生まれつきである程度能力が決まるもの、
そして生まれてから努力により能力を向上させる
ことができるもの、この世界の能力をいうものには
この二つがある。
先天性があるからこそ、自分のアイデンティティが
守られて、日々人間生活を営んでいけるし、
後天性的要素があるからこそ、人間は
可能性を感じたり、自由を享受することができる
のだろう。
しかし、先天性は時として努力をしても
どうにもならない能力であり、
憧れの人が出来ても、見習いたい人が
出来ても、努力をしたところでその人には一向に
近づけない。
ここに近づけない差が出来てしまう。
このどうにもならない不公平をどう受け止めるか
そのことについて、一つの見解が生まれたので、
書き残すことにする。
それは単純に「先天性は浅く、後天性は深い。」
というものである。
単純に、先天性は決りきった物事で比較を行うので、
単純明快で、意味としては浅く、吟味に値しない。
逆に後天性は、試行錯誤の上、向上、降下をくりかえすため
、意味としては多くあり比較が難しいため深く、
吟味に値する。
スポーツを例にあげると、100メートル走とサッカーの
違いである。
先天性能力の影響が大きい前者は比較が簡単であり、
あまり議論する余地がない。
一方後者は後天性(チームとして戦うことも含める。)能力が
大きく、チームどうしの強さの比較が難しい。
そのため、多くの議論が必要で、よりおくが深い。
かなり主観で書いたが、前者より、後者のほうがスポーツとして
人気が高いことからもこれは妥当であるのではないかと思う。
そして、より話しの話題に上がることも考慮して。
もう一つとして、
努力によって磨かれた能力、後天性能力は
先天性より、より深みがあるように感じる。
最初から話しのうまい芸人(ここで自然と身に着いた能力を先天性とする。)
と面白く話をしたいと思い、努力によりその技術を勝ち取った芸人を
比較すると、これも本能で話す芸人より、技術により話すほうが
より深みのある面白さになっていると自分は思う。
すべては努力が勝るから、信じて努力する。
先天性を覆す後天性能力の研磨により
世界は公平に保たれていると思った。