記憶の中のイメージについての回想、とクルマのことも。 -2ページ目

「わしはこんな車は買いとうなかったーーーー!」
子供店長ならそんなことを言うのかもしれません。

品質問題の影響から、自動車販売への影響が懸念されています。
北米だけでなく、日本でもプリウスの予約キャンセルが発生しているようです。
納車予定時期に多大な遅延が発生し、昨年末に購入を決めても手に入るのは今夏だそうですから、なおのことです。
不安の残る車に乗りたくないのはあたりまえです。

予約キャンセルの発生は、同様のブレーキシステムを持つ他のハイブリッド車「SAI」、レクサス「HS250h」だけではありません。
ハイブリッドではない通常の車種にも、キャンセルが発生しています。
トヨタ車への信頼が急速に低下していることの表れです。

トヨタはこの状況を深刻に捉えました。
不安を抱えたまま週末を迎えるユーザーのことを考え、豊田社長が金曜の夜21時から豊田市内で緊急会見を開いたのです。
そこでようやく「ご迷惑とご心配をおかけして申し訳ない」と謝りまりました。
いろんなところで指摘されているように、少し遅かったかもしれません。
ただし、これには自動車メーカーなりの理由があります。

厳密に言えば、プリウスのブレーキに欠陥がないからです。
法律やメーカー内の規定に従えば、という条件がつきますが。
誤解を与えないよう、品質保証担当の佐々木副社長が確実な対応をするのが先決と考えたのです。
謝るよりも、事実を伝えることで、世間の判断を得ようとしたのです。
ただし後になって考えてみると、社長と品質保証責任者が同時に早いタイミングで会見するのがベストだったような気がします。

欠陥でないものに苦情が発生し、世間からの批判が集中したからとって、それを謝ってしまうと取り返しがつかないことが起こるかもしれません。
消費者から指摘されたもの全てに謝罪しなければならないのです。
これは同業他社へ波及します。
世界に広がります。
おおげさですが結果、自動車は安全でない、危ない乗り物となり、自動車業界は破滅するかもしれません。

自動車に乗れなくなるだけならまだいいかもしれません。
しかし、自動車産業に関わっている人口は、全就労人口の約8%と巨大です。
日本の国際貿易収支の黒字化にも大きく寄与しています。
これが全てなくなると、影響の大きさは計り知れません。
だからこそ、先進国の政府は自動車業界への支援としてスクラップインセンティブやエコカー減税などの財政出動を行うのです。自動車産業の失速は影響が大きいのです。


ここで、プリウスのブレーキの何が問題なのか簡単に説明します。
よく「ブレーキがきかない」と表現されますが、これは間違いではありません。
きかないことが、ある条件において発生するとのことです。
それは、「ABSが作動すること」と「ブレーキペダルをゆっくりと踏み込むこと」が重なったときです。
このとき、減速エネルギーを電気に変換し発電する回生ブレーキが先に作動し、後にABSを作動させるために通常の油圧ブレーキに切り替わります。この切り替え時に、制動力の空白時間が発生するのです。

ブレーキペダルを踏み込んでも、思ったようにきかないとなればドライバーは大いに不安を感じることでしょう。
それこそ欠陥だと思って何も悪くありません。
ただ、トヨタは社内基準で照らし合わせれば、一定の速度において十分な制動距離内で停止できるようになっているため、十分にブレーキがきくと判断し、3代目のプリウスを発売したのです。
事実、きちんとブレーキを踏んでいれば止まるのです、ドライバーは空走中に恐怖を味わうかもしれませんが。
ちなみに千葉県でプリウスのブレーキがきかず追突事故が発生したとのことです。因果関係が定かではありませんが、片輪をマンホールに落とした状態や、キャッツアイ(ライン上の突起物)を踏んだ状態では、雪道やぬれた路面といった滑りやすいところでなくともABSを作動させる必要があるので、ペダルを踏んでいても一時的に「ブレーキがすっぽ抜ける」現象が起こりえます。そうしたことが発生したという報告が多数、トヨタに寄せられているようです。

1月半ばまでに生産されたプリウスでは、上記の通り。
すでにトヨタは、この制御プログラムを見直し、空白時間の感じられない、空走が感じられない“安全なプリウス”を生産しています。

