顔の筋肉が動くようにだんだんとなってくる中

コロナを境に患った喘息も手伝って睡眠が思うようにとれず

この2ヶ月体調もメンタルも悪く過ごしておりました。

ここ数日で、やっと慣れとだいぶ回復感を感じる状態に

なってきました。

 

おそらく20歳くらい一気に年を取ったような感じで

耳鳴りと左右の耳の聞こえ方の違い、

意識障害レベルで襲ってくる集中力の欠如に

自分でも寝る前睡眠薬を飲むくらいしかできずで

ご迷惑をおかけした方申し訳ございませんでした。

 

新しい場所での演奏や、新しい共演者との演奏が

重なったこの時期がその時どうであったのか、

また今後にどう響くのかが正直怖いですが

出来る事を、できるだけ良いようにやっていくことに

集中していきたいと思います。

しばらく仕事を少なめを続けて

体調をちゃんと戻して行こうと思います。

 

 

そんな状態なので、昨年チャレンジした剣道など

再チャレンジはさらに遥か遠のいてしまったので、

時々トップ選手の動画を見て楽しむ程度になっています。

 

 

 

先日たまたま上がってきた

このブログに貼ってみた懐かしい動画があります。

少しこの動画を見て思い出す色々を

好きなように書いてみようと思います。


 

このインターハイは、静岡の御殿場だった気がします。

この時は私は、全国三位入賞の西大寺の3,4軍で

レギュラーや補欠にかすりもしない1年生として

(入学から3,4か月の時期)

この会場にいました。

準決勝から観覧可能となった

試合場のフロアで見学、応援していて

このカメラの右後ろにいた気がします。

(ただ、西大寺が一本とった時に、

 白い道着の人たちが拍手しているようなので

 あれがうちの女子だとすれば、

 そちら側の後方だったかもしれません。

 翌年のインターハイもそうですが

 席取り合戦のため寝られていなくて、

 夢うつつで見ていました。

 少なくともあまり前の方では見ていませんでした。

 そうそう、おそらく女子の大村さんが

 インターハイ全国個人優勝したのは、この前日です)

 

 

あらためて、試合結果を見てみると

高千穂にはこんなに大差で負けたんだなと思いました。

比較的惜しかったようなイメージがあったのに。。。

3位でも褒められないどころか、

だいぶ怒られていたイメージなのはそのせいかも。

 

先鋒の青森さんが前日大活躍の浅田に一本取ったことなどが

あまりにも印象的だった事や、

練習試合含めて、私が一度も勝てる気がしなかった

3年の岩谷さん、阿部さんが

こんなにもあっさりと敗けている現実が

受け入れらなかった事が影響しているのかもしれません。

 

岩谷さん(のちに明治へ)は、身長こそ大きくないですが

それこそ岩のような筋肉の塊の小さな豪傑のようでしたし

阿部さん(のちに国武へ)は、最近活躍の選手でいうと大平選手のような(個人の感想ですが笑)

少し斜に構えた感じがしびれるほどかっこいい

スター選手でした。

1年生にも直接はそこまで厳しくなく、

(先生→キャプテン→2年生→1年生のラインで

 結局は締められていましたが。苦笑)

もちろん怖いけど、本当に憧れの先輩達でした。

 

 

前の2年生三人も(後々大嫌いになる福池もまだこの頃は嫌いではなかった気が)

青森さん以外は、練習試合では一本とったり実際勝ったり

少なくとも勝てると思った事があった気がします。

このインターハイの予選前後からどんどん強くなって

だんだん全く歯が立たなくなっていたような気がします。

十河さん(のちに筑波)のポテンシャルは当然のごとく凄まじかったですが

最初に会った頃(この1,2か月前?)はまだ甘さも残ってて

意外と凡ミスから一本を簡単に取れた瞬間があった記憶があります。

この動画の十河さんは、強い時の十河さんのイメージと

かけ離れて、だいぶ空回りしていますね。

この時でもさすがにもっと実力あった気がするのですが。。。

翌年は、先生にもだいぶしごかれて、究極に強い生物に進化していたイメージですが

この動画の中堅戦の最後の方、何本打たれてんだよ(笑)

