船旅を終え、東京に着地!! | 加藤登紀子オフィシャルブログ「Tokiko Kiss」Powered by Ameba

船旅を終え、東京に着地!!

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パシフィックビーナスとコルサコフの港。

稚内からサハリン、網走、北方四島を周った5日間の船旅を終え、東京に着地!!

8月26日は石井好子さんの「お別れの会」があり、たくさんの方との久し振りの再会が素晴らしかった。遺影の好子さんはそれを大輪の花のような笑顔で見守っていらして、悲しいというより、あったかさに溢れた会だった。

今年の夏は、長い歳月を経ての再会がとにかく多い季節。
弟子屈のコンサートの実行委員長も、昔、厚岸でコンサートを開いてくれたお医者さんが18年振りに開いて下さった!
その結果、たくさんの人が厚岸からも来てくれて、懐かしい再会に興奮、興奮!!
まだ小学生だったという若者はもうすっかり大人!
18年というのは何か大きなサイクルなのだろうか。

パシフィックビーナス号で稚内から渡ったサハリンでは、18年前、父と一緒に訪問するはずだったユジノサハリンスクでレストラン「ふるさと」を経営している宮西豊さんと逢った。宮西さんは1992年8月急死した父の名刺を今も大事にして下さっていて、「いつか、きっと登紀子さんに逢える、と信じて待ち続けていましたよ」と、盛大にご馳走して下さった!!

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「ふるさと」の前で。

北海道の放送局で仕事をしていた彼が、ロシアとの交流に力を尽くし始めてから20年になるという。
20年と言えばソ連からロシアへの転換期。日本ではロシアへの人気が微妙な揺らぎを見せていた時期。
私が「百万本のバラ」を歌って来た時期と重なるというのも何かの縁でしょうか。
8月22日というその日は、終戦の年、豊原だったユジノサハリンスクで、帰国しようと集結していた日本の民間人の上にソ連の爆弾が落ちた日だそうで、その偶然の一致も何か言い尽くせぬ意味を感じた一日。
歴史の記憶は、消してはいけないけれど、心のこもった交流でその傷を乗り越えることはもっと大切なこと。
快晴のこの日、ユジノサハリンスクには楽しそうな親子連れや若者たちの美しい風景が溢れていた。
日本語熱も盛んで日本人気は上昇中、宮西さんの日本レストランもロシア人客に絶大な人気があるとか。

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琵琶湖ホールから始まった45周年のコンサート、知床まで行った北海道ツアーで、45周年らしさが満ちて来て、いよいよこの週末から後半戦。
三重県の津市から長野県の飯田へ。そして、10月23日には沖縄でも45周年コンサートをやろうということが決まりました。旧暦の十六夜にあたるこの日、美しい月を見ながら宜野湾海浜公園野外劇場での野外コンサート!!
今年のニュースの焦点だった普天間基地がど真ん中を占有している宜野湾市の人たちが、実行委員会を作って下さり、基地問題をめぐるあれこれを乗り越えて、この街の魅力をもっともっとアピールをしたいという気持ちにこたえるコンサート。
政治迷走で、一気に解決に向かうかもという期待が遠のいてしまった今、再び耐久戦になるのか、という気持ちもあるのでしょうか。
沖縄の人たちの抱えた悩みの深さにしっかりとどくコンサートにしなきゃ、と思ってます!
ツアーも組みますので是非皆さま来て下さい!
さあ、久し振りの津、飯田のコンサート、楽しみにしていて下さい。
来週末には長野県小布施市でも野外コンサートがありますよ!