ここで一つ疑問が発生します。
冬に入り、路面が凍結し苦情が多くなり12月に対策を検討し始め、1ヶ月たらずで改修を行ったのであれば、空白時間のないスムーズな制御の実現は技術的に困難ではなかったはず。ではなぜ、初めからそうしなかったのか。

トヨタの横山裕行常務役員の言葉を借りれば「トヨタの判断がお客様の要求基準に比べて甘かった」から。十分な制動能力を持たせたので、1秒弱の無制動時間があったとしても問題ないだろう。「お客様はトヨタのフィーリングに慣れている。感覚の問題だ」ということで、トヨタらしくないブレーキ感覚にするくらいなら、回生ブレーキから油圧ブレーキへの切り替え時に空走しても良いと判断した、ということになります。ただし、現実はそう甘くなかった、ということで問題となっているわけです。

もう一つは、仮説です。
トヨタは、開発過程で空走時間が発生することを認識していなかったのではないか。
というのは、空走が発生するのはごく限られた条件だけだからです。
制御プログラムの開発は、机上である程度の条件を想定しおおまかに決めた後、実車でテストドライブを重ね、詳細をつめます。その際、ABSが作動しやすい状況で、ブレーキペダルをゆっくり踏み込むことが、無かったのではないか。このふたつの条件が重なるのは稀です。

ブレーキペダルをすばやく踏み込むと違和感のない切り替え=空走発生よりも、制動を重視するためブレーキが強く作動し、空走の発生はまず感じられないでしょう。ですから、空走の発生を感じ、恐怖を味わうにはペダルをゆっくり踏み込まなければならないのです。しかし、ペダルをゆっくり踏み込む状況というのは、安全に余裕がある状態です。急ブレーキなど必要なく、タイヤがロックするような状況ではなく、ABSは必要ありません。ということで、この2つの条件はほとんど矛盾するのです。その例外が滑りやすい路面と、まっすぐ走っていても左右のタイヤで回転差が生じるときです。

開発時のテストドライブというものは、信じられないくらいの回数や種類の試験を行いますが、時折ある重大な条件でのテストをスルーしてしまうことがあります。これまでの延長上にある車種であれば、蓄積された経験を元に問題はきわめて発生しにくいのですが、プリウスはまだ歴史の浅いハイブリッド車であり、何が後で問題になるのか、重要なのか突き詰めれておらず、発展途上です。特にトヨタ方式はホンダ方式に比べ、制御がかなり複雑です。制御用件も複雑にからみあい、危険でないことは確認できてもフィーリングまでは担保が難しいのです。ところがプリウスも3代目となり、制御がなめらかになりました。初代は「かっくんブレーキ」と揶揄され、それはそれはひどいものでした。スムーズな制御めざし、より高度な制御を行うのですが、こうなると反対に全ての信号の組み合わせを再現し、実際に試験することは不可能に近づきます。

仮説が正しかったとすると、こうした稀な条件下でのテストドライブを開発時に経験せずに通り過ぎてしまった、ということになります。考えたくありませんがそうなります。ただし審議のほどは分かりません。4日、決算説明会の後会見した横山裕行常務役員は、こうした質問に対し「開発時のことはなんとも言えない。ただし、お客様の要求に対しトヨタの判断が甘かった」とだけ答えています。


北米で発生したアクセルペダル問題の改修費用は1千億円程度、販売への影響は800億円程度と見積もられています。ブレーキペダル問題は、その後、芋づる式に明らかになったことです。プログラムの書き換えだけですが、すでに販売された車両への改修費用が別途計上されるでしょう。やぶへびとも言えますが、良くないことは出し切ったほうがいいものです。ただし、良くないことは重なると相乗効果を生み出してしまいます。そして、批判の矛先はトヨタです。王者の転落は誰もが期待するストーリーです。これが自動車業界全体に広がり、影響が長期しないかどうか、懸念されるところです。


ちなみに、プリウスのブレーキ問題は、アクセルペダルの問題とは直接関係ありません。
マスコミは品質問題にひっかけて一緒にしてしまいます。
これでは消費者に無用な誤解を与え、不安感をあおるだけです。
よく急速な世界展開が原因とか、世界1位になった反動とか言われますが、現段階で正しい判断を下すのは難しいと思われます。

