そうしてアルトは最後の音を力強く弾くと天井を仰ぎ、存分に弾き切った余韻に浸った。
その顔には汗が流れており、若干ではあるが肩が上下しながら呼吸を整えようとしていた。
そして対するワークナーは曲を聴き終えると、二、三回ほど手を叩き椅子から立ち上がった。
「うむ、しかと聴かせてもらった。まずはご苦労だったと言っておこう。
だが所詮は素人…
私が満足するファーレには程遠い。
やはりお前にあの曲を弾くのにふさわしくない…」
アルトは全てを出し切り、疲労しながらもワークナーの評価を待っていたがやはり一流の音楽家を唸らせる様なファーレを奏でることはできなかったようだ。悔しいと思いつつも仕方ないと割り切るしかなく、顔を俯かせる。
「と、言いたいところだが」
「…え?」
まさかの続きに俯いていた顔が再びワークナー方を向いた。
「こんな話を聞いたことがある。
美しきファーレは揺るぎない志をもった演奏者の魂に宿るものだと
お前の演奏には改善の余地が五万とあるが、少なくとも心のこもったファーレだったと私は感じている…」
ワークナーはそのままつらつらと曲の評価を述べていき、アルトはチェロを構えたまま黙って
その結末を見守った。
「そして、この短い期間でこの難易度の曲を習得し、己の過ちと向き合い今ここで一つのファーレを完成させた!
よって貴様はぁ〜〜!!」
地響きが聞こえるほどの大きな声量に、アルトはまたしても圧倒されてただ呆然とその様を見ていることしかできない。だが…
「…合格だ」
…アルトはやり遂げた。
彼は大きな試練に打ち勝ったのである。
「約束の譜面だ。受け取るがいい」
「え、え?合格って言いました?今…え?」
何が起こってるかがわからないと、戸惑うアルトにワークナーは例の譜面を彼に向けて差し出す。
「…どうした。嬉しくはないのか〜?」
「え、でも、オレ…」
「勘違いするな。私は決してお前に同情している訳ではない…だがこれだけは覚えておけ。
この楽譜はお前自身で勝ち取ったものだと」
その瞬間、アルトの顔はぱっと花が咲いたように明るくなった。
そしてワークナーの手から譜面がアルトの手へと渡る。つい前まで欲しいと願ってやまなかったその楽譜がようやく彼の手元に収まったのである。アルトは両手で大切にそれらを持ってわなわなと震え出した。
「夜中に楽譜を盗もうとした奴だ、二日もせずに逃げ出すと思っていたが…大したものだ。」
「〜〜!!ワークナーさん!!!!」
と、次の瞬間アルトは楽譜を持ったまま両腕を広げワークナーに抱きついた。
「なっ…?!?!/////おい、離れッ…!」
「ありがとうございます!オレ、頑張ります!絶対、最高のファーレにして見せます…!!」
「ッ…!」
ワークナーは純潔な感謝の気持ちを伝えられて、何とも言えず引き剥がす気になれないでいたがやはり鬱陶しくなったのか、アルトの首根っこを掴み雑に放り投げた。
「それを持ったら早く出ていけ〜!!」
「はい!!出ていきます!また来ますね!!ワークナーさん!!」
「ッ、二度と来るなァ〜〜!!」
試練が始まる前とは一変してアルトの工場長に対する警戒心は一切なくなり、その代わりそれらは好感と情景に変わっていた。
ワークナーは相変わらずオペラ調で怒鳴りながらアルトを追い出した。
だがこれは恐らく照れ隠しだろう。彼は性格上中々素直になれないのである。
アルトがご機嫌で帰って行った後、ワークナーは椅子にまた腰掛け、大きくため息をついた。
厄介事がやっと終わったが、全く変な奴に懐かれてしまった。
こんなことならあの時褒めるんじゃなかった。
でも、彼がいずれこの殿堂の未来を支える演奏者になってくれれば…
だがやはり奴のあの度を過ぎた明るさは、どうも調子が狂う。
二度とくるなと釘は刺したがあの様子だと近いうちまた来るだろう。
そんなふうに考えながらまた一人ため息をついたのであった。
〜
そうして工場を後にしたアルトは荷物を抱えたまま、とある場所に向かっていた。
その場所というのは
「アルト…」
「…合格だってさ。」
アルトは家に帰る前にシルヴァの家を訪れていた。やっと手に入れた楽譜を真っ先に彼に見せたかったのだろう。
シルヴァはアルトに近寄るとその両肩をそっと抱きしめて彼を讃えた。
「…よくやった…よくやったな…!」
「おう!こっからまた忙しくなるから、これからもよろしく頼むな!」
こうして一時は危うかったアルトの夢は無事次へと繋がった。
ここからはいよいよ本当の本番に向けての猛練習である。