今日が母の葬儀告別式でした。
家族葬でお見送りしたので、母の少し若い頃の私達が思う一番母らしい写真を遺影にしました。



わたしが28才の時に亡くなった父。
56歳でした。
母はその後25年間一人でした。



父も母も居なくなってしまった喪失感は大きいけど、母が大好きだった父の元に送り出せて、安堵の気持ちの方が強いかな。




父を亡くした時は、わたしは大阪に住んでいたので看病も十分にできなかったし、親孝行もあまりできないうちの他界に後悔と自責の念が長く続きました。



それもあり、母の時はできるだけのことをしたかったのです。
亡くなる2週間前に危篤の連絡が入り、そこから約1週間は仕事を全て休ませていただき、殆どの時間を母と過ごしました。



この頃は母はまだ意識があり、よく私達の手を握ったりさすってくれたんですね。
何度も「ありがとう」と言われては泣き、「ごめんなさい」と言われても泣き、「楽しかった」と言われてまた泣き…



恥ずかしながら何度も「綺麗ね」とも言われ、その時だけ満面の笑みで「ママもね」と返しました。



亡くなる1週間前になると眠っていることが多くなり、喋っても何を言っているのか殆ど聞き取れなくなったのですが、一度母の横で弟と口喧嘩をしてしまった時のこと。
(私も弟も疲労のピークだったころです。)



母が両腕を急に突きあげたのです。
そしてはっきりとした口調で2つのことを伝えてくれました。
わたしたちの会話を聞いていたからこそのメッセージです。



本当に驚きました。
そうです。眠っているように見えても、もう意識がないように見えても、ちゃんと聞こえているのです。
このことは、何人もの方から言われていたことでもあります。



その先、母があんなにはっきりと話すことはもうなかったのですが、ちゃんと聞こえているとわかったので、今までのお礼とお詫び、思い出話など改めて色々なことを伝えました。
わたしがこれからやっていきたいこともしっかり母の前で宣言し、応援してねと。



きっとずっと見守ってくれるはず。父と一緒に。。
母の看取りの話はこれでおしまいです。
湿っぽい話に何度もお付き合いいただきありがとうございましたクローバー
書くことで、わたしは随分と心が軽くなりました。
これからは、わたしの生きる目的にむかってまた前を向いて進みます。



*家族葬につき、葬儀告別式に関してはお問い合わせくださった企業様と近しい方々にのみお伝えするにとどめましたが、諸々のお心遣いを賜りましたことに深く感謝いたします。
母も驚きつつすごく嬉しかったことと思います。



2017年1月27日
井上トキ子