アプリコホールのコンサートが終わり、今週末は飛騨です。 | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

アプリコホールのコンサートが終わり、今週末は飛騨です。

震災以来、はじめての本格的なコンサート、アプリコホールが無事終わりました。
3月12日の予定が延期になったこの日、リーダーの告井さんが他の仕事のため欠席、3人のバックで歌うことになりました。
震災の後に創った「今どこにいますか」と、飯館村のLiveのために仕上げた「命結・ぬちゆい」と2曲を弾き語りで発表、「パーマ屋ゆんた」で閉めた一部、

加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba


二部はがらりと代わって、ピアソラのタンゴ、ジャック・ブレル、ピアフのシャンソン。後半には江草さんのピアノソロと私の語りで「無垢の砂」それに続けたのは久々に歌った「蒼空」。この曲が一番ぐっとくる出しものでした。

5月25日に訪ねた飯館村は、ただすごい晴天の日で、夢を見ているようでした。すぐ手前の川俣町の田んぼはきれいに田植えされているけれど、飯館に入ったとたんに田んぼに水はありません。

加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba


ガイガー計数機で計測すると、地上1メートルくらいで約3μSv/h(マイクロシーベルト毎時)、雨どいの下のたまり水は10μSv/hありました。
私は20年前の1991年8月4日、この飯館で野外コンサートをしています。
その時は大雨になり、その雨の中をものともせず盛り上がった村の人たちのすばらしさを今もありありと覚えています。この20年この村は「までい」の村づくりをして来ました。「までい」とは「真手」のこと。スローライフを日本語に置き換えて「田舎は田舎らしくゆっくりその特徴を生かしていけばいい」という発想だ。
放牧の飯館牛をブランドにし、村役場のまわりには完全なエコハウスの「までいの家」、木材チップスをつかったボイラーで給湯と暖房をしている老人ホームなど、時代に先がけた新しい試みがいっぱいでした。
原発から30km圏外なのに高い汚染がみつかり、計画避難が決定しこの5月31日がその期限とされています。
6000人の村民のうち4000人がもうすでに出ているけれど、あと2000人がこれからという飯館での私のLiveには200人以上の人が集まって下さいました。
歌うどの曲も深い意味が感じられ胸いっぱいのLiveでした。

加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba


「花」ではじまり「百万本のバラ」や「知床旅情」の後は「今どこにいますか」とこの日のために仕上げた「命結・ぬちゆい」を歌い、その後にうたった「パーマ屋ゆんた」では嗚咽しそうになってしまいました。
ふるさとを出ていく人のしあわせを祈るこの歌の情景のひとつひとつが村の人たちの想いと重なる気がして…。
さて、今週末は飛騨のコンサート、アプリコで欠席だった告井さんと2人のステージ、じっくりと語り歌いたいです。どうぞお楽しみに。