前原国交相は、消費者目線に立って「問題かどうかは使う側が決める話。トヨタの対応は顧客の視点が欠如しているのではないか」と語ったそうですが、これも第三者の視点が欠如しています。
ここは基本に立ち返ることが肝要です。
冷静な判断と、客観的な意見を持たなければ、報道機関や政府、企業への信頼が失墜しかねません。


さて、初のホンダ車登場です。

結論から言うと、優等生で不可なし。
かといって際立って心躍るものもなし。
ただし、気心の知れた仲間や大切な家族と移動空間を共有できる点で二重丸。
しかも、とても快適に過ごすことができる。
実体験済み(泣)。

箱根へ行きまして。
渋滞も巡航も、高速も市街地も郊外も山坂道も走った。
拍子抜けするほど、良い車でした。
おしまい。

もう少し書き加えます。

燃費がよろしい。
トータルで㍑あたり12キロ。
高速では17キロほど。
省燃費モードだと、おそろしく低回転ばかり使うので、あっけにとられた。
別にいいんだけど、おもしろくない。
アクセル踏んでも加速しなーい。
無味乾燥なドライな乗り物に乗ってるみたい。
もはやエンジンのホンダは過去のものか。
いやいや、高まるエンジンサウンド、みたいな野蛮なエンジンは前時代的。
今やキャッチコピーは、高まる燃費、である。
ということでホンダは依然、エンジンメーカーだった。
さもありなん。

操作系は、すっきりさわやかな感覚。
ハンドリングは素直。
ロールしながら粘る。
レスポンスもほどほどで違和感なし。
ブレーキも制動力十分。
微速域でのコントロール性も合格。

総じて、乳酸菌入りホワイトサイダー。
アンバサホワイト。
癒し系というかなんというか、存在感の希薄な昨今の若者のような。
やさしいんだけど、じゃあこの人じゃないとだめかというと、そうでもない。
記憶に残らないから、後で連絡が来ても顔が思い出せなーい。

運転してどうのこうの言わせない操作感覚と運動性能には何も言うことがない。
絶対性能が高いわけではないけど、200万+の背高ワゴンだとすれば文句なし。
それよりも、燃費性能にはうならされる。
あとは、室内空間のひろびろさ。
一体何につかうんさー。
二列目なんて足5本くらい組めるぜよ。

運転してて、後ろの席がうらやましくなったのは初めて。
主役は後席。
足を組んで、あったかいコーヒーでもすすりながらおしゃべりしたくなる。

ほかは存在感を消してくださーい。
車そのものも、運転手さえも…。
合掌。






とあるオーナー企業は、代々地方の中小企業でありつづけたが、
あるとき婿養子が社長になり、新興国で成功し、
その業界ではいつのまにか世界的な会社として有名になっていた。

会社を傾ける大きな失敗もなく、月日が流れ
社長は引退を考える年になった。

後進に道を譲ろうと会長に退いたが、
神のいたずらか悪いことが続き、なかなか引退できずにいた。

これまでも後継者を育てようと多くを試みたが、芽は成長しても、収穫するまでには至らなかった。
その取り組みは今も続くが、ここは一つ、自分の目の黒いうちに経営を支えるしくみを整えようと考え方を変えることにした。

振り返ると、この業界で世界的に成功している会社の中に、オーナーが代々経営に携わる会社はない。
そこで、世界大手であり、業界の先輩でもある大企業と提携し、社内外を含めた監査役になってもらうことにした。
表向きは、手薄になっていた次世代技術の補完と、新興国でのマーケットシェアを生かしたコスト低減を目的とした提携だが、この年老いた経営者の狙いは別のところにあった。

ただ一つ、注意しなければならないのは、彼らに良いアドバイザーであり続けてもらうために、自らの会社経営の独立性を保ち、魅力ある企業であり続けること。弱体化してしまっては、小さな山椒といえども、ぴりりとした辛味がなくなり、捨てられてしまう。ただし、魅力を保ち続けながらも、経営は乗っ取られないように注意を怠ってはいけない。

商品群の刷新が終わり、次世代に対応したラインナップが出揃うころには、この経営者は世に別れを告げているかもしれない。とすれば会社が持続的に存続し、かつ魅力を保ち続けるには、この提携は良い選択だったのかもしれない。

