『ふたり酒』

『ふたり酒』

「この人と出逢えて本当に良かった!」。
そんな方とは、極力ふたりきりでお会いして、
会場にこだわり、美味しい酒肴を共にして、
熱く語り合い、充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

5月15日(金)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・東北楽天ゴールデン

イーグルスの渡辺直人二軍監督。

ちょうど1年前の(13)章のゲストで

今回が2回目。

 

 

今年からプロ野球の

2軍(ファーム)リーグは

長年続いた従来の「イースタン」、

「ウエスタン」という2リーグ制から

1リーグ3地区制

東地区(5球団)

中地区(5球団)

西地区(4球団)

へと再編された。

これは移動負担の軽減と

新規球団の加入促進を目的とした再編で

これにより合計14球団による

「ファーム・リーグ」として

現在運営をしている。

 

渡辺直人(以下直人)が

監督として指揮を取る

東北楽天ゴールデンイーグルスは、

東地区に所属、

本日(5月15日)現在、45試合を消化

26勝16敗3分で

北海道日本ハムファイターズと

同率で首位につけている。

もちろんファームリーグの目的は

「若手の育成」が一番、

勝つことは二の次かもしれないが

負けるより勝った方が良い(笑)

今日もロッテ浦和球場で

千葉ロッテマリーンズ相手に

3対0の勝利。

 

その試合後、

「お疲れさん!ご無沙汰。」

そんな再会の挨拶と握手から始まった

今日の『ふたり酒』。

 

今日の会場は、

 高麗房(こうらいぼう) 」 

 

埼玉県さいたま市大宮区北袋町

2-424

TEL: 048(647)1060

JR京浜東北線「さいたま新都心駅」

東口徒歩12分

 

1年前の直人との『ふたり酒』の会場。

「さいたま」が地元の

このブログ(12)章の私の主治医、

湯澤久徳先生が

Jリーグ「浦和レッズ」の

選手御用達の良い店があるからと

紹介してくれたお店。

私もとても気に入ったものの

立地面で残念ながらその時以来、

1年ぶりの入店。

今回も直人の宿泊ホテルの立地を考え

この「高麗房」をセット。

私自身とても楽しみにしていた。

 

     今日の逸品

最高級の部位「シャトーブリアン」

 

今一度、この店の紹介をすると 

埼玉の老舗焼き肉店。

創業時より一貫として

A5の国産牛を使用。

全国の和牛産地から熟練職人が

確かな目利きによって厳選した

その時々の最高の部位の

仕入れを行い、

全ての素材に一切妥協せず、

素材本来の味を最高の状態で

提供している。

住宅街に「ポツンと1軒」

落ち着いた雰囲気の店内は

全て完全個室。

プライベートな空間で

周りを気にせず楽しめる

『ふたり酒』には

もって来いのお店。

 

前述のように直人とは1年ぶり。

ただこの間にこんな出来事があった。

毎年年末に開催している

私のライフワークの

「日本赤十字社活動資金チャリティ」の

イベントに、

直人は昨年自身の

ユニフォームとキャップを

オークション用に提供してくれた。

実はこれには後日談があり、

それが最初に送られて来た時には

直人のサインが入っていなかった。

当日のオークションの落札者からすれば

サインの有無は全く価値が違う。

主催者としても

参加者に喜んでいただく為にも必須。

そこで私は、

「直人、サインが入っていないよ~。

 申し訳ないけど頼む!」

「スミマセン!分かりました。

 自宅の方へ送っていただけますか?

 すぐにサインをして

 送らせてもらいます。」

そして後日、

その送られてきた荷物の中には

サインのされたユニフォームと

キャップの他に、

奥方のお手紙と共に仙台銘菓、

更に仙台名物の牛タンシチューが。

いったいどちらが

お願い事をしている立場なのか(笑)

そんな出来事があった。

私はこの直人の奥方には

以前よりとても感心している。

直人との付き合いは15年になるが

以来こんにちまで、

互いに季節の品のやり取りをしている。

私が送らせていただいた時には

本人からの連絡とは別に

いつも必ず奥方から

おざなりでない心温まるお礼状が届く。

中でも10年前、

私の家内が亡くなった時に

家内が大好物だった

山梨県の富士山麓、

「忍野村」で収穫された

匠こだわりの「トウモロコシ」を

送らせてもらった。

その時に私が添えた手紙に

「家内がこよなく愛した

 トウモロコシを…。」

という文を記したところ、

その1年後、

再び送らせていただいた時の

奥方からのお礼状には

「奥様がこよなく愛された

 トウモロコシを

 大切にいただきます。」

実は直人の奥方とはこれまで

一度もお会いしたことはなく、

当然、亡き家内とも面識はない。

そんな相手が書いた一文を

しっかりと記憶に残し、

1年後にそれを引用した文章の

お礼状を出す。

中々出来る事ではない。

それを読んだ時に私は

至極感動をした。

亡き母がよく言っていた

「亭主を生かすも殺すも女房次第」

しっかりと直人を立てている。

現代の若者の夫婦関係には

当てはまらないとは思うが(苦笑)

直人と私のお付き合いの信頼度が

より増すというもの。

余談だが、

直人の奥方の出身地は秋田県。

我が家の長男の嫁も

私の義兄の嫁も秋田県。

みんな「秋田おばこ」(笑)

私が現在の会社へ入社して

初めて担当した地方出張も

秋田県だった。

 

今日の『ふたり酒』。

「僕はホント『野球オタク』

 なんですよ。」

この自己分析に背くことなく

熱く野球を語る直人。

現在のチーム事情や

今後の自分自身について、

しっかりと分析をしたり

自分の考えを語る。

ただ彼の話を聞いていると

人をきちんと思いやり、

客観的に物事が見られる。

ふと、考えてみると、

現在私がお付き合いをしている

プロ野球人はみな、

このタイプが多い。

だから私とも長い付き合いが

続いているのかもしれない。

ただ、これまでには、

そんなタイプばかりではない。

既に「人間関係の卒業」をした

私からすると「勘違い」の

プロ野球人も何人か…。

(苦笑)

 

そして本日の締め、

このところ私が

プロ野球関係者に遊び心で聞く

「あなたが選ぶベストナイン」

直人にも聞いてみた。

 

すると直人は、

「萩原さん、僕は自分と

 一緒に戦ったチームメイトだけで

 選ばせてもらっても良いですか?

