熱田小社

疲れ果てた若い武将が尾張国の熱田社と書かれた神社で深い祈りをささげていた。あまり大きな神社ではない。熱田神宮の分社であろう。若い武将の烏帽子は少し破れ,着物は汚れ,戦いの後ということが想像できる。脇に刺した刀は北条の家紋ミツウロコ(刀にミツウロコは大三島神社で作者は見た)が誇らしげだ。社務所には宮司らしき中年の神主がひとり、若い20歳くらいの美しい巫女が二人いた。神社は木々が茂る小高い古墳のような山の上に鎮座している。武将の馬は神社入り口の木に紐でつないであった。眼下にはわりと大きな川が流れている。少し年上らしき巫女が武将に声をかけた。巫女は若い武将がただならぬ人物ということを感じていた。
「ずいぶん長いお祈りをされておられたようでございますが、お疲れでございましょう。狭い社務所ではございますがお休みくださいませ」というので社務所に案内された。
 
巫女
「ご神前におあげさせていただきました御神酒をお持ちします」とのこと。

宮司が挨拶にきた。
「北条家のお方でございましょう。このたびの蒙古襲来でずいぶんお疲れのことと存じます。どうぞごゆっくりおくつろぎくださりませ」と言って、奥の部屋に引っ込んだ。
深く若い武将は宮司に礼
「かたじけない。お世話になります」

 

※蒙古襲来~有史以来、初の日本国の危機!世界帝国蒙古の日本襲来。
ジンギスカンから孫のフビライまで世界で5000万人を殺戮したといわれる世界帝国が日本を狙い1274年に第一回目の日本襲来(文永の役)!1億の民をまとめる蒙古に日本はどう戦うか?


 
もう一人の巫女が酒をもってきた。巫女に酒をついでもらい。
「熱田神宮本宮において,こちらの分社はなかなかの霊力をお持ちだとお聞きしたので、早速参拝にまいりました。もてなし、誠に申し訳ない」と言い。酒で酔いが回るのを感じた。

巫女
「このたびの合戦は相手が相手だけに大変お疲れの様子でございますね」

武将
「まさに、相手は悪鬼羅刹!武者の肝を食べる。妊婦の腹を割き嬰児を取り出す。弓には毒を塗る。空を飛ぶ火器には本当に恐怖しました。火の玉は爆発し大音響で馬は狂乱するわ。すさまじき戦いでありました」

巫女
「大蒙古国帝国皇帝フビライハーン殿の後ろにヤマタノオロチより大きな大竜神がトグロを巻いておりますことが心に波動となって響いてまいります」

若いほうの巫女が
「ここに参拝されたことは意義がございます。この巫女さまは熱田神宮のなかでも霊感が優れた方でございます。何かの糧をいただけるものと存じます。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」といって外に出て行った。

武将
「申し遅れましたが、某は金沢流北条上総介平実政。よろしくおみしりおきを」(北条氏は平家である。上総介~織田信長と同じ因縁である。織田も平家説が強い)
巫女は驚き平伏した。
「ただならぬ恩方とは気づいてはおりましたが、北条実時様のご子息とは存ぜず。失礼をお詫び申し上げます」

なんと日本軍司令官であり金沢文庫を作った金沢実時の次男が従者なしで現れたのである。

実政
「頭をあげられよ。某はそのような立派な男ではありませぬ。あの合戦に参戦する北条一門の人間は北条のなかでも日陰の立場。合戦が終わり、恐怖のあまり多くの神社を周り神に助けを求めここにたどり着きました。鎌倉までの帰りは従者なしで、今後の蒙古対策をじっくり考えるために、一人の旅を選びました。次の襲来に負ければ日本はありませぬ。策を練るだけでなく神仏にも祈願を行い、日本の神々に敵国降伏の祈願をかけております


巫女は日本の国主の一族のひとりが気さくな若者ということがよくわかったようだ。この時、北条実政(1249年誕生)は25歳か26歳ということになる。執権北条時宗より2歳上である。
「私は横江御子ともうします。実家も神社で、ここより三里ほど熱田本宮より二里南の愛知多郡横井村にございます」

