第5日目:小田原宿〜箱根宿〜三島宿
今日の記録今日の起点から終点までの全て休憩と寄り道を含む記録日付:2024年1月26日出発時刻:7:37到着時刻:16:50歩行距離:34.4km歩数:45,210歩歩行ルート日本橋からの累積記録歩行距離:127.2km歩数:157,801歩歩行ルート花粉が飛び始める前に箱根八里を超えてしまいたくて、1月中に行けるのはこの日しかないため、平日ですが決行しました。箱根までは、街道というよりも登山道のようなところが多く、石畳が膝に負担が大きかったです。衝撃吸収材+ビブラムソールの靴でも膝が痛くなるので、この道をわらじで歩いたなんて、毎度ながら昔の人の健脚には驚きです。江戸時代の庶民も、赤穂浪士も、新撰組も、参勤交代の大名も、明治天皇もこの道を通ったんだなと思いながらの旅でした。小田原宿〜箱根宿記録歩行時間:4時間35分歩行距離:17.7km歩数:24,335歩ぶらり小田原城は外から見るだけにして、お堀端の三の丸ホール前で準備運動をしました。前回ゴールの「ういろう」前からスタートします。箱根口ガレージ報徳広場には、二宮金次郎の銅像と路面電車が展示してあります。かつて小田原には路面電車が走っていたそうですが、昭和31年に廃止されて、長崎の路面電車として譲渡されていたものが、令和2年に現役を引退して里帰りしたものだそうです。箱根登山鉄道の線路下を通ります。日本橋から21番目の一里塚跡当時の面影は何もありません。春日局の墓が小田原にあるのですね。見学はパスしました。源頼朝が乗った馬が暴れた際に馬の蹄の跡が残った場所馬の健脚にあやかりたいと旅人が祈願したそうです。小田原の板橋から湯本までが、日本初の有料道路だそうです。箱根路に入ります。箱根湯本方向ではなく、三枚橋で早川を渡って旧東海道に入ります。早雲寺です。ここには寄り道しました。禅寺らしい佇まいです。北条氏五代の墓文字が風化していて読みにくいですが、説明書きと照らし合わせると、一番右が北条早雲の墓のようです。曽我兄弟ゆかりの寺ですが、昨年テレビの旅番組で見たことがあるため、見学はパスしました。茶屋の道祖神男女双体道祖神はこれまでにもたくさんありましたが、比較的保存状態が良かったです。日本橋から22番目の一里塚跡箱根旧街道に入ります。石畳の道になります。葛原坂飲めるようですが、やめておきました。大磯までは松並木でしたが、箱根は杉並木になります。花粉飛散前で良かった。この先、急登が続きます。この坂を転げ落ちたら、男だって死にます。この先、○○坂が続きます。畑宿へ向かいます。石畳というよりは、石が置いてある感じで歩きにくく、膝への衝撃が大きいです。写真だと分かりにくいですが、かなりデコボコしています。ここからは、本当に江戸時代のままの石畳になります。こんな感じ接待茶屋跡一旦、車の通る道に出ますが、この標識を左に曲がって山道になります。少し進むと道が細くなり、どんどん下るので不安になり、一旦車道まで引き返しました。落ち着いて地図を見て、東海道五十三次アプリでGPSの位置を確認し、間違っていないと判断して再度山道に入りました。この道で合っていました。穴澤坂相変わらずデコボコです。急登を抜けると畑宿の集落に出ます。日本橋から23番目の一里塚左右ともに復元されています。西海子坂石畳の急登が続きます。まだまだ登ります。橿木坂「橿の木の さかをこゆればくるしくて どんぐりほどの涙こぼるる」その気持ち分かります。あと3kmあと2.7km猿滑坂殊に危険 その通りの坂です。追い討ちをかけるように急な階段が続きます。追込坂最後の追い込みか?今日の目的の一つである甘酒茶屋に到着しました。茅葺き屋根の葺き替え工事中で全景を見ることが出来なかったのが残念ですが、葺き替え工事は初めて見たので良しとします。参勤交代の大名もここで休憩したのでしょうね。囲炉裏もあり、風情のある店内です。甘酒と磯部餅をいただきました。合計1,100円疲れた体に染み入ります。「歩いて来られたのですか?」