 もっとビッグネームや

 記録的には凄い選手が

 いるとは思いますが

 同じチーム内で

 普段の練習やゲーム前の準備、

 そんなチームメイトだけが知る

 選手のルーティンまで考慮した

 ベストナインを選びたいです。」

 

「直人らしい」と思いながら

もちろん私にその異論はない。

 

『渡辺直人監督が選ぶ

 チームメイトベストナイン』

 

投 手:岸 孝之    (楽天)

捕 手:嶋 基宏  (楽天)

一塁手:中村 剛也 (西武)

二塁手:藤田 一也 (横浜・楽天)

三塁手:中村 紀洋 (横浜)

遊撃手:小坂 誠  (楽天)

左翼手:栗山   巧   (西武)

中堅手:秋山 翔吾 (西武)

右翼手:鉄 平  (楽天)

D   H:山崎 武 (楽天)

 

( )内の所属球団は

直人が所属していた同時期に

その選手が所属していた球団

そして私の問いかけにはない

「DH」まで直人は選出してくれた

(笑)

 

東北楽天ゴールデンイーグルス、

横浜DeNAベイスターズ、

埼玉西武ライオンズ、

そして再び楽天と

現役生活15年、

「松坂世代」の直人。

実はその間、

交換要員で破談にはなったが

オリックスバファローズが

横浜にいた当時の直人に

トレードを申し込んだ逸話がある。

(本人は知らなかったが・笑)

直人は所属したそれぞれの球団全てに

愛着を感じていると言う。

そんな3球団から選んだ

ベストナイン。

正直、私からすると

「えっ」と思う選手もいたが、

前出の和田一浩氏や相川亮二監督も

かつてのチームメイトを選んでいる。

極め付きは、

以前、西村徳文元監督に

同じ質問をした時、

「ピッチャーは伊良部秀輝ですね。

 (後のヤンキース他)

 僕のポジション・センター、

 つまりピッチャーの真後ろから

 見た彼の球は、それは凄かった!

 あれだけのパワーピッチャーは

 そうはいません。

 味方で良かったと思いました。」

 

西村徳文氏が活躍した年代からして

当時のパ・リーグには

もっと大物投手が

いくらでもいたはず。

しかし同僚という立場から

身近に見て、

同じプロ野球選手としての凄さを

実感しているのだろう。

私のような素人の選出とは

レベルが違う(笑)

今日も最後にベストナインで

盛り上がった『ふたり酒』。

直人は明日も千葉ロッテ戦。

今日もしっかり4時間、

「気合のガソリン」

たっぷり入れてもらった(笑)

(ハイボール9杯づつ)

今回もまた実に充実した

『ふたり酒』だった。

次回の舞台は直人の地元「仙台」、

そんな約束をして別れた。

 

(13) 渡辺直人監督 | 『ふたり酒』

 

【 追 記 】

これまでこのブログの読者何人もから

こんな質問を受けています。

「お酒を呑みながらの会話、

 しかも長時間。

 お相手が話された内容、

 ベストナインや数字的な事まで

 相手が言った事を

 よく覚えていて書けるなぁ~と

 感心していますが、

 『ふたり酒』の最中に

 録音やメモを取られて

 いるのでしょうか?」

 

お答えします。

私はただの一度も録音やメモを

取ったことなどありません。

なぜならば、

私はこのブログを書く為に

『ふたり酒』をしているわけでは

ありません。

大切な方と「サシ」で向き合い、

美味しい酒肴を取りながら

熱く語り合うことが目的で、

その充実したひと時を、

又、相手が語った

私の心に強く残ったことを

差しさわりのない範囲で

ここに書き残したいという

想いからです。

つまりこのブログの公開は、

私に取って「後付け」。

ですから、2人の貴重な時間の最中に

「録音」や「メモ」などの

余計な行為は相手に失礼ですし、

私に取って意味のない事です。

 

と、かっこいい事を言いましたが、

3人以上で呑んだお酒の時には

覚えていない事が

最近加齢からか?

多々あります(笑)

その違いはなぜか?