実政
「つまり熱田神宮に修行に来ておられる?」

御子
「はい」

実政
「某は暗く狭い鎌倉が好きでないゆえ、金沢家は学問好きな兄顕時にお任せし、17歳のころから執権北条時頼様の助言により諸国を見て歩く機会を多くいただいたゆえ今回の合戦に遭遇したわけです。亡き執権北条時頼様の弟、時定様(日本軍副司令官 阿蘇に墓がある)と力を合わせた善戦をした。されど、異国の未体験の戦法に最悪、負けは覚悟はしたが、しかし神は見捨てなかった。敵軍の撤退、大暴風により勝利したわけだが、再戦は確実であり、今から対策をねっておかねば日本国の安寧はありませぬ」
戦いとは蒙古襲来であった。記録では日本軍の負けは確実ということになってはいるが実際はかなりの善戦をしたというのか事実であろう。北条家滅亡後は源氏政権である。歴史は強者により作られる面も多いからである。
 
御子
「戦が終わり、一月、もう{肝とりがくる}と民は恐怖に怯えております。しかし熱田大神様は国を守るためならばいかなる手段をもお使いになられます。かの有名な楊貴妃は熱田大神様の化身でございます」

「ほ~」と、実政は興味を示した。

御子
「かつて、玄宗皇帝は日本侵略を思い立たれました。日本の神々は集いに集い、神図りに図られました。そこで、熱田大神様にお願いするほか方法はないこととなりました。大神様は楊貴妃様に変化され大陸にお渡りになられ、早速、玄宗様のお心をとらえ、骨抜きになさったのでございます。玄宗様は堕落した生活を送られ、その隙に安禄山が反乱を起こし長安は陥落。楊貴妃様は切られたといわれますが、熱田神法で難を逃れ、見事目的をお果たしになり熱田の宮にお帰りになられました。玄宗様は楊貴妃様の正体が熱田大神様と知られると、日本に使者をお送りになられたほどの楊貴妃様の色香だったのでございます。神様は神国日本をお守りになられるためにはいかなる手段をもおとりになられるようでございます」

御子は楊貴妃の説明を事細かにし、
「次回の戦いに勝利をもたらすお方が熱田神宮におでましになられるという夢をみました。実政様のことかもしれません。いえ、そう信じたいと思います。そして熱田神宮は未来永劫北条家をお守りされるような気がします」

史実では鎌倉幕府滅亡後、熱田家は執権北条高時の次男、時行をかくまい北条家の存続させたのである。

実政
「それは誉めすぎでござる。鎌倉がいやで旅から旅、そなたのような美しい巫女殿のお酌で酒を飲めることは役得かのう」とお世辞ではないようである。

若い巫女は赤くなっている。季節は晩秋、紅葉の季節で夕刻のあたりの鎮守の森の木々が美しい。不覚にも実政は疲れと酔いのため眠ってしまった。御子が掛け布団を持ってきたとき実政が気づき、
「今、恐ろしい夢をみた。戦は決して優勢ではなく善戦をしたが、苦戦といえば、某と時定叔父は大勢の部下とともに毒矢、爆弾を浴びせる元軍から逃げ、逃げ場である大宰府の大堤防を越え反対側に逃げこんだ。これは一部は事実!夢で思いだした。この大堤防は使えるぞ、今、熱田の神が教えてくださったのかもしれん。鎌倉に戻った後、再度、鎮西に下り、今一度、現地で視察すれば万全!」

 

※大堤防とは、白村紅の戦いの襲来に備えた水城の大堤防のことである。記録では日本軍は大苦戦。しかし、本当は日本軍は強かったようである。高橋克彦先生の小説「時宗」をお読みください。
北条時定は五代執権北条時頼の弟であり、元寇前の鎌倉統一戦で三浦合戦の大将となり三浦一族を滅ぼした。元寇後は阿蘇に赴任し阿蘇で没した