【教育のあり方を真剣に思う方々へ〜素晴らしい教育書のご案内】
皆様こんばんは
土岐山です
皆様は
『水は方円の器に随う(したがう)』
という諺をご存知でしょうか
四角い器に水を入れれば水も四角い形になり、丸い器に水を入れれば水も円形になる
つまり人も環境や付き合う人物いかんで良くも悪くもなるということ
「方」とは四角のことで、「円」とは円形
元々は孔子の言葉で『韓非子』に「人君為る者は猶盂のごときなり。民は猶水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり(君主たる者は水をいれる鉢のようなものである。人民は、その鉢の中の水のようなもの。鉢が四角なら水も四角い形となり、鉢が丸ければ水も丸い形を作る)」とあります
教育とはまさに方円の器です
子どもの可能性は無限大です
まさに清い水のよう
しかし方円の器とは「親が子どもの人生の器を作る」という意味ではありません
どの器に入るかは、子ども自身が決めるのです
親や教師の役目は、子どもの水の透明度を汚さないことです
そしてどんな器に入っても、子どもの選んだ人生を心から応援することです
手を出さず、口を出さず、見守るのです
器を用意した時点で、子どもの可能性は頭打ちになり、その後自分で人生を選ぶことを難しいと感じるようになります
自分で人生を選ぶことができない人が苦悩を抱えます
私はそれを教育の悲劇と呼んでいます
教育の核は、その子の可能性と生命力を信じることです
器を用意するのはただの支配で教育ではありません
そしてまだその子の人生が終わらないうちに教育の結果を成功、失敗と判断する人がいますがとんでもない話です
教育の結果はその子が死ぬまで、いや、死んだ後もわからないものなのです
世の中には今色んな子育て指南書、教育書が並んでいます
その教育書の通りにしたら果たして「良い子」が育つのでしょうか
「良い子」は「自分にとって都合の良い子」となっていないでしょうか
子どもは自分の欲望を満たしたり劣等感や喪失感を埋める道具じゃないんだよ
「良い子」とは、思いやりがあり、優しく強く、自分で自分の人生を喜びを持って選択できる子のことをいう
親から器を用意された子は、自分の人生を歩めないで「他者にとって都合の良い人」になってしまうよ
私はその「他者にとって都合の良い人」が大人になって苦しんでいる例に多く関わっている
しかしその親も、また器を用意されてきたのだろう
その親の、親も、やはり
こうした連鎖を止めるのは、愛のある人との出会いだと思う
子どもだけではない
自分の人生を歩めていない親だって、一番欲しいものは無償の愛なのだ
無償の愛こそが、水の純度をつくる
親や教師の役目は、水の純度を汚さないことだけ
つまり、己に正直に生きることを生き様で伝えることこそが真の教育であると思う
己に嘘をつくたびに水は汚れる
濁った水の中では、綺麗なものを見ることができなくなる
見えない不安で手探りで生きると、見えてないために不用意に人とぶつかり、争いが起きる
まさに『不正直は争いを招く』のだ
ここからが本題です
私は昨年、広島の中学校で校長先生をされていらっしゃる友道健氏先生より
『方円の器』という、素晴らしい教育書を賜りました
友道先生が、校長便りとして書き溜めたものをご自身で製本されて、その貴重な一冊を私に送ってくだすった
私は夢中で読んだ
何度も何度も読んだ
こんなに素晴らしい教育書が世の中にあるのかと、感動した
友道先生の書かれている内容は、教育の一般論ではない
いかにその時その時で、その生徒と体当たりで向き合ってきたかが綴られている文を読むとわかる
熱い血潮が滾るもの、それが教育の力の源であると思う
教師や親にとっての都合のいい子どもなんて見たくないぞ!お前たちの人生は誰のものでもない、お前たちのものなんだ!そうした友道先生の熱い思いが伝わってくる
この度大好きな友人の佐藤 剛史くんが
友道先生の『方円の器』少し編集を手がけ、書籍として出版することになった
隠すことでもないからそのままを添付するが、剛史先生の文章通り、友道先生はご病気だ
ただ土岐山はご病気の友道先生を応援するためにこの『方円の器』をお知らせするのではありません
尊敬する友道先生の教育にかける思いが綴られた本が出版されるとなったら、同じように教育について熱い思いをもつ親御さん、先生方と共有させていただきたいと思ったからだ
それは剛史先生も同じ思いと思う
教育のことを真剣に思う親御さんや先生に読んでいただきたいなと思い、お知らせいたしました
読まれてみたい方は、ぜひm(_ _)m
人が人を思う心だけが
人の心に響くのだと思う今日この頃
土岐山拝