自分でも分かりません。

ただ言えることは、

私は老若男女問わず

『ふたり酒』が好きで、

3人以上でワイワイ呑む「宴会酒」は

あまり好みません(汗)

(私は3人以上で呑むお酒を

 「宴会酒」と称しています)

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

5月4日(月)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球3球団で、

フロントとして数々の実績を残した

瀬戸山隆三氏

 

今日の会場は、

 

「金寿司」

東京都北区滝野川6-45-10

03(3916)0777

都営三田線「西巣鴨駅」徒歩7分

JR「板橋駅」徒歩10分

 

下町で創業75年の老舗寿司店。

扱う「まぐろ」は特に絶品で

女将が握る都内でも数少ない

江戸前寿司店。

瀬戸山氏と私の『ふたり酒』の

定例会場である。

 

   (刺身の盛合せ)

 

改めて瀬戸山隆三氏の紹介を

してみたい。

1977年「スーパーダイエー」に入社、

食肉売り場を担当していた。

そのダイエーが1989年プロ野球球団

南海ホークスを買収、

水面下でその買収時の調査や

新球団立ち上げの

準備部門として新設された

神戸本店室課長に

中内 功 社長の命により

就任した事が、

瀬戸山隆三氏のその後の人生を

大きく変える。

「 スーパーに入社した私が

  後にプロ野球球団の

  経営に携わるなどとは

  思ってもみなかった(笑)」

南海ホークスを買収したダイエーは

それまでの本拠地大阪から

福岡へ球団を移転させた。

「福岡ダイエーホークス」の

誕生である。

当時の福岡は西鉄ライオンズが

球団を売却した後、

いくつかのスポンサーを経て

西武が買収、

西武ライオンズとして

本拠地を埼玉県所沢へ移したものの

それでも西鉄ライオンズ以外は

受け付けない絶対的なファンが

福岡には根強く残っていた。

その福岡の地で瀬戸山氏は

右も左も分からない中で

スポンサーやファン作りに遁走、

しかも観客が足を運ぶ球場は、

(当時:福岡ドーム)

市内とはかけ離れた海岸の埋立地。

しかしその地道な努力は花を咲かせ、

地元福岡でのファンをつかみ

スタジアムの観客は連日満員、

瀬戸山隆三氏のその手腕は

誰もが知る大きな功績として

今も尚、プロ野球界の語り草に

なっている。

その後瀬戸山氏は2004年に移籍した

 千葉ロッテマリーンズの本拠地

 千葉マリンスタジアムでも

球団代表、球団社長として

同様の功績を残し、

ロッテ球団31年ぶりの日本一にも

貢献。

その後はオリックスバファローズでも

執行役員球団本部長として

球団運営に当たっている。

福岡ダイエーホークス、

千葉ロッテマリーンズ、

そしてオリックスバファローズと

3球団で球団代表や球団社長として

球団経営に携わってきた瀬戸山氏は、

(実は阪神タイガースからの勧誘も)

プロ野球球団の常道である

親会社から派遣された、

「球団経営の素人」とは違い

百戦錬磨の球団経営者である。

そして何と言っても1995年、

それまでパ・リーグに

見向きもしなかったあの「世界の王」を

(現福岡ソフトバンクホークス

 王貞治会長)

時間をかけ、「お百度参り」の末、

ホークス球団に招聘し、

入団にこぎつけた事は

その後のプロ野球界の歴史を

大きく変える事になる。

 

2004年の「プロ野球再編問題」。

当時、経営者側実行委員会の

選手関係委員長をしていた瀬戸山氏が

選手側の代表である

プロ野球選手会古田敦也会長との

(当時東京ヤクルトスワローズ)

交渉後に求めた握手を拒否された一幕は

当時、小学生に真似されたほど

今も尚、多くの人が目に浮かぶ

光景と思う。

 

その瀬戸山隆三氏と私の出逢いは、

遡る事24年前、

2002年6月8日。

私が46歳の時に人生初の

仲人を務めた結婚披露宴の席だった。

それは某幕内力士の結婚披露宴で

その力士の師匠は、

七代目高砂浦五郎親方。

(元大関・朝潮)

当時、家族ぐるみの付き合いをしていた

私と同い年の高砂親方は、

私がこの力士の四股名の

名付けでもあった事から

「ハギさん、こいつの仲人を

 してもらえませんか?」

と、依頼して来た。

しかしながら天下の幕内力士の仲人は

どれだけ社会的地位のある後援者が

やるものか、

父の影響で子供の頃から

大相撲の世界と接して来た私には

充分過ぎるほど分かっている。

私では役不足、分不相応だと

最後の最後まで親方にお断りをした。

最後には、

「 私なんかが仲人を務めたら

  親方が笑われますよ!」

そこまで言うも親方は譲らない。

元来、後援者を持ち上げるような

忖度が大の苦手で

形式などにもこだわらない

失礼ながら何事にも

良し悪しは別にアバウトな親方(笑)

押し問答の繰り返しで

話は前に進まなかった。

そこで私は、我が子のように

可愛がっていただいた

今は亡き五代目の高砂浦五郎親方。

(第46代横綱朝潮)

その女将さんに相談をした。

女将さんにはこんにちでも、

相撲界に関する事で困った時には

いつも相談に乗ってもらっている。

 

「 お引き受けになったらいかが?

  社長がそんなに心配するなら

  当日、仲人としてのご挨拶を

  バッチリ決める事よ(笑)」

背中を押された。

 

46歳という若さで人生初の仲人、

しかも招待客は460名という

それは大規模な結婚披露宴だった。

その中で私がさせていただいた

スピーチの内容は…、

何度も親方にお断りした末、

お引き受けした身分不相応な

大役であるという招待客への

了承に始まり、

父の影響で40年近く

接して来た大相撲界と私の

これまでの歴史。

更に父から学んだ

その角界とのお付き合いの仕方。

そして結びは慣例の新郎新婦の

プロフィールと馴れ初め、

私から二人への励まし。

約15分間のそのスピーチを

一切原稿など見ることなく話した。

私からすると

招待客になめられたくないという意地と

私に依頼した高砂親方に

恥をかかせたくない

そんな一心からだった。

ご歓談の宴が始まり、

我々が座る高砂の席に

すぐにご挨拶に見えられたのが

「福岡ダイエーホークス 

 常務取締役球団代表」

その肩書の名刺を出された

瀬戸山隆三氏だった。

「お仲人さん、本日はご苦労様です。

 ご挨拶に感動しました!」

瀬戸山氏は面識のない私に

お酌をしながらそう言った。

短い会話ではあったが、

私が千葉ロッテマリーンズと

関りがあると知ると

後日、福岡ドームで開催される

対千葉ロッテマリーンズ戦に

2泊3日で福岡へご招待いただき、

野球観戦はVIPルーム、

試合後は福岡最大の繁華街「中州」へ、

宿泊は球団関連のシーホークホテル、

(現在のホテルジャルシティ福岡)

