<TOKIKO NOW> 「広島、長崎、そして終戦の日もコンサート、ひときわ暑い夏です!」 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW> 「広島、長崎、そして終戦の日もコンサート、ひときわ暑い夏です!」

今年の8月6日は、広島はかつてないほどの暑さ。
この日、国連合唱団とのコンサートが広島でありました。



夕方、その本番の前に、原爆ドームの対岸、太田川の川縁で行われる灯籠流しで、「広島 愛の川」を歌うイベント に参加しました。



沢山の子供たちのコーラスと、広島交響楽団の有志による演奏、作曲者の山本さんの弾く原爆被爆ピアノという大勢が川岸を埋め尽くし、見守る市民の人達も本当に多かったです。

歌が終わり、小学生の灯篭から川に流しました。その時、九州の八女から持ってきた原爆の火を灯すのをそばで見守りました。
なぜ八女から火を持ってくるのか、このびっくりするような経緯には、ご縁があって、去年八女でコンサートがあったとき、原爆の火の灯された公園で広島の灯籠流しの会の方に偶然お会いしたのでした。

1945年のあの日、八女から広島へ兵隊で来ていた人が、爆心地の近くに住んでいた親戚の人の家の焼け跡から、まだ燃え続けていた火をカイロに移して持ち帰り、その火を家族中で絶やさぬように守ってきた、というわけなのです。夏でもコタツに火を入れている事からこの事実を知り、ある新聞記者が記事にしたことから、八女市が公園に記念碑を作り、「原爆の火」を守る事になったのです。

知られざる秘話はきっと無数にあるでしょう。この日のコンサートに参加した広島のコーラスのメンバーにも、爆心地の中学で同窓生のほとんどが亡くなったのに、彼のクラスだけは、担任の先生が新型爆弾を予告するビラを見て、学校を休みにしたおかげで、助かったと言う方がおられました。

空襲警報が止んだ後に原爆が落とされた事や、撒かれたビラを読む事を禁じられていた、という不思議。守れたはずのいのちがどれほどあったかを思うと、悔しさがこみ上げてきます。

わたしは「はだしのゲン」の中から中沢啓治さんの言葉を選んだ「広島 愛の川-語り」で、核の時代を人類が迎えてしまった悲しみを伝え、国連合唱団の方の英語バージョンとともに歌いました。





同じコンサートが9日には長崎でもありました。広島で被爆した人が、必死で帰り着いた長崎でも原爆にあった、「二重被爆」の方が長崎には沢山いらっしゃいます。以前、この「二重被爆」をテーマにしたドキュメンタリーのナレーションと歌を担当した事があり、感慨ひとしおです。そして8月11日には鹿児島の川内原発の再稼働という危機を控えている!なんと言う恐ろしい事でしょう。

コンサートのフィナーレは、客席もステージもひとつになって手をつなぎ、声を合わせ、楽しく終わりましたが、戦後70年の今年は、歴史を変える重大な夏になってしまった気がします。

15日の終戦の日にも、私は浜松のアクトシティ浜松中ホールで平和イベントに、16日も池袋の東京芸術劇場で、東京室内管弦楽団とのコンサートにゲスト出演します。

またTBC東北放送で放送される番組「忘れえぬ仙台村~ある満州開拓移民の70年」(10:30~11:25)で、満蒙開拓団の悲劇を伝えるドキュメンタリーのナレーションもやらせていただきました。ぜひ観られる方はみてください。

さて、そんな中でも新しいメンバーとのレコーディングがあったり、秋のコンサートの準備があったり、そして15日の夜には、BSフジで鴨川自然王国で収録した番組「Table of Dreams 夢の食卓」(22:30~22:59)が放送されます。
よかったら見てください。

登紀子