ってくらい打たれててちょっと笑ってしまいました。

 

私の同期のスター選手永井(のちに中大)に十河さんが

ちょっと小ばかにされながら引き技とかを習っていて、

それを横から見る感じで私も教えてもらっていたのを

くっきりと思い出します。

田沖選手とかの残っている動画の引き技を見ると、

永井も自分で考えたのではなく、少ないチャンスで見た技を

工夫して自分で打てるように、考えて作りあげたんでしょうね。

今のように、動画がバンバン見られる時代ではないんです。

それを証拠に、私たちの現役の試合の動画なんて

故福崎(うちの代のキャプテン)の実家に

残っているかどうかくらいです。

 

その中で、見て真似て、

自分で一本に出来るように工夫した技を

おしげもなく教えてくれたのですから、癖はあっても

本当の意味ではいいやつだったのだと思います。

同じチームだったからこそでしょうけれど。

だいぶ打てるようになっても、部内の練習試合で

引き技で永井に勝てると思ったことはなかった気がします。

(永井はコロナ禍期間、事故で亡くなったので残念です。)

もう今さら話す事はないですし、口に出した事はないですが

永井にも憧れていましたね。

入学当初は背も低く、若干下に見ていましたが

あっという間に一つ上の全国優勝メンバーのレギュラーに

実力で食い込んで凄かった。

間違いなく全国制覇の原動力の一つだと思います。

結局伝えないままですが、

私の知る偉人の一人だと思います。

 

 

この時既に嫌いだったのは、

翌年先鋒になる藤田(当然敬称略)のみです。

こいつには、この時の私は実力で切迫していましたが

翌年のレギュラー争いで私の存在に危険を察知していたのか

目の敵にされていました。

この頃からすでに

レギュラーとかどうでもいいから

こいつにいじめられるのをなんとかしたい、

という一心だった記憶があります。

関わった人の中で、

不幸になっててほしいと屈託なく願える人は

たった一人、この人だけですね(笑)

それもこうやって言葉にするだけして

忘れてしまいましょう(笑) ←まだ忘れてないんかい(笑)

 

 

私の中ではフランケンシュタインのイメージの青森さん。

(翌年副キャプテンかな?比較的怖くなかったです)

重心の置き方、今見ても独特な気がしますね。

こういうタイプの構えの選手いるんですかね、今も。

高千穂の選手もなんだかこういう重心の感じの構え方の方がいらっしゃるので、流行りとかもあったのでしょうかね。

 

しかし私たちの代の田沖選手とかもそうですが

この高千穂の浅田選手のスピードスターのように遠間から

踏み込んでの打ちは現代ではほとんど見ないですね。

この時代の独特なカラーですよね。

今見ると、

今のトップ選手なら簡単に合い面で勝てる気がしますが、

当時はわかってても打ち勝てない気がしていました。

実際に試合をした事はないですが。

 

だからこそ、青森さんが合い面で一本とったのは

すごく嬉しかった気がします。

動画のコメントで、いちゃもんついてましたが

タイミングは明らかに青森さんが速いですよね。

この判定、青森さんの一本で間違いないと思います。

 

道場であの浅田選手の感じで打っていると

ちゃんと一足一刀の間合いで攻め合ってから打ちなさい

って先生に怒られるやつですよね(笑)

でも憧れましたねー、懐かしい。

 

のちに中大に行った永井が

「中大でレギュラーなんかなれる訳がない!

 浅田や田沖がいるんだよ。」

と言っていて納得したのを思い出します。

怪物(スター)が揃った道場の稽古を、

一度見てみたいなあとひそかに思ったものです。

 

この動画の2年後に

私はひたすらトラウマを抱えて

剣道界を逃げるように離れていたので

そんな行動には出ませんでしたが。

 

 

 

思い出語りは特に誰のためのものでもないので

また面をつける日を夢見て、体調を整えていきます。

 

 

(ちなみに私は今も昔もストレートです)