帰京の際にはお土産に

ホークス球団のスポンサーでもある

丸一食品の「明太子」を

持ちきれないほど持たせてくれた。

以来24年間、

良きお付き合いが続いている。

ちょっと余談だが、

「感動した」と言えば…。

披露宴が終わり、

金屏風の前での招待客の送賓時、

憧れの北の富士勝昭さんが

「 仲人さん、

  ご挨拶に感動しましたよ!」

この日の結婚式までの準備期間中、

親方夫妻と新郎新婦の間に入り

色々大変な思いや

屈辱的な思いもしたが

そのもやもやが

一気に晴れた瞬間だった。

仲人を務めたこの力士とは

残念ながらその後、

「人間関係の卒業」をしたので、

名前は控えさせていただく。

 

この時がきっかけで

お付き合いが始まった瀬戸山氏だが、

その2年後の2004年、

ホークス球団を退団し、

当時私がどっぷりと浸かっていた

千葉ロッテマリーンズへ球団代表

(その後社長)として

移籍して来られた時には

天と地がひっくり返るほど驚いた。

更にその在任中の2010年、

私の長年の夢、

悲願の「西村徳文監督」の誕生は

瀬戸山氏なくしてありえなかった。

又、その翌年の2011年には

私の出身大学千葉商科大学の

「スポーツビジネス」の科目で

客員教授として教壇に立たれたり

関西出身の瀬戸山氏が

私の生まれ育ちの東京都北区へ

(駅で一つ違い)

引っ越しして来られた数々の出来事は、

それこそ俗にいう

前世からの「赤い糸」

結ばれていたとしか思えない

実に不思議な縁だと思っている。

現在はプロ野球界を離れ、

いくつかの会社の顧問として

活躍する瀬戸山氏だが、

再びプロ野球界と関わる話も

来ていると聞く。

こうして定期的に『ふたり酒』をして

互いの人脈に頼った

相談を持ちかけながら

交流を温めている。

 

既に時効だが、

瀬戸山氏にはプロ野球界在籍中、

私が付き合いのある関係者の

コーチ人事や戦力外選手の

再雇用でもお世話になっている。

中でも2010年9月14日。

瀬戸山氏が千葉ロッテマリーンズの

球団社長時代、

千葉マリンスタジアムでの

対福岡ソフトバンクホークス戦で

私が「始球式」を仰せつかった事は

最大の想い出であり、

小学6年生の卒業アルバムに、

「将来はプロ野球選手になりたい」

そんな想いを綴った私からすると

まさかプロ野球公式戦の

マウンドに立つという

信じられない夢のような出来事も

経験させてもらった。

 

              夢の始球式

写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団

 

今日の『ふたり酒』。

互いの近況報告や思い出話しの中で、

私は改めて聞いてみた。

「30年のプロ野球球団経営者として、

 してやったりの出来事は

 なんだったでしょう?」

すると瀬戸山氏は、

「そうですね。

 時系列で話すと、

 まずは南海ホークスの買収時、

 何としても自身の出身地『神戸』を

 新本拠地にしたい中内功社長を

 ビジネス面の事を考えると、

 福岡がベストと1年がかりで説得。

 それが実現して、

 更にそれがその後のプロ野球界の

 フランチャイズモデルになった事。

 そして世界の王さんを

 球団に招聘できた事。

 それまでパ・リーグには全く関心を

 寄せなかった方ですから、

 それは時間がかかりました。

 あとは球界再編の時ですかね。

 球団を合併させ1リーグにという

 オーナー側と、ストライキまでして

 それを阻止しようとした選手会。

 私が選手関係委員長として間に入り、

 2リーグ存続という元のさやへ

 納めた時には正直ホッとしました。

 千葉ロッテマリーンズ時代は、

 球場の土地、球場本体、球団と

 それぞれ所有者が異なる

 複雑な関係を球場と球団を

 一体化させた事は大変でしたが、

 それにより球団経営が一気に

 上向きましたから。

 球場は球団が所有しないと

 球団経営は厳しい。

 これまでほとんどの球場が

 球団の持ち物ではなく、

 あのジャイアンツでさえ

 東京ドームは自己所有では

 ありませんからね。」

 

我々が時に驚き、

時に何となく見て来た

この数々の出来事は、

瀬戸山隆三がプロ野球界に残した

また球界の歴史そのものを変えた

大きな出来事に他ならない。

 

「もう1杯吞みましょうか?」

二人にとって、

いつも最後のはずの1杯が

最後でなくなる(笑)

 

更に私は遊び心で

こんな質問をぶつけてみた。

それは…。

通常の「ベストナイン」という

選手のプレーの技量から選出する

ベストナインではなく

プロ野球3球団で30年間

フロント(球団代表や社長)として、

更にパリーグ理事長や

選手関係委員長なども歴任し、

多くの選手と契約交渉などでも

接して来た瀬戸山氏に

何か特別なエピソードがあった選手や

「人格者」というような角度からの

独断と偏見のベストナインを

選出してもらった。

題して、

「瀬戸山隆三思い出のベストナイン」

(笑)

 

