モモ太調子を崩す | 市原わん・にゃん会通信

市原わん・にゃん会通信

数年前に近所の廃屋で死んでいた数匹の猫を見ました
誰もどうして手を差し伸べなかったの?
こんな悲しい事はもう嫌だ
2007年のその時から手さぐりで保護ボランテイア
を始めました 宜しくお願いします

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ぼかぁ~調子が悪いです
オシッコが出にくいんだ
紳士の僕としては屈辱的です

おかしゃんが自分の部屋に置いてある
ケージに僕を移してくれた
(1月18日午前中)

他の子達が僕が部屋を移る時
凄く寂しがって
僕も嫌だったヨン おかしゃん
早く良くなって戻りたい
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僕は立春も過ぎたとは言え
春まだ浅い2014年(26年)2月7日
に保護された

その翌日の8日まで誰にも保護
されなければ
絶対に死んでた

なぜなら、その日は市原市に
信じられないほどの大雪が
降り積もったからだ

道端に横たわった僕を
おかしゃんは死体だと
思ったらしい
申し訳程度に側に置かれた
空き缶入りミルクが
なんとも哀れで、やるせなかったと
おかしゃんは言ってた

埋葬の為に連れ帰ろうと
側によると、かすかに
僕は動いたらしい

ビックリしたおかしゃんの
その後の動きは
超人的で僕は
感動すら覚えた

良い事なんか何も無かった僕の
猫生が、せめて最後は
温かい場所で死ねるのかな?

最後がそうなら悪くない猫生
だったかな?と思ったものだ
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病院まで運ぶものを
何も持たないおかしゃんは
どこからかビニール袋を調達して
僕を包み病院に走ってくれた

さぞかし先生もビックリしたろうと
僕は思う
袋を開けた先生は
これは面倒は看れないよ
強く安楽死をすすめるよ
とおかしゃんをやさしく諭した

おかしゃんは顔色を変えながら
先生それだけは出来ません
とハッキリ言ってくれた
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(苦手な方はスルーして下さい)
その時僕はこんな顔だった
目も鼻も無く
おまけに車に跳ねられて
顎は粉砕してた

僕は生きる事が許された

みんなにお前なんか
ゴミだ 害獣だと言われ続けた僕
猛獣の様に
見えない目で人を睨みつけていた

それから、しばらくして
こんな僕を千葉市のW さんは
預かりを申し出てくれた
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(苦手な方はスルーして下さい)
でも僕は人間なんか
信じなかった

優しく声をかけてくれるWさんに
また僕を追っ払おうとしてるのか
と引っ掻き唸った
それでも根気よくやさしく接してくれた
Wさん、今思えば僕は
なんという猫でなしだったのだろう

眼球摘出の手術のあと
再びおかしゃんから
僕を託されたWさんは
まだ麻酔のきいている僕を
いまなら抱けると言って
抱いてくださった

なんという僕は猫でなしだったのだろう

家猫としてシッカリ更生させて
くださったWさん
今では僕ほどの人格者猫もいない
とおかしゃんは言う
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治療に専念して
早く治ってまた走り回りたい
仲間のみんな待っててくれ
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