
ぼかぁ~調子が悪いです
オシッコが出にくいんだ
紳士の僕としては屈辱的です
おかしゃんが自分の部屋に置いてある
ケージに僕を移してくれた
(1月18日午前中)
他の子達が僕が部屋を移る時
凄く寂しがって
僕も嫌だったヨン おかしゃん
早く良くなって戻りたい

僕は立春も過ぎたとは言え
春まだ浅い2014年(26年)2月7日
に保護された
その翌日の8日まで誰にも保護
されなければ
絶対に死んでた
なぜなら、その日は市原市に
信じられないほどの大雪が
降り積もったからだ
道端に横たわった僕を
おかしゃんは死体だと
思ったらしい
申し訳程度に側に置かれた
空き缶入りミルクが
なんとも哀れで、やるせなかったと
おかしゃんは言ってた
埋葬の為に連れ帰ろうと
側によると、かすかに
僕は動いたらしい
ビックリしたおかしゃんの
その後の動きは
超人的で僕は
感動すら覚えた
良い事なんか何も無かった僕の
猫生が、せめて最後は
温かい場所で死ねるのかな?
最後がそうなら悪くない猫生
だったかな?と思ったものだ

病院まで運ぶものを
何も持たないおかしゃんは
どこからかビニール袋を調達して
僕を包み病院に走ってくれた
さぞかし先生もビックリしたろうと
僕は思う
袋を開けた先生は
これは面倒は看れないよ
強く安楽死をすすめるよ
とおかしゃんをやさしく諭した
おかしゃんは顔色を変えながら
先生それだけは出来ません
とハッキリ言ってくれた

(苦手な方はスルーして下さい)
その時僕はこんな顔だった目も鼻も無く
おまけに車に跳ねられて
顎は粉砕してた
僕は生きる事が許された
みんなにお前なんか
ゴミだ 害獣だと言われ続けた僕
猛獣の様に
見えない目で人を睨みつけていた
それから、しばらくして
こんな僕を千葉市のW さんは
預かりを申し出てくれた

(苦手な方はスルーして下さい)
でも僕は人間なんか
信じなかった
優しく声をかけてくれるWさんに
また僕を追っ払おうとしてるのか
と引っ掻き唸った
それでも根気よくやさしく接してくれた
Wさん、今思えば僕は
なんという猫でなしだったのだろう
眼球摘出の手術のあと
再びおかしゃんから
僕を託されたWさんは
まだ麻酔のきいている僕を
いまなら抱けると言って
抱いてくださった
なんという僕は猫でなしだったのだろう
家猫としてシッカリ更生させて
くださったWさん
今では僕ほどの人格者猫もいない
とおかしゃんは言う

早く治ってまた走り回りたい
仲間のみんな待っててくれ