投 手:渡辺 俊介

       (千葉ロッテマリーンズ)

捕 手:的場 直樹

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

一塁手:中島 裕之

       (オリックスバファローズ)

二塁手:井口 資仁

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

三塁手:小久保裕紀

       (福岡ダイエーホークス)

遊撃手:小坂 誠

       (千葉ロッテマリーンズ)

左翼手:村松 有人

       (福岡ダイエーホークス)

中堅手:秋山 幸二

       (福岡ダイエーホークス)

右翼手:糸井 嘉男

       (オリックスバファローズ)

 

※ ( )内の所属球団は

   瀬戸山氏が在籍して

  その選手と交流があった球団

 

実はこのラインナップ、

瀬戸山氏が企てたトレードに

関わった選手がほとんど(笑)

私は後でそれに気付いた。

トレードは選手双方のみならず、

企てたフロントにも

色々な思いが残っているのだろう。

 

今度は瀬戸山氏自ら、

「更に私の方から付け加えると

 コーチでは福岡ダイエー、

    千葉ロッテ、 オリックスで

 一緒にやった高橋慶彦。

 彼は私の方針を忠実に

 実行してくれた男で

 私としては監督にしたかった男です。

 監督は、福岡ダイエーで共に戦った

 根本陸夫さんですかね。

 私は8人の監督と一緒にしましたが、

 私にプロ野球のいろはを教えてくれた

 『球界の寝業師』、大恩人です。

 (笑)」

 

話は尽きなかった。

そして今日もまた、

我が家で待つ私の娘にと

お寿司のお土産を持たせてくれた

瀬戸山隆三氏。

24年前、

私が止む無く引き受けた仲人、

仮に引き受けなかったら

瀬戸山氏と知り合う事は

まずなかっただろう…。

当時は色々問題もあったが

それを考えると

引き受けて良かったと

今は心からそう思っている。

人と人の出逢いや縁は

実に面白い。

 

いや、

引き受ける引き受けない以前に

私を指名をしてくれた

今は亡き大ちゃんこと元大関朝潮

七代目の高砂浦五郎親方に

感謝するべきだろう。

(合 掌)

 

瀬戸山隆三氏の著書

「裏方力」(うらかたりょく)

 

 

中々知られていない

プロ野球界の裏事情や

そこでの瀬戸山氏の歩み。

プロ野球ファンなら必見!

是非、読んでみてください。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

4月24日(金)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

大相撲・元小結 豊真将の

錣山(しころやま)親方。

このブログ2回目のゲスト。

 

         

今日の『ふたり酒』の会場は、

 

 浅草ビューホテル

東京都台東区西浅草3-17-1

TEL: 03(3847)1111

つくばエクスプレス「浅草駅」直結

 東京メトロ銀座線「田原町駅」

 徒歩7分

 

その27階にある「華‐KAORI‐」

 

    東京スカイツリーが一望できる貴賓室

      写真提供:浅草ビューホテル

 

当ホテルで最も格式のある個室で

中々予約が入らない。

しかも6人収容の貴賓室に

『ふたり酒』のお願いをする(笑)

 

 

本日の料理は中華菜譜。

メインディッシュは、

「霜降り和牛肩ロースの柔らか煮込み

 彩り野菜添え」

 

 

錣山親方との稀有な出逢いや

親方のプロフィールは

前回のブログでたっぷりと

綴らせていただいたので

割愛さえていただくが、

その時の初めての『ふたり酒』は、

「相撲談義」づくしだった。

親方は2年前、

急逝した先代(元関脇 寺尾)から

部屋を急遽引き継ぎ

運営してはいるものの

継承後の弟子の指導や

後援者とのお付き合い、

部屋の行事開催など

これまでとは全く異なる

未知の仕事ばかり。

戸惑いを感じている様子だった。

こんにちまで60数年、

大相撲の世界、関係者と接してきて

私が相撲部屋や師匠に感じて来た事を

率直に話したところ

もう一度ゆっくり話が聞きたいと

連絡をいただき

今日の『ふたり酒』に至った。

 

現在、大相撲の人気は大盛況。

平成の幕開けと同時に起こった

あの「若貴時代」以来であろう。

しかし閑古鳥が鳴いていた時代も多い。

私の知るこれまでの60数年、

むしろそんな時代の方が多かった。

父の影響で子供のころから

大相撲ファンだった私。

我が家に力士や角界関係者が

出入する環境に育った事が

そうさせたと思う。

当時は「大鵬全盛時代」。

(世間では「柏鵬時代」というが。

 因みに当時の私は朝潮ファン)

大鵬があまりに強すぎて

大相撲人気はどん底。

「相撲なんて年寄りが見るもの」

世の中はそんな風潮だった。

小学生の私の友達に

相撲ファンなど誰一人いない。

人に「相撲が好き」とは

恥ずかしくて言えなかったほど。

いわば「隠れ相撲ファン」。

今では信じられないが、

土曜日、日曜日でさえ

当時の蔵前国技館へ行くと、

当日券は余るだけ余り、

本来2階のイス席を求める私に

お茶屋さんから

(現在の相撲サービス会社)

「升席空いているから座らない?」

そんなありさま。

後の「若貴時代」そして現在の

この人気は大変結構な事ではあるが

この人気もいつまで続くか?

そんな余計な心配をしてしまう。

その最大の理由は

「チケットの入手が困難」。

これほどチケットの入手が困難な興行も

そうはない。

本場所の大相撲を観戦しているのは

必ずしも相撲ファンばかりでなく

接待を受け、

相撲そのものをよく理解せずに

観戦している人も多いと聞く。

本来の相撲ファンが生で見たくても

チケットが手に入らないのが現実。

現在どんな世界でも

将来的な存亡や発展を見据え

裾野を広げようと

必死になって集めるのが

若年層のファン。

特に子供たちに対するサービスには

各界とも様々な知恵を練っている。

その一方で、大相撲を子供たちが

生で見ている光景を

目にするだろうか?