と聞かれたので「小田原から歩いてきました」と言ったところ、「歩きの方には、道中安全のお札を差し上げています」とのことで、ありがたくいただきました。心遣いが嬉しいです。「記帳もどうぞ」とのことなので、諸先輩方に続けて記帳しました。店内の照明はランプです。休憩を終えて出発します。はい、注意します。於玉坂関所破りで処刑されたお玉にちなむそうです。あと40分 もうひと頑張り石畳は続くよどこまでも天ケ石坂「箱根八里は馬でも越すがこすに越されぬ大井川」ここに置くよりも、大井川に置いた方が良いのでは?権現坂この辺りから、足が何度もつってしまい、今日は箱根宿で終わりにしようかと思い始めました。ついに芦ノ湖に到着です。箱根関所通行手形を検められ・・・審査の結果・・・牢屋行きにはならず・・・無事通過することができました。甘酒を飲んで磯部餅も食べたので、お昼はいらないかなと思いましたが、足を休ませたいのと三島まで行くには何か食べた方が良いのと、休憩しても日没までには三島に着けそうなので、関所エリアの土産物店や飲食店が集まる一角でお昼にしました。「傳兵衞蕎麦」観光施設の蕎麦屋なので期待していませんでしたが、製麺所直営とのことで蕎麦はそこそこ美味しかったし、天ぷらは注文してから揚げるので熱々でした。甘めのお汁が疲れた体に優しくて美味しかったです。天ぷら蕎麦1,500円御宿場印箱根宿〜三島宿記録歩行時間:3時間34分歩行距離:16.7km歩数:20,875歩ぶらり本陣跡はホテルになっていて形跡なし箱根駅伝ミュージアム下も石畳が続きます。これが街道なの?挟石坂三島まで16km箱根峠で神奈川県に別れを告げて、静岡県に入ります。藪の中に何かある杉本苑子、橋本聖子、宮城まり子、橋田寿賀子、黒柳徹子、穐吉敏子、向井千秋の揮毫でした。各界大御所の揮毫なのに、手入れもされずに藪の中に放置状態でした。三島青年会議所の方々、作りっぱなしではなくちゃんと管理してください。今日一番のショック!台風19号の影響で旧道が崩れて通行止めになっていました。それはやむなしとしても、だったらもっと手前の迂回路との分岐点に掲示して欲しいです。仕方ないので、国道との分岐点まで戻ります。遠回りの迂回路を通り、旧道に戻ります。徳川有徳公(八代将軍吉宗)の碑紀州公から将軍になるために江戸へ向かう途中に近くの茶屋で休憩したとのことで、代々の紀州公は、参勤交代の際にはこの茶店で休憩したそうです。かぶと石形が兜に似ているからとも、豊臣秀吉が兜を置いたからとも伝えられていますが、後者だたらいいな。東海道五十三次あるあるの明治天皇の足跡です。これまで多かった足跡トップ3は、明治天皇、親鸞聖人、日蓮聖人。ここは、明治天皇が小休止した場所だそうです。三島市に入りましたが、ここからが長かったです。静岡の街道表示はこんな感じになります。三島まで8.7km雲助徳利の墓もともとは大名の剣術指南役で久四郎という名前だそうですが、大酒飲みで事件を起こして追放になり、雲助になったそうです。親分肌で雲助仲間に慕われており、亡くなった後に雲助たちが墓を建てたとのこと。紙パックのお酒が供えられていました。秀吉軍の攻撃で半日で落城したという山中城址です。見学したかったですが、日没までに三島に辿り着けなくなりそうなのでパスしました。芝切地蔵復元した石畳が続きます。復元版なので、ゴツゴツしていません。両脇は杉並木です。富士山が見えました。快晴で気持ち良いです。三島スカイウオーク馬頭観音あと6kmゴールが見えてきました。石畳が終わり、里山の風景になります。松雲寺にある明治天皇の足跡で、この石に座って富士山を眺めたそうです。なので、座ってみました。こんな景色が見えます。六地蔵x2きれいな頭巾をかぶり、花も供えられていました。地元の方々が大切にしていることが伝わってきます。日本橋から二十八里目残り2kmです。ようやく三島大社に到着しました。本陣跡ですが、しょぼい・・・今日はここまで。桜家は以前に来たことがあり、その際は鰻重を食べたので、今回は白焼とビールで自分にご褒美です。蒲焼2人前はお土産にしてもらい、合計13,450円でした。長いけれど充実した一日でした。御宿場印