スズキがフォルクスワーゲンと提携する背景に思いをめぐらせると、こんなストーリーも浮かび上がる。




知らないわけじゃない。
他人じゃあるまいし。
それどころかよく知っている。
振り返るといろんな話をしたことを思い出す。

一年以上会っていないその友人のことを今、知りたいと思う。もっとよく知りたい。過去も現在も、これからどんなことをしたいのかも。

砂漠が際限なく雨粒を吸い込んでしまうように、僕は今とても渇いている。不思議な感覚に戸惑いさえ感じてしまう。

学生時代から互いに誰ともしたことのないような会話をたくさんした。誰よりも相手のことをよく知っていると思ったことだってあった。

だから、もっと多くを知ることは簡単じゃない。でも簡単ではないから、渇きを感じるのかもしれない。

僕はその友人の多くを知っているのかもしれない。だけど何にも知らないような気がしてならない。どうして急にそんなふうに感じるのだろう。

長いこと顔を会わせていない大切な友人に、今の自分を見てほしいのだろうか。
高価格なものにはそれなりの理由がある。
そして大抵は高付加価値である。

総資産が数十億円を超えるスーパーリッチと呼ばれる人たちが増えている。
そして、価格が数千万円以上の車がよく売れているという。
その多くは、二酸化炭素をたくさん排出する。
使用過程でも製造過程でも。
おそらく廃棄過程でも

エネルギーの採取から、ホイールを回転させるまでの全体のエネルギー効率を示す値に、well to wheel というものがある。エネルギーの井戸である油田から、路面を蹴ってタイヤを転がす駆動力を生み出すまでに、どれだけの二酸化炭素を排出するか、という値を見るものだ。

これで見ると、燃料を燃やさないで走る電気自動車も、ばっちりCO2を排出する。
電気を作るときに、どこかで排出しているから。
燃料電池を使っても同じ。
水素はどうやって作るか。
太陽光や風力による発電であれば、ゼロに等しいのかもしれない。




さて、超高級車はガソリンをたくさん燃やします。
例外なく。
CO2排出量は、一般的な車の2~5倍です。
ハイブリッドカーと比べると、さらに倍です。
このように環境負荷の小さなハイブリッドカーでも、実は燃費の良い軽自動車と環境性能は大差ありません。
そして多くの場合、ハイブリッドカーは軽自動車が複数台買える値段です。

つまり軽自動車はきわめて優秀なのです。
環境負荷の少ない自動車は、価格の負荷も少ないことが多いのです。
日本だけではありません。
欧州でも同じです。


今、環境負荷が小さいことは高付加価値として認められます。
付加価値の高いものが高価格とは限らないということです。
お金をかければ良いものができるが、お金をかけずに良いものを作るのは難しいの普通です。

そこで問題です。
きわめて高価格であったとしても、きわめて環境負荷の少ない自動車をつくることは難しくないはずです。
ではなぜ商品化されないのでしょうか。
スーパーリッチは、低環境負荷を高付加価値とは認めていないのでしょうか。




ここでひとつ間違えてはいけないことがあります。
いわゆる環境対応車は、比較的地球環境に与える負荷が少ないのであって、けっして環境に良いわけではありません。
ものを動かすにはエネルギーの消費がつきものです。
地球環境に負荷を与えずに、多くの物質を運動させることができれば今の時代、英雄です。

ところでこの理論のたどり着く先には、自動車に乗らないことという結論が待ち構えています。
極端なことが好きなスーパーリッチは、乗り換えではなく一足飛びに車から降りるのかもしれません。

実は究極のエコカーは、走れば走るほど地球をきれいにする車といわれています。
そんな車が発売されたら今の時代、王者です。
逆にきれいになりすぎて困ることはないのでしょうか。
どちらにしろ、環境を変えることは影響が大きいですから。


寒い日だった。
冷たい風は街路樹の黄色くなった葉っぱを散らしてしまっただろう。

夕方、渋谷のパルコとユニクロの間を歩いていたら、
ななめ前をおしりが歩いていた。
おしりはユニクロに入っていった。
僕の眼球を横に向ける筋肉はそこで限界を迎えた。
それ以上おしりを追従するには、歩みを止めるしかなかった。
でも、そうしなかった。

