皆様、こんにちは(^_-)-☆
暖かい季節が待ち遠しN.Iです🌸
さて、今回、また過去の資料を基に東海汽船の【歴史】に注目したブログをお送りします🔍
今回ご紹介するのはこちら👇
『海の旅』 東京湾汽船
ー昭和七年九月ー
昭和七年ということは1932年😲
約90年前のパンフレットとなります‼
こちら京王電鉄様に保管されていたものです‼
長い間、大切していただき誠にありがとうございます💗
さて、パンフレットを開いてみるとこんな感じ👇
A3より若干大きいサイズです。
オフィスのスキャナーだと少し見切れてしまいました…
表面は大島と下田の旅行案内と時刻表・運賃表✨
裏面は航路図と名所案内です👀
1枚に情報がギュッとまとまっていますね👍
文字がとても小さいので読むのはちょっと大変…
現物が手元にあってもかなり読みにくいので、、、せめて雰囲気を感じてください💦
表面の主要な項目をご紹介します✋
まずは観光のモデルプランのご案内です。
◇伊豆大島遊覧
①日帰り三原火山探勝
②日帰り三原火山と波浮港探勝
③波浮港一泊三原火山探勝
三原山ハイキングの日帰りプラン2つと、
波浮港で宿泊するプラン1つが紹介されています。
三原山ではパンフレット発行の前年1931年にモンゴル産のラクダ3頭と満洲産のラクダ11頭が来島したばかり!
1.5円でラクダ観光ができます‼
現代の貨幣価値に換算するとだいたい3,000円くらいです💰
そこそこ良いお値段👌
なお、90年後のハイキングプラン(販売中)はこちら👇
ラクダやロバはもういませんが、かわいい与那国馬で乗馬体験を行っている農場がありますよ🐎
◇伊豆下田遊覧
伊豆大島を超える5プランも紹介されています。
当時、下田にいかに力を入れていたかが分かります🔥
昭和3年頃から貨物船主体の考え方「貨主客従」から
観光主体の考え方「客主貨従」に経営を転換しました。
その際に注目されたのが自然豊かな大島と、
歴史的価値のあり温泉が多い下田だったんですね♨
さて、ここで裏面の遊覧航路案内図を見てみましょう。
現在の航路図とはかなり異なっていることが分かります。
この頃は既に八丈小島含む、青ヶ島までの定期航路は開いていますが、
観光等を目的とした¨遊覧¨航路としては図の通りのようです。
表面に記載されていた伊豆諸島の定期航路表はこちら👇
大島までは毎日就航しているようですが、
利島以南は運航日数が少ないです👀
代わりに目に付くのが、、、
下田ー大島間
沼津~下田間
この航路は西伊豆航路を運航していた豆州共同汽船さんを1906年に吸収合併して誕生しました。
1960年代頃には東海汽船の航路からは姿を消しております😢
横浜ー横須賀ー大貫間の房相連絡航路
こちらは1939年頃に廃止となっています。
また熱海ー大島間に航路がなく、熱海ー伊東ー熱川ー稲取ー河津ー下田間に航路があったのも面白いですね✨
この頃は下田への鉄道路線がなかったので、
海路も交通機関として需要があったのですね✨
今もこの航路があったら往路はのんびり船で行って復路は踊り子で帰るなんてこともできますね💗
ちなみに運賃表は以下の通りです💰
このころの1円は今で言うと2,000円ほどなので、、、
東京ー大島へは2円なのでだいたい片道4,000円
往復だと割引が効いて3円なので6,000円くらい‼
東京ー八丈島は5円なので片道おおよそ10,000円くらいの感覚です。
感覚的には今と同じくらいお値段ですね🥰
ちなにみ‥・
今はスーパー島トクきっぷという期間限定の大変安い乗船券があります!
東京ー神津島までは往復5,000円‼
東京ー八丈島までは往復10,000円‼
90年前と比較しても大変お安い価格で船に乗れますよ👍
さて最後に裏面遊覧航路にも写真付きで掲載されていた
当時、当社最大級の純客船【菊丸】について触れてお別れです✋
【菊丸】(759t)
1929年6月25日竣工 旅客定員385名
大島航路に配船され東京ー大島間の夜行便の毎日就航に貢献しました。
太平洋戦争中は海軍に徴用され津軽海峡をパトロールへ行ったり、病院船として南鳥島へ行ったり、戦後はコレラ患者の隔離船として博多へ行ったりと波乱の船歴となりました⚡
その後、東京湾内で運航していた海水浴航路や熱海ー大島航路に就航し、1969年5月8日に引退😢
東奔西走の活躍にファンの多い1隻だったのではないでしょうか🥰
またどこかで過去の船もご紹介できればと思います🚢
駆け足でのご紹介となってしまいましたが以上となります。
最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m