TODAY'S
 
今日の記録

今日の起点から終点までの全て休憩と寄り道を含む記録

ようやく花粉の季節が終わったので、徒歩の旅を再開しました。

今回のルートは、昔の街並みや建物が多く残っており、見どころ満載でした。

 

日付:2024年4月29日

出発時刻:8:50

到着時刻:15:29

歩行距離:27.2km

歩数:33,583歩

歩行ルート

 

日本橋からの累積記録

歩行距離:182.7km

歩数:226,533歩

歩行ルート

 

 

吉原宿〜蒲原宿 

 

記録

歩行距離:12.7km

歩数:15,312歩

 

ぶらり

岳南電車で吉原から吉原本町まで行くのですが、間違って本吉原までの切符を買ってしまいました。

運賃は同じなので良かったです。

Suicaは使えず、今時珍しい硬い紙の切符でした。

 

吉原本町駅のホームで準備運動してから出発。

 

今日も明治天皇の足跡がありました。

 

本陣跡なのですが、そうと分かるものは何もありません。

 

前回は、御宿場印を買うためにここまで来たので、今回はここがスタート地点になります。

 

鯛屋旅館

清水次郎長、山岡鉄舟の定宿だったそうです。

1682年の創業以来、同じ場所で旅館を続けているのはすごいです。

 

現在の道なりではなくて、結構曲がり角が多く、間違わないように標識が立っています。

 

吉原宿と蒲原宿の間の「間宿(あいのしゅく)」本市場

多くの茶店があり、白酒、葱雑炊、肥後ずいき が名物だったとのこと。

白酒、葱雑炊までは分かるとして、肥後ずいきって、あっちの方ではなくて、食べる方の名物だよな?

 

鶴芝の碑

 

三十五里目の一里塚跡

 

富士山が近いです。

 

またまたありました、明治天皇の足跡です。

休憩しすぎな感じですが・・・

 

富士川を渡ります。

 

富士川橋の上からの富士山の眺めです。

 

間宿 岩渕

大名や公家が休憩するだけで宿泊はできない「小休本陣」

中に入って見学しました。

広間

お風呂 膝を抱えないと入れそうにありません。

台所 これは江戸時代のものではないですね。

壁面の下の方が湾曲しているのは、古くて傾いているのではなく、雨水を流すためだそうです。

お殿様の部屋

 

三十七里目の岩渕の一里塚

左右の両塚が、昔の姿を留めていました。

こちらは、京都に向かって左側の塚です。

 

こちらは右側の塚です。

 

三十八里目の蒲原の一里塚跡

 

東木戸(蒲原宿の東側(江戸側)の入口)

当時の常夜燈が残っています。

 

水力発電所の送水管です。

写真だと大きさが分かりにくいですが、近くで見ると怖いくらいの迫力です。

 

三階建ての土蔵がありました。

同じ「渡邊」なので、ちょっと嬉しい。

 

なまこ壁と「塗り家造り」の家 旧商家「佐野屋」跡

重厚感があります。

 

広重の東海道五十三次の中の最高傑作といわれている「蒲原夜之雪」を描いた場所

 

先ほどの、佐野屋方向を描いたようです。

 

旅館「和泉屋」

安政の大地震でも倒壊を免れて、当時の面影が残っています。

現在はお休み処として営業しており、ご宿場印はここで買えます。

 

蒲原宿本陣跡

昔の姿が残っていますが、内部非公開なのが残念。

 

御宿場印

 

蒲原宿〜由比宿 

 

記録

歩行時間:59分

歩行距離:4.5km

歩数:5,619歩

 

ぶらり

昼食は少し街道から外れて「よし川」で。

カウンター席が空いていて良かったです。

 

桜えび黄金丼をいただきました。

サクサクの桜えびのかき揚げの下には、溶き卵を半熟にしたものが敷いてあり、甘辛のタレがかかっていて美味しかったです。

デザートにソフトクリームが付いて、税込1500円でした。

 

街道に戻り、歩き始めます。

旧五十嵐歯科医院

外観は洋風ですが、内部は和風の造りです。

 

志田邸 町民生活歴史館になっています。

 

美しい格子戸の家

今でも人が住んでいます。

この一帯は、昔ながらの風情のある建物が多く、今でも人が住んでいるところがすごいです。

 

三十九里目の一里塚跡

 

紀州藩が七里毎の宿場に役所を設け、飛脚を置いたそうです。

 

由比本陣跡

立派な公園になっており、敷地内には東海道広重美術館があります。

御宿場印はここで買えます。

 

薩埵峠の一部が崖の崩落と熊出没で迂回しなければならない・・・

 

御宿場印

 

 

由比宿〜興津宿 

 

記録

歩行時間:2時間7分

歩行距離:10.0km

歩数:12,652歩

 

ぶらり

本陣正面にあるのが、「小雪紺屋」

慶安の変の由比小雪の生家で今でも藍染屋を営んでいます。

 

藍染をする甕

 

再び向かい側の本陣跡です。

前の水路は馬の水飲み場だったそうです。

 

置物かと思ったら、本物の亀でした。

 

桜えびを売っている店がこの通りにたくさんありました。

 

橋の欄干にも桜えび

 

旧東海道の隣の道には、こんなゲートがありました。

 

名主の館 小池邸

立派な建物です。

 

あかりの博物館

江戸から大正時代までの提灯や行灯を展示しています。

 

難所の薩埵峠が近いです。

 

当時の街道の面影がある街並みです。

昭和の日なので、この集落では日の丸を掲げている家が多くありました。

 

本日3ヶ所目の明治天皇の休憩場所です。

 

いよいよ薩埵峠を登ります。

 

いきなりの急登

 

興津まで4.2km

 

坂道の両側がミカン畑になっています。

 

ようやく峠に到着

 

峠を挟んで合戦したのですね。

 

広重の興津の絵はこの位置からの風景を描いたものです。

富士山頂上が雲に隠れてしまい、残念。

 

雲が無ければ、こんな風景だったはずです。

 

現在のルートはそもそも迂回路なのに、崖崩れと熊出没でさらに迂回することに・・・

 

四十一里目の一里塚跡

 

興津到着!

今日はここまでにします。

 

御宿場印

興津駅より手前で販売している店が休みで、御宿場印を買えませんでした。
次回買うことにします。