「子供の頃から相撲ファン」

私の時代のような

そんなファンが育つ

環境にないのが今の相撲界。

このような入手困難な

チケットの仕組みと流通の事を綴ると

差し障りがあるので控えるが、

これがいつの時代も

大相撲が安定した人気に繋がらない

最大の理由だと私は考えている。

 

そんな独特の世界?で

一生懸命生きる錣山親方と

60数年の好角家で

こんにちまで多くの大相撲関係者と

お付き合いをして来た私の

今日の『ふたり酒』。

 

錣山親方は、

前述の私へのリクエストから

部屋の現状をつぶさに説明しつつ

色々と私に質問を投げかけてくる。

人間、どんな業界に生きようとも

幾つになっても

聞く耳を持った「素直さ」が大切。

「キャリアに勝るものなし」

諸先輩の経験をいち早く

自分のものにする方が

間違いなく有利に生きられる。

私もこの年になると、

これまでの「山あり谷あり」、

「艱難辛苦」の人生の中で

経験した事やそこで得た術を

これからの時代に生きる人たちに

引き継いで残したい

そんな想いが強い。

但しそれは、「相手が望むならば」。

そんな相手には惜しみなく

伝授したいと思っている。

望む相手に「お役に立ちたい」

それが私の生き方。

ましてやこの親方のように

素直で真面目な人間性なら尚更。

豊真将の現役時代の

あの土俵上の所作が

全てを物語っている。

 

今日も会話を進めるうちに、

親方の現役時代の四股名

「豊真将」の名付け親が

私と面識がある人だったり、

錣山部屋将来の構想の地が

私と深く繋がりのある土地だったり、

今回も又、「不思議な縁」を

感じた。

 

そんな親方に遊び心で質問。

「親方、豊真将の時代に

 今の現役力士で是非、

 対戦してみたい力士は?」

すると親方は間髪入れず、

「安青錦ですね。

 自分も前傾の相撲を

 取っていたので、

 彼の前傾と自分の前傾、

 どちらが強いのか?

 単純に興味がありますね。」

「なるほど、もぐり合いだね(笑)」

 

そして私もまた、

自分の人生観について語る。

毎年年末、

日赤へのチャリティイベントを

開催しているライフワークに

「今年は是非自分も

 協力させてください。」

そんな約束をしながら

今日の『ふたり酒』を

締めくくった。

 

(32)錣山親方(元豊真将) | 『ふたり酒』

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月20日(金)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

私が「姉さん」と慕う S さん。

残念ながら実名・顔写真は

ご本人の希望でNG。

 

姉さんは今は亡き

私どものお仲人さんのお嬢様で、

私より4歳年上。

長年1年を通じてコンスタントに

『ふたり酒』をするお付き合い。

近況報告や相談事、

あるいは亡きご両親の

想い出話に花を咲かせる。

又、平素は私のチャリティ活動にも

協力いただき、

私が何事も包み隠さず

話のできる数少ない1人である。

 

毎年、私の誕生日には

「胡蝶蘭」を届けてくださるが、

今年は私が『古希』を迎えた事から

更に食事のご招待を受けた。

 

  今年の「胡蝶蘭」

 

以前にも触れたが

両親共に亡くなった66歳を過ぎ、

無事67歳になった年に私は、

古希70歳を迎えたあかつきには

「こうありたい」

という3年後の目標を定めていた。

それは容姿体形、気力体力充実など

誰から見ても

「信じられない70歳」

を目指して(笑)

周囲の声からすると…、

自分で言うのもなんであるが、

それらをクリアしたのではないかと

勝手に思っている(笑)

 

10年前の還暦の直前、

家内を亡くした私は、

当時、子供たちや友人が

「還暦お祝い」

と言っていただいたが、

とてもその気にはなれず

全て丁重にお断りしていた。

そのような諸事情から迎えた

今年の「古希」。

子供たちが食事会を開催、

しかも10年前、

余命宣告を受けていた家内の

還暦祝いをした会場という

それは感慨深いサプライズだった。

又、このブログにも綴ったように

多方面にわたる友人知人が

お祝いをしてくれて、

おかげさまで、

本当に素晴らしい古希を

無事迎えることができた。

 

今日のお祝いで

姉さんが設営してくれた会場、

と言うよりも

姉さんと私の『ふたり酒』は、

必ずここ。

 

「ザ・キャピトルホテル東急」

東京都千代田区永田町2-10-3

地下鉄千代田線・丸ノ内線

「国会議事堂前」駅直結

地下鉄銀座線・南北線

「溜池山王」駅直結

 

このホテル内にいくつかある

レストランの中でも

私たちが特にこよなく愛する

「水簾(すいれん)」鉄板焼

 

 

ロビーから水上の通路「渡殿」を抜けて

「水簾」のエントランスへ。

非日常へと誘うアプローチの演出に、

期待が高まっていく。

扉を開けると、

そこには6席と8席の個室が2部屋、

それぞれ L 字型カウンターを配した

特別な空間。

限られた人数のためだけの場、

磨き上げられた鉄板の輝き、

そこで出迎えてくれるのは

庄子俊也シェフ

鉄板焼ひと筋30年。

私たちが全幅の信頼をよせる

シェフである。

 

