<TOKIKO NOW>『忘れがたい3.11でした。』 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW>『忘れがたい3.11でした。』

春の陽気に恵まれた3.11でしたが、みなさんはどう過ごされたでしょうか?
私はこの日、お昼に日比谷公園に行き、13時45分から30分のライブを行いました。
2011年の3.11から11年、この日は311本の白い旗が、日比谷公園の芝生に立ちました。

 



ブータンでは、人が亡くなるたびに山に白い旗を立てます。風がひらりと揺れるたびに「ひと拝み」していると聞きました。
この旗に、たくさんの魂が風を送ってくれているのを感じました。亡くなった人たちは、今私たちを遠くから見守って、拝んでくれているに違いないと思います。

初めにエレキギターの弾き語りで「時には昔の話を」と「花はどこへ行った」を歌い、今紛争が起こっているウクライナへの思いを語り、平和へのメッセージを届けました。




キエフには1999年の暮れにチエルノブイリ原発の被災地を見に行った時に訪れており、冬の寒さが思い出されます。零下20度の寒さでドニエプル川が完全に凍結しており、真っ白な雪に覆われていました。この寒さの中で、たくさんの人が家を出て、国境を目指して歩いている姿に胸が痛みます。

 
戦争には双方の立場があり、なかなか和解が進みませんが、一刻も早く戦争を停止してほしいです。
報道では、鮮烈な映像が流されますが、報道されない現実もあることを気にかけておきたいと思います。
くれぐれも、この紛争に乗じて、多くの国が戦争に加担して戦争が長引くことがないことを願っています。
この戦争はウクライナにとっても、ロシアにとっても失うものが多すぎます。

去年の夏も、アフガニスタンでタリバン政権が誕生し、アメリカ軍が撤退した激震の中でたくさんの人が海外へ、難民として脱出する事態になりました。今もまだ世界が制裁を加えているせいで、アフガンの人たちが飢えの恐怖の中にいます。
ウクライナのことでマスコミは一切アフガンのことは報道していませんが、この冬に2000万人以上の人が飢餓で苦しむと言われてきました。まだまだ春は遠く、本当に心配です。

 「声をあげて泣いていいですか」は、そういうさまざまな想いをこめて去年の夏に作った曲、この日は、さらに胸に迫る思いで歌いました。

 

 

最後に、福島のこれからをみんなで手を携えて見守っていけるよう、関久雄さんの詩、「なじょすべ」(彩流社発行)の語りを聞いていただきました。

「福島に来られた皆さん
あなた方は希望であり 私たちも希望です
ともに手をたずさえ ささえあい
懐かしい未来を 創りましょう」

この日の黙祷には、たくさんのミュージシャンが集まりました。SUGIZOさん、佐藤タイジさん、私に次女のYaeも、、。
ふと、いつも必ずここにいてくださったC.W.ニコルさんのことを思い出し、とってもさびしかったです。

 

 

この日は、夕方からサントリーホールでのチャリティーコンサートに出演。たくさんのジャンルを超えた豪華なアーティストとオーケストラが一堂に集まる素晴らしいコンサートでした。
私は渡辺俊幸さんの指揮、オーケストラの伴奏で「愛の讃歌」を歌いました。
亡くなった2万2209人の方が、この歌に宿って集まってくるようで、胸の中に大嵐が吹きました。

 

本当に忘れがたい一日、この日夜7時からは、登紀子の「土の日」ライブ、3月5日に南相馬の小高山同慶寺で行ったライブを収録したものを配信しました。ご覧になれなかった方にもアーカイブでいつでも観ていただけます。
いわき市で津波被害を受けた被災ピアノを鬼武さんが弾いてくれて、渾身のライブになりました。是非観てください。

 


本格的な春も近いです。新生活に向かう方も多いでしょう。
この年、ここからこれ以上辛いことが起こりませんように!
お互いに頑張りましょう。

 

登紀子