Nさんの『追悼・遺文集』のあとがき | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

 1996年12月24日――この日に、Nさんが逝ってしまつてから、もう1年に、という思いとともに、すでに1年以上が過ぎ去ってしまったのではないだろうかというような錯覚を覚えることもあります。1年前、Nさんが入院されていた救世軍病院の木々の葉は、冬のやわらかな日だまりの中で、いっとき鮮やかな彩りをみせていました。

 

 深いみどり葉をたわわに茂らせた竹は、まっすぐに伸び、見上げる人の背筋まで伸ばしてくれるように颯爽としていました。こんなに静かな環境と時間がもっともっとNさんに与えられないものだろうか、と祈るような気持ちでホスピス病棟へ向かったことが蘇ってきます。

 人それぞれがNさんへの想いを抱く中で、季節は年の瀬を迎えました。

 

 編集委員会はこの間、Nさんがお気に入りであった小淵沢での合宿をはじめ、数回にわたる話し合いをもち、編集方針を決め、その作業をすすめてきました。1周忌にあたりNさんへの追悼と、Nさん自身の遺稿を編むことができました。みなさまから多大なご協力をいただき、あらためて感謝申し上げます。

 

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 Nさんの『追悼・遺文集」には、職場で果たされたNさんの役割をはじめ、それぞれの時代におけるNさんの人柄が多くの人たちとの交流を軸に浮き彫りにされています。

 

 第1部の座談会は9月28日、東京を会場に行われたものです。ここでは、仕事上の到達点を明らかにしながら、Nさんを追慕するものとなりました。5人のみなさまにはご多忙のなか遠路をいとわずご出席をいただき、誠にありがとうございました。

 

 第2部は、少年期以降のNさんの姿が生きいきと描かれています。あの人にも、この人にも「Nさんとの思い出」を寄せていただきたいと思いながらも、紙幅の関係で極めて限定せざるを得ませんでした。たいへん申しわけないと思っています。どうぞご了承下さい。

 

 第3部の「遺文」の中に編まれた随想もNさんの大きな足跡のひとつです。「わたしの病床日誌』は、Nさんが1995年7月に1冊の本にまとめられ、友人たちに贈られたものです。「『わたしの病床日誌』その後」と「病床随想・断片」は、Nさんの発起によりつくられた会の機関誌に掲載されたもので、前者は1996年2月から9月の間に、後者は1996年1月から12月の間に執筆されたものです。何度も推敲を重ね、表現の厳密さにこだわりつづけておられました。

 

 退職した後の編集者時代におけるNさんの仕事については、詳しくまとめませんでしたが短い期間にもかかわらず、密度の濃い多くの仕事をされました。三省堂の「名言名句の辞典」、民主教育研究所の「人間と教育』、労働旬報社の『環境教育辞典」、教研全国集会実行委員会の『日本の民主教育』などの大きな仕事のみならず、個人、団体にかかわる出版物の編集についても一つひとつきっちりと成し遂げられました。

 

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 この間、編集作業をすすめる中で、ご家族をはじめ多くの方からあらためてそれぞれの"Nさん像“をお聞きする機会を得ました。

 

「温和な表情」「みずみずしい少年のような純粋さ」「静かな語り口」―─Nさんの魅力は立場を異にする方をもふくめて異口同音に語られます。膨大な読書量にも裏打ちされた感性は、今日の私学中等教育の問題を探り、その解決をねがうNさんの熱意と重なり、私たちの魂をきゅんとつかみ、"Nさんの世界“にいざなわれるのでした。

 

 また、Nさんは「文学的なふくよかな人」とも評されてきました。

 10年ほど前にはある団体が主催する「文学教室」(全12回開講)に参加しています。この当時、短編小説を書いていたことを人づてにお聞きし、関係者を通して探し求めましたが見つけることができませんでした。Nさんは、小説世界の中で、理想にむかつてまっしぐらにすすむ人間よりも、理想を高くかかげながらも、その理想をかなえきれずに挫折し傷つき、またも理想に向かって這いあがろうとする、そんな人物像を好んでいました。

 

 現役時代のNさんを知る人の中には、もしもと仮定しながらNさんが「文筆家であったらどんなにすばらしい小説を書いたことでしょう」「評論家であったらいかに力を発揮したことでしょう」と述べる方が少なくありません。事実、Nさんは忙しい中で多くの文芸評論、映画、演劇、音楽評を書き、お父さんの足跡を小説にしようとしておられました。

 

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 Nさんは病状も厳しい1996年12月7日、お見舞いに行かれた知人に「囲碁は、序盤は哲学、中盤は政治、後は戦いと言われているんですよ。ぜひおやりになったらいいですよ」と語り、無二の親友であったAさんとは最期の対局をされています。また、ある方には人生の処し方を語っています。

 

 私たちには、ご自身の痛みや苦しみを抑えながら、このように直接的に、あるいは手紙や『わたしの病床日誌』などをとおして生き残る者たちへ親身なメッセージを送られました。ふりかえりますと、Nさんの病とたたかう姿勢に、私たち自身が人生の質を問い直していたように思います。

 

 死を宣告されながらも、その死に向かって生きぬいたNさんの姿勢を、私たちは決して忘れることはないでしょう。

 

 Nさん、ほんとうにありがとうございました。

 そして、お疲れさまでした。安らかにおやすみ下さい。  

                                    (1997年12月記)