46年前、

このホテルの前身

「東京ヒルトンホテル」で

姉さんのご両親のお仲人で

挙式を挙げた私たち夫婦。

それがきっかけで、

このホテルに相当顔の利いた

姉さんのご両親からの紹介で

私はメンバーに。

(当時の私の年齢や収入では

 本来はあり得なかった)

「東京ヒルトンホテル」、

「キャピトル東急ホテル」、

「ザ・キャピトルホテル東急」と

ホテルの名称が移り変わっても、

これまで結婚記念日はもちろん

家族の誕生日や節目のお祝い事は

全てこのホテル内にある

いづれかのレストランを

使用して来た。

私にとって、

最も「至福のひととき」を

味わえる場所。

姉さんのご両親がルーツで

今がある。

だから姉さんとの『ふたり酒』は

ここをさておき、あり得ない。

もちろん今日も。

 

かつて私は姉さんのご両親に連れられ

若い時から超一流を経験でき、

それが自信を作り上げてきた。

このホテルは私を育ててくれた。

いわば私の恩師。

今でもこのホテルの

エントランスに差し掛かると

身を正し緊張感が。

このように年長者が若い人へ、

文化や作法を教えていく伝統。

私もこれからの人生、

自分が目にかけた若い人たちに

繋いでいこうと思っている。

若い人が自分たちのお金では

入れない超一流の場所に…。

 

今日の会場「水簾・鉄板焼」。

前出の庄子シェフの出勤日を

確認してから予約を入れる。

姉さんと私、ふたりの好みを知る

庄子シェフにお料理は全てお任せ、

会話を楽しむ。

ただ「見せる」ことも重視する

庄子シェフの手さばきをリスペクト。

時に会話を中断させて視線を送る。

 

その手さばきとは…。

 

本日のお肉「但馬牛」

部位は「サーロイン」、

「下駄」、「かぶり」

 焼き加減はミディアムレアー

     フランベ

   部位ごとに順次

 

仕事柄多忙な年度末を送る

姉さんとの『ふたり酒』。

今日もまた楽しく充実した

ひとときだった。

最高の「古希祝い」を

していただいた。

 

姉さんとのこの出逢いに

導いてくださった

今は亡きお仲人ご夫妻に

心より感謝を申し上げたい。

そしてこれまで頂戴した

有形無形のご恩を

私は少しでも

姉さんにお返しできればと

心している。

 

そしていつも気を利かせて

帰り際にお土産を持たせてくれる

庄子俊也シェフ。

それは家で待つ私の娘用に

私が食べきれなかった?

「ステーキ」と

「ガーリックライス」。

 

ホテルからもケーキ、花束を

いただいた。

 

同い年の家内も

一緒に迎えたかった

この古希。

 

さぁ!

次なる目標は4年後の74歳。

それは会社創業100周年の年。

自分自身は、

「容姿体形維持」、「気力体力充実」。

そして行動指針は、

「世のため人のため」。

 

短命の萩原家。

創業者よりも(67歳没)

二代目の父や母よりも(66歳没)

そして家内よりも(60歳没)

長生きしてしまった…。

 

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月12日(木)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・横浜DeNAベイスターズ 

相川亮二監督。

昨年8月6日、

このブログの第(16)章で

「相川亮二コーチ」として綴り

今回、2回目のゲスト。

 

その前回のブログの文末で私は、

「横浜、ヤクルト、ジャイアンツと

 セ・リーグの在京3チームでプレー、

 五輪、WBCと国際試合も経験、

 指導者としてもジャイアンツ、

 そして横浜。

 現在の横浜DeNAベイスターズでは、

 三浦大輔監督の片腕として、

 ヘッド格のコーチ。

 そんな豊富な経験を持ち

 上からはかわいがられ、

 下からは慕われる

 そんな相川亮二の監督就任を

 私は強く願っている。」

と結んでいる。

そしてこの2ケ月後、

私の悲願である

「相川亮二監督」が

誕生した。

 

相川亮二氏(以下亮二)との出逢いは

今から17年前、

2009年5月16日(下記写真)。

神宮球場での阪神タイガース対

東京ヤクルトスワローズの試合後、

スワローズの宮本慎也選手と亮二、

そして当時は、

阪神タイガースに在籍していた

新井貴浩選手と私の4人で、

赤坂の焼き肉店で食事をした時が

最初だった。

 

      【 17年前  】

写真左より相川亮二、新井貴浩、

宮本慎也、私

(以下、全て敬称略)

 

私も若いが、みんな実に若い(笑)

この中から監督が2人誕生、

宮本慎也監督が実現したあかつきには

パーフェクト。

この写真は更に価値あるものになる。

 

前述のように

アテネ五輪でチームメイトだった

和田一浩(当時西武ライオンズ)は

「亮二は熱くていい奴です!

 萩原さんが絶対に気に入る奴です。

 是非、紹介させてください!」

その後、スワローズで

チームメイトになった

宮本慎也は、

「今度、亮二も食事に誘いますよ。」

阪神タイガースの新井貴浩からも

(現広島東洋カープ監督)

「亮二とは同い年なんですよ。

 一度、3人で食事でも

 したいですね。」

まるで「三処攻め」のように

(笑)

そんな相川亮二と私は、

赤い糸で結ばれていたのかも

しれない。

 

その亮二と

この赤坂での初対面の後、

当時のブログに私は

次のように綴っている。

「相川亮二選手は、

 評判通りの男であった。
 目の前にいる初対面の私の

 アルコールが入ったグラスや

 食べ物のお皿の空き加減を

 常に気遣いながら食事や

 会話をする。
 謙虚な『ナイスガイ』で、

 野球を熱く語る男だった。」
 

その出逢いをきっかけに、

亮二は一人でも我が家へ

来るようになった。

これまで数多くのプロ野球選手が

我が家に出入りして来たが、

亮二の人柄に

「 相川さん、うちの娘を

     もらってくれないかなぁ。」

家内に唯一、

そんなセリフを言わした男である。

 

