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文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

▲ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる「じゃじゃ馬ならし」(2019)

 

 

Ⅰ 喜劇の伝統とシェイクスピアの喜劇

 

 中世演劇の奇蹟劇(Miracleは聖書の物語を劇化したもので、教会と結び付いて信仰心の導く役割を果した。やがて道徳劇(Moralitiesが現われた。その喜劇的要素が16世紀前半のインタールード(Interludesに変形し、古典劇を規範にした16世紀後半の喜劇に流入した。このイギリス演劇の伝統における喜劇的要素は、機知の生む知的なものではなく、主にどたばた喜劇の滑稽な動きに過ぎなかったが、なかでも寓意(allegoryとして登場する「悪徳」(Vice)は道化的役割を演じ、その反面でもある悪役的要素と共に、エリザベス朝の喜劇と悲劇にまでその痕跡を残している。

 

 一方、この土着の演劇伝統に対して、16世紀に入ってから古代ローマ劇を模倣した喜劇が盛んに演じられた。シェイクスピアの初期の作品もプラウトゥス(Plautus)やテレンティウス(Terentius)などの古典劇に典拠を求めたが、主に1580年代に活躍したシェイクスピア喜劇の先駆者たちであった「大学出の才人」(University wits)といわれるグリーン(Greene)やリリー(Lyly)やピール(Peele)たちはギリシア・ローマの古典文芸に通暁し、古代ローマ劇から特にその劇的構成を学んだのであった。古典劇によく出る滑稽な下僕や色好みの年寄りやほら吹き軍人や衒学者などのタイプを導入した。リーリなどに顕著だが、そのセリフは過剰なほど修辞を駆使し、古典への言及が多く極めて技巧的なものであった。古典から学んでグリーンなどが発展させた複雑な筋の構造、特に主筋と脇筋を設ける手法は、二つ以上の相異なる次元の世界を導入させることを可能に、劇に幅を与えることになった。

 

 シェイクスピアの喜劇を準備した彼らの喜劇に見られる更に注目すべき点は、古典劇やそれまでのイギリス演劇に存在しなかった恋愛を主題に劇化したことであった。恋愛こそよくromantic comedyといわれる成熟期のシェイクスピア喜劇において主題になるものである。西欧における(恋愛劇の)発生は11世紀の南フランスと推定される、騎士道と結び付いた宮廷風恋愛(amour courtois)である。中世封建時代における騎士社会の結婚制度は家や財産に絡むもので、恋愛の介入の余地がなく、代わって領主の夫人に騎士が恋い慕うという形式が生まれた。それは秘密を尊ぶ極度な女性崇拝をうちに抱いた恋愛観であった。騎士は相手の女性に絶対の忠誠と服従を誓い、主君の女性は男性に試練を与え、なかなか身をまかせず残酷に振舞う。そこで男性はその苦悩を嘆き、相手の慈悲に訴えるのである。そうして「恋愛の神」(Amor=Got of love)の忠実な僕でなければならない。恋愛を結婚に持ち込めない社会状況は姦通を宮廷風恋愛の必須条件にし、これを理想化した。愛は単に男女を互いに牽引する情熱ではなく、道徳的に人格を高める働きを秘めたものであった。宮廷風恋愛は中世のロマンスに組込まれ、15世紀にマロリー(Malory)のアーサー王伝説によるロマンスに集大成された。エリザベス朝までに中世のロマンスの根本は恋愛結婚の出現で一段と変貌をとげ、この愛の形式の伝統は変化を受けつつもエリザベス朝までもちこされて来たのである。

 

 この愛の伝統は、ワイアット(Wyatt)やサレイ(Surrey)が初めてイタリアから輸入したソネット(sonnet)から熟した恋愛詩にも流入しており、新プラトン主義の援護を受けて、形を変えながらイギリス・ルネッサンスに近代ロマンスとなって一つの伝統を形成するに至った。その詩的発現はスペンサー(Spenser)に最も美しい結晶を見、その論理的発言はカスティリヨーネ(Castiglione)の『宮廷人』(The Courier)などに総括された。喜劇や散文ロマンスにおいてはリリーやグリーンやロッジ(Lodge)がその代表的文人であったが、近代ロマンスの伝統は貴族や教育を受けた人の教養の一つでもあった。このロマンスは、その諷刺が既に1590年代の典型的文人であったといえるナッシュ(Nashe)にみられるように、1600年頃を境に急速に崩れてゆくのである。シェイクスピアも歩みを共にすることになったのはいわゆる「暗い喜劇」が証明している。

 

 一方、エリザベス朝喜劇を成立させた今一つ大きな条件にイギリスに古くから伝わる祭の余興や民間伝承があり、シェイクスピア喜劇にもこれが浸透していて、宮廷や貴族の式典の余興のために書かれたと思われるシェイクスピアの喜劇がある。

 シェイクスピアは以上の喜劇伝統に立ち、一連の喜劇においてイギリスのみならず、ヨーロッパのルネッサンスの生活に見られる多方面の人間活動を豊かな劇的技術と縦横無尽な想像力を駆使し、多様な思想と感情が個々の人々の姿を借りて生きている様を舞台の上に歩かせて見せた。30歳前後で達人の域まで達した詩と散文の表現力によって、近代ロマンスを主題に置き、恋愛、結婚、情念、友情、肉親愛、牧歌生活、都会生活、学問、慰藉(いしゃ)……あらゆる領域、あらゆる階級の人々を描いた。その手法はそれらを互いに並列対照させながら真実に迫ろうとする多角的なもので、これを笑いのうちに観客に伝えることに成功した。

 

 いわゆる「暗い喜劇」の時代になると健康な笑いに陰りが落ちるが、本質的には、あらゆるものの包括を志向するシェイクスピアの喜劇精神は同時代人の秀でた喜劇作家ベン・ジョンソン(Ben Jonson)のような諷刺精神とは相容れないものであった。シェイクスピアはどの人物をもって、その個性を生かしてみること、この点に集中されたのであって、彼の多様性の源も人物の溌剌さもここに由来するものである。

 

 成熟期の喜劇においては近代ロマンスの文芸伝統が現実生活と衝突するところにドラマが展開されるが、結局は若い恋人たちは賛美される。しかし、やがてこの近代ロマンスも基盤を失って崩れゆく様を読者は見るであろう。

 ここで扱うシェイクスピアの一連の喜劇作品は、抒情と機知の驚くべき結合のうちに、ルネッサンスの近代ロマンスを集大成するものである。

 

クリップ

 

本論稿は、池上忠弘、石川実、黒川高志、金原正彦共著『シェイクスピア研究』(慶應義塾大学出版会)の大要をまとめたものです。私自身の学習を目的としたものですので、論文・レポートなどでの本文からの引用はお控えください。