<TOKIKO NOW> 『いよいよ「百万本のバラコンサート」後半戦です!』 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW> 『いよいよ「百万本のバラコンサート」後半戦です!』

「百万本のバラコンサート」、越谷サンシティーホール、山形シベールアリーナ、よこすか芸術劇場の三日間の前半戦が終わり、明日10日から、津の三重県文化会館、大阪フェスティバルホール、長崎ブリックホールのコンサートへと出発です。

リエパーヤ交響楽団、ピアノの島健さん、パーカッションのはたけやま裕さんの素晴らしい演奏、そして指揮の籾山和明さんに大きな翼をもらったみたいで、至福のコンサートを楽しんでいます。

一部は鹿皮でデザインした白いドレスで、私のオリジナル曲を中心にメッセージを込めてじっくり聴いていただき、二部は真っ赤なバラをイメージしたドレスで、「さくらんぼの実る頃」から歌い始め、ピアソラ、ジャック・ブレル、エディット・ピアフへと歌い上げるプログラム、毎回やりきった感の強いコンサートです。





いい意味で責任重大みたいなプレッシャーもあるけど、それ以上に音楽性の素晴らしさに包まれて歌える嬉しさでいっぱいです。特にプログラムの最後の「百万本のバラ物語」には、各地でコーラスの人たちが参加してくれていて、その熱気が本当に素晴らしいです!



歌手活動50年の記念コンサートだけど、私の全人生を歌ってる感じもあって、
リエパーヤ交響楽団を招くことができた不思議な縁を思います。
私の生まれた戦争の時代を考えると、ユーラシア大陸の西のラトビアと、東の端の満州ハルビンが繋がってくるんです。



コンサートのパンフレットに詳しいラトビアの紹介を書くために、随分沢山の本を読み、ラトビアの歴史のディテールが見えてきて、何度も鳥肌が立つような事実に出会いました。

帝政ロシアが第一次世界大戦で崩壊した後、独立国家となったラトビアを、革命後のソ連が侵略したのは1939年、スターリンとヒットラーの密約によるもの。翌々年の1941年、たった一夜で一万五千人の人がシベリアに強制移住させられた恐怖の日、それがよりによってNHKホールで歌う6月14日だった、ということも驚きです.

戦前戦後を通して、ハルビンにはロシアから亡命したり、移住したりしたポーランド人やユダヤ人が沢山住んでいたことは知っていましたが、ラトビアの人たちも数百人住んでいたそうです。私の家族はそうした移住者たち、イミグラントの人たちと強い繋がりがあったので、感慨無量です。

敗戦後、国を失った私たちは、彼らと同じように無国籍者となった訳ですが、「それでもめげずに堂々と生きられたのは、イミグラントの人たちの姿を見ていたからよ」と母は言います。どんな時も素晴らしい音楽を楽しみ、生活スタイルを守り、文化の高さを失わなかったラトビアを知れば知るほど、母の言葉が伝わってきます。

その時代のことをこよなく愛した父も、もう此の世にはいないし、100歳の母も今年はコンサートに来られない!でも、心の中では、今やっと対話できている、その気持ちを歌に託したいと思います。

空を見上げればいよいよ梅雨も始まりましたが、あと4回のコンサート歌い切るまでは、てるてる坊主にお願いしなくちゃ!
14日は、NHKホールのまわりで、「Love Farmers’ Market」も開かれます。
加藤登紀子の50周年をお祝いしてくださるお店が、50店も参加してくださるそうです。楽しみにしていてください!

登紀子