玉君 逝ってしまいました | 市原わん・にゃん会通信

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数年前に近所の廃屋で死んでいた数匹の猫を見ました
誰もどうして手を差し伸べなかったの?
こんな悲しい事はもう嫌だ
2007年のその時から手さぐりで保護ボランテイア
を始めました 宜しくお願いします

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悲しくて・・・
悲しくて・・・
悲しくて・・・

2月19日 18時18分 玉君 逝きました

点滴をすれば「2・3年生きてる猫もいる」とは、看護士さんの話
他の猫の話を、されただけで・・  
玉のことでは、無かったのに・・・

腎臓病でした

リンゲル液の点滴を朝夕すれば、玉も2・3年、まだまだ、私と共に生きていけると
みんみん、そう、思っていたかった

今から、思えば・・だから、先生に玉の余命は確認しなかった

でも、こんなに早く・・逝くなんて・・

写真は亡くなる前日の玉です
私に抱かれています

苦しそうでした
でも、男らしく玉は痛みに耐えて最後まで頑張りました
立派でした

19日夜に、寝かせていた、玉が、何かに追い立てられる様に、のけ反り、手足をバタバタさせました
抱き上げ、苦しくないように・・うつ伏せにしたまま・・
玉を支えました

「ゼェ ゼェ」と風邪の時のセキ声の様な音を立てたかと思うと・・
バタバタさせていた、右前足がパタンと倒れました

仰向けに、玉をさせて「玉~~~~帰ってきて~~お母さんと頑張ろう!!」と呼びかけました
玉の大きな瞳から、急速に光がうせました

悲しかった
悲しかった

21日に荼毘にふし、今も、遺骨は私と共にあります

悲しくて
悲しくて

でも、昨夜、玉が私に抱かれて、私の事を「まま」と心配そうに鳴く変な夢をみました

玉を心配させては、いけません

まだ、8匹の猫と1匹の犬が・・・我が家には、います


恵まれない不幸なノラちゃん達の為にも・・
何が出来るか・・

玉と一緒に過ごした幸せな年月・・今度は私が・・幸せを少しでも・・他の子たちに・・

お母さんは、まだ時間が掛かるけれど立ち直れるから・・心配しないで
安らかに・・

長い事、本当にありがとう