本。
こんなに重たいものを
わざわざ私の為に…。
帰路は逆方向、
横断歩道を渡り、
向こう側で立ち止まり
こちらを見る山本 勉氏。
道路を隔てて互いに手を振り合い、
別れを惜しんだ。
翌朝すぐにきたメールには、
昨夜は楽しい時間を
過ごさせていただき
ありがとうございました。
素晴らしい東京の夜景に、
美味しい食事、
そして勉強になる話の数々。
面識のなかった私に
声をかけていただいたことに
感謝いたします。
お土産で頂戴した色紙は
生涯の宝物に
させていただきます。
これまで簡単に「縁」という
言葉を使っていましたが、
そこには行動力が
あってこその結果と
改めて実感させられました。
私たちの出会いも
萩原社長からの電話がなければ
一生ご縁は
生じなかったわけですから。
縁の全てが偶然に
生まれるものではないのですね。
萩原社長がよろしければ、
今後もお付き合いのほど
よろしくお願い致します。
この度は
ありがとうございました。
日本野球機構 山本 勉
(ご本人に掲載の了承をいただき、
原文のまま)
人生終盤?
古希を迎えても
まだまだこうして
新しい出逢いがある。
こんな出逢いの醍醐味が
私の人生を豊かにして
日々の活力にもなっている。
この山本 勉 記録員との
出逢いのきっかけを作ってくれた
カミこと上川誠二氏に
改めて感謝をしたい。
【 こぼれ話 】
今日、私が山本記録員と
お会いする事を知ったカミが、
「萩原さん、僕と江川卓さんとの
対戦成績を山本さんに
聞いていただけませんか?」
初対面の山本氏に
いきなりお願い事、
しかも記録員としての
仕事に関わる…、
とても悩んだが、
今回のきっかけを作ってくれた
他ならぬカミの頼みでは
しょうがない![]()
だが、この対戦。
実は私自身も興味があった。
それは以前よりカミは、
現役時代対戦した投手の
ナンバーワンは間違いなく
「江川 卓」と常々言っていた。
「 あんな速い球、
後にも先にも江川さんが一番、
手元で浮いて来ましたから… 」
カミはそう言うが、
私はしっかり覚えている。
それはカミが
中日ドラゴンズルーキーイヤー。
ジャイアンツ戦で江川投手から
サヨナラヒットを含む3安打猛打賞。
この試合がきっかけとなり、
レギュラーの座を掴み取り、
中日8年ぶりとなるリーグ優勝、
更に西武ライオンズとの
日本シリーズでは逆転本塁打や
同点タイムリーなど放つ大活躍、
敗退はしたが敢闘賞を受賞した。
つまりそれが上川誠二の
プロ野球人生の始まり、
そのきっかけを作ってくれた
投手である。
そんなカミ自身が
強い思い入れある『昭和の怪物』
江川 卓 投手。
その対戦成績はいかに?
山本氏に恐る恐る尋ねると…、
「わかりました。 明日調べて
連絡させていただきます 」
快く引き受けてくれた。
翌朝、山本氏からのメール。
「 江川さんとの対戦は
最初は苦しんだようですが、
上川さんがセ・リーグの
最後の年には 攻略に
成功していました。
「江川さんの球は速かった」
とのことですが、
70打数でわずか4三振は
アッパレ!
ではないでしょうか 」
ふたりの対戦は5年間。
通算70打数20安打、
2割8分6厘。
打点3、三振4。
最後の年(1986年)に限れば
18打数8安打、
4割4分4厘。
( 調査協力:山本 勉 記録員 )

















