正義って言葉は明快な言葉面とは裏はらに、とても曖昧なものだと思っています

正義と言う言葉の背景には倫理観と強く結びついている事が多く、それはそれで間違っているものではなく、倫理観もまた大切なもので、モノごとを測る尺度となりうるものだと思います


個人的に大切だと思っているのは、倫理観なり正義が、

個人の範囲を外れないこと

承認欲求等の自己欲求と、そこから来る同調を満たすものを背景としていないこと

そして、この星での仕組みなりを踏まえたものであること

だと思っています


此処での現実とは、個人それぞれの意識が投影されたもので、それが集団としての意識であれば集団単位としての現実となります

正義なりが、現実をつくり出す潜在意識も含めた意識の根底の部分に位置する事が多いため、その意味は大きいものと言えます


別な視点として、宇宙則からすれば、個々人がつくり出し、受ける現実は、全て自己責任に基づくものとなります

今の此処での波動の状況は、意識(潜在意識と顕在意識)によって現れる現実世界は、如何様にも変わるところまで進んでいるため、ある意味スッキリしてきていると言えます

まだまだいろいろな現実が入り混じった状態ではあるものの、これまでの様な足引くエネルギーはだいぶ弱回ったと言えます


堅苦しい言葉でしか綴れませんが、自分軸…何事にも揺らがない、自身が此処でどう生きたいのか、行きたいのか…がモノを言う状況だと思っています


ものすごく簡単に言えば、縄文文化は、これら全てに対する一つの答えであると思えます


「時のうつろい」