きっとあれはデニンスというやつにちがいない。
デニムにしては、フトモモの肉付きがなまなましすぎた。
ふとももにデニムの模様を印刷したようだった。

ちょうどホットパンツの裾にあたる位置まで見えた。
えらいことだった。
おしりは、ごく薄いグレーの布で覆われていた。
マフラーを広げておしりに巻いたようだった。

デニンスとグレーのマフラーのコンビネーション。

他はもうどうでもよかった。
どんなにかわいいお顔であったとしても、あのおしりの相手にはならない。

おしりはたぶん、ブーツを履いていたと思う。
髪型はボブ、かな。
レザーのライダースジャケットを着ていた。
たぶん茶色。
だからそんなのはどうでもいいって。

ほどよく重量感のあるおしりだったから、言うことがない。
眼福頂戴いたしました。

おしりは、ユニクロで何か買ったのだろうか。

ミカさんという女性がいたとする。年の頃は20代半ば。
仕事は社長秘書だったとする。

彼女は仕事着としてスーツを愛用していたとする。
もっぱらスカートで、レギンスははかない。もちろんトレンカも。

その日は柄物のブラウスを着ていた。優しい白とベージュと茶をミッドセンチュリー風な曲線を主体とした幾何学模様の中に散りばめた柄だ。凛とした印象の中に、どこか優しさを感じさせる。黒いジャケットに膝下ぐらいの少しタイトな、同じく黒いスカートを合わせていた。

ブラウスは襟と胸元がゆるやかに立ち上がる女性らしいデザインのものだった。同じ柄のリボンタイは少しほどけかけていた。

彼女はストッキングをはいていた。取り立てて特徴のない黒の無地で、薄手のものだ。それがよく似合っていた。

私は言った。
「そのストッキングかわいいね」
光沢のある品の良いストッキングは、彼女の脚を美しく見せていた。

例えばその日は、掘りごたつのある個室で、彼女と私は一杯やっていたとする。
そのストッキングは彼女の脚に大胆な陰影を演出するばかりでなく、ふだんは見ることができないつま先に、縫い代というやっかいな装飾を施してしまっていた。

彼女は言った。
「なんでですか。普通のストッキングですよ。足首にワンポイントとかあるんならわかりますけど。これでかわいいって言われても、あんまりうれしくないかも」

もっともな意見だ。
だが私は思う。
ストッキングの本来の役目が女性の脚を美しく見せることだとしよう。
最近増えている凝った柄物のストッキングは、それ自体が特徴的で人目を引く特性があり、本来のストッキングとは別の道を行く。

それらは女性の脚の魅力を引き立たせるどころか、ストッキングそのものが主張してしまっている。これは本来主人公であるはずの脚の存在を、ないがしろにするものではないだろうか。

彼女の脚は、小手先の装飾に頼らずとも見事な美しさで私の目を奪っていた。
その結果、宝塚の花組トップスターのような美貌に目もくれず、私の視線は知性と優しさを兼ね備える脚線美に釘付けとなっていた。

それは、女性の目から見れば控えめな“脚”だったのかもしれない。
だが私の目にはその目立たない脚が、彼女が美しく魅力的な女性であると、控えめに主張しているように見えた。ごく薄い化学繊維に覆われた脚には人 の肌が持つ暖かな印象はなく、無機質で研ぎ澄まされた美しさがあった。それは人目をひく整った顔立ちをとてもよく引き立てていた。

正直に言うと私は、そのストッキングをかわいいと思ったわけではない。
いや、確かに“かわいい”存在だったかもしれない。
だがそのときの私にとっては、とても悩ましい存在でもあった。
頭の中がそのストッキングで埋め尽くされ、私はどうすることもできず、ついにそれを放出することを選んだ。悟られないように、ありきたりの言葉に言い換えて。

彼女が困惑するのは目に見えていた。
それでも私はかまわなかった。
状況にそぐわないほめ言葉を受け取り、どのように答えていいのか分からないでいる彼女を見るのも、それはそれで楽しいものだ。

そのとき私は、ストッキングに引き算の美しさを取り入れることで、全身のバランスがどれほど向上するメリットがあるのか、どのようにして気付かせるべきかに頭を悩ませていた。

私が思うに、彼女は自分の魅力を効果的に演出する方法を、まだまだ知らない。