<TOKIKO NOW> 17日は小川町でのコンサートです。 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

<TOKIKO NOW> 17日は小川町でのコンサートです。

年明けの初仕事、シカゴ、ニューヨークの旅から昨夜帰国しました。気温は零下7度のニューヨークより高いはずの成田は冷たい雨。すごく寒くて驚きました。でも今朝は晴天、気温も上がるそう!明日は小川町でコンサートだし、このまま暖かくなるといいね。

さて慌ただしかったシカゴ、ニューヨークだけど、素晴らしい出会いでいっぱいの旅でした。
1月9日のお昼前に成田を発ち、同じ日付の朝にシカゴに到着。時差15時間のうちの11時間を飛行してなんだかとっても得をした気がする。
初めてのシカゴはマイナス20度。前日までの二日間は、猛吹雪で、1942年以来の寒波となり、12日間休みになったそうです。ラッキーなことに私の着いた朝は晴天。キラキラと朝陽が白いパウダースノーを照らす美しい朝。

本当はかなり眠いはずだけど、 ダウンタウンのホテルにチェックインすると早速、街へ繰り出した。五大湖のひとつ、ミシガン湖畔の大都市。思い思いの特徴を持つ摩天楼が、凍りついた湖岸にそびえる景色はなかなかのもの。車から降りて数分でほっぺたが凍りそうになる極寒の中、夢中で写真を撮る。100年前の頃の魅力的な建築も残っていてマニアにはたまらない風景なのだそうです。



ミシガン湖の水が溢れないように造られた運河がシカゴ川。湖と川の水位が違うために船の運航の度に調節される水門、橋の真ん中が開く橋の風情がとても好きで、しっかり凍りついた河口付近を写真に撮りたくて、どんどん歩いてしまう。案内の人は、「あと1分で死にますよ!」と大げさな忠告。寒さはしっかり覚悟してきた私より、この町の人の方がこの日の寒さに悲鳴を上げている!(笑)


ランチはシカゴ名物の厚さ5センチもの超デカピザ。4人で1枚はとても無理。お店の人のパンチパーマも超デカで、これには笑った。



シカゴは人種のるつぼ、黒人も人口の4割以上だけど、ポーランド人やユダヤ人、アイルランド人やロシア人も多いそうで、時間があれば、ロシア料理もポーランド料理も素敵なお店があるそうだけど、ダウンタウンにはないと言うのでとても残念。

午後少し仮眠をとって、夜はこれもシカゴ名物のブルースを聞きに「Blue Chicago」へ。
演奏が凄いバンド、歌も申し分なくいいんだけど、言葉の意味がわからないのがネックになり、睡魔に襲われちゃう私でした。



翌日は郊外にある日本人学校を訪問。幼稚園から高校3年までの500人以上の子供達の前で歌ったり話したり。みんな表情が生き生きしていて、質問や笑いが飛び交う素晴らしい時間。30分じゃとても時間が足りなくて、別れがたいほど。どうして同じ日本人なのにこんなに違うんだろう、と考えさせられた。先生達も楽しそうで、みんな独特の個性の持ち主。そこに秘密があるのかもしれないですね。



さて、肝心のコンサートは、シカゴ郊外のホテルのボールルーム、800人もの人がテーブルに着くディナーライブ。前日に合った子供達もそれぞれ紳士淑女のオシャレをして歌を聞いてくれている。
「百万本のバラ」「島唄」を客席で一緒に歌い、「時には昔の話を」をステージで歌う頃には、なんだか泣けそうで。遠い日本からこの極寒の地でこんなにもたくさんの人たちが根を張り活躍している!その素晴らしい熱気が嬉しくて…。
後半には震災の映像とともに「今どこにいますか」を歌い、そこから「青いこいのぼりと白いカーネーション」、「愛を耕すものたちよ」へ。日本への愛がひしひしと伝わってきて、ここでも号泣をこらえるのが大変でした。
アンコールの「富士山だ」で総立ちになったみんなで、終わりは「ふるさと」の大合唱で締めました。



翌日から二日間のニューヨークも、素晴らしい人達とたくさん出会い、興奮と感動でいっぱい。今年の初仕事は寒い中で燃えるような熱さを共有する忘れがたいものになりました。

そして旅の荷物を解く間もなく、50周年コンサート「終わりなき歌」の一回目、17日の小川町でのコンサートです。その17日は阪神淡路大震災から20年の日。あの日生まれた人が20歳を迎える年なんだな、と感慨無量です。東日本大震災からももうすぐ4年。その思いも込めて歌いたいと思います。
そして月曜日にはラトビアへ。この6月に招聘する、ラトビアのリエパーヤのオーケストラのメンバーや、「百万本のバラ」の作曲家とも会ってきます。
さあ、いよいよ2015年、楽しい船出にしましょう!

登紀子