<TOKIKO NOW>『波乱の週末でした。次の日曜日は京都のキエフでライブです!』 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW>『波乱の週末でした。次の日曜日は京都のキエフでライブです!』

先週土曜日は仙台で東日本大震災から10周年の集まり。本当は11周年ですけど、去年がコロナで延期になったので、そういう意味になったのです。
浄土真宗の若いお坊さんが中心になって1部では法要と追悼の会を進行されて、私は2部で歌わせていただきました。



3月16日の福島沖を震源地とする6強の地震で新幹線が一部不通になっていることで、来られなかった方もあったようです。私もどうなることか、と心配したのですが、幸い前日の羽田からの飛行機便に乗れたので、本当によかったのですが、帰りがまた大変で、車で郡山へ出て新幹線に乗り、大宮で乗り換えて、長野まで行きました。
風の強い春の嵐の吹く日で、在来線がストップしたり、ギリギリの旅程だったようです。

昨日は長野で、SBC信越放送70周年の特別番組の生放送に出演。歌手の麻衣さん、吉田山田のお二人も一緒でした。
とにかく、無事終わって何より!

 

今日の打って変わった春らしい日を東京で味わっています。

さてこの日曜日4月3日は京都のレストラン「キエフ」でライブです。メールを見た人の中に、私がキエフへ行く、と勘違いして多いに心配して下さった方がありました。ごめんなさい。残念ながら、京都の「キエフ」です。

私の父が1972年に開いた頃は、ソ連の時代、京都がキエフと姉妹都市になったことから、このお店をロシア・レストランとして始めたのでした。その後、ソ連が崩壊し、キエフがウクライナの首都になったことから今は、レストラン「キエフ」となりました。

年に2回のライブを恒例にして開いてきましたが、今年は2月にウクライナにロシア軍が侵入する事態となり、爆撃にさらされているウクライナの人々への応援のメッセージをたくさんいただいています。

私たちの家族とロシア人の縁は中国東北部のハルビンで、たくさんの亡命ロシア人と暮らしたことにはじまります。
寺島実郎さんの書かれた朝日新聞の記事では、その頃極東にいた亡命ロシアの多くはウクライナ人だったとありました。

私の家族がロシアレストラン「スンガリー」を始めた1956年、そのコック長はコサックの娘さん、革命の年に生まれ、満州に逃げてきた一族だったそうで、コサックといえば、ウクライナ、というくらいですから、やはり料理もウクライナ料理だったかもしれません。私たちにとっては1番ポピュラーなボルシチ(赤ビーツのシチュウー)は、ウクライナ料理だそうですから。



それはともかく、ウクライナとロシアには深くて長い歴史があり、この戦争が、あまりにも悲しいことであることは、いうまでもありません。
ロシア人にとっても、ウクライナ人にとっても、苦渋に満ちた日々を再び背負ってしまいました。一刻も早く停戦への道が着くことを願っています。

思えば「百万本のバラ」を歌い始めた1986年の夏、キエフでコンサートを計画したことがありました。残念ながら4月26日にチェルノブイリ原発の事故が起こり、開催できませんでしたが、その後、1999年に、その原発事故で被災された人たちに会いにキエフを訪ねたのでした。

それからいろんな形で、彼らを応援してきたのですが、再びキエフから逃れなければならない状況に追い込まれています。
日本では福島から避難した人たちの苦境も大きな課題です。
今回の戦争でも、原発の存在の恐ろしさを目の当たりにしました。
戦争という馬鹿げたことに多くの国家が全力を投じていることに、ただ唖然とするしかありません。
一刻も早く全世界が取り組まなくてはならないのは核の問題、原発の問題です。これは永遠に続く課題です。

どんな時も、歌手として出来ることを、精一杯にやり遂げる思いを込めて、この日のライブを行いたいと思っています。

その翌日は伊勢のおかげ横丁の野あそび棚で、その次の日は東京上野の「Qui」で、それぞれ違ったプログラムで歌います。

皆様にとって、春の訪れが、素晴らしいものになりますように!お祈りしています。

登紀子