当時、毎年12月に私が開催していた

「萩原杯チャリティゴルフ」にも

出逢った年から欠かさず

参加してくれた。

またその間、

ジャイアンツにFA移籍した時も

引退を決めた時も

ジャイアンツやベイスターズに

コーチで呼ばれた時も

必ず報道で公開される前に

連絡をくれる義理堅い男で

それはもちろん

今回の監督就任の際も

同様だった。

 

亮二と『ふたり酒』をすると

野球談議よりも

むしろ一般的な話題の方が多い。

それは彼が一般的感覚を

身につけているからだと思う。

数年前、

今の奥さんと

お付き合いが始まった当初、

「 萩原さん、一度会って

     もらえますか?」

「 おい亮二、もし俺が会って

     付き合い止めた方がいいよ、

 と言ったら、

    別れるのか(笑)」

そんな軽口を聞いた後、

2度ほど3人で食事をしたが

とても感性豊かな女性だった。

 前言撤回!

そしてそれから約2年後、

ほろ酔い加減の私のもとに

「今日、入籍をしました。」

元旦早々、

めでたい報告があった。

 

前置きが大変長くなったが、

昨年10月、

横浜DeNAベイスターズの

新監督に就任以来、

「お祝いさせてもらわないとね。」

ところが新監督、

多忙に多忙を極め、

5ケ月遅れの今日やっと

お祝いの『ふたり酒』。

話はそれるが昨年12月20日、

私が開催したチャリティパーティでは、

急遽球団のスタッフミーテイングが

入ったにもかかわらず

ミーテイング会場の横浜とは

反対方向のパーティ会場に

貴重なチャリテイグッズを持参して

30分だけ顔を出してくれた。

私の顔が立った事は言うまでもない。

 

さて、今日の『ふたり酒』の会場は

このブログで既に何度も登場している

私の推し

鮨割烹「ひら川」。

 

 

以前、このブログを見た亮二から

「僕も行ってみたいです。」

そんな経緯もあったので、

その時から私の中で

お祝いは「ここ」と決めていた。

この日は横浜スタジアムで

オープン戦のデーゲーム。

試合後、横浜から遠路

都内の湯島まで足を運んで

『ふたり酒』。

明日も予定が入っている中、

しっかり4時間、

大いに飲み、かつ語った。

監督業のやりがいや

シンドイ部分等の野球談議。

彼の話は昔から

泣き言や愚痴、言い訳が

一切ないので

快く受け止める事ができる。

(個室から漏れた会話に

 店主曰く「相川さんの声

 の方が多く聞こえました」

(笑) 

そんな亮二が突然、

何を言うかと思いしや…、

「 しかし萩原さん、

  どんなに疲れていても

  どんなに嫌な事があっても

  家に帰り、

  娘の顔を見れば

  全て吹っ飛びますよ(笑)」

 

昨年6月に生まれたばかりの

「 陽和(ようわ) 」ちゃん。

可愛くて可愛くて

しょうがないようだ(笑)

そこで私から大きなお世話の一言、

「 一人っ子はかわいそうだから

 最低もう一人頑張れ!(笑)」

「 ハイ!」

この返事が今日の会話の中で

一番大きな声だった(笑)

 

来る3月27日〈金)。

監督初出陣の開幕ゲーム、

残念ながら所用と重なり

私は行くことが出来ないが、

「 今シーズンは是非、

 横浜スタジアムに

 来てください!」

「 監督ストレスがたまったら

  また『ふたり酒』をしょう!」

そんな約束をして別れた。

 

新監督としてこれから始まる

長いレギュラーシーズン、

これまでとは立場も環境も変わり、

様々な想定外の出来事が

次から次へと起こることとは思うが

「 総理大臣とプロ野球の監督、

  3日やったら辞められない 」

互いに新任同期生、

高市早苗総理と共に(笑)

やりがいを感じて

ファンや国民のために

是非、頑張ってほしい!

そして亮二においては、

ポストシーズンも

是非、私を楽しませてもらいたい。

 

この出逢いに導いてくれた

宮本慎也氏と和田一浩氏には

心より感謝を申し上げたい。

 

【 追 伸 】

昨今私が、

プロ野球関係者と

食事をした時に、

遊び心で必ず聞く

「あなたが選ぶベストナイン」。

その条件は、

自分が現役時代の

チームメイトを含めた

当時現役で活躍していた選手。

 

今日も亮二に聞いてみた。

「  外国人も入れて良いですか?」

そのように付け加えた

『 相川亮二監督が選ぶ

  ベストナイン 』

 

投 手:上原 浩治

捕 手:城島 健司

一塁手:タイロン  ウッズ

二塁手:井口 資仁

三塁手:村田 修一

遊撃手:宮本 慎也

左翼手:ウラディミール   

                     バレンティン

中堅手:多村 仁志

右翼手:福留 孝介

 

べんちゃん(和田一浩氏)と

ほぼ同時代にプレーしている亮二、

にもかかわらず同じ選手の選出は

上原浩治と井口資仁の二人だけ。

見る角度が異なると

このように違いも…。

面白いものである。

 

 

 

2013年。

第3回WBC出場の時に使用した

「侍JAPANのジャンパー」

「侍JAPANのキャップ」

「キャッチャーミット」

そして記念に公式ボールを

大会直後、

我が家に届けてくれた。