<TOKIKO NOW>『カンボジアから帰って来ました。』 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW>『カンボジアから帰って来ました。』

平均年齢24歳の国!
人口1500万人、そのうち200万人がプノンペンに住んでいる。
東京に比べたら、決して多いわけじゃないはずなのに、町中に人が溢れていて、もう発奮しまくっている!「うわーッ」と思わず叫びそうになる私。

25年前の1992年、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)による暫定統治が始まり、「平和」を取り戻したばかりのプノンペンに、夫とまだ高校生だった次女のYaeと一緒に行った。農業にこだわって、この国の未来を見たい、と「日本橋」が破壊されていたメコン河をボートで渡り、川向こうの農村地帯を歩いたりした。

高床式の家がポツンポツン。それぞれの家に家族が寄り添っている。おばあちゃんは短髪で、子供が走り回り、女たちは逞しい。
おばあちゃんが短髪なのは、家族に死者があると、髪を切りお坊さんになるからだそうだ。 この家族の風景が今も胸に残っている。

でも25年も経てば変わっていて当たり前、プノンペンにもう戦争の翳りの気配はない。
まさしくアジアの喧噪が沸騰点に達したような眩しい灼熱、嬉しかった!

初日訪問したのは、「タヤマビジネススクール」。
もう亡くなった田山敏雄さんが2007年に発足した、無料で日本語を教える学校。今は生徒だったチョムランさんが校長先生。
大金持ちの家だった建物を改装した学校、なんとプールが会場だ。そこでちょっとしたライブをやることになった。


 

熱気むんむんの会場に、モンパチをカバーした「あなたに」のカラオケが響く。文句なく歓声が上がり迎えられ、曲の途中からは、「あなたに会いたくて」のコーラスを追っかけて声が上がる!
「なんとまあ元気なんでしょう」
そう思いながら「ソクサバイ?元気?」と声をかける。
もちろん一斉に「ソクサバイ!元気だよ!」と帰ってくる。

カンボジアと日本の経済交流が盛んになる中で、ここで日本語を勉強した貴重な人材の活躍の場は広がっている。夢いっぱいの未来図を描いている若者たちの底抜けの明るさに、ふと60年代の日本を比べて見る。
あの頃は自分自身が若者だったから、外から見るほど胸の内は明るいわけではなかったけど、多分、未来は自分が作るもの、と「エラそうなパワー」でムンムンだったはず。ひた向きな熱気に満ちていた。日本人と顔もよく似てるカンボジアの若者たちがなんとなく懐かしく感じられた。

翌日は早朝、シェムリアップに向かい、憧れのアンコールワットを訪ねる。思ったよりずっと広く、石畳や階段を何段も登り、汗だくになる。
圧倒的に美しい壁面の彫刻、回廊を吹きすぎる風、ひんやりとした石に囲まれた神の神殿。ここはヒンドゥー教の寺院。
13世紀、30年以上の時間をかけて築かれた。



その日の午後訪ねたのはシェムリアップの郊外にある「伝統の森」。
80年代後半から、アジアの絹織物の復活を求め、シェムリアップにたどり着き、もう20年。「黄金の繭」を復活、伝統の織り機、その森で育てた自然の染めにこだわって織り上げた絣模様を、そこに集まって来た「村人」とともに続けて来た、その人が森本喜久雄さん。


なんだか懐かしいような気持ちでいっぱいになる!
夫が生きていたら、きっと意気投合しただろう、彼の偉業に頭が下がる。
そこでも屋外に設えられたステージで歌った。
日本から来た若者のオーケストラも演奏。最後にはみんなで「愛 Love Peace」の大合唱に!

おまけに最後を盛り上げたのは「富士山だ、アンコールワット」!
私の「富士山だ」に「アンコールワット」のリフレインをプラスしたスペシャルバージョン。これは受けた!

途中には、森本さんのリクエストに答えて「Now is the Time」を歌った。2002年の「宇宙船地球号」で森本さんのドキュメントがあり、その時私が歌っていたのがこの曲だった、と。
2002年は夫が他界した年、そして国連環境計画UNEPの活動を始めた年。この曲にはその万感が込められている。

翌日朝の夜明けを再びアンコールワットで迎え、その後は、さらに大きな寺院アンコールトム、大きな樹に侵食された寺院タプロムを訪ねた。
観光都市として立派に整えられたシェムリアップには、世界中の観光客が訪れ、感動の街になっている。

何度でも訪ねたい最高の遺跡群。ポル・ポト内戦の時、この遺跡の中で亡くなった戦場カメラマン一ノ瀬泰造さんが、ここに惹かれた思いがわかる気がする。彼が亡くなったとされる菩提樹の木の下で彼を追悼した。


さあ、最後の日はプノンペン。
コンサートはCJCCという、カンボジアと日本の交流センターのホール。
「絆フェスティバル」の一環として行われたコンサート。
この建物に隣接したプノンペン大学の学生たちの学園祭の様な熱気が沸騰点に達した様な1日。思い出深いコンサートになった。


15曲のコンサートの中で、一部1992年、プノンペンのローズセンターという孤児院で歌った時、一緒に演奏した文化芸術大学古典楽器楽団の皆さんが参加してくださって、「ひとり寝の子守唄」や「島唄」、カンボジアの歌「アラピア」などを歌った。25年前のメンバーのうち、六人の方が他界され、お二人と再会!
「昔は若くてもっとハンサムだったんだ、僕も」とか「あなたは変わらないね」とか、思わず抱き合って感無量!

 

とにかく楽しい毎日、街の喧騒、バイクのラッシュ、若者の笑顔、日本では見なくなったシーンに包まれた。


 

国という物が生命体だとすれば、やはり、若い国と成熟した国との違いは大きいな、と実感。日本にいてなんとなく「やり切れなさ」を感じている若い人たちに、是非、日本を飛び出して、いろんな国で生きる可能性を知ってほしい、と思った。
実際、日本を飛び出してカンボジアで生きようと決めた人達、何年も復興に邁進して来た人たち、とっても素晴らしいたくさんの人たちに会えて、本当に嬉しかった。

たった4泊5日の旅だったけれど、からだ中に気が満ちてる感じ。
ふと私の手の平を見たら、生命線が光って見えたの!
こんな事ってあるのかな。またまた元気もらっちゃったみたい!

今週末の3月4日は、コットンクラブでのコンサート、5日は福岡県太宰府でのトークライブ。
そしていよいよ3月8日は、横浜の杉田劇場で「美空ひばりを語り歌う」トーク&ライブ。トークゲストになかにし礼さんをお招きしています。
満員御礼の札止めになりました!どんなことになるやら、「ひばりとピアフ」を歌うコンサートのプレイベント。楽しみにね!

3月10日からは、Bunkamuraオーチャードホールでの「ひばりとピアフ」コンサートのチケット一般発売開始です。